韓国・朝鮮に興味を持つ人にとって、チョウセントラはとくに注目のテーマのひとつでしょう。本ブログでも、2010年に関係記事(→コチラ)を書きましたが、<イザベラ・バード「朝鮮紀行」を読む>シリーズ中の記事であり、チョウセントラについての包括的な記事ではありませんでした。
その記事が数日前からアクセスが増えているのは、おそらく<聯合ニュース>が2月22日付で「同志社にトラの剥製の返還を要請=韓国市民団体」と題したニュース(→コチラ)を報じたからと思われます。問題のトラの剥製は「朝鮮半島で大規模なトラ狩りを行った山本唯三郎が同志社大に寄贈したものとされる」とのことですが、この山本唯三郎の虎狩り(1917年)については「北朝鮮で虎狩り!」というウェブ記事(→コチラ)や、荒俣宏「奇っ怪紳士録」(平凡社ライブラリー)中の「行け行け、山本征虎軍!」に記されています。
日本の統治期の虎狩りについては、昨2015年12月韓国で公開されたチェ・ミンシク主演の映画「大虎」でも描かれています。1925年の智異山(チリサン)を主舞台にした物語です。虎の皮に魅了された日本高官・前園(大杉漣)は、地元民たちがサングン(山君)として怖れている大虎を捕えようと日本軍と朝鮮人猟師たちをせっつきますが、大虎は容易に自らの跡を出さず、最後の手段としてすでに引退している名猟師が登場して・・・という内容です。(→参考ブログ記事。)
もしかしたら、上記の韓国市民団体によるトラの剥製返還要請は、近年世界で進められつつある文化財返還運動の一環という側面とともに、この映画「大虎」に描かれたような、日本の統治期のもろもろに対する民族的な尊厳の回復といった面もあるのかもしれません。
※明治末~昭和前期の朝鮮でのトラ狩りや、木浦儒達初等学校に現存するチョウセントラの剥製等については遠藤公男「韓国の虎はなぜきえたか」(講談社.1986)に記されています。
さて、トラをめぐる日本と韓国・朝鮮との関係はもちろん近代に始まったわけではありません。加藤清正の虎退治の話は(真偽はおくとして)多くの日本人が知るところです。「魏志倭人伝」にも「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」とあるように、日本列島には昔からトラはいませんでしたが、書物や絵画に古代からさまざまに記され、描かれてきました。朝鮮だけでなく、日本の民話等にも登場します。 ※梶島孝雄「資料 日本動物史」(八坂書房)によると「トラは洪積世前期以降、我が国にも生息していたが、縄文時代草創期までの間に絶滅し」たという。
また、毛皮が高価で取引され、骨等は薬用としても珍重されてきた歴史もあります。(今も!?)
このように古来日本でも縁の深い動物だったトラですが、今トラは世界的に個体数が減少し、絶滅危険度がENレベルの絶滅危惧種とされています。このままだと「近い将来に絶滅する危険性が高い」というものです。
生物学的にはトラはネコ科ヒョウ属トラ種に属する動物で、現在は次の8つの亜種に分類されます。
ベンガルトラ、アムールトラ、アモイトラ、バリトラ、マレートラ、ジャワトラ、スマトラトラ、カスピトラ
で、チョウセントラはこの中のアムールトラと同じものとされています。シベリアトラ、ウスリートラともいわれ、トラ種の中では最大で、雄には3.7mに及ぶものもあるとか。しかし、今野生の個体数は約500頭とのことです。
※マンシュウトラといわれたこともあったようです。
・・・というところで、誰もが抱く疑問が「今も朝鮮半島にトラはいるの?」ということ。
