韓国とハンセン病についての一連の記事で、「韓国のタルチュムとハンセン病者のこと」と題した記事を書いてから1ヵ月経ってしまいました。続きがなかなか書けなかったのは、「重い内容」の上、また自分自身どう考えたらいいのか、どう書いたらいいのかよくわからなかったからです。
具体的には以下の内容からお察しください。
ハンセン病について書かれた文学、ハンセン病患者によって書かれた文学は日本にも韓国にもいろいろあります。もちろん世界各国にもですが・・・。
多磨全生園に隣接する国立ハンセン病資料館内の図書室には数多くの関係図書や各種資料が収蔵されていて、館外からのネット検索も可能です。月ごとの新聞・雑誌記事リストも見ることができます。
私ヌルボ、昨年暮れに行った時に、短い時間だったので韓国関係の開架図書をざっと見ただけてたが、以前紹介した李清俊の小説「あなたたちの天国」(みすず書房.2010)も当然あり、書庫にはその原書もありました。
初めて見た本としては「知るもんか!」(汐文社.2005)という児童書。4人の韓国作家の短編集です。その中に、イ・ヨンホ(이영호)作の「ポイナおじさん(보이나 아저씨)」という短編が収録されていました。ハンセン病のおじさんと家族に対する差別を目の当たりにした少年の心の機微を描いた作品です。
※この作品(韓国語)は、インターネットで読むことができます。→コチラ、またはコチラ。
→自動翻訳。
この作品の梗概は以下の通りです。
ほとんど外出することなく部屋こもっている<ポイナおじさん>の家の前を通る時、子どもたちは声を張り上げるのです。「ポイナ?(見える?) アン ポイナ?(見えない?)」と、節までつけて。偶然庭に出ているおじさんの姿を見ようものなら、「ポーインダ!ポインダ!(見ーえた!見えた!)」と悲鳴を上げんばかりに逃げまくります。
そのおじさんが「本を書いているらしい」とか「日本で大学まで出た」という話を少年は信じなかった一方、「裏山の麦畑で赤子を食べ、血のりがべっとりついた口を大きく開けて、ワンワン泣いていた」というウワサは信じていました。友だちのひとりが「ポイナおじさんにつかまったら、食べられてしまうぞ。・・・子どもの肝を食べたら、らい病治るって言ってたぞ。ほんとうらしいぞ」と言ったことも少年は覚えています。
「ポイナ(보이나)」は日本語の「らい病者」を韓国語にした「ナイボ(나이보)」を逆に読んだ俗語です。
少年は、たまたまポイナおじさんの2人の女の子たちと話をするようになります。また彼の父は以前からおじさんと知り合いで、少年が「ポイナおじさん」と言うと彼をきつく叱ります。やがてポイナおじさんが引越ししていくようすを少年は駅で目にします。汽車の車掌がおじさんを汽車の外に追い出すと、おじさんは客車の屋根にはい上がります。おばさんと2人の娘も屋根にあがります。少年を見たポイナおじさんは「元気でなー!」と手をふります。娘たちも。そして少年も「ポイナおじさーん!」と叫び、手をふりつづけます。
・・・今、この「보이나」とか「나이보」とかの言葉は、ネット検索をしたかぎりでは死語になっているようです。
ただ少し気になったのは、先に少し引用した「裏山の麦畑で赤子を食べ・・・」という部分。
今の日本では、差別の意図はなくても、差別を生むおそれがあったり、被差別者を傷つけるおそれのあるような表現は避けられるようになっています。
たとえばハンセン病関係では有名な松本清張の「砂の器」。
映画化作品も名作との評価が高く、TVでも5回にわたりドラマ化されています。しかし原作も映画やドラマの再放映でも、今は「差別語」についての注がつけられたり、音声が一部消されたりしています。私ヌルボとしては、ちょっとナイーヴすぎるのでは、とも思うのですが・・・。(多数ある「差別語」関連のことわざがほとんど使われなくなっていたりするのも同様。)
とはいうものの、荒井裕樹弁護士が『砂の器』について批判的に書いている記事はなかなか説得力があると思いつつ読みましたが・・・。
一方、韓国では、以前の記事でも書きましたが、日本に比べると「差別語」や「差別的表現」のハードルがかなり低いように思われます。
上述の「裏山の麦畑で赤子を食べ・・・」という強烈な内容の話は、今の日本ではとんなものでしょうか?
