話題の書(かな?)、 ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ「竹林はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記」(ハート出版)を読了しました。
朝鮮半島北部の羅南から引揚げてきた母と2人姉妹(16歳と11歳)の物語で、その妹の方の擁子すなわちワトキンズさん自身が体験を基に書き、1986年にアメリカで刊行された作品の翻訳書で、ごく最近発行されました(奥付は7月19日発行)。
ワトキンズさんは戦後アメリカ人と結婚しアメリカ東海岸に居住してきて、この本も英語で書かれました。刊行後この作品はボストンを中心としたニューイングランドの小中公立学校で教材として採用されてきました。
ところが2006年11月、引揚げの途上で一家族の例を除いて多くの朝鮮人が強姦の加害者等否定的にしか描かれていないことや、植民地支配の事実背景が記されず日本人が被害者のように読まれるおそれがあることを問題視した韓国系アメリカ人たちから抗議が出ていることが米紙「ボストン・グローブ」で報道され、以後この問題は拡大していきました。韓国でも当然のごとく大きく伝えられました。ほとんどは、この本を非難するものです。(そうではない記事もあります。) そして刊行されていた韓国語の訳書は出版停止となりました。
※この本の内容や、この本をめぐる問題の詳細については→ウィキペディアを参照のこと。ちなみに韓国版ウィキペディアの<요코 이야기(ヨーコの物語)>の項目の記述はかなり異なっています。「空想小説」(!)となっていたり・・・。
で、ヌルボが読んだこの翻訳書ですが、ほとんど事前に得ていた情報から考えていた通りの内容でした。
率直な感想としては、これをもって「日本人が自身を被害者のように描いている」、「韓国人を悪く描いている」等々の読み方はたしかにトンチンカンです。
まあ、「親切だった韓国人」の事例をもう少し書いた方が「バランス的には」よかったかもしれませんが・・・。しかし母と娘2人だけの、不安というより恐怖と緊張の脱出行ということを考えれば、このような形での「当時の思い出」も無理からぬものもあります。もちろん、上坪隆「水子の譜」に記されているような引揚げ女性の悲劇も実際数多くあったようです。(参考→コチラやコチラやコチラ。読む人の「立場」によって感想の書き方もいろいろです。)
この本のことが問題化したのが2007年初頭。その後私ヌルボ、「東アジア歴史認識論争のメタヒストリー」(青弓社.2008)に収められている米山リサ氏(カリフォルニア大学準教授かな?)の「日本植民地主義の歴史記憶とアメリカ」と題する論考を読みました。
副題は「『ヨウコ物語』をめぐって」。つまり、この作品の内容と、これに反対する韓国系アメリカ人の抗議運動の経緯について記したものです。
全面的に同意!というわけではないのですが、興味深い指摘が多々含まれているので紹介します。
・2006年までのアマゾンの読者評のほとんどは「感動的だ」等々この作品に対して好意的である。ある小学校教員は「長年教材として用いてきたが、感動しなかった生徒は1人としていなかった」とも。一方、人種や歴史に関係のない視点から、「内容的に12歳前後の子どもには不適切」という見解もあった。
・文学作品やフィクション化された自伝等について、その作品の有する普遍的人間性において価値があると認められることが、評価基準として優先される傾向がある。しかし、その背景の歴史の批判的検討や(無意識の)政治性等についても、その作品の優劣とは別に、著者は責任を負っている。(←ヌルボ意訳。)
・・・それはそうだけど、ワトキンズさんをターゲットにするなら、それ以上に追及さるべき人はゴマンといるんじゃないの? (「感動的」だが「政治的・歴史的に問題」とされるに至ったドーデーの「最後の授業」のことを思い起こしました。)
・バーネット「小公女」の主人公セーラときわめてよく似ている。逆境にあっても心の豊かさと品位を保ち、人に対する思いやりを持ち、勤勉で、力強く生きていこうとする。
セーラが最終的にはイギリス植民地で父親の友人だったという人物と奇跡的に出会い救われたように、ヨウコもまた、日本の植民地化の朝鮮で父親と友人だったという男性とある幸運を通じて再会し、この人物の援助によってしだいに生活が楽になっていく。(←ちょっと違うんでないの?)。
・・・この指摘はとくに興味を覚えましたねー。そうなんだよなー。2人の妹からは遅れて日本への道を辿った兄や、16歳の姉は朝鮮人と偽れるほどに朝鮮語が話せたというのもその表われといえるかも。(当時の朝鮮在住の日本人で、朝鮮語がフツーに話せる日本人は少なかったと思います。)
そして、同じく「小公女」との比較で次のような指摘に注目。
