→ 集英社の全集「戦争×文学」 第1巻「朝鮮戦争」の口絵 ③信川虐殺事件とジェネラル・シャーマン号の関係??の続きです。
ピカソの作品「朝鮮の悲劇」を導入として、朝鮮戦争中の信川の虐殺事件について長々と記してきました。とくに、北朝鮮側の①「米軍の蛮行である」という主張を2回にわたって紹介しましたが、今回は韓国側の異論を紹介し、私ヌルボの感想等も入れて区切りをつけたいと思います。
韓国ウィキペディアの「신천군 사건(信川郡事件)」の項目で、前記の北朝鮮側の主張の次にあげられているのが下記の主張です。
②右派の地下組織と信川郡民の抵抗であり、反共闘争事件である。[韓国に移り住んでいる信川郡出身の体験者の証言]
北朝鮮とは逆に、黄海道信川郡の出身で、当時を体験した韓国在住の人たちは、「罪のない良民を虐殺している労働党と人民軍に対抗した右派の地下組織と信川郡民の抵抗であり、反共闘争事件である」と説明しています。彼らの主張によると、「1950年9月仁川上陸作戦が成功し、韓国軍と国連軍が38度線を越えて北進を開始すると、戦況が不利になった共産軍は、地主・聖職者を含めた右派勢力を処刑した。このような労働党に反対する右派の青年たちが、10月13日を期して反共蜂起を起こした」というのですが・・・。
つまり、加害者は米軍ではなく、韓国人の右派勢力。ところが、その前提として、共産勢力側による「人民裁判」という名の虐殺があった、というわけです。なんとなく、言い訳めいたニュアンスが感じられます。
しかし、写真資料にあるような無差別的な大量虐殺の状況を考えると、酷い人民裁判がその前にあったにしても、合理化はできないでしょう、と私ヌルボは思いますが・・・。
同じ右翼集団が加害者という主張でも、ニュアンスが異なるのが次の例。
②’主に反共青年団によりなされた。[文化放送の番組担当者の推測]
文化放送が2002年4月に放映した「今は言うことができる 忘却の戦争編」によると、この事件は「左右対立の結果」としています。番組担当のディレクターは「当時、米軍は平壌を先取りしようという競争のため信川滞在は短く、米軍が主導したと確認するに足る証拠は見つからなかった」と語り、そして「信川地域の反共青年団がやったことで、李承晩政府が追認した」と、虐殺が主に反共青年団によりなされたものと推測しています。
③惨劇は、民族内部(同じ村人たちの間)で演じられた。[小説家・黄晳暎(ファン・ソギョン)の小説「客人(ソンニム)」]
この小説に関する岩波書店のサイト内にある「著者からのメッセージ」によると、韓国の代表的な現代作家の1人黄晳暎は、ニューヨークで会った韓国人プロテスタントのユ牧師から、彼が生まれ育った信川の地での目撃談を聞き、この「客人」(2001)を表しました。その内容は、「編集者からのメッセージ」にあるように「朝鮮戦争をこれまでとまったく違った角度から描いた」もので、「南北の軍や米軍、あるいは中国軍の戦争であっただけでなく、それは同じ村人たち、隣人たちの殺し合いでもあった」というのです。具体的には、住民を悪魔として大量殺戮したプロテスタントたちが加害者だというものです。
「客人」は私ヌルボは未読ですが、実際に読んだ上で深く詳しい感想が記されている「小説『客人(ソンニム)』に見るキリスト教の狂気」と題されたブログ記事(→コチラ)では、文京洙「韓国現代史」(岩波書店.2005年)を引用しつつ、およそ次のようにまとめています。
・当時北朝鮮には、共産主義により打撃を受けた階層には多くのクリスチャンがいた。(平安道では、平壌を中心に反日的プロテスタントの民族主義者
・共産勢力は、大地主ばかりか、勤勉と質素によって小・中規模の地主に成長していたプロテスタントたちも一挙に打ちのめした。
・プロテスタントたちは、北上してきた米軍を十字軍と呼び、米軍の占領下で北の住民をサタンとして殺戮に及んだ。
※このブログ記事によると、「キリスト教徒が集団で次々住民を襲い、閉じこめ、壕の中にガソリンを流し込み、火をつける。そのような残虐な行為をしたのは、軍人や兵士ではない。それまで敬虔に神に祈りを捧げていた、ごく当たり前のキリスト教徒」ということです。
この筆者も考察しているように、キリスト教と民族主義(orナショナリズム)との結びつきは、現代的なテーマでもあるようです。
小説「客人」では、「米軍ハリソン部隊が数時間信川に立ち寄ったあと、西北のクリスチャンとは敵対関係にあった共産党の影響を受けた人たちに対して凄絶なリンチがはじまった」と書かれているそうです。
