日本での知名度は高くありませんが、韓国では女性旅行家ハン・ビヤさんはよく知られています。それも多くの人の尊敬の対象です。
1958年生まれの彼女は、子どもの頃からの夢だった世界一周を実現すべく、3年の間せっせと貯めたお金2500万ウォンを資金とし、仕事も棄てて1993年7月出発しました。
出かけるに際して彼女が自ら課した原則は、①飛行機に乗らない。②1つの国に1ヵ月以上滞在する。③奥地の村を中心に廻り、現地の人とまったく同様に食べて寝て生活する、でした。
結局98年6月まで約5年間、その原則にしたがい、30㎏の荷物を持って世界65ヵ国を徒歩で旅行しました。(この重量その他について疑問を呈する人もいないではないですが・・・。)
その旅行記「風の娘、歩いて地球3周半(바람의 딸, 걸어서 지구 세 바퀴 반)」(1996〜98)が評判をよび、メディアにも登場するようになりました。
そして韓国YWCA選定若いリーダー賞受賞(2004年)、「大学生が最も尊敬する人物」で1位となる(2009年)等々、現在の韓国の若者が最も尊敬する人物の1人に数えられています。
ヌルボが韓国の人相手にハン・ビヤの名前を出したら、「リッパな方です」という言葉が返ってきた、ということは2例ありました。
その彼女が、世界一周を終えた後の1999年3月2日~4月26日の56日間、韓国をやはり徒歩で縦断しました。
その時の旅行記が「風の娘、わが地に立つ(바람의 딸, 우리 땅에 서다)」(1999年)です。
【ハン・ビヤさんももう50代半ば。「風の娘」の愛称は気恥ずかしいのでは?】
本書によると、世界一周の最後の頃チベットで会ったアメリカ人旅行者から聞いた話が国内旅行を思い立ったきっかけとのこと。彼は、自分の親戚が韓国のイムシルという所で働いていたと言ったのに、ハン・ビヤさんはそれがどこだかよくわからず、「灯台下暗し」だったと悟って、韓国縦断で世界旅行をしめくくろうと決意したというわけです。
この本は最初1999年に刊行されましたが、私ヌルボが昨年12月にソウルで買ったのは2006年に改訂された版です。2007年頃買って読み始めたものの、5分の1ほど読んだあたりで本が行方不明になったのでしかたなく買い直しました。とほほ。
さて、その縦断ルートは、韓国の南西端から北東端までをほぼ直線で結んだものです。
本書の巻末に、56日間の毎日の行程や歩いた距離、宿泊場所等の記録が付いています。そこに全行程を示す図と、それを4つに分けて詳しく経由地を書き込んだ地図も載せられています。(下図)
【韓国の単位では全長約2000里。※韓国の1里は日本の1里の10分の1です。】
およそ800km。56日間だと1日平均14 km強とは、1日30~40kmは歩いた江戸時代の旅人と比べるとずいぶんスローペースだな、との感もありますが、読んでみると途中で山に登ったり、TVに出たりもしているので、必ずしものんびり旅行というわけでもなさそうです。
彼女がこの徒歩旅行の起点としたのが、その名もタンクッ(땅끝)という所。タン(땅)は地でクッ(끝)は果て。文字通り<地の果て>という地名。島は除いて、朝鮮半島の最南端の地です。
【下の方の➊の場所がタンクッ。(コネストの地図は日本語なので便利です。) 】
全羅南道海南郡松旨面松湖里のタンクッ村(해남군 송지면 송호리. 땅끝마을)です。
私ヌルボ、何年か前にある在日の方と知り合い、故郷をお尋ねしたら「タンクッです」とのこと。その時初めて、漢字語ではないその地名を初めて知りました。
韓国縦断の出発点にぴったりの所ですね。
そしてゴール地点が日本海側の北端、つまり北朝鮮との軍事分界線の手前にある高城(コソン)統一展望台。これまたぴったんこ。
ハン・ビヤさんも書いていますが、韓国という国の大きさは徒歩で縦断するにはちょうどよい路程で、山も適度な高さです。
・・・ということでハン・ビヤさん、1999年3月2日にソウルからバスで光州を経て8時間かかってタンクッに到着。その日の晩は当地のモーテルに泊まって翌3日にいよいよ歩き始めます、というか、いやその前にちょっとした「儀式」があったのですが、それは続きで・・・。
1958年生まれの彼女は、子どもの頃からの夢だった世界一周を実現すべく、3年の間せっせと貯めたお金2500万ウォンを資金とし、仕事も棄てて1993年7月出発しました。
出かけるに際して彼女が自ら課した原則は、①飛行機に乗らない。②1つの国に1ヵ月以上滞在する。③奥地の村を中心に廻り、現地の人とまったく同様に食べて寝て生活する、でした。
結局98年6月まで約5年間、その原則にしたがい、30㎏の荷物を持って世界65ヵ国を徒歩で旅行しました。(この重量その他について疑問を呈する人もいないではないですが・・・。)
その旅行記「風の娘、歩いて地球3周半(바람의 딸, 걸어서 지구 세 바퀴 반)」(1996〜98)が評判をよび、メディアにも登場するようになりました。
そして韓国YWCA選定若いリーダー賞受賞(2004年)、「大学生が最も尊敬する人物」で1位となる(2009年)等々、現在の韓国の若者が最も尊敬する人物の1人に数えられています。
ヌルボが韓国の人相手にハン・ビヤの名前を出したら、「リッパな方です」という言葉が返ってきた、ということは2例ありました。
その彼女が、世界一周を終えた後の1999年3月2日~4月26日の56日間、韓国をやはり徒歩で縦断しました。
その時の旅行記が「風の娘、わが地に立つ(바람의 딸, 우리 땅에 서다)」(1999年)です。
【ハン・ビヤさんももう50代半ば。「風の娘」の愛称は気恥ずかしいのでは?】
本書によると、世界一周の最後の頃チベットで会ったアメリカ人旅行者から聞いた話が国内旅行を思い立ったきっかけとのこと。彼は、自分の親戚が韓国のイムシルという所で働いていたと言ったのに、ハン・ビヤさんはそれがどこだかよくわからず、「灯台下暗し」だったと悟って、韓国縦断で世界旅行をしめくくろうと決意したというわけです。
この本は最初1999年に刊行されましたが、私ヌルボが昨年12月にソウルで買ったのは2006年に改訂された版です。2007年頃買って読み始めたものの、5分の1ほど読んだあたりで本が行方不明になったのでしかたなく買い直しました。とほほ。
さて、その縦断ルートは、韓国の南西端から北東端までをほぼ直線で結んだものです。
本書の巻末に、56日間の毎日の行程や歩いた距離、宿泊場所等の記録が付いています。そこに全行程を示す図と、それを4つに分けて詳しく経由地を書き込んだ地図も載せられています。(下図)
【韓国の単位では全長約2000里。※韓国の1里は日本の1里の10分の1です。】
およそ800km。56日間だと1日平均14 km強とは、1日30~40kmは歩いた江戸時代の旅人と比べるとずいぶんスローペースだな、との感もありますが、読んでみると途中で山に登ったり、TVに出たりもしているので、必ずしものんびり旅行というわけでもなさそうです。
彼女がこの徒歩旅行の起点としたのが、その名もタンクッ(땅끝)という所。タン(땅)は地でクッ(끝)は果て。文字通り<地の果て>という地名。島は除いて、朝鮮半島の最南端の地です。
【下の方の➊の場所がタンクッ。(コネストの地図は日本語なので便利です。) 】
全羅南道海南郡松旨面松湖里のタンクッ村(해남군 송지면 송호리. 땅끝마을)です。
私ヌルボ、何年か前にある在日の方と知り合い、故郷をお尋ねしたら「タンクッです」とのこと。その時初めて、漢字語ではないその地名を初めて知りました。
韓国縦断の出発点にぴったりの所ですね。
そしてゴール地点が日本海側の北端、つまり北朝鮮との軍事分界線の手前にある高城(コソン)統一展望台。これまたぴったんこ。
ハン・ビヤさんも書いていますが、韓国という国の大きさは徒歩で縦断するにはちょうどよい路程で、山も適度な高さです。
・・・ということでハン・ビヤさん、1999年3月2日にソウルからバスで光州を経て8時間かかってタンクッに到着。その日の晩は当地のモーテルに泊まって翌3日にいよいよ歩き始めます、というか、いやその前にちょっとした「儀式」があったのですが、それは続きで・・・。
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