詳しくはこのシリーズでそのうち取り上げますが、韓国は「限りなくゼロに近い」のではと思われますが、北朝鮮については→コチラの記事(韓国語)によると数は少ないもののまだいることが確認されているとか。白頭山トラが数頭程度。ただしこれは2005年の記事で、その時すでに絶滅の危機に瀕している状態。その後は?というと、最近(2015年12月)の「ハンギョレ」にアムールトラセンター沿海州地域所長という肩書のロシア人の専門家が北朝鮮内に野生のトラがいるかどうか調査に入る案を推進しているとの記事(→コチラ.韓国語)がありました。「ロシアトラの雌1頭と子2頭が北朝鮮に移動した状況がある」とのことですが、まだ計画の段階かな? ということで、北朝鮮にいたとしてもごくわずかで、もしかしたらもういないかも、というのが現在の状況のようです。
・・・と、チョウセントラについてはさまざまな分野にまたがって興味深いネタがたくさんあります。今回は序論なのにちょっと細かく書きすぎたかも。以下、あまり(全然)体系的ではありませんが、私ヌルボの興味の赴くままに不定期連載を始めます。
(他にも完結していないシリーズ物記事をたくさん抱えているのに・・・。)
横浜・野毛山動物園のアムールトラ・メイメイ(1996年10月生まれ.雌) 2016年2月19日撮影
→ <チョウセントラの過去と現在> ②トラを見にズーラシアに行った、のですが・・・
→ <チョウセントラの過去と現在> ③野毛山動物園のメイメイの「虎」独、麝香虎骨膏のこと等
→ 1月4日に天寿を全うして亡くなった野毛山動物園のアムールトラ(チョウセントラ)・メイメイ(20歳)
その記事が数日前からアクセスが増えているのは、おそらく<聯合ニュース>が2月22日付で「同志社にトラの剥製の返還を要請=韓国市民団体」と題したニュース(→コチラ)を報じたからと思われます。問題のトラの剥製は「朝鮮半島で大規模なトラ狩りを行った山本唯三郎が同志社大に寄贈したものとされる」とのことですが、この山本唯三郎の虎狩り(1917年)については「北朝鮮で虎狩り!」というウェブ記事(→コチラ)や、荒俣宏「奇っ怪紳士録」(平凡社ライブラリー)中の「行け行け、山本征虎軍!」に記されています。
日本の統治期の虎狩りについては、昨2015年12月韓国で公開されたチェ・ミンシク主演の映画「大虎」でも描かれています。1925年の智異山(チリサン)を主舞台にした物語です。虎の皮に魅了された日本高官・前園(大杉漣)は、地元民たちがサングン(山君)として怖れている大虎を捕えようと日本軍と朝鮮人猟師たちをせっつきますが、大虎は容易に自らの跡を出さず、最後の手段としてすでに引退している名猟師が登場して・・・という内容です。(→参考ブログ記事。)
もしかしたら、上記の韓国市民団体によるトラの剥製返還要請は、近年世界で進められつつある文化財返還運動の一環という側面とともに、この映画「大虎」に描かれたような、日本の統治期のもろもろに対する民族的な尊厳の回復といった面もあるのかもしれません。
※明治末~昭和前期の朝鮮でのトラ狩りや、木浦儒達初等学校に現存するチョウセントラの剥製等については遠藤公男「韓国の虎はなぜきえたか」(講談社.1986)に記されています。
さて、トラをめぐる日本と韓国・朝鮮との関係はもちろん近代に始まったわけではありません。加藤清正の虎退治の話は(真偽はおくとして)多くの日本人が知るところです。「魏志倭人伝」にも「その地には牛・馬・虎・豹・羊・鵲なし」とあるように、日本列島には昔からトラはいませんでしたが、書物や絵画に古代からさまざまに記され、描かれてきました。朝鮮だけでなく、日本の民話等にも登場します。 ※梶島孝雄「資料 日本動物史」(八坂書房)によると「トラは洪積世前期以降、我が国にも生息していたが、縄文時代草創期までの間に絶滅し」たという。
また、毛皮が高価で取引され、骨等は薬用としても珍重されてきた歴史もあります。(今も!?)
