ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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[充実の4泊5日ソウル旅行記] いきなり総集編(笑) ①忘憂里共同墓地など

2017-09-17 23:49:41 | 韓国旅行の記録
 9月7~11日、ソウルだけで4泊5日の旅行。8月後半サークル仲間のS氏から「初秋のソウルに1人で行ってきます」とのメールがありました。(※2年前慶熙大学に短期留学した時、日記(→コチラ以下全15回)を送ってくれたS氏です。) 「いいなあ」と思って、なんとなく自分の予定表を見ると、ラッキーなことにその期間は空いているではないですか! ということで、急遽私ヌルボも便乗することに決定。期日が迫っていたので飛行機は往路だけ同じ便(成田発13:50アシアナ)で、復路はヌルボが数時間早い仁川10:10発。ホテルも初日のみ同じ所を予約しました。(2日目からは現地を歩いていてたまたま空いていた仁寺洞の世林ホテルに連泊。)
 そんなわけで、現地でも全体の3分の1程度はS氏と別行動でしたが、見学地と、ここぞ!という食堂は一緒に行きました。

 今回の旅行記は、ソウル市内(一部隣接市を含む)ということもあって行程はそれほど重要でもなさそうなので、観光ポイント、博物館等の施設、食堂と食べ物等のジャンルに分け、原則的に1記事につき1ヵ所に限定してガイドブック風(?)に、「これからそこに行ってみようかな」という人に役立つようなことを書いていく心づもりでしたが、個別の記事をチマチマ書いていくといつ全部書き終えるか自分でもわからないので、<いきなり総集編(笑)>から書き始めることにしました。忘憂里共同墓地等々、書くネタが多いものについては追々個別に書く予定です。

【歩きに歩いて、歴史を学ぶ】
 ①忘憂里(マンウリ)共同墓地 上野の山より広く、10倍以上高かった!
      
 映画「道~白磁の人~」(2012)等によってかなり知られるようになってきた浅川巧(→ウィキペディア)が、遺言通り「朝鮮の土」となって今眠る場所が忘憂里共同墓地です。なんとなく見晴らしの良い小高い丘程度に甘く考えていました。言っときますが、かなりキツイですよ。面積は約83万㎡で、上野公園の1.6倍強。それよりも、上野の山の標高24mに比べ、忘憂山は281m(!)ですからね。散策レベではなく、ほとんどハイキングに近いかも・・・。[写真上左]はルート上の最高地点からはかなり下った地点で撮ったものです。墓地の周回路はただ歩くだけで約1時間とか。しかしいろんな墓の写真を撮ったりしていて、2時間40分ほどもかかってしまいました。 この墓地には、浅川巧のほか<もう1人の日本人>の墓があることは、旅行に発つ直前知りました。行ってみると、「なんだ!? この弾痕のような傷は?」・・・というのが[写真上右]の(斎藤音作の墓)。
 ヌルボたち2人が話す以前に、「浅川巧の墓は・・・」と話し始める事務所の方。それだけここを訪れる日本人が増えているのでしょう。
 ちなみに、「浅川巧の墓はココ」とすぐわかるような日本語地図は現地にもネット上にもありません。わずかな手掛かりをたよりに歩き始めましたが歩いても歩いても辿り着けず「道を間違ったか?」と思った時やっと見つけたのは入口から歩き始めて約40分後でした。(ヌルボ特製のわかりやすい(?)地図はのちほど個別の記事で載せます。)
 ☆ヌルボの提言「浅川巧のことを韓国の人たちに広く知ってもらうことを願うなら、ここに眠る韓国人のことも知るようにしましょう」

 ②東九陵 朝鮮王朝を開いた太祖(李成桂)の陵もある、最大規模の朝鮮王陵
      
 2年前S氏が行った時は運悪く月曜日で閉園だったので、今回は執念の再挑戦。場所はソウルの東隣の九里市。忘憂里共同墓地最寄り駅の養源駅のひとつ先の九里からバスorタクシーで10分くらい。私ヌルボは、以前大勢で2番目に広い西五陵(約180万㎡)には行ったことがありました。その時はアルコール抜きだったものの、芝生にレジャーシートを敷いてジュース等を飲んだ記憶があるなー。しかし東九陵で注意書きを見ると飲食物の持ち込みはダメ。西五陵もそうなんでしょう、たぶん。日曜日の午後行きましたが、シートを敷いてジュースを飲んでるような人たちはぜーんぜん見なかったぞ。
 したがって、午後1時半から3時間、約190万㎡をただひたすら歩くだけでした(トホホ)。とにかく広いです。[写真上左]が太祖(李成桂)の陵の健元陵。[写真上右]は16代仁祖の継妃・荘烈王妃の陵である徽陵で、朱塗りの鳥居のような門が紅箭(ホンサル)門です。

【マイナーな博物館・資料館】
 ①洪蘭坡家屋 「故郷の春」や「鳳仙花」で知られる作曲家
      
 洪蘭坡(ホン・ナンパ)のことはそれなりに知ってはいましたが、とくに→コチラの記事を読んでぜひ行きたくなり、今回1人で行ってきました。場所は慶熙宮の西側で、西大門駅、独立門駅、光化門駅から歩いて行けます。(慶熙宮の東側には1つ前の記事に書いたエムシネマというミニシアターがあります。そこで映画を観てから行きました。)
 行ってみると、金曜午後は開いているはずなのに閉まっていました。しかしドアホンを押して来意を告げると上記記事にあるおじさん(お孫さんの女性の姻戚の方)が開けてくれて、いろいろ説明して下さいました。