上記「著者からのメッセージ」には、「解放後、朝鮮半島のわれわれに大きな傷痕を残したキリスト教もマルクス主義も、自律的な近代の達成に失敗し、他律的なものとして受け入れた近代化への二つの異なった途であり、天然痘のように西方からもたらされた「西病」であって、だからこの作品に「客人」というタイトルをつけた」と書かれています。
いわば黄晳暎はタブーを破ったのであり、「北のマルクス主義者からも、南のクリスチャンからも、・・・批判を受ける」ことになった」(編集者)のも「さもありなん」です。
この小説で彼は、民俗的な踊り(マダンクッ)を取り込み、鎮魂と祈りと赦しでこの悲劇を終えているとのことです。(「パリデギ」のラストもそんな雰囲気だったような・・・。)
また本書には、「北朝鮮はこの同族どうしの争いであったという事実を隠蔽するために、大虐殺事件を米軍に仕業にして、信川に「米帝良民虐殺記念博物館」を建てた」ということも詳しく記述されているそうです。
・・・とするとつまり、北朝鮮側は、事実を知りつつ、米軍が加害者であると史実を捏造した、ということになります。
※立命館大・徐勝氏は、「当時の状況や韓国での証言採録の結果を勘案すると、黄氏の言が現実性を帯びてくる」としつつも、「ただし、当時、また今も、韓国軍の軍事指揮権を米軍が持っている事を考えるなら、米軍が虐殺の直間接的な責任を負わなければならない事は言うまでもない」と結論付けています。「なんと安易な解釈!」と私ヌルボは唖然茫然。
※黄晳暎に体験を語ったユ牧師は小説にも登場するそうです。韓国ウィキの「信川の事件」によると、「北朝鮮は、共産主義者を迫害したキリスト教右派に対して報復もせず、むしろ福祉を提供することによって社会的統合を遂げた」と北に好意的な見解を持っているようです。
・・・以上、長々と信川虐殺事件について、とくに誰が加害者か、という点についての諸説を見てきました。
で、私ヌルボの感想と意見です。
○事実の把握として、最も説得力のあるのが黄晳暎の見方と思われます。
○誰かに100%の責任を負わせることは正しくない。直接の加害者はもちろん、戦争を始めた金日成(←この責任は大きい)も、ソ連も中国も、無理な北進策を取った李承晩も、米軍もそれぞれに責任があります。
○直接手を下したと思われる者たち(この場合はプロテスタント勢力)は、どんな言いわけもできません。これはかつて戦時中、数々の「蛮行」を犯した日本軍兵士も、今世界各地で「蛮行」をやっているらしい米軍兵士も、その他、過去及び現代の数々の戦争の中での無数といっていいほどの良民を虐殺した者たちについても同様です。(「上官の命令」「天皇の命令」は、裁判では情状の余地はあるかもしれませんが、自分自身を免責してはダメでしょう。
○虐殺を行った(らしい)プロテスタントたちも、その呼び水となってしまった「人民裁判」を行った共産軍の側の人々も、なぜ同じ村人同士で殺し合ったり、あるいは一族の間でも対立を生んでしまったのか? 「ふだんは普通の平凡な庶民」がある状況下でそのようになってしまうのであって、決して「本来残忍なアメリカ人」というようなものではありません。
また、今たしかに、アメリカのふりまわす鼻持ちならない「正義」が多くの害悪をまき散らしているとヌルボも考えていますが、徐勝氏のようにほとんどの責任をアメリカに帰するような見方は単純に過ぎると思われます。
どんな場合に正義の名の下に蛮行を働いてしまうのか、宗教上・思想上の「思い込み」がいかに強力なものかを、教育の場等でしっかり教えるべきです。
○ところが、この信川虐殺にしても老斤里事件等々の虐殺事件にしても、韓国・北朝鮮ではそれぞれの政治的主張に沿った形で解釈されて利用されることが非常に多い、というより、そればかりといった感じです。
そのような厳しい思想的・政治的対立こそが、問答無用に「敵」を殲滅することを「正義」として、結局は虐殺を生んでしまうということに気づくべきでしょう。
○北朝鮮のように「敵」への報復を国民に教え込むというのは論外! ひどいとしか言いようがありません。このような前近代的「教育」は、むしろ悲劇を再生産するばかりです。
★2011年6月の「朝鮮日報」の記事によると、韓国ではピカソの「朝鮮の虐殺」が一部の教科書に掲載されたそうです。
このことに言及したブログ記事(→一例)もあります。どちらの記事も、「反米」という「左派勢力」の主張にこれが「利用」されることを懸念しています。
