10月末の「朝鮮日報」拾い読みで、1回目に高麗大学マッコリ>、2回目に白いバナナ牛乳>についてとりあげましたが、実は一番興味をもって読んだのは<韓国の動物園100年史>でした。
1つの面の大半を占める大きな記事で、「朝鮮日報」のサイトてば上・中・下に分けて載せられています。
この記事のポイントは以下のとおりです。
①韓国最初の動物園が開園したのは1909年11月1日。
ソウルの宮殿の一つ昌慶宮の殿閣を取り壊して造成した昌慶苑動物園である。
動物園の開設を提案したのは初代朝鮮統監府統監の伊藤博文だった。
しかし彼は開園のわずか5日前、ハルビンで安重根に射殺され、開園式に出席できなかった。
②家族で楽しめる公園がなかった当時、この動物園は桜が咲く季節には1日に2万人から3万人の来園客でにぎわうほど、人気のスポットだった。
③第2次大戦中末期の1945年7月25日、東京から猛獣たちを殺処分せよ、との緊急命令が伝えられた。米軍が爆撃すれば猛獣が逃げ出し危険となるため、との理由である。直後にライオン、トラ、クマなど21種38頭に毒薬を混ぜたエサが与えられた。 その日の夜、昌慶苑周辺には猛獣たちのうめき声が一晩中鳴り響き、飼育員たちは皆涙を流した。
④朝鮮戦争の時も動物たちは大きな苦痛を味わった。1951年の<1.4後退>で避難した飼育員たちがその後動物園に戻ると、生き残っていた動物は1匹もいなかった。フクロウ、キツネ等は飢え死にするか凍死し、ラクダやシカ、シマウマなどは人間の食糧になっていた。
⑤1954年から動物園は再建されていったが、1960年代末頃から動物園を移転させて昌慶苑を昌慶宮に復元しようという声が高まり始めた。建物の老朽化や動物の増加で手狭になってきたためである。
1977年に京畿道果川が移転先に決まったが、朴正熙大統領が72年に北朝鮮を訪問した李厚洛(イ・フラク)からKCIA部長から「平壌動物園(286ha)は非常に見ごたえがあります」と聞いて、それより大きい動物園(290ha)が作られることになった。
⑥1984年5月1日に、その新しい動物園・ソウル大公園動物園が開園した。
とくに2000年代に入ってからは、コンクリートの飼育舎から生態型動物園に変わってきている。
以下は私ヌルボの感想です。
いやあ、伊藤博文が韓国の動物園の発案者だったとは知りませんでしたねー。
そして、彼の暗殺の5日後に開園したとはねー。
世界史的な観点では、動物園が造られるということは、資本主義の世界化にともなって、文化の面でもそれまで閉鎖的だった国が世界にリンクされたということでしょう。
その動物園を、朝鮮支配の初期に、それも宮殿の宮門や塀を壊して造ったとは、なんとも舌を巻くほどの<賢さ>です。
そして、そこに大勢の庶民が訪れる。まさに前近代的な封建制から近代社会への移行の好例ですね。
「かわいそうなぞう」のような第2次大戦中末期の動物の毒殺が朝鮮にもあったということも知りませんでした。
朝鮮戦争当時も悲惨な目にあった動物たちですが、「ラクダやシカ、シマウマなどは人間の食糧になっていた」とは、かわいそうな話だけど、なぜか笑っちゃいますね。食べられた動物も、食べた人間も悲惨な状況なのにね。
ヌルボは行ったことはないのですが、290haとはすごく広いですね。
植物園と一体だったり、森林公園の一部だったりすると基準がむずかしいのか、世界一かどうかはネット検索してもよくわかりませんでしたが、たとえば多摩動物園は52.3haです。横浜のズーラシアは(公開されている所は)40.2 haです。全然ケタが違いますね。
世界のいろんな動物園に行った人のサイトを見ると、ソウル動物園は「入園者の中で、子供の占める比率が非常に高いのが特色」と記していました。さもありなん。
