→ 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録① 1~2日目=国立外交院、徳寿宮周辺等
→ 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録② 3日目=「あの」島と、仁寺洞の有名なマッコリ酒場
この旅行記録、まず全体を略述し、その後テーマごとの記事にまとめるつもりだったのが、すでにしてムリだと悟りました。略述の方が詳述より簡単なわけでは決してありません。何を書かないですませるかは、何を書くかと同じようにむずかしいということを実感しています。で、今回は1日分の記録も2回に分割することになってしまいました。
旅行前半の3月25~28日は仁寺洞の格安ホテルに連泊。出発の前日たまたま神戸大・木村幹教授のtwitterを見ていたら、この格安ホテルは木村教授の常宿とのことで、それも3月21~23日宿泊していたのですね。(→コチラ参照。) 3月22日のツイートでは「なんだかんだ言ってソウルは落ち着く。アメリカの高級ホテルはもちろん、坂東よりも落ち着くのは何故だろう。」「昨日(?)までは他人の金で優雅にシェラトンだったのだけど、実はソウルの行きつけの安ホテルの方が落ち着くかもしれない。基本的に貧乏性である。」・・・とつぶやきつつ、くつろいで豚足を召し上がったようです。木村先生のこれまで読んだ諸論考もさることながら、「ソウルの行きつけの安ホテルの方が落ち着く」云々は私ヌルボ深く共感を覚えるところです。
○3月28日(月) 朝~午後2時過ぎ
月曜なので休館の施設も多いことを勘案してこの日の行先を決定しました。ヌルボたち3人、この日も朝早く上記の格安ホテルを出て、地下鉄でソウル大入口駅へ。おりから通勤・通学の時間帯。途中の乗り換え駅・舎堂(サドン)駅等では連絡通路を走っている人が目につきました。急ぎ足などではなく、全力で走っているのです。(韓国人、パワフル!)
で、3人はとりあえずソウル大方面に向かうバス停を見下ろすカフェで軽く朝食。下左画像、緑色のバスはマウルバスです。この写真を撮ったのは、車体側面の映画の広告が目に入ったから。チョン・ドヨンとコンユ共演の「男と女」です。
このマウルバス、わりと狭い区域を周る町内バスで、私ヌルボ、今までほとんど利用したことはありませんでしたが、今回は便利さを痛感しました。(→<ソウルナビ>の記事参照。) ・・・と言いつつ、3人組はタクシーてソウル大へ。(「ソウル大入口」といっても、ソウル大学校正門までの距離は2㎞近くありそうなので要注意。)
上右のバスはタクシーから撮影。コチラはファン・ジョンミンとカン・ドンウォン出演の「検事外伝」の広告です。
これまで見た慶煕大や弘益大のような正門らしい門が見当たらないままいつの間にか大学の敷地内。後でわかったのが車でそのまま下をくぐった巨大なアーチ状の造形物。(上画像。) それが正門だったのですね。
さて、ここで・・・。[問1] この造形物は何を意味していますか? (ハングルがわかる人限定の問題です。)
[答]→ソウル国立大学校の子音ㅅ・ㄱ・ㄷを組み合わせた。 言われてみればそう見えますが、いかがなもんですかねー? うーむ・・・。
さて私ヌルボ、わざわざソウル大学校まで行って何をしたかというと、①食堂でカレーを食べた。②トイレに入った。
・・・いや、3人の中に実は歴史研究者のN氏がいて、彼が下左の施設で史料(マイクロフィルム)のプリントアウトをするというので、ヌルボとしてはこの機会にいろいろ見物してこようと思って同行させていただいたというわけです。
その施設の名称は奎章閣(규장각.キュジャンガク)。1776年正祖の時代に昌徳宮の敷地内に設立された王立図書館です。韓国の歴史ドラマでご存知の方もいらっしゃるでしょう。「イサン」とか・・・。[問2] 上右画像の面々が登場した韓国ドラマのタイトルは?