日本にも、昔から奥州安達ヶ原の鬼婆の伝説のように人間の内臓が薬とされたという物語(や事実!)が伝えられています。
ウィキペディアの<カニバリズム>の項目を見ると、古今東西の多くのおぞましい事例が挙げられていますが、<朝鮮>に関しても次のような記述があります。
朝鮮半島でも食人文化は見られ、「断指」「割股」という形で統一新羅時代から李氏朝鮮時代まで続いている。孝行という形以外で直接的に人肉を薬にすることについては比較的遅くに見られ、李氏朝鮮の中宗21年の数年前(1520年代)から広まっており、宣祖9年6月(1575年)には生きた人間を殺し生肝を取り出して売りさばいた罪で多数捕縛されたことが『朝鮮王朝実録』に記載されている。
また、韓国独立運動家の金九は自身のももの肉を切り、病気の父に食べさせている。この民俗医療の風習は、元々梅毒の治療のために行われたと推察できるが、後にこれらの病に留まらず不治の病全般に行われるようになり、植民地時代の昭和初期に至っても朝鮮・日本の新聞の記事の中にも長患いの夫に自分の子供を殺して生肝を食べさせる事件や、ハンセン病を治すために子供を山に連れて行って殺し、生肝を抜くという行為が散見される。ただしこの時代の朝鮮人社会でも、すでにこのような"薬"としての人肉食は前近代的で非科学的な奇習と考えられているようになっており、一般的ではなくなっていた。当時の植民地朝鮮で施行された日本法でも禁止されている。
・・・うーん、なんともコメントしづらい記事ではあります。
ヘタしたら「嫌韓」のネタにされそうですが、洋の東西を問わないことのようなので誤解のないよう望みます。
次の記事<ハンセン病と韓国文学② 高銀・韓何雲・徐廷柱・・・、韓国の著名詩人とハンセン病のこと>では、「この件」についてのこうした「歴史的背景」と関連して、著名な詩人・高銀の作品等を見てみます。
[韓国とハンセン病関連記事]
→ <ハンセン病の元患者、歌人・金夏日さんと、舌読と、ハングル点字のこと>
→ <2005年毎日新聞・萩尾信也記者が連載記事「人の証し」で金夏日さんの軌跡を記す>
→ <ハングル点字のしくみを見て思ったこと>
→ <韓国の「ピョンシンチュム(病身舞)」のこと等>
→ <韓国のタルチュム(仮面舞)とハンセン病者のこと>
→ <ハンセン病と韓国文学② 高銀・韓何雲・徐廷柱・・・、韓国の著名詩人とハンセン病のこと>
具体的には以下の内容からお察しください。
ハンセン病について書かれた文学、ハンセン病患者によって書かれた文学は日本にも韓国にもいろいろあります。もちろん世界各国にもですが・・・。
多磨全生園に隣接する国立ハンセン病資料館内の図書室には数多くの関係図書や各種資料が収蔵されていて、館外からのネット検索も可能です。月ごとの新聞・雑誌記事リストも見ることができます。
私ヌルボ、昨年暮れに行った時に、短い時間だったので韓国関係の開架図書をざっと見ただけてたが、以前紹介した李清俊の小説「あなたたちの天国」(みすず書房.2010)も当然あり、書庫にはその原書もありました。
初めて見た本としては「知るもんか!」(汐文社.2005)という児童書。4人の韓国作家の短編集です。その中に、イ・ヨンホ(이영호)作の「ポイナおじさん(보이나 아저씨)」という短編が収録されていました。ハンセン病のおじさんと家族に対する差別を目の当たりにした少年の心の機微を描いた作品です。
※この作品(韓国語)は、インターネットで読むことができます。→コチラ、またはコチラ。
→自動翻訳。
この作品の梗概は以下の通りです。
ほとんど外出することなく部屋こもっている<ポイナおじさん>の家の前を通る時、子どもたちは声を張り上げるのです。「ポイナ?(見える?) アン ポイナ?(見えない?)」と、節までつけて。偶然庭に出ているおじさんの姿を見ようものなら、「ポーインダ!ポインダ!(見ーえた!見えた!)」と悲鳴を上げんばかりに逃げまくります。
そのおじさんが「本を書いているらしい」とか「日本で大学まで出た」という話を少年は信じなかった一方、「裏山の麦畑で赤子を食べ、血のりがべっとりついた口を大きく開けて、ワンワン泣いていた」というウワサは信じていました。友だちのひとりが「ポイナおじさんにつかまったら、食べられてしまうぞ。・・・子どもの肝を食べたら、らい病治るって言ってたぞ。ほんとうらしいぞ」と言ったことも少年は覚えています。
