→<グルメやショッピングとはぜ~んぜん無縁のソウル4泊5日の記録 ⑤これがチキンライスだって!?>
◎4月23日(木) 午後
光化門からすぐ、アメリカ大使館の北隣りという便利な所に2012年末にオープンした大韓民国歴史博物館。2013~14年の5回の韓国旅行では前を何度か素通りするばかりで、今回やっと初入館。
8階の建物の正面から入る前に、横の屋根付き屋外展示場(自転車置き場?)で開かれていた「視線•記録•歴史:民主化の道」と題した所蔵写真展から。4.19革命、5.18民主化運動、6月民主抗争の記録写真42点が展示されていました。時期を考えるとかるほどね、です。
正面に回ると、開催中の特別展「울림, 안중근을 만나다(響き、安重根に会う)」の垂れ幕等が掲げられています。
入口前から展示物が・・・。
小松利宗(元吾)による法廷スケッチです。この絵は以前日本史関係の本で見た記憶がありますが、ネット内を検索してもみつかりませんでした。ということで全4枚載せます。
館内に入ったすぐのところにも、やはり安重根関係の資料がいろいろ展示されていました。
ここまで見ると、独立記念館のような「理念」先行の博物館かなと思いましたが、この後展示室を見て回ると、むしろ世相風俗関係の展示が多いように思いました。
見学時間は軽食タイムも含めて2時間ほどしか取れませんでしたが、前々日のソウル歴史博物館同様ここも館内写真撮影OKなのは◎。60枚くらい撮ってきました。
その中で、とくに興味をもったものを抜粋して載せます。
19世紀後期~日韓併合前後の写真はいろいろ残っていて、たとえば→コチラの(なかなかベンキョーになる)嫌韓サイトで見ることができます。もしかして写真の選択に苦心したかもしれませんがねこの博物館の展示物にもいくつか当時のあって、上の南大門通りを走る電車の写真もその1つ。
路面電車の定期運行は1883年ドイツで始まり、以後欧米先進国で普及。日本では1890年第2回内国勧業博覧会(at上野公園)で路面電車2両が450mの軌道上を公開運転したのが電車運行の最初で、営業運転は1895年京都電気鉄道が日本初とのことです。
朝鮮では、1898年に王室とアメリカの共同出資で漢城電気がに設立されて、電車の敷設が進められましたが、この時設計と工事を依頼されたのが上記の京都電気鉄道だったそうです。そして1899年4月に開業し、西大門~清涼里間で運行が始められました。メインストリートの鍾路を東西に走るルートです。つまり日韓併合の10年以上前。けっこう早くから電車があったんですね。
戦前・戦中はあえて全部すっとばして戦後。左は1948年8月15日の大韓民国政府樹立国民祝賀式のようす。花電車や花自動車が走ったそうな。
しかし12年続いた李承晩政権がどんなにひどかったか・・・。第2回大統領選挙(1952年)に続いて第3回の選挙(1956年)でも憲法を無理に枉げたものの、副統領は野党・民主党の張勉(チャン・ミョン.장면)が当選ました。右写真の右川のポスターは当時の選挙ポスターです。※当選が有力視さけていた民主党の大統領候補・申翼熙(シン・イッキ.신익희)は投票日10日前に急死。
そして4.19革命の原因となったのが1960年の第4回大統領選挙。左側のポスターは不正選挙で一度は「当選」した自由党の李承晩と李起鵬(イ・ギブン.이기붕)の正副大統領候補のポスター。まさかこの後ほどなくして李承晩はハワイに亡命、李起鵬は長男の手による一家4人無理心中という悲劇を迎えるとは・・・。
※当時の「李」のハングル表記は「이(イ)」ではなく「리(リ)」だったのですね。
私ヌルボがとくに興味をもった世相史関係はこの後なんですが、写真が多いのでとりあえずここで切って続きに回すことにします。
◎4月23日(木) 午後
光化門からすぐ、アメリカ大使館の北隣りという便利な所に2012年末にオープンした大韓民国歴史博物館。2013~14年の5回の韓国旅行では前を何度か素通りするばかりで、今回やっと初入館。
8階の建物の正面から入る前に、横の屋根付き屋外展示場(自転車置き場?)で開かれていた「視線•記録•歴史:民主化の道」と題した所蔵写真展から。4.19革命、5.18民主化運動、6月民主抗争の記録写真42点が展示されていました。時期を考えるとかるほどね、です。
正面に回ると、開催中の特別展「울림, 안중근을 만나다(響き、安重根に会う)」の垂れ幕等が掲げられています。
入口前から展示物が・・・。
館内に入ったすぐのところにも、やはり安重根関係の資料がいろいろ展示されていました。
ここまで見ると、独立記念館のような「理念」先行の博物館かなと思いましたが、この後展示室を見て回ると、むしろ世相風俗関係の展示が多いように思いました。
見学時間は軽食タイムも含めて2時間ほどしか取れませんでしたが、前々日のソウル歴史博物館同様ここも館内写真撮影OKなのは◎。60枚くらい撮ってきました。
その中で、とくに興味をもったものを抜粋して載せます。
路面電車の定期運行は1883年ドイツで始まり、以後欧米先進国で普及。日本では1890年第2回内国勧業博覧会(at上野公園)で路面電車2両が450mの軌道上を公開運転したのが電車運行の最初で、営業運転は1895年京都電気鉄道が日本初とのことです。
朝鮮では、1898年に王室とアメリカの共同出資で漢城電気がに設立されて、電車の敷設が進められましたが、この時設計と工事を依頼されたのが上記の京都電気鉄道だったそうです。そして1899年4月に開業し、西大門~清涼里間で運行が始められました。メインストリートの鍾路を東西に走るルートです。つまり日韓併合の10年以上前。けっこう早くから電車があったんですね。
しかし12年続いた李承晩政権がどんなにひどかったか・・・。第2回大統領選挙(1952年)に続いて第3回の選挙(1956年)でも憲法を無理に枉げたものの、副統領は野党・民主党の張勉(チャン・ミョン.장면)が当選ました。右写真の右川のポスターは当時の選挙ポスターです。※当選が有力視さけていた民主党の大統領候補・申翼熙(シン・イッキ.신익희)は投票日10日前に急死。
そして4.19革命の原因となったのが1960年の第4回大統領選挙。左側のポスターは不正選挙で一度は「当選」した自由党の李承晩と李起鵬(イ・ギブン.이기붕)の正副大統領候補のポスター。まさかこの後ほどなくして李承晩はハワイに亡命、李起鵬は長男の手による一家4人無理心中という悲劇を迎えるとは・・・。
※当時の「李」のハングル表記は「이(イ)」ではなく「리(リ)」だったのですね。
私ヌルボがとくに興味をもった世相史関係はこの後なんですが、写真が多いのでとりあえずここで切って続きに回すことにします。
たしかに韓国の卵はほとんど茶色ですね。
たとえば、ハングルで「ケーラン」と入力して画像検索した結果はコチラ。 →
https://www.google.co.jp/search?q=%EA%B3%84%EB%9E%80&hl=ja&rlz=1T4TRDJ_jaJP409JP438&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=k-5eVYz6JOPDmQXjyoCACw&ved=0CAgQ_AUoAQ&biw=1112&bih=553
ほとんど茶色です。
「卵」で画像検索するとコチラ。 →
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%8D%B5&biw=1112&bih=553&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=QfheVaR2hKiaBe-ogOgB&ved=0CAYQ_AUoAQ
半々くらい? 日本でも茶色が増えてきているようですね。
ちなみに「egg」で検索するとコチラ。 →
https://www.google.co.jp/search?q=egg&biw=1112&bih=553&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=R-5eVeyOHMblmAWf04HIDA&ved=0CAYQ_AUoAQ
やはり半々くらい。
卵の殻の色について韓国サイトで関連記事を探したところ、次の2つが参考になりました。 →
http://economy.hankooki.com/lpage/society/201004/e2010042815072793370.htm
http://tip.daum.net/question/3343682
これらによると、1970年代までは白い卵の方が多かったのが、80年代初頭以降茶色のものが増えてきて、現在では茶色の卵が99%に迫るほどで、白い卵はイースターの時のイベントで使われるくらいとのことです。
茶色い卵が広まった理由としては、白い卵を産むニワトリが病気に弱いことや、茶色の方が白色の卵より平均2g程度重量で上回っていて、サイズが大きいものを好む国内消費者の好みに合っている等があげられています。2000年の主婦を対象とした調査でも、「茶色を好む=65% 関係なし=29% 白色を好む=6%」だったそうです。
卵の殻の色だけでなく、生卵のこと等々日韓や世界の卵文化を比べるのもなかなかおもしろそうですね。そのうち記事にするかもしれません。
ただオットゥギマヨネーズみたいなマヨネーズもかなり韓国では普及していて、マヨネーズ大好き国民のロシアへもオットゥギマヨネーズは盛んに輸出されているみたいですから、生卵のサルモネラ菌対策や管理は比較的韓国でも進んでいるだろうと思いました。
これは余談になりますが、趙甲済『朴正熙、最後の1日』のあとがきで福田恒存が朴正熙と会食したときに出されたオムレツが焦げ目がしっかりつくくらい両面がしっかりと焼かれていて、福田が文句を言おうかと思ったエピソードが書かれていましたが、これは当時の韓国人料理人の技術が未熟だからそういうオムレツを出したというよりも、卵の表面洗浄が普及していなかった時代において、中るのを防ぐためにしっかりと加熱して卵を調理することが当時の韓国ではいわゆる『デフォルト』だったことを示すエピソードではないか?と思っております。
確かに韓国のスーパーなどで白い卵を見たことはほとんどないですね。大きさについても、大小さまざまな卵が売られていますので(大きめのものの方が当然高めです)、果して殻(親鳥)の色によって卵の大きさが異なるのかどうか?