韓国メディアで伝えられる情報に接すると、軍事・政治以外の、たとえば映画や文学等々の文化的なイシューについても、実に左右両派間のミゾが深いなー、ということをことあるごとに痛感します。
私ヌルボ、(左派代表)「ハンギョレ」の記事にしろ(右派代表)「朝鮮日報」の記事にしろ、最近は正直言ってどちらもウンザリ、ということが多くなってきました。4月の総選挙前はどっちもそれぞれの陣営の応援団になってたからなー。選挙後もあいかわらずですが・・・。ホントに不毛だなーと思います。やれやれ・・・。
今日の「読売新聞」の世論調査結果を見ると、日本も負けず劣らず「不安が心配」という状況ですけどねー・・・。
本ブログ去る4月1日の記事で、「小泉純一郎氏にも懲りずに今度は橋下氏を支持している人たちをみると、イソップ物語の中の、王様を求めたカエルの寓話を連想してしまうのですが・・・。最後に王様=コウノトリ(ツル?)に喰われてしまうカエルです」などとアカラサマに書いてしまったことを思い出しました。
対象が誰であれ、何であれ、過度の期待は結局は裏切られるものと相場は決まっているし、自ら墓穴を掘っているような危うさを感じてしまいます。「新しい何か」に期待をかけたい気持ちはわかりますが、たとえばピースおおさかや人権博物館(リバティおおさか)に対する橋下氏の姿勢だけ見ても不安を覚えます。
今は世論の中の多数派に属していると思っている人は、何かのきっかけで多数派に指弾される少数派とされてしまう可能性は考えないのでしょうか? たとえ「けむたいヤツら」と目に映っても、少数派の尊重、異論の尊重は、個々人の、つまり自分も含めてすべての人々の尊重につながります。
あ、テーマとか、本ブログの趣旨から離れて時論政論になってきちゃったな・・・。
[2019年9月3日の追記]この記事を書いた後、「客人」を読みました。その内容紹介&感想の記事<信川虐殺事件の真実に迫る = 黄晳暎(ファン・ソギョン)の小説「客人(ソンニム)」>は→コチラ。
ピカソの作品「朝鮮の悲劇」を導入として、朝鮮戦争中の信川の虐殺事件について長々と記してきました。とくに、北朝鮮側の①「米軍の蛮行である」という主張を2回にわたって紹介しましたが、今回は韓国側の異論を紹介し、私ヌルボの感想等も入れて区切りをつけたいと思います。
韓国ウィキペディアの「신천군 사건(信川郡事件)」の項目で、前記の北朝鮮側の主張の次にあげられているのが下記の主張です。
②右派の地下組織と信川郡民の抵抗であり、反共闘争事件である。[韓国に移り住んでいる信川郡出身の体験者の証言]
北朝鮮とは逆に、黄海道信川郡の出身で、当時を体験した韓国在住の人たちは、「罪のない良民を虐殺している労働党と人民軍に対抗した右派の地下組織と信川郡民の抵抗であり、反共闘争事件である」と説明しています。彼らの主張によると、「1950年9月仁川上陸作戦が成功し、韓国軍と国連軍が38度線を越えて北進を開始すると、戦況が不利になった共産軍は、地主・聖職者を含めた右派勢力を処刑した。このような労働党に反対する右派の青年たちが、10月13日を期して反共蜂起を起こした」というのですが・・・。
つまり、加害者は米軍ではなく、韓国人の右派勢力。ところが、その前提として、共産勢力側による「人民裁判」という名の虐殺があった、というわけです。なんとなく、言い訳めいたニュアンスが感じられます。
しかし、写真資料にあるような無差別的な大量虐殺の状況を考えると、酷い人民裁判がその前にあったにしても、合理化はできないでしょう、と私ヌルボは思いますが・・・。
同じ右翼集団が加害者という主張でも、ニュアンスが異なるのが次の例。
②’主に反共青年団によりなされた。[文化放送の番組担当者の推測]
文化放送が2002年4月に放映した「今は言うことができる 忘却の戦争編」によると、この事件は「左右対立の結果」としています。番組担当のディレクターは「当時、米軍は平壌を先取りしようという競争のため信川滞在は短く、米軍が主導したと確認するに足る証拠は見つからなかった」と語り、そして「信川地域の反共青年団がやったことで、李承晩政府が追認した」と、虐殺が主に反共青年団によりなされたものと推測しています。
③惨劇は、民族内部(同じ村人たちの間)で演じられた。[小説家・黄晳暎(ファン・ソギョン)の小説「客人(ソンニム)」]