「ポイナ(보이나)」は日本語の「らい病者」を韓国語にした「ナイボ(나이보)」を逆に読んだ俗語です。
少年は、たまたまポイナおじさんの2人の女の子たちと話をするようになります。また彼の父は以前からおじさんと知り合いで、少年が「ポイナおじさん」と言うと彼をきつく叱ります。やがてポイナおじさんが引越ししていくようすを少年は駅で目にします。汽車の車掌がおじさんを汽車の外に追い出すと、おじさんは客車の屋根にはい上がります。おばさんと2人の娘も屋根にあがります。少年を見たポイナおじさんは「元気でなー!」と手をふります。娘たちも。そして少年も「ポイナおじさーん!」と叫び、手をふりつづけます。
・・・今、この「보이나」とか「나이보」とかの言葉は、ネット検索をしたかぎりでは死語になっているようです。
ただ少し気になったのは、先に少し引用した「裏山の麦畑で赤子を食べ・・・」という部分。
今の日本では、差別の意図はなくても、差別を生むおそれがあったり、被差別者を傷つけるおそれのあるような表現は避けられるようになっています。
たとえばハンセン病関係では有名な松本清張の「砂の器」。
映画化作品も名作との評価が高く、TVでも5回にわたりドラマ化されています。しかし原作も映画やドラマの再放映でも、今は「差別語」についての注がつけられたり、音声が一部消されたりしています。私ヌルボとしては、ちょっとナイーヴすぎるのでは、とも思うのですが・・・。(多数ある「差別語」関連のことわざがほとんど使われなくなっていたりするのも同様。)
とはいうものの、荒井裕樹弁護士が『砂の器』について批判的に書いている記事はなかなか説得力があると思いつつ読みましたが・・・。
一方、韓国では、以前の記事でも書きましたが、日本に比べると「差別語」や「差別的表現」のハードルがかなり低いように思われます。
上述の「裏山の麦畑で赤子を食べ・・・」という強烈な内容の話は、今の日本ではとんなものでしょうか?
日本にも、昔から奥州安達ヶ原の鬼婆の伝説のように人間の内臓が薬とされたという物語(や事実!)が伝えられています。
ウィキペディアの<カニバリズム>の項目を見ると、古今東西の多くのおぞましい事例が挙げられていますが、<朝鮮>に関しても次のような記述があります。
朝鮮半島でも食人文化は見られ、「断指」「割股」という形で統一新羅時代から李氏朝鮮時代まで続いている。孝行という形以外で直接的に人肉を薬にすることについては比較的遅くに見られ、李氏朝鮮の中宗21年の数年前(1520年代)から広まっており、宣祖9年6月(1575年)には生きた人間を殺し生肝を取り出して売りさばいた罪で多数捕縛されたことが『朝鮮王朝実録』に記載されている。
また、韓国独立運動家の金九は自身のももの肉を切り、病気の父に食べさせている。この民俗医療の風習は、元々梅毒の治療のために行われたと推察できるが、後にこれらの病に留まらず不治の病全般に行われるようになり、植民地時代の昭和初期に至っても朝鮮・日本の新聞の記事の中にも長患いの夫に自分の子供を殺して生肝を食べさせる事件や、ハンセン病を治すために子供を山に連れて行って殺し、生肝を抜くという行為が散見される。ただしこの時代の朝鮮人社会でも、すでにこのような"薬"としての人肉食は前近代的で非科学的な奇習と考えられているようになっており、一般的ではなくなっていた。当時の植民地朝鮮で施行された日本法でも禁止されている。
・・・うーん、なんともコメントしづらい記事ではあります。
ヘタしたら「嫌韓」のネタにされそうですが、洋の東西を問わないことのようなので誤解のないよう望みます。
次の記事<ハンセン病と韓国文学② 高銀・韓何雲・徐廷柱・・・、韓国の著名詩人とハンセン病のこと>では、「この件」についてのこうした「歴史的背景」と関連して、著名な詩人・高銀の作品等を見てみます。
[韓国とハンセン病関連記事]
→ <ハンセン病の元患者、歌人・金夏日さんと、舌読と、ハングル点字のこと>
→ <2005年毎日新聞・萩尾信也記者が連載記事「人の証し」で金夏日さんの軌跡を記す>
→ <ハングル点字のしくみを見て思ったこと>
→ <韓国の「ピョンシンチュム(病身舞)」のこと等>
→ <韓国のタルチュム(仮面舞)とハンセン病者のこと>
→ <ハンセン病と韓国文学② 高銀・韓何雲・徐廷柱・・・、韓国の著名詩人とハンセン病のこと>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます