先の記事で、「現代詩手帖」10月号の林容澤教授の書いた「韓国における萩原朔太郎」について記しました。今回はその続きです。
今日は天気も好く時間もあったので、初めて世田谷文学館に行ってきました。
菅野昭正先生が館長で、かねてから行こうとは思っていたのですが、今ちょうど企画展で「生誕125年 萩原朔太郎展」をやっているので、この機会をとらえて行ってきたというわけです。
朔太郎の自筆資料では、有名な「竹」の「光る地面に竹が生え」以下の「竹が生え」は下書きでは「竹が立ち」、「蛙の死」中の「かわゆらしい」は「かわいらしい」だったこととか、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に、「世界第一の書物はこれである」「この書物をよんだ人は一晩の中で急に賢人になることができる」等の書き込みをしていたり等々に注目しました。
しかし、少年~青年時代の朔太郎の写真を見ると、いいとこの坊ちゃんにありがちな軽佻浮薄な感じですねー。実際いくつもの学校で中退を繰り返してまともに卒業したためしはないし・・・。雰囲気的に堀口大學の若い頃と似ているような・・・。
※工藤美代子「黄昏の詩人―堀口大学とその父のこと」の感想を書いてないことに気づきました。堀口大學の父九萬一は閔妃暗殺に深く関わった外交官です。
この特別展に行ってよかったのは、朔太郎もさることながら、私ヌルボの好きな司修のとても印象的なリトグラフ作品を観ることができたこと、そしてムットーニのからくり劇場「猫町」その他を初めて鑑賞できたことです。
【「猫町」朗読の音声が流れ、箱の中の人形などが動くのです。】
ただ、予測はしていましたが、韓国・朝鮮に関わるネタはとくにありませんでした。
ここから本論です。
林容澤教授の「韓国における萩原朔太郎」を読んで勉強になった2つ目の点は、朔太郎の詩が当時の朝鮮人詩人たちに及ぼした影響と、それについての韓国での研究の現況についてです。
林教授は、韓国詩壇で最初に朔太郎を紹介したのは、象徴主義系列の詩人・黄錫禹(ファン・ソグ)が1920年「廃墟」創刊号中の「日本詩壇の二大傾向」」という一文で「萩原朔太郎は三木露風氏の攻撃者で、一時日本詩壇において有名を振るっており・・・当時の野口米次郎、室生犀星にいわせると、日本の大天才とのこと。しかし・・・」等々と記しているのが嚆矢とのこと。
そして、「当時の(韓国の)詩人たちに少なからぬ知的興味を呼び起こしたものと察せられる」として、その代表格という感覚派抒情詩人・李章熙(イ・ジャンヒ.1900~29)の猫の詩を例としてあげています。
봄은 고양이로다 春は猫ならし (金素雲訳「朝鮮詩集」(1940))
꽃가루와 같이 부드러운 고양이의 털에 花粉のやうな軟らかい猫の毛並に
고운 봄의 향기(香氣)가 어리우도다. 仄かな春の香気はこもり、
금방울과 같이 호동그란 고양이의 눈에 鈴のやうに見開いた猫の瞳に
미친 봄의 불길이 흐르도다. 狂ほしい春の光は閃(きらめ)く。
고요히 다물은 고양이의 입술에 しづかに結ばれた猫の口辺に
포근한 봄 졸음이 떠돌아라. のどかな春の睡(まどろ)みは宿り、
날카롭게 쭉 뻗은 고양이의 수염에 突き延びた猫の鋭い髯に
푸른 봄의 생기(生氣)가 뛰놀아라. あたらしい春の生気は動く。
この作品について林教授は「・・・なかでも、春の気だるさに誘い出された“狂ほしい春の光(原詩では炎)”は読者を情炎と官能の世界に導き、『月に吠える』での「猫」を思い浮かばせるものがある」とコメントしています。
この他にも、同じ李章熙の「猫の夢」という詩も朔太郎との接点が見受けられる作品として紹介されています。
大正~昭和前期に日本に渡ってきた多くの韓国人の中で、文学を志した人々が当時の日本の作家や詩人の影響を受けただろうことは至極当然のことで、上記の朔太郎の例もとくに意外なものでもありません。