韓国で茶色い殻の卵が多いのは、私は単純に茶色い方が栄養価が高いという都市伝説(迷信)のせいかと思っていましたし、そんな内容の韓国のニュース番組を見たことがあります(殻の色の違いで、卵の栄養価は変らないという結論)。
一方、卵の生食ですが、韓国でもそれなりの年代(60~80歳くらい?)では今でも生食文化が存在するようです。日本時代の影響なのかどうか、知人(韓国人)の父親(80代)なども栄養補強のため生卵をよく(ロッキーみたいに)そのまま飲んだりしているようです。もっとも卵かけご飯までしているかどうかは分りませんが。
また個人的な体験としても、古い話で恐縮ですが、今から30年近く前の学生時代に、ソウルの韓屋旅館に泊ったところ、朝食に韓国式朝ご飯がついてきて、そのお膳に生卵が出てきました。私は何の警戒心もなく食べましたが、出てきた醤油がかなり濃いたまり醤油のようなものだったため、非常に塩辛い卵かけご飯になりました。しかし衛生上、特に問題はありませんでした。
もっとも今住んでいるソウル市南部には卵の小売などをしている業者が結構あるのですが、真夏でも紙パックに入った卵が倉庫の中でしばらく放置されていて、殻の洗浄以前に保存状態が結構いい加減そうなので、数年前に韓国に住み始めてから生食は一切していません(以前住んでいた英国でも、生で食べてもOKという「噂」のあるライオン印つきの卵でも、警戒して生で食べたことはありません)。
ところでオットゥギ・マヨネーズ、ロシアで人気なんですか・・・・・・。日本(風?)のマヨネーズに慣れている人間からしますと、欧米に行ってもおいしいマヨネーズにはなかなか出会えないものですが、韓国のマヨネーズはこれまであれこれ試してはみたものの、酸味、コク、風味など、どの観点からしても駄目でした。特にオットゥギは「安いものはおから餅だ」ではありませんが…・・・。
(別段グルメでも何でもないはずの)我が家では、韓国の食べ物(普通の食事やお菓子に至るまで)や調味料などを心の底からおいしいと思うことは滅多になく、辛いだけでコクがない、うまみ(ダシ)という概念が分っていない、(お菓子などは)甘いだけで繊細さがないなどと言っては、日々不満を爆発させております(特に日本にあるのと同じようなものを韓国でも売っている場合、大抵は「どこか違う(→まずい)」のです)。
実際、自宅で料理をする際にも、調味料などからしてどうも大雑把な味なんですよね。それこそが韓国的と言えるのかも知れませんが。
以上、いつもながらに長文で失礼致しました。
ちなみに、ロシアは世界一のマヨネーズ消費国で一人あたり年間消費量の順位は以下の通りだそうです。
1位・・ロシア(5.1kg)
2位・・リトアニア(4.3kg)
3位・・ウクライナ(3.7kg)
…日本の順位ですが、19位(1.5kg)だそうです。
一昔前に『エンジョイコリア』で日本人と韓国人参加者がマヨネーズ自慢で論争していたトピックがありまして、日本人参加者がキユーピーマヨネーズを紹介したら、それに対抗して韓国人参加者が『韓国のオットゥギマヨネーズはロシアにも盛んに輸出されているんだぞ!日本のマヨネーズなんてロシアに全く輸出されてないし受け入れられていないだろ!』と反論していたので、それでオットゥギマヨネーズなるものを私は知ることができました。もっとも、そのときの翻訳では『だるまマヨネーズ』と変換翻訳されていたのでしばらくは意味が分からなくて混乱しましたが。オットゥギが何故だるまと変換翻訳されたのか?謎です。
「ロッキー」の生卵(5個)イッキ飲みのことは(いつもの)<エンハウィキミラー>にも載ってましたね。 →
https://mirror.enha.kr/wiki/%EB%8B%AC%EA%B1%80
案の定YouTubeにもあります。
ソウル一市民さんが記されているように、生卵の食文化が成立するためにはやっぱり衛生管理がちゃんとしていることが前提になりますね。それも養鶏場~小売りの全過程で。
ウィキペディアの「卵かけご飯」の説明はナルホド、です。歴史的にはず~っと昔からというわけではないのですね。 →
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B5%E3%81%8B%E3%81%91%E3%81%94%E9%A3%AF
カイカイ反応通信愛読者さんへ。
食品メーカー・オットゥギの社名の意味は起き上り小法師なので、だるまとほぼ同義ということでいいのではないでしょうか? (ハングルのスペルは厳密には間違っているのですが・・・。) ロゴも一応だるまの形にはなっています。→
http://www.happycolor.com/Cian/CianL/fm_cont.asp?idx=23364
七転八起の精神で、ということだそうです。
ところで韓国映画『彼とわたしの漂流日記』をみると、主人公のキムさんが無人島でアホなことをやらかして、頭上をカラスが鳴きながら通り過ぎるシーンがありましたが、お馬鹿なことをしてカラスが鳴きながら通り過ぎる記号は日本でも朝鮮半島でも共通したお約束記号なんでしょうか?