 ②警察博物館 たまたま入ったら、子ども連れの家族が大勢
        
 洪蘭坡家屋を出た後、慶熙宮の入口方面に戻る途中たまたま目に入ったのが警察博物館です。間口が狭く、入口正面に婦人警官っぽい(?)係員が座っているので、ちょっと抵抗感がありましたが(「警察」という言葉だけでもなぜかビビるヌルボ)、入ってすぐ右の部屋が[写真上左]で、子ども連れの家族が何組も来ていてホッとしました(笑)。パパがパトカー(本物じゃないけど)に乗った子どもの写真を撮ったりしています。
 案内板を見ると5階まであるので、まず5階まで上がって順次下って見ていくことにしました。
 その5階は<歴史>関係の展示で、その中に殉職警官のコーナーがあったのですが、[写真上右]の人物を見ると、アラ、1968年の北朝鮮武装ゲリラによる青瓦台襲撃事件(→ウィキペディア)の時に戦死した崔圭植(チェ・ギュシク)鍾路警察署長ではないですか! 昨年(2016年)11月に行った紫霞門峠(チャハムンコゲ)のバス停前の銅像の人物です。(→コチラの記事参照。)
 私ヌルボ、その銅像を見たのもたまたまでしたが、今回も同様。上の画像の横には、彼が殉職した時に着ていた衣服も展示されていました。
 この階のその他の展示物もなかなか興味深いものがいろいろありました。また他の階にも。後で<ソウルナビ>にこの博物館のけっこう詳しい紹介記事があることを知りました。(→コチラ。)
 なお、この西大門駅近辺には、ここ以外にも農業博物館のような穴場的(?)博物館がありますね。4.19革命記念図書館というのもちょっと行ってみたいです。もちろんソウル歴史博物館という大きくて内容も充実した博物館に行ってからの話ですよ。

 この<いきなり総集編(笑)>の②は、【食べ物】【街歩きで見たものいろいろ】と続きます。

 総集編なので<略述>のつもりだったのが、それでも長くなってしまいました。

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5 コメント

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マルテンサイト千年グローバル (サムライ鉄の道リスペクト)
2024-09-14 04:41:36
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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くもりなき眼 (大和魂)
2024-09-19 19:21:34
一神教はユダヤ教をその祖とし、キリスト教、イスラム教が汎民族性によってその勢力を拡大させたが、その一神教の純粋性をもっとも保持し続けたのは後にできたイスラム教であった。今の科学技術文明の母体となったキリスト教は多神教的要素を取り入れ例えばルネサンスなどにより古代地中海世界の哲学なども触媒となり宗教から科学が独立するまでになった。一方でキリスト教圏内でも科学と宗教をむしろ融合しようとする働きにより、帝国主義がうまれた。宗教から正当化された植民地戦争は科学技術の壮大な実験場となり、この好循環により科学と宗教を融合させようというのである。その影響により非キリスト教圏で起きたのが日本の明治維新という現象である。この日本全土を均質化した市場原理社会する近代資本主義のスタートとされる明治維新は欧米などの一神教国が始めた帝国主義的な植民地拡張競争に危機感を覚えたサムライたちが自らの階級を破壊するといった、かなり独創的な革命でフランス革命、ピューリタン革命、ロシア革命、アメリカ独立戦争にはないユニークさというものが”革命”ではなく”維新”と呼んできたのは間違いない。しかしその中身は「革命」いや「大革命」とでもよべるべきものではないだろうか。
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朝日ににほふ山桜 (敷島)
2024-09-19 19:24:29
それにしても古事記はすごいよな。ドイツの哲学者ニーチェが「神は死んだ」といったそれよりも千年も前にイザナミ神についてそうかいてある。この神おかげでたくさんの神々を生まれたので日本神話は多神教になったともいえる。八百万の神々が出雲に集まるのは、イザナミの死を弔うためという話も聞いたことがある。そしてそこから古事記の本格的な多神教の神話の世界が広がってゆくのである。
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抜刀隊名古屋 (特殊鋼流通関係)
2024-09-19 19:26:49
日本が大東亜戦争を戦った理由、それは自存自衛とアジアの解放に他なりません。戦後、タイ王国のククリット・プラモード首相は、

 「日本のおかげで、アジアの諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか」

 と書き記しています。この言葉が、あの戦争が何であったか、そのすべてを表わしているでしょう。
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武士の魂日本刀 (鉄鋼材料エンジニア)
2024-10-28 15:39:38
それにしても古事記はすごいよな。ドイツの哲学者ニーチェが「神は死んだ」といったそれよりも千年も前に女神イザナミ神についてそうかいてある。この神おかげでたくさんの神々を生まれたので日本神話は多神教になったともいえる。八百万の神々が出雲に集まるのは、イザナミの死を弔うためという話も聞いたことがある。そしてそこから古事記の本格的な多神教の神話の世界が広がってゆくのである。
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