ただ、昨年11月8日の記事でも書きましたが、韓国・北朝鮮では、長く<比較文学という学問がありえなかった>ということです。
強い民族主義、ナショナリズムが学問の世界をも包み込む中で、「われわれの民族を代表する○○の作品が外国の(とくに日本の)影響を受けたなどということはありえない」というわけです。「影響を受ける」は剽窃と等価で、独創性・主体性を否定するものと受けとめられたのでしょう。
しかし、その記事の末尾で私ヌルボも記したように、近年韓国内でも変化が目立ってきているようです。文学研究の分野でも、話題となった「解放前後史の再認識」の編集に参画した金哲延世大教授をはじめ、ナショナリズムを脱した研究者が増えてきているように思われます。
この林容澤教授の論考では、「日本文学についての研究自体が一九九〇年代に入ってから本格的に始まった」とあり、朔太郎研究も、「質と量ともにまだ不備な点が多い」としながらも、何人もの朔太郎研究者の名をあげています。
・・・ということは、朔太郎だけでなく、北原白秋等々、他の日本詩人と韓国人詩人との人間関係や影響などについても研究が進められている、あるいは今後進められていくと見ていいのでしょうか?
今日は天気も好く時間もあったので、初めて世田谷文学館に行ってきました。
菅野昭正先生が館長で、かねてから行こうとは思っていたのですが、今ちょうど企画展で「生誕125年 萩原朔太郎展」をやっているので、この機会をとらえて行ってきたというわけです。
朔太郎の自筆資料では、有名な「竹」の「光る地面に竹が生え」以下の「竹が生え」は下書きでは「竹が立ち」、「蛙の死」中の「かわゆらしい」は「かわいらしい」だったこととか、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に、「世界第一の書物はこれである」「この書物をよんだ人は一晩の中で急に賢人になることができる」等の書き込みをしていたり等々に注目しました。
しかし、少年~青年時代の朔太郎の写真を見ると、いいとこの坊ちゃんにありがちな軽佻浮薄な感じですねー。実際いくつもの学校で中退を繰り返してまともに卒業したためしはないし・・・。雰囲気的に堀口大學の若い頃と似ているような・・・。
※工藤美代子「黄昏の詩人―堀口大学とその父のこと」の感想を書いてないことに気づきました。堀口大學の父九萬一は閔妃暗殺に深く関わった外交官です。
この特別展に行ってよかったのは、朔太郎もさることながら、私ヌルボの好きな司修のとても印象的なリトグラフ作品を観ることができたこと、そしてムットーニのからくり劇場「猫町」その他を初めて鑑賞できたことです。
【「猫町」朗読の音声が流れ、箱の中の人形などが動くのです。】
ただ、予測はしていましたが、韓国・朝鮮に関わるネタはとくにありませんでした。
ここから本論です。
林容澤教授の「韓国における萩原朔太郎」を読んで勉強になった2つ目の点は、朔太郎の詩が当時の朝鮮人詩人たちに及ぼした影響と、それについての韓国での研究の現況についてです。
林教授は、韓国詩壇で最初に朔太郎を紹介したのは、象徴主義系列の詩人・黄錫禹(ファン・ソグ)が1920年「廃墟」創刊号中の「日本詩壇の二大傾向」」という一文で「萩原朔太郎は三木露風氏の攻撃者で、一時日本詩壇において有名を振るっており・・・当時の野口米次郎、室生犀星にいわせると、日本の大天才とのこと。しかし・・・」等々と記しているのが嚆矢とのこと。
そして、「当時の(韓国の)詩人たちに少なからぬ知的興味を呼び起こしたものと察せられる」として、その代表格という感覚派抒情詩人・李章熙(イ・ジャンヒ.1900~29)の猫の詩を例としてあげています。
봄은 고양이로다 春は猫ならし (金素雲訳「朝鮮詩集」(1940))
꽃가루와 같이 부드러운 고양이의 털에 花粉のやうな軟らかい猫の毛並に