この小説に関する岩波書店のサイト内にある「著者からのメッセージ」によると、韓国の代表的な現代作家の1人黄晳暎は、ニューヨークで会った韓国人プロテスタントのユ牧師から、彼が生まれ育った信川の地での目撃談を聞き、この「客人」(2001)を表しました。その内容は、「編集者からのメッセージ」にあるように「朝鮮戦争をこれまでとまったく違った角度から描いた」もので、「南北の軍や米軍、あるいは中国軍の戦争であっただけでなく、それは同じ村人たち、隣人たちの殺し合いでもあった」というのです。具体的には、住民を悪魔として大量殺戮したプロテスタントたちが加害者だというものです。
「客人」は私ヌルボは未読ですが、実際に読んだ上で深く詳しい感想が記されている「小説『客人(ソンニム)』に見るキリスト教の狂気」と題されたブログ記事(→コチラ)では、文京洙「韓国現代史」(岩波書店.2005年)を引用しつつ、およそ次のようにまとめています。
・当時北朝鮮には、共産主義により打撃を受けた階層には多くのクリスチャンがいた。(平安道では、平壌を中心に反日的プロテスタントの民族主義者
・共産勢力は、大地主ばかりか、勤勉と質素によって小・中規模の地主に成長していたプロテスタントたちも一挙に打ちのめした。
・プロテスタントたちは、北上してきた米軍を十字軍と呼び、米軍の占領下で北の住民をサタンとして殺戮に及んだ。
※このブログ記事によると、「キリスト教徒が集団で次々住民を襲い、閉じこめ、壕の中にガソリンを流し込み、火をつける。そのような残虐な行為をしたのは、軍人や兵士ではない。それまで敬虔に神に祈りを捧げていた、ごく当たり前のキリスト教徒」ということです。
この筆者も考察しているように、キリスト教と民族主義(orナショナリズム)との結びつきは、現代的なテーマでもあるようです。
小説「客人」では、「米軍ハリソン部隊が数時間信川に立ち寄ったあと、西北のクリスチャンとは敵対関係にあった共産党の影響を受けた人たちに対して凄絶なリンチがはじまった」と書かれているそうです。
上記「著者からのメッセージ」には、「解放後、朝鮮半島のわれわれに大きな傷痕を残したキリスト教もマルクス主義も、自律的な近代の達成に失敗し、他律的なものとして受け入れた近代化への二つの異なった途であり、天然痘のように西方からもたらされた「西病」であって、だからこの作品に「客人」というタイトルをつけた」と書かれています。
いわば黄晳暎はタブーを破ったのであり、「北のマルクス主義者からも、南のクリスチャンからも、・・・批判を受ける」ことになった」(編集者)のも「さもありなん」です。
この小説で彼は、民俗的な踊り(マダンクッ)を取り込み、鎮魂と祈りと赦しでこの悲劇を終えているとのことです。(「パリデギ」のラストもそんな雰囲気だったような・・・。)
また本書には、「北朝鮮はこの同族どうしの争いであったという事実を隠蔽するために、大虐殺事件を米軍に仕業にして、信川に「米帝良民虐殺記念博物館」を建てた」ということも詳しく記述されているそうです。
・・・とするとつまり、北朝鮮側は、事実を知りつつ、米軍が加害者であると史実を捏造した、ということになります。
※立命館大・徐勝氏は、「当時の状況や韓国での証言採録の結果を勘案すると、黄氏の言が現実性を帯びてくる」としつつも、「ただし、当時、また今も、韓国軍の軍事指揮権を米軍が持っている事を考えるなら、米軍が虐殺の直間接的な責任を負わなければならない事は言うまでもない」と結論付けています。「なんと安易な解釈!」と私ヌルボは唖然茫然。
※黄晳暎に体験を語ったユ牧師は小説にも登場するそうです。韓国ウィキの「信川の事件」によると、「北朝鮮は、共産主義者を迫害したキリスト教右派に対して報復もせず、むしろ福祉を提供することによって社会的統合を遂げた」と北に好意的な見解を持っているようです。
・・・以上、長々と信川虐殺事件について、とくに誰が加害者か、という点についての諸説を見てきました。
で、私ヌルボの感想と意見です。
○事実の把握として、最も説得力のあるのが黄晳暎の見方と思われます。
○誰かに100%の責任を負わせることは正しくない。直接の加害者はもちろん、戦争を始めた金日成(←この責任は大きい)も、ソ連も中国も、無理な北進策を取った李承晩も、米軍もそれぞれに責任があります。