[答]→トキメキ☆成均館スキャンダル あ、これは奎章閣じゃなかったか。原作のチョン・ウングォルの小説は、「奎章閣閣臣たちの日々」という続編があって、ともに翻訳書が刊行されています。つまりは、彼らのその後の就職先ということ。
その朝鮮王朝時代の奎章閣が今はソウル大学校に受け継がれ、貴重な古文書等が所蔵・管理されているというわけです。
「マイクロフィルムリーダーの数が限られているので早めに行って確保する必要がある」というN氏の言葉にしたがって9時15分頃入館したら、数台(5台くらい?)並んだその器械の先客は1人だけ。その後N氏が操作に手間取っていたら、その学生Kくんがカタコトながらちゃんと意味のとれる日本語で助けてくれました。後で訊いてみると、東洋史、とくに中国の宋・明時代について勉強しているとのこと。私ヌルボが驚いたのは、Kくんの口から西嶋定生先生の名前が出てきたこと。何十年も前、冊封体制や、ベトナムは中国・日本・朝鮮と同じ東アジア世界云々についての深い知識と洞察に初めて接した時のことを思い出しました。往事茫茫、まさかこんな所で・・・。
昼食時になり奎章閣を出ました。N氏の丸一日はゆうにかかりそうな作業は館員の方にお任せして帰国の日に受け取ることにしたとのこと。
いきなり[問3] はるか前方に見える山の名は? ヒント:ソウル大学校の所在地の区名と同じです。ここのキャンパスも〇〇キャンパスとよばれています。
[答]→冠岳山(관악산.クァナクサン)
高さ629mとさほど高い山ではありませんが、奇岩なんかもたくさんあり、多くの市民に親しまれている山のひとつで、このキャンパスも登山コースの1つになっています。→コチラの韓国ブログの写真を参照されたし。
また、足下に目をやると「THE PATH OF DEMOCRACY」と記された表示が。これについては後述。
<ソウルナビ>の記事(→コチラ)によると、ソウル大学校の食堂は15ヵ所もあるとか・・・。3人が入ったのは奎章閣から近いチャハヨン食堂。フンイキは日本の学食とあまり変わらず。って、日本の学食もそんなに知ってるわけではありませんけど。(ずっと前中央大学多摩キャンパスの学食に初めて行った時は美味いと思ったが、今→コチラのランキングでは10位。) で、カツカレー(4000ウォンだったかな?)もわりとフツーの味。サニーレタスに最初からコチュカルがかかっているのはやっぱりなー(-_-;でしたが・・・。
食事後、ソウル大学校を出てノーマルな観光&見学コースに向かうN氏・Y氏と別れて単独行動を選択した私ヌルボ。食堂を出てすぐ近くの池あたりを散策。
先の食堂の名がなぜチャハヨン食堂かといえば、この池の名が紫霞淵(자하연.チャハヨン)だから。紫霞とは、この紫霞谷の地を愛した朝鮮後期の有名な文筆家・申緯(신위.シヌィ.1769~1847)の号で、上右画像の詩文標識石は2008年に設置されたものとのことです。(除幕式の記事は→コチラ。韓国語) 彼の漢詩や墨竹画も刻まれています。
キャンパス内を歩いていると、記念碑のようなものがいくつか目に入ります。説明文を読むと、80年代の民主化闘争の過程で亡くなった学生がほとんどです。
上は「朴鍾哲(パク・ジョンチョル)追慕碑」。過去記事(→コチラ)で少し書いたように、ソウル大言語学科の学生会長だった彼は、公安当局に捕まって電気拷問、水拷問などを受けて殺され、それが同年の<6月民主抗争>の導火線ともなりました。
上画像は「キム・セジン、イ・ジェホ追慕碑」。この2人のことは知りませんでした。1986年米軍の軍事基地化に反対して焼身自殺をした学生とのことです。彼らの名には、「民族解放烈士」といった称号が副えられています。これ以外にも、上掲の「THE PATH OF DEMOCRACY」の案内図を見てみるといくつも同様の追慕碑があることがわかります。下画像はその拡大図です。
実は私ヌルボ、帰国してからコレを見てアリャリャと思いました。というのは、奎章閣からわりと近い所に「4.19公園」があるではないですか! 四月学生革命記念塔がある所。また、2014年の「東亜日報」の記事(→コチラ)によると、ソウル大にはこんなに追悼碑が多いのに、なんで数百人はいたはずの韓国戦争(朝鮮戦争)で戦死した学生たちの慰霊碑がないのか?という疑問とともに、2015年6月までにソウル大生の戦没者の記念施設が造られることになったと報じていますが、それはどうなったのかな?
