ヤター! 久々に韓国書を読了。
本ブログの今年2月19日の記事で紹介した「タサンの父に」の作者・安素玲(안소령.アン・ソリョン)が2005年に書いた、これもジュニア向きの「本ばかり読むバカ(책만 보는 바보)」という小説です。
読みやすい韓国語ですが、電車に乗った時等に少しずつ読み進んだので、結局約4ヵ月もかかってしまいました。
【帯に「“1都市1冊読書”選定図書」とあり、その下に「2011年one book one 釜山」以下が並んでいます。】
この書名は、朝鮮の正祖の時代(18世紀末)の実学者李徳懋(이덕무.イ・ドクム)が21歳の時に書いた短い自叙伝「看書痴伝」からとったものです。
内容はというと、彼ら実学派の学者・文人たちの生活や学問、彼らの間の友情等を、李徳懋1人の視点から描いたものです。
彼を含む実学者仲間を具体的にあげると次の通りです。(生年順)
○洪大容(홍대용.ホン・デヨン)1731~1783
○朴趾源(박지원.パク・チウォン)1737~1805
○李懋(이덕무.イ・ドンム)1741~1793
○白東脩(백동수.ペク・トンス)1743~1816
○柳得恭(유득공.ユ・ドゥッコン)1748~1807
○朴齊家(박제가.パク・チェガ)1750~1805
○李書九(이서구.イ・ソグ)1754~1825
※正祖(정조.チョンジョ)1752~1800
この7人の中で、私ヌルボが知っていたのは、「熱河日記」(東洋文庫所収)の著者朴趾源と、2011年SBSのドラマ「武士ペク・トンス」の主人公白東脩の2人だけ。
それがこの本のおかげで他の人々の業績等をいろいろ知ることができました。
洪大容と朴趾源は、年長というだけではなく、学識からいっても先生格なのですが、洪大容という人は今ふうにいえば「理系」の人で、彼の宇宙観等々、小川晴久先生が著作で詳述しているのを読むと非常に興味深いものがあります。いずれ記事にします。
また、この中で李懋・柳得恭・朴齊家の3人は、ドラマ「イサン」にちょっと登場しました。見た人たちは覚えているのでしょうね? (私ヌルボは見てないくせしてちゃっかり書いてます。)
たとえば第58話。ナム尚宮とテスは、やむなくイサンに従い、日が沈むのを待ってから、共に雲従街(ウンジョンガ.現在の鍾路)へ向かった。そして酒場で3人の男(上記の3人)と酒を酌み交わしたが、気軽にジョークにも応じるイサンのことを彼らは気にいったようで、ぜひ白塔派に入るよう勧めて、名前を尋ねてきたりもする。酒場を出てから、ナム尚宮がイサンに言った。「白塔派を自称する実学者たちのようです」。(その後、彼らは正祖が新設した奎章閣(図書館)の検書官に登用される。)
白塔派とは、この「本ばかり読むバカ」にも書かれているように、彼らの多くは園覚寺址十層石塔すなわちタプコル公園のあの国宝第2号の石塔がある近辺に住んでいて親しくしててたために付けられた名称で、彼らが書いて出した散文集も「白塔清縁集」と題されています。
あ、「イサン」には上記3人の検書官だけでなく、白東脩も出てますね。
【MBCドラマ「イサン」より。正祖(イサン)は、庶子でありながも能力のある(左から)李懋・朴齊家・柳得恭らを奎章閣の検書官に任命した。右は李懋。(ちょっと本のイメージと合わない・・・。)】
作者の安素玲さんが、なぜ李懋が一人称で物語るという形式をとったのかというと、たぶんこのグループの中で一番地味な存在だったからではないかと思います。「文藝春秋」の「同級生交歓」で、多くの場合知名度とか世間的「地位」においてあまり目立たない人が書き手を担当するようなものです(?)。また、貧しい中、読書に没頭して日々を過ごし、時折同好の友人たちと語り合ったりするという生活が、作者自身と重なる点があったのかもしれません。
その結果、TVドラマとは違って、物語の展開は実に淡々としています。約260ページの本文中180ページくらいまで延々と友人や2人の先生個々の詳しい紹介が続き、その後やっと清の都・北京に使節団の一員として行ったことが記され、奎章閣の検書官になるのは210ページ辺りですからねー。
(※北京は燕京という別名があったことから、北京に行くことを燕行(연행)と言ったそうです。)
登場人物も悪人はいないし、大事件とかもありません。(正祖の近辺にはあったでしょうが・・・。) しかし歴史の勉強にもなって、感動する場面もちゃんとあるから、つまらなくはないし、まさに健全そのもののジュニア小説で、中学校の国語の教科書に採択されているというのもうなずけます。
また一応はジュニア向けとなっていても、大人が読んでも十分に大丈夫で、韓国サイトを見るとなかなかの好評を得ています。
・・・ということで、とても収穫の多かった本でした。
が、気になった点もないではありません。「湛軒先生(洪大容)は1765年から翌年の4月まで、清に行く使臣の一行に随って・・・」のように1人称なのに当時はもちろん使われていない西暦表記が何か所もある等。
また、現代の価値観がそのまま主人公たちに投影されているのではないかと思われる箇所もありました。
その他、特にこれは、という事柄については、今後さらに個別に記事を立てることにします。