○直接手を下したと思われる者たち(この場合はプロテスタント勢力)は、どんな言いわけもできません。これはかつて戦時中、数々の「蛮行」を犯した日本軍兵士も、今世界各地で「蛮行」をやっているらしい米軍兵士も、その他、過去及び現代の数々の戦争の中での無数といっていいほどの良民を虐殺した者たちについても同様です。(「上官の命令」「天皇の命令」は、裁判では情状の余地はあるかもしれませんが、自分自身を免責してはダメでしょう。
○虐殺を行った(らしい)プロテスタントたちも、その呼び水となってしまった「人民裁判」を行った共産軍の側の人々も、なぜ同じ村人同士で殺し合ったり、あるいは一族の間でも対立を生んでしまったのか? 「ふだんは普通の平凡な庶民」がある状況下でそのようになってしまうのであって、決して「本来残忍なアメリカ人」というようなものではありません。
また、今たしかに、アメリカのふりまわす鼻持ちならない「正義」が多くの害悪をまき散らしているとヌルボも考えていますが、徐勝氏のようにほとんどの責任をアメリカに帰するような見方は単純に過ぎると思われます。
どんな場合に正義の名の下に蛮行を働いてしまうのか、宗教上・思想上の「思い込み」がいかに強力なものかを、教育の場等でしっかり教えるべきです。
○ところが、この信川虐殺にしても老斤里事件等々の虐殺事件にしても、韓国・北朝鮮ではそれぞれの政治的主張に沿った形で解釈されて利用されることが非常に多い、というより、そればかりといった感じです。
そのような厳しい思想的・政治的対立こそが、問答無用に「敵」を殲滅することを「正義」として、結局は虐殺を生んでしまうということに気づくべきでしょう。
○北朝鮮のように「敵」への報復を国民に教え込むというのは論外! ひどいとしか言いようがありません。このような前近代的「教育」は、むしろ悲劇を再生産するばかりです。
★2011年6月の「朝鮮日報」の記事によると、韓国ではピカソの「朝鮮の虐殺」が一部の教科書に掲載されたそうです。
このことに言及したブログ記事(→一例)もあります。どちらの記事も、「反米」という「左派勢力」の主張にこれが「利用」されることを懸念しています。
韓国メディアで伝えられる情報に接すると、軍事・政治以外の、たとえば映画や文学等々の文化的なイシューについても、実に左右両派間のミゾが深いなー、ということをことあるごとに痛感します。
私ヌルボ、(左派代表)「ハンギョレ」の記事にしろ(右派代表)「朝鮮日報」の記事にしろ、最近は正直言ってどちらもウンザリ、ということが多くなってきました。4月の総選挙前はどっちもそれぞれの陣営の応援団になってたからなー。選挙後もあいかわらずですが・・・。ホントに不毛だなーと思います。やれやれ・・・。
今日の「読売新聞」の世論調査結果を見ると、日本も負けず劣らず「不安が心配」という状況ですけどねー・・・。
本ブログ去る4月1日の記事で、「小泉純一郎氏にも懲りずに今度は橋下氏を支持している人たちをみると、イソップ物語の中の、王様を求めたカエルの寓話を連想してしまうのですが・・・。最後に王様=コウノトリ(ツル?)に喰われてしまうカエルです」などとアカラサマに書いてしまったことを思い出しました。
対象が誰であれ、何であれ、過度の期待は結局は裏切られるものと相場は決まっているし、自ら墓穴を掘っているような危うさを感じてしまいます。「新しい何か」に期待をかけたい気持ちはわかりますが、たとえばピースおおさかや人権博物館(リバティおおさか)に対する橋下氏の姿勢だけ見ても不安を覚えます。
今は世論の中の多数派に属していると思っている人は、何かのきっかけで多数派に指弾される少数派とされてしまう可能性は考えないのでしょうか? たとえ「けむたいヤツら」と目に映っても、少数派の尊重、異論の尊重は、個々人の、つまり自分も含めてすべての人々の尊重につながります。
あ、テーマとか、本ブログの趣旨から離れて時論政論になってきちゃったな・・・。
[2019年9月3日の追記]この記事を書いた後、「客人」を読みました。その内容紹介&感想の記事<信川虐殺事件の真実に迫る = 黄晳暎(ファン・ソギョン)の小説「客人(ソンニム)」>は→コチラ。
欧米(含む日本)ではアラブ民衆革命を弾圧するアサド政権、という構図で報道されているのですが疑問です。おそらくアサド政権は宗教or宗派間対立(キリスト教対イスラム教 or イスラム教の宗派間対立)を煽った罪はあるかもしれませんが、実態はもはやアサド政権が統御できる状態を越えてしまったのでは、という気がします。
それをなぜ欧米のメディアがあのような構図で報道するのか?