・また、セーラは植民地での体験から、一般のイギリス人が抱かない親密さを南アジア系の使用人に対して感じ、そのことが彼女を幸運に導く。一方ヨウコや遅れて再会したヨウコの兄も、他の日本人が猜疑の目を向けるのとは異なり、植民地朝鮮の装いや慣わしに深い親しみを抱いているのである。
このように、「小公女」と対照させることによって明らかになるのは、「ヨウコ物語」には日本の植民地帝国が崩壊した後、いわゆる内地へと持ち込まれた異文化と、植民地体験の数々が痕跡としてまとわりついているという事実である。にもかかわらず、同書が戦争のトラウマ、「痛みと偏見」、「普通の人々が戦争によっていかに左右されるか」といったことを考えさせる平和と反戦の物語としてだけ読まれてしまうのはいったいなぜなのだろう。先に述べた読者理解の例の数々から明らかなように、同書を平和と反戦の書として高く評価し、教材として有用なテクストだとする立場にとって、植民地主義の歴史はまったくといってよいほど視野に入っていない。
・(アマゾンの読者レビューの1つでは)「なぜヨウコの家族は朝鮮半島北部にいたのか?」「お父さんはどんな仕事をしていたのか?」。戦後、シベリアに抑留されていたことから見ると、ヨウコの父親は戦争犯罪人だったと考えられる、とも推測している。・・・(そのレビューはまた)「第二次世界大戦のオランダから逃れるナチの家族の少女の苦労話」を同じような無批判性をもって出版できただろうか、と問いかける。つまり、ヨーロッパの戦争被害の叙述や歴史表象については批判的な歴史認識に根ざした判断ができるのに対して、アジアの戦争被害について同様の判断ができない出版社、児童文学批評家、学校関係者たちの無知、無批判性、そしてそれを許してきたアメリカ社会にあるアジア人(日本人を含む)に対するレイシズムを、この投稿者は指摘するのである。
・・・米山氏の意見は、この(例外的な)レビューに沿っています。
アメリカにとって、日本の植民地支配・軍国主義批判の言説は、自らの第二次世界大戦参戦を解放と平和をもたらした「よい戦争」の大きな論拠となる一方、植民地主義についてはアメリカも日本と同じ穴のムジナという側面がある、ということもまさにその通り。
その点が書かれていない「ヨウコ物語」が好まれてきたのも、そんなアメリカ側の事情がある、というわけです。
米山リサ氏の論考は、最後に次のような興味深いことが記されています。
この問題が拡大した2007年2月、「ボストン・グローブ」紙はワトキンズさんがメディアや抗議の人たちとの会見の場に臨んだことを報じたのですが、その記事では「柔和な」「73歳のの作者」が、「7つの韓国メディア」を含む「怒れる聴衆」と会見した、と表現しているのです。
つまり、この新聞記事は明らかにワトキンズさん寄りの書き方。
・ワトキンズは常に慎み深さ(humility)、優しさ、寛容さ、といった概念と結びつけられてきた。これに対して、同書に異議を申し立てる側に立つコリアン・アメリカンの保護者をはじめとする人々は多くの場合、「怒り」や「抗議」だけに結びつけて描かれているのである。
・・・と、このあたりを読むと、多くの日本人の皆さん(・・・ってヌルボもそうですけど)は「そーだろ、そーだろ」と溜飲を下げるのではないでしょうか?
しかし米山氏はさらに次のように続けているのです。
・このようなメディア表象における、「謙虚で慎み深い著者」に抗議する「寛容とコンパッションを欠いた怒れる聴衆」という構図が、先に述べた普遍主義的な文芸批評(・・・反戦平和、思いやりの心、強い意志への評価)の態度と結びつくとき、自身を非人間的に描く表象に対して抗議する側に立つものが、「人間」あるいは「人間らしさ」の範疇から排除されてしまう、というきわめて皮肉な結果を生むことになるだろう。
・・・ここでももしかしたら、多くの人たち(日本人)は「そんなの自業自得じゃないか」と思うかもしれませんね。
(たしかに慰安婦問題にしても、抗議運動を展開している韓国人の皆さんは、支持者だけでなく反発を感じる人も多く生み出していることについてどれほど自覚しているのでしょうか? とくに日本では、本来なら支持したかもしれない人でさえ反発を感じている。)
米山氏はこれに対して、「間として扱われることに抗議する人々が、逆にそのことによって間化されてしまう」というサイクルを問題視して、次のようにこの論考を結んでいます。
・このサイクルを断ち切るには、「抗議を受ける者たちこそが、まず、謙虚さや「慎み」の覆いから歩みだし、うろたえ、真の和解と対話を妨げるものに対して怒り、「たたかう」姿勢を示し始めるしかないとはいえないだろうか。
・・・以上ずいぶんたくさん米山リサ氏の論考をそのまま紹介しました。
で、私ヌルボの意見ですが、8割方は賛成です。ただし最後の引用部分は別。「真の和解と対話を妨げるもの」とは具体的に何をさしているのでしょうか? 植民地支配の歴史に対して目や口を閉ざしている日本やアメリカ、だとしたら半分は賛成ですが・・・。