あるいは、ある韓国のオジサン(?)の→コチラを見ると、上述の4.19革命記念塔の他にもソウル大学校博物館に行ったり、アラ、奎章閣内の展示品の写真も撮ってるでないの! 私ヌルボ、「中は撮影ダメだよ」とたしか言われたような・・・。いや、展示物とかがあったのかどうかさえ知りませなんだわ。
しかし、興味を憶えた所を見て回るだけでもゆうに丸一日かかりそうです。見落としたからこそ次の所に行けたと考えればいいかも・・・。
ここのソウル大のキャンパスはとても広いので、ただ歩くだけでも疲れます。また奥(南)に行くとだんだん登り坂になるし・・・。慶煕大の方が勾配はずっときつかったですけどねー。
広さの比較です。ソウル大 143万㎡ ということは・・・・・
東京大(本郷) 54万㎡ 都内ではこれより広い私学の( X ) 62万㎡
よりもはるかに広いのです。[問4] ( X )に入る大学名は? [答]→国際基督教大学
なお、ソウル大より広いのが筑波大(つくば) 260万㎡、北海道大(札幌)180万㎡などです。(実はもっと上があるのですが・・・。)
午後2時過ぎ。今度は1人なのでタクシーには乗らず(ヘヘヘのヘ)、マウルバスでソウル大を出て次の目的地に向かいました。またまたやたら広くて、疲れる所です。
→ 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録② 3日目=「あの」島と、仁寺洞の有名なマッコリ酒場
この旅行記録、まず全体を略述し、その後テーマごとの記事にまとめるつもりだったのが、すでにしてムリだと悟りました。略述の方が詳述より簡単なわけでは決してありません。何を書かないですませるかは、何を書くかと同じようにむずかしいということを実感しています。で、今回は1日分の記録も2回に分割することになってしまいました。
旅行前半の3月25~28日は仁寺洞の格安ホテルに連泊。出発の前日たまたま神戸大・木村幹教授のtwitterを見ていたら、この格安ホテルは木村教授の常宿とのことで、それも3月21~23日宿泊していたのですね。(→コチラ参照。) 3月22日のツイートでは「なんだかんだ言ってソウルは落ち着く。アメリカの高級ホテルはもちろん、坂東よりも落ち着くのは何故だろう。」「昨日(?)までは他人の金で優雅にシェラトンだったのだけど、実はソウルの行きつけの安ホテルの方が落ち着くかもしれない。基本的に貧乏性である。」・・・とつぶやきつつ、くつろいで豚足を召し上がったようです。木村先生のこれまで読んだ諸論考もさることながら、「ソウルの行きつけの安ホテルの方が落ち着く」云々は私ヌルボ深く共感を覚えるところです。
○3月28日(月) 朝~午後2時過ぎ
月曜なので休館の施設も多いことを勘案してこの日の行先を決定しました。ヌルボたち3人、この日も朝早く上記の格安ホテルを出て、地下鉄でソウル大入口駅へ。おりから通勤・通学の時間帯。途中の乗り換え駅・舎堂(サドン)駅等では連絡通路を走っている人が目につきました。急ぎ足などではなく、全力で走っているのです。(韓国人、パワフル!)
で、3人はとりあえずソウル大方面に向かうバス停を見下ろすカフェで軽く朝食。下左画像、緑色のバスはマウルバスです。この写真を撮ったのは、車体側面の映画の広告が目に入ったから。チョン・ドヨンとコンユ共演の「男と女」です。
上右のバスはタクシーから撮影。コチラはファン・ジョンミンとカン・ドンウォン出演の「検事外伝」の広告です。
これまで見た慶煕大や弘益大のような正門らしい門が見当たらないままいつの間にか大学の敷地内。後でわかったのが車でそのまま下をくぐった巨大なアーチ状の造形物。(上画像。) それが正門だったのですね。
さて、ここで・・・。[問1] この造形物は何を意味していますか? (ハングルがわかる人限定の問題です。)
[答]→ソウル国立大学校の子音ㅅ・ㄱ・ㄷを組み合わせた。 言われてみればそう見えますが、いかがなもんですかねー? うーむ・・・。
さて私ヌルボ、わざわざソウル大学校まで行って何をしたかというと、①食堂でカレーを食べた。②トイレに入った。
・・・いや、3人の中に実は歴史研究者のN氏がいて、彼が下左の施設で史料(マイクロフィルム)のプリントアウトをするというので、ヌルボとしてはこの機会にいろいろ見物してこようと思って同行させていただいたというわけです。