1)アサド政権は長年イスラエルと強く対峙してきた 2)イスラエルは核開発を進めるイランに神経を尖らしており、対イラン臨戦態勢を準備しつつある 3)アサド政権がたおれると、イスラエルがイランに攻撃する障害物がなくなる 4)アメリカはイラク戦争で直接介入に懲りている。だがイランにあった石油利権は取り戻したい...
...っていうのは考えすぎでしょうか?
1982年のイスラエルのレバノン侵攻に当たっても同様な事態が発生しています。これは
アリ・フォルマン監督の『戦場でワルツを』(イスラエル側)、フィリップ・アラクティンジ監督の『戦禍の下で』(アラブ側から。直接には2006年のイスラエルのレバノン侵攻を描いていますが、バックグラウンドとして1982年のレバノン侵攻に当たってのアラブ系住民の内紛が重要です)で描かれています。
たしかに、信川虐殺事件に対するの言説同様に、シリアの現況についての報道も、(どんな利害や、思想的背景等をもった)「誰が」伝えているか、ということを、その内容と照らし合わせながら見ていかないと、知らぬ間に世論誘導の波の中に取り込まれてしまいますね。
シリアについては、私はそんなに深く考えていませんでしたが、提示された見方は決して「考えすぎ」ではないと思います。
82年のレバノン侵攻について、アラブ系住民の内紛等のことはよく知りませんでした。『戦場でワルツを』は観ましたが『戦禍の下で』は未見。背景の理解等とも合わせて勉強しなくては・・・。
ずっと前に読んだ新藤健一『写真のワナ』で湾岸戦争時の油まみれのウミウの写真のウソを知り、高木徹『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』では、あの「民族浄化」という言葉も(セルビア側でなく)アメリカのPR会社ルーダー・フィン社の造語だった等々のことを知りました。
今も数多くの恣意的な報道・言説が横行し、事実も原因もよくわからないまま、悲惨なできごとが繰り返されているようで、暗澹とした気分になるばかりです。
http://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/cfbd00284f8af0a3c7837110b8a50ac5
で感想等書いておきました。そこで「晴読雨読ときどき韓国語」の関連記事にもリンクを張っておいたのですが、その記事によるとnishinayuuさんはずっと前から彼の作品をいろいろ読んでいらっしゃるのですね。(やっぱり、という感じ・・・。)
『客人』の訳者が鄭敬謨氏という点も興味をもちました。1989年に文益煥牧師と共に北を訪問した経歴を持つこの人が、「学術書であれ文学書であれ、朝鮮戦争を描いた記述の中でも、その惨劇をこれほど鋭く抉り出したものは他に類例がない」と書いているそうですね。
同様に、やや意外だったのは、朝鮮総聯の機関誌「朝鮮新報」のサイトでこの本を紹介していること。→
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2004/06/0406j0528-00003.htm
その紹介文は「今も世界を支配する「米=客人」の横暴。そのグロテスクで醜悪な本質を撃つ衝撃的な作品」と結んでいますが、そういう読み方ができるものなのか、何はともあれ、私も近いうちに読んでみようと思います。
(「朝鮮新報」の、信川博物館関係の他の記事とは矛盾しないのか??)