고운 봄의 향기(香氣)가 어리우도다. 仄かな春の香気はこもり、
금방울과 같이 호동그란 고양이의 눈에 鈴のやうに見開いた猫の瞳に
미친 봄의 불길이 흐르도다. 狂ほしい春の光は閃(きらめ)く。
고요히 다물은 고양이의 입술에 しづかに結ばれた猫の口辺に
포근한 봄 졸음이 떠돌아라. のどかな春の睡(まどろ)みは宿り、
날카롭게 쭉 뻗은 고양이의 수염에 突き延びた猫の鋭い髯に
푸른 봄의 생기(生氣)가 뛰놀아라. あたらしい春の生気は動く。
この作品について林教授は「・・・なかでも、春の気だるさに誘い出された“狂ほしい春の光(原詩では炎)”は読者を情炎と官能の世界に導き、『月に吠える』での「猫」を思い浮かばせるものがある」とコメントしています。
この他にも、同じ李章熙の「猫の夢」という詩も朔太郎との接点が見受けられる作品として紹介されています。
大正~昭和前期に日本に渡ってきた多くの韓国人の中で、文学を志した人々が当時の日本の作家や詩人の影響を受けただろうことは至極当然のことで、上記の朔太郎の例もとくに意外なものでもありません。
ただ、昨年11月8日の記事でも書きましたが、韓国・北朝鮮では、長く<比較文学という学問がありえなかった>ということです。
強い民族主義、ナショナリズムが学問の世界をも包み込む中で、「われわれの民族を代表する○○の作品が外国の(とくに日本の)影響を受けたなどということはありえない」というわけです。「影響を受ける」は剽窃と等価で、独創性・主体性を否定するものと受けとめられたのでしょう。
しかし、その記事の末尾で私ヌルボも記したように、近年韓国内でも変化が目立ってきているようです。文学研究の分野でも、話題となった「解放前後史の再認識」の編集に参画した金哲延世大教授をはじめ、ナショナリズムを脱した研究者が増えてきているように思われます。
この林容澤教授の論考では、「日本文学についての研究自体が一九九〇年代に入ってから本格的に始まった」とあり、朔太郎研究も、「質と量ともにまだ不備な点が多い」としながらも、何人もの朔太郎研究者の名をあげています。
・・・ということは、朔太郎だけでなく、北原白秋等々、他の日本詩人と韓国人詩人との人間関係や影響などについても研究が進められている、あるいは今後進められていくと見ていいのでしょうか?
リュ・シファのハングルをメモして頑張ってみます。
http://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/b45b82e003ffbccaab5f5bb8081fc05a
一応、(1)はコチラ →
http://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/dba1097ff22e98c682f6ff616bad1e4d
首都圏在住で、職安通りのコリアプラザに楽に行かれれば、それが一番手っ取り早いのですが・・・。
それが不可能ならinnolifeや高麗書林等の通販、最後に韓国の教保文庫やYES24に直接注文、という順番ですかね、私の場合。
※たとえば、教保文庫のサイトで류시화(リュ・シファ)を検索すると次の画面が出てきます。→
http://www.kyobobook.co.kr/search/SearchCommonMain.jsp
この中に「君がそばにいても・・・」もあります。(この注文の仕方がちょっと面倒・・・)
今晩は・・・
「詩」かぁ~とヌルボさんのブログを読んで、翻訳したもので何かないかしら?と思って検索をかけてみたら「君がそばにいても僕は君が恋しい (リュ・シファ)」を見つけましたので中古本ですが、発注しました。
そうなると、韓国語のが欲しくなったのですがどうやったら入手できるのでしょう?
かなり検索してみたのですが判りませんでした。何かご助言を伺えればと思います。