※2011年9月3日の記事参照・・・・昌慶苑動物園の動画・画像あり。
1つの面の大半を占める大きな記事で、「朝鮮日報」のサイトてば上・中・下に分けて載せられています。
この記事のポイントは以下のとおりです。
①韓国最初の動物園が開園したのは1909年11月1日。
ソウルの宮殿の一つ昌慶宮の殿閣を取り壊して造成した昌慶苑動物園である。
動物園の開設を提案したのは初代朝鮮統監府統監の伊藤博文だった。
しかし彼は開園のわずか5日前、ハルビンで安重根に射殺され、開園式に出席できなかった。
②家族で楽しめる公園がなかった当時、この動物園は桜が咲く季節には1日に2万人から3万人の来園客でにぎわうほど、人気のスポットだった。
③第2次大戦中末期の1945年7月25日、東京から猛獣たちを殺処分せよ、との緊急命令が伝えられた。米軍が爆撃すれば猛獣が逃げ出し危険となるため、との理由である。直後にライオン、トラ、クマなど21種38頭に毒薬を混ぜたエサが与えられた。 その日の夜、昌慶苑周辺には猛獣たちのうめき声が一晩中鳴り響き、飼育員たちは皆涙を流した。
④朝鮮戦争の時も動物たちは大きな苦痛を味わった。1951年の<1.4後退>で避難した飼育員たちがその後動物園に戻ると、生き残っていた動物は1匹もいなかった。フクロウ、キツネ等は飢え死にするか凍死し、ラクダやシカ、シマウマなどは人間の食糧になっていた。
⑤1954年から動物園は再建されていったが、1960年代末頃から動物園を移転させて昌慶苑を昌慶宮に復元しようという声が高まり始めた。建物の老朽化や動物の増加で手狭になってきたためである。
1977年に京畿道果川が移転先に決まったが、朴正熙大統領が72年に北朝鮮を訪問した李厚洛(イ・フラク)からKCIA部長から「平壌動物園(286ha)は非常に見ごたえがあります」と聞いて、それより大きい動物園(290ha)が作られることになった。
⑥1984年5月1日に、その新しい動物園・ソウル大公園動物園が開園した。
とくに2000年代に入ってからは、コンクリートの飼育舎から生態型動物園に変わってきている。
以下は私ヌルボの感想です。
いやあ、伊藤博文が韓国の動物園の発案者だったとは知りませんでしたねー。
そして、彼の暗殺の5日後に開園したとはねー。
世界史的な観点では、動物園が造られるということは、資本主義の世界化にともなって、文化の面でもそれまで閉鎖的だった国が世界にリンクされたということでしょう。
その動物園を、朝鮮支配の初期に、それも宮殿の宮門や塀を壊して造ったとは、なんとも舌を巻くほどの<賢さ>です。
そして、そこに大勢の庶民が訪れる。まさに前近代的な封建制から近代社会への移行の好例ですね。
「かわいそうなぞう」のような第2次大戦中末期の動物の毒殺が朝鮮にもあったということも知りませんでした。
朝鮮戦争当時も悲惨な目にあった動物たちですが、「ラクダやシカ、シマウマなどは人間の食糧になっていた」とは、かわいそうな話だけど、なぜか笑っちゃいますね。食べられた動物も、食べた人間も悲惨な状況なのにね。
ヌルボは行ったことはないのですが、290haとはすごく広いですね。
植物園と一体だったり、森林公園の一部だったりすると基準がむずかしいのか、世界一かどうかはネット検索してもよくわかりませんでしたが、たとえば多摩動物園は52.3haです。横浜のズーラシアは(公開されている所は)40.2 haです。全然ケタが違いますね。
世界のいろんな動物園に行った人のサイトを見ると、ソウル動物園は「入園者の中で、子供の占める比率が非常に高いのが特色」と記していました。さもありなん。
※2011年9月3日の記事参照・・・・昌慶苑動物園の動画・画像あり。
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