[答]→トキメキ☆成均館スキャンダル あ、これは奎章閣じゃなかったか。原作のチョン・ウングォルの小説は、「奎章閣閣臣たちの日々」という続編があって、ともに翻訳書が刊行されています。つまりは、彼らのその後の就職先ということ。
その朝鮮王朝時代の奎章閣が今はソウル大学校に受け継がれ、貴重な古文書等が所蔵・管理されているというわけです。
「マイクロフィルムリーダーの数が限られているので早めに行って確保する必要がある」というN氏の言葉にしたがって9時15分頃入館したら、数台(5台くらい?)並んだその器械の先客は1人だけ。その後N氏が操作に手間取っていたら、その学生Kくんがカタコトながらちゃんと意味のとれる日本語で助けてくれました。後で訊いてみると、東洋史、とくに中国の宋・明時代について勉強しているとのこと。私ヌルボが驚いたのは、Kくんの口から西嶋定生先生の名前が出てきたこと。何十年も前、冊封体制や、ベトナムは中国・日本・朝鮮と同じ東アジア世界云々についての深い知識と洞察に初めて接した時のことを思い出しました。往事茫茫、まさかこんな所で・・・。
昼食時になり奎章閣を出ました。N氏の丸一日はゆうにかかりそうな作業は館員の方にお任せして帰国の日に受け取ることにしたとのこと。
[答]→冠岳山(관악산.クァナクサン)
高さ629mとさほど高い山ではありませんが、奇岩なんかもたくさんあり、多くの市民に親しまれている山のひとつで、このキャンパスも登山コースの1つになっています。→コチラの韓国ブログの写真を参照されたし。
また、足下に目をやると「THE PATH OF DEMOCRACY」と記された表示が。これについては後述。
食事後、ソウル大学校を出てノーマルな観光&見学コースに向かうN氏・Y氏と別れて単独行動を選択した私ヌルボ。食堂を出てすぐ近くの池あたりを散策。
キャンパス内を歩いていると、記念碑のようなものがいくつか目に入ります。説明文を読むと、80年代の民主化闘争の過程で亡くなった学生がほとんどです。
実は私ヌルボ、帰国してからコレを見てアリャリャと思いました。というのは、奎章閣からわりと近い所に「4.19公園」があるではないですか! 四月学生革命記念塔がある所。また、2014年の「東亜日報」の記事(→コチラ)によると、ソウル大にはこんなに追悼碑が多いのに、なんで数百人はいたはずの韓国戦争(朝鮮戦争)で戦死した学生たちの慰霊碑がないのか?という疑問とともに、2015年6月までにソウル大生の戦没者の記念施設が造られることになったと報じていますが、それはどうなったのかな?
あるいは、ある韓国のオジサン(?)の→コチラを見ると、上述の4.19革命記念塔の他にもソウル大学校博物館に行ったり、アラ、奎章閣内の展示品の写真も撮ってるでないの! 私ヌルボ、「中は撮影ダメだよ」とたしか言われたような・・・。いや、展示物とかがあったのかどうかさえ知りませなんだわ。
しかし、興味を憶えた所を見て回るだけでもゆうに丸一日かかりそうです。見落としたからこそ次の所に行けたと考えればいいかも・・・。
ここのソウル大のキャンパスはとても広いので、ただ歩くだけでも疲れます。また奥(南)に行くとだんだん登り坂になるし・・・。慶煕大の方が勾配はずっときつかったですけどねー。
広さの比較です。ソウル大 143万㎡ ということは・・・・・
東京大(本郷) 54万㎡ 都内ではこれより広い私学の( X ) 62万㎡
よりもはるかに広いのです。[問4] ( X )に入る大学名は? [答]→国際基督教大学
なお、ソウル大より広いのが筑波大(つくば) 260万㎡、北海道大(札幌)180万㎡などです。(実はもっと上があるのですが・・・。)
午後2時過ぎ。今度は1人なのでタクシーには乗らず(ヘヘヘのヘ)、マウルバスでソウル大を出て次の目的地に向かいました。またまたやたら広くて、疲れる所です。
今でもあるのかどうか。
このブログでも時々取り上げられていますが、ソウルの街中で目にする造形物、オブジェには驚かされること多く、そのセンス、芸術性(?)は凡人にはなかなか・・・です。
ソウル大に行ったのは、特に目的があったわけではなく、大韓民国のエリートが育つ所を見てみたい、と思っただけ。
たしかに広い!ひと山丸ごとキャンパスでしたね。食堂そばの池には思わず「お、ソウル大の三四郎池!」
三四郎池は私も連想しましたね。ただ、久しく行ってないし、この紫霞淵も周囲を一周したわけでもないので実際どれほど似ているかはよくわかりませんが・・・。