本ブログの今年2月19日の記事で紹介した「タサンの父に」の作者・安素玲(안소령.アン・ソリョン)が2005年に書いた、これもジュニア向きの「本ばかり読むバカ(책만 보는 바보)」という小説です。
読みやすい韓国語ですが、電車に乗った時等に少しずつ読み進んだので、結局約4ヵ月もかかってしまいました。
【帯に「“1都市1冊読書”選定図書」とあり、その下に「2011年one book one 釜山」以下が並んでいます。】
この書名は、朝鮮の正祖の時代(18世紀末)の実学者李徳懋(이덕무.イ・ドクム)が21歳の時に書いた短い自叙伝「看書痴伝」からとったものです。
内容はというと、彼ら実学派の学者・文人たちの生活や学問、彼らの間の友情等を、李徳懋1人の視点から描いたものです。
彼を含む実学者仲間を具体的にあげると次の通りです。(生年順)
○洪大容(홍대용.ホン・デヨン)1731~1783
○朴趾源(박지원.パク・チウォン)1737~1805
○李懋(이덕무.イ・ドンム)1741~1793
○白東脩(백동수.ペク・トンス)1743~1816
○柳得恭(유득공.ユ・ドゥッコン)1748~1807
○朴齊家(박제가.パク・チェガ)1750~1805
○李書九(이서구.イ・ソグ)1754~1825
※正祖(정조.チョンジョ)1752~1800
この7人の中で、私ヌルボが知っていたのは、「熱河日記」(東洋文庫所収)の著者朴趾源と、2011年SBSのドラマ「武士ペク・トンス」の主人公白東脩の2人だけ。
それがこの本のおかげで他の人々の業績等をいろいろ知ることができました。
洪大容と朴趾源は、年長というだけではなく、学識からいっても先生格なのですが、洪大容という人は今ふうにいえば「理系」の人で、彼の宇宙観等々、小川晴久先生が著作で詳述しているのを読むと非常に興味深いものがあります。いずれ記事にします。
また、この中で李懋・柳得恭・朴齊家の3人は、ドラマ「イサン」にちょっと登場しました。見た人たちは覚えているのでしょうね? (私ヌルボは見てないくせしてちゃっかり書いてます。)
たとえば第58話。ナム尚宮とテスは、やむなくイサンに従い、日が沈むのを待ってから、共に雲従街(ウンジョンガ.現在の鍾路)へ向かった。そして酒場で3人の男(上記の3人)と酒を酌み交わしたが、気軽にジョークにも応じるイサンのことを彼らは気にいったようで、ぜひ白塔派に入るよう勧めて、名前を尋ねてきたりもする。酒場を出てから、ナム尚宮がイサンに言った。「白塔派を自称する実学者たちのようです」。(その後、彼らは正祖が新設した奎章閣(図書館)の検書官に登用される。)
白塔派とは、この「本ばかり読むバカ」にも書かれているように、彼らの多くは園覚寺址十層石塔すなわちタプコル公園のあの国宝第2号の石塔がある近辺に住んでいて親しくしててたために付けられた名称で、彼らが書いて出した散文集も「白塔清縁集」と題されています。
あ、「イサン」には上記3人の検書官だけでなく、白東脩も出てますね。
【MBCドラマ「イサン」より。正祖(イサン)は、庶子でありながも能力のある(左から)李懋・朴齊家・柳得恭らを奎章閣の検書官に任命した。右は李懋。(ちょっと本のイメージと合わない・・・。)】
作者の安素玲さんが、なぜ李懋が一人称で物語るという形式をとったのかというと、たぶんこのグループの中で一番地味な存在だったからではないかと思います。「文藝春秋」の「同級生交歓」で、多くの場合知名度とか世間的「地位」においてあまり目立たない人が書き手を担当するようなものです(?)。また、貧しい中、読書に没頭して日々を過ごし、時折同好の友人たちと語り合ったりするという生活が、作者自身と重なる点があったのかもしれません。
その結果、TVドラマとは違って、物語の展開は実に淡々としています。約260ページの本文中180ページくらいまで延々と友人や2人の先生個々の詳しい紹介が続き、その後やっと清の都・北京に使節団の一員として行ったことが記され、奎章閣の検書官になるのは210ページ辺りですからねー。
(※北京は燕京という別名があったことから、北京に行くことを燕行(연행)と言ったそうです。)
登場人物も悪人はいないし、大事件とかもありません。(正祖の近辺にはあったでしょうが・・・。) しかし歴史の勉強にもなって、感動する場面もちゃんとあるから、つまらなくはないし、まさに健全そのもののジュニア小説で、中学校の国語の教科書に採択されているというのもうなずけます。
また一応はジュニア向けとなっていても、大人が読んでも十分に大丈夫で、韓国サイトを見るとなかなかの好評を得ています。
・・・ということで、とても収穫の多かった本でした。
が、気になった点もないではありません。「湛軒先生(洪大容)は1765年から翌年の4月まで、清に行く使臣の一行に随って・・・」のように1人称なのに当時はもちろん使われていない西暦表記が何か所もある等。
また、現代の価値観がそのまま主人公たちに投影されているのではないかと思われる箇所もありました。
その他、特にこれは、という事柄については、今後さらに個別に記事を立てることにします。
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