日本ではマンガなどで、主人公が屋外でお馬鹿なことをやると、空でカラスが『アホー』と鳴きながら飛び去るシーンが記号的に描かれるお約束があります。
韓国にはカラスはほとんどいないと聞いたので、こういうシーンが出ていたのは漫画などを通じた日本文化の影響なのか?と感じました。
そういえば映画のラスト、踏みつぶされたオットゥギのカカシの頭の中に鳥の巣ができていて、中に卵が入っていましたね。
それにしても、よく細部まで憶えていらっしゃるのはオドロキです。
「彼とわたしの漂流日記」のかかしの画像はコチラの記事で見られます。 →
http://songcine.tistory.com/4
また、このかかしの頭に使われているのはオットゥギの食堂用ケチャップの容器です。画像はコチラ。 →
http://www.mcfood24.com/shop/shopdetail.html?branduid=181
はたして、映画の中でキム氏がかかしに対して「オットゥギ君」とよびかけていたかどうかは記憶がはっきりしません。だとすると字幕は「かかし君」かな? 「だるま君」ではないですよね・・・。(先のリンク先の記事によるとオットゥギはこの映画を協賛しているわけではないそうです。チャパゲティの農心も・・・。江原道農業技術院トウモロコシ試験場という所が協賛に加わっているのはなるほどといえばなるほどですが。)
なお、カラス(?)の鳴き声についてはボンヤリと思い出しました。ネット内で確かめるのはタイヘンみたいなので、宿題ということにさせていただきます。
私がこの映画で印象に残っているのは、「こんな所にまで出前するのか!」という日本を凌駕する出前文化のすごさ。これについては産経の黒田勝弘氏が「韓民族は倍達(配達)民族」というおもしろい記事を書いていますね。 →
http://www.toyo-keizai.co.jp/news/essay/2010/post_3952.php
学生時代仲の好かった韓国人留学生の女の子は韓国の学生時代、「喫茶店でアルバイトしていたのですが、水商売みたいな目で見られるのがイヤで周りには喫茶店でアルバイトしているなんて言えませんでした。」と話してくれたことがありましたけど、韓国では水商売みたいな喫茶店とスターバックスみたいな健全な喫茶店と分類があるみたいで、実際韓国映画「ケンカの技術」を見ていたら、舞台になっていた大明読書室の管理人さんがコーヒーデリバリーのお姉さんとエッチなことをしているシーンが挿入されていましたね。
黒田先生が紹介しておられた屋形舟にコーヒーデリバリーするお姉さんもそういう感じでエッチな仕事をしているのか?なんだか徳川時代の浮世絵で描かれた遊廓のお姉さんと金持ちが屋形舟で遊んでいる場面を思い浮かべてしまいましました。
今よくある喫茶店はコッピショップですが、タバンというとたしかに隠微なフンイキがありますね。タバンのすべてがそういうものだということでもないと思いますが、1人で入ったりすると(2人でも同様ですが)タバンアガシのおねーさん(or元おねーさん)が寄ってきて話し相手になったりというのはフツーだったみたいです。「タバン」+「チケット」で検索すると諸情報が得られます。昔に比べると「そんな」タバンも激減しましたが、絶滅はしてないようで、わりと最近、地方でそんなタバンを見つけたといった内容のブログ記事を読んだことがあります。(何事にも探究心旺盛な人がいるものです。)