このように古来日本でも縁の深い動物だったトラですが、今トラは世界的に個体数が減少し、絶滅危険度がENレベルの絶滅危惧種とされています。このままだと「近い将来に絶滅する危険性が高い」というものです。
生物学的にはトラはネコ科ヒョウ属トラ種に属する動物で、現在は次の8つの亜種に分類されます。
ベンガルトラ、アムールトラ、アモイトラ、バリトラ、マレートラ、ジャワトラ、スマトラトラ、カスピトラ
で、チョウセントラはこの中のアムールトラと同じものとされています。シベリアトラ、ウスリートラともいわれ、トラ種の中では最大で、雄には3.7mに及ぶものもあるとか。しかし、今野生の個体数は約500頭とのことです。
※マンシュウトラといわれたこともあったようです。
・・・というところで、誰もが抱く疑問が「今も朝鮮半島にトラはいるの?」ということ。
詳しくはこのシリーズでそのうち取り上げますが、韓国は「限りなくゼロに近い」のではと思われますが、北朝鮮については→コチラの記事(韓国語)によると数は少ないもののまだいることが確認されているとか。白頭山トラが数頭程度。ただしこれは2005年の記事で、その時すでに絶滅の危機に瀕している状態。その後は?というと、最近(2015年12月)の「ハンギョレ」にアムールトラセンター沿海州地域所長という肩書のロシア人の専門家が北朝鮮内に野生のトラがいるかどうか調査に入る案を推進しているとの記事(→コチラ.韓国語)がありました。「ロシアトラの雌1頭と子2頭が北朝鮮に移動した状況がある」とのことですが、まだ計画の段階かな? ということで、北朝鮮にいたとしてもごくわずかで、もしかしたらもういないかも、というのが現在の状況のようです。
・・・と、チョウセントラについてはさまざまな分野にまたがって興味深いネタがたくさんあります。今回は序論なのにちょっと細かく書きすぎたかも。以下、あまり(全然)体系的ではありませんが、私ヌルボの興味の赴くままに不定期連載を始めます。
(他にも完結していないシリーズ物記事をたくさん抱えているのに・・・。)
横浜・野毛山動物園のアムールトラ・メイメイ(1996年10月生まれ.雌) 2016年2月19日撮影
→ <チョウセントラの過去と現在> ②トラを見にズーラシアに行った、のですが・・・
→ <チョウセントラの過去と現在> ③野毛山動物園のメイメイの「虎」独、麝香虎骨膏のこと等
→ 1月4日に天寿を全うして亡くなった野毛山動物園のアムールトラ(チョウセントラ)・メイメイ(20歳)
一番はじめに豊田先生の本を読んだのが『いい加減にしろ、韓国』だったので、当時は単なる嫌韓ネット右翼のハシリみたいな老害クソジジイか?みたいな感覚で内心バカにしていたのですが、1970年代の段階でこれだけ韓国を理解して勉強していたことが分かり、衝撃を受けました。現代をヒュンダイとルビをふるのは今もまかり通っていますけど(間違いではありませんが)、豊田先生は1970年代の段階でちゃんとヒョンデとルビをふっていますね。
『いい加減にしろ、韓国』は、福沢諭吉の脱亜論のようなものなのかな?と今は評価しています。
私が豊田有恒の小説を読んだのは、ずーっと昔のSFが最初で、その後はほとんど読んでいません。また近年韓国について書いたものは雑誌等の載ったものは何か読んだかも。しかしまとまったものは読んでいません。
作家では、井沢元彦も韓国について以前からいろいろ書いていますが、これまた何十年も前に「猿丸幻視行」を読んで以来何か読んだかな・・・。
で、振り返ってみると豊田有恒が「いい加減にしろ韓国」を書いたのが1994年、井沢元彦「恨の法廷」を書いたのが1991年です。
1990年前後は、韓国のとくに80年代民主化闘争を担った人たちがそれまでの「反共」という<国是>から「親北朝鮮・反米&反日」と転換した時期であり、また早くから韓国に興味を持っていた日本の<知韓派>の人たちがそれまではわりとふつうにあった<罪責感>から脱却して韓国の多様な<実像>を見て物を言うようになってきた時期ではないかと思います。この2人の著書もそういう背景があるのでは?と読んでもいないのに考えてみたのですが、いかがなものでしょうか?