米山氏は「間として扱われることに抗議する人々」と書いています。しかし、個の体験に基づいて本を書いたワトキンズさんに対し、抗議する人々は総体としての(イメージとしての)「韓国人」の中に自らも埋没した状態のままで、その「韓国=被害者、日本=加害者」というナショナル・ヒストリーに合致しないことに憤っている部分が大きいと思われます。一体、抗議活動をしている人たちがこの本によってどのように「間として扱われた」というのでしょうか? 「総体としての」韓国人さえも「間として」扱われてはいません。
一昨年、舞鶴引揚記念館に行って、数多くの引揚者や帰国できず異郷で亡くなった人たちについて新たな知識と認識を得ました。憤りの念にかられた私ヌルボが「これらの事実が、なぜ多くの人の知るところとなっていないのですか?」とガイドの方に尋ねると、「敗戦国、そして侵略者の側の立場から強くアピールできないという事情があって」とのことでした。
しかし、旧満州や朝鮮から命がけで引揚げてくる人々に対して「おまえたちは加害者だから当然の報いだ」というような言説にどれほどの正当性があるでしょうか? そのことと戦争責任の問題や植民地支配の反省等とは別個の問題です。
今、慰安婦問題について(実は互いに似た者同士の)日韓それぞれの「愛国者たち」によって相当に感情的で声高で不毛な議論が展開される中で、肝心なことが忘れ去られてしまっているようです。それと共通する面がありますが、「竹林はるか遠く」の読み方について私ヌルボの言いたいことは「国家に自ら(or祖父母・父母等)の人生を翻弄された経験を持ちながらも、いまだに国に依拠したどころかドップリ浸かった思考しかできないなら、結局はまた同じ悲劇を繰り返してしまう」ということです。まさに言葉本来の意味で「正しい歴史認識」を持たないと、過去「被害者」であった「民族」が将来「加害者」になったりする可能性は十分あるし、その逆もまたあるでしょう。
たぶん、この「竹林はるか遠く」は多くの日本人読者の共感をよぶと思います。すでにアマゾンの読者レビューでも予想通り(=懸念した通り)のものが多数アップされています。(「韓国人がなぜ抗議するのかわからない」というフツーの反応だけならまだいいのですが・・・。)
私ヌルボも、(あれこれ書きながらも)基本的には共感をもって読みました。しかし、この本について「だから韓国人は・・・」等々「民族」というタームを拠り所にした読み方をしてしまうと、それは著者のワトキンズさんの思いから「はるか遠い」ものになるということを銘記してほしいものです。
※韓国で実際にこの本を読んだ記者等による新聞記事の中には、しごくまっとうな感想を書いている人もいます。
その1は→コチラ(日本語)。「今日の我々の課題は、19世紀以前には存在しなかった民族概念を守ることではなく、アジアの多くの国々と共存し、国民を超えて世界市民に発展することだ」と書いています。その2はソウル大教授が書いた→コチラ(韓国語)。「民族主義的な怒りを表わす前に、日本の庶民たちも戦争の犠牲者であるという認識と、すべての人々を獣にする戦争は絶対になくすべきという作家の執筆意図を理解することが必要である」と、また「真珠湾を攻撃した日本政府の挑発行為を非難するセリフがアメリカの読者の感動を生んだ」とも書いています。
どちらも「中央日報」。先頃「原爆は天罰」という記事を載せたあの新聞ですけど・・・。
※この翻訳書で最後まで気になったのは、家族たちが擁子のことを終始「ちっちゃいの」と呼んでいること。原文は"Little One"なのだそうですが、なんとも不自然でした。
共産軍のこと等史実についての疑問は他でも指摘されているので略します。細かい箇所では「軍医の龍少佐」という人物の表記はおそらく「柳少佐」か「劉少佐」です。
「竹林はるか遠く」は作者にも複雑な事情があったようで、作者は米国か第三国の日系何世かではあっても、日本・朝鮮の生まれ・育ちとは考えられず、これは明らかにフィクションです。小説はじめの方に作者の兄が予科練に志望し、父に相談しろという母に「自分は18歳だから自分で決められる」と主張する場面があります。当時の日本・朝鮮は家父長制でこのようなことはありえず、しかも作者は日本の成人年齢が当時から米国と同じ18歳だったと思い込んでいます。良い本だけに、作者が実話であるかのような風をとったのはかえって残念です。なお、作者は一部を除き名は仮名にしたといっています。柳をRyuにしたと考える必要はなく、また少数ながら龍や竜という姓は日本にもあります。しかし、日本人が普通気にする名前の字が龍か竜かについて作者は無関心に思えます。もちろん成人年齢の問題と異なり、これは決定的な証拠とはなりませんが、どうも作者はなまじ漢字に詳しいだけに竜は略字なので名前なら龍のはずと思った節があります。訳者もいろいろ不審を感じた節はあったようで、一般的な話として、いろいろなことで作者と詳しくやり取りして、作者の言うとおりにしたことを述べています。