ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録② 3日目=「あの」島と、仁寺洞の有名なマッコリ酒場

2016-04-08 14:41:54 | 韓国旅行の記録
 → 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録① 1~2日目=国立外交院、徳寿宮周辺等

 4月1日に帰国した後、体の節々の痛みがなかなか抜けず、食欲もわかないのを、旅行中の歩き疲れや(あまり好きとは言えない)韓国料理のためと思っていましたが、どうも風邪のようです。急に寒くなったのに2日は元町公園に花見に行ったり、夜は大船でも飲んだりしてたからなー。まあ薬を飲んで早寝することにしますか。明日も飲む約束があるしなー。(^_^;
 旅行の間韓国は暖かな晴天続きでしたが、帰る直前TVの天気予報で<꽃샘추위>(花冷え)が云々と言っていたので、韓国もその後寒くなったのでしょう、きっと。
 ・・・とここまで書いて翌日になっちゃいました。

○3月27日(日)

 この記事の見出し。今韓国関係で「あの」島などというと竹島(独島)を思い浮かべる人が多いかも・・・。しかし、そんな島に行けるわけはありません。ソウルから日帰りの旅だし・・・。朝8時30分、新村駅近く、CGV新村の前のバス停から3000番のバスに乗って約1時間20分。1度も下車することなく到着した目的地は・・・。
     
 上左の画像だけでわかる人はわかるはず。(←当たり前) 支石墓(コインドル)です。
 上右の画像は説明がないとまずわからないですよね。××王朝の時、朝鮮半島にモンゴルが襲来しますが、××は松都(ソンド.開城の古称)からこの地に王宮を遷して抗戦します。1270年の講和までその間39年。この画像は外奎章閣といい、1782年正祖が王室関連書籍を保管するためにこの地に設置した王立図書館です。[問1]この島の名は? 
 [答]→江華島
 [問2]××王朝とは何王朝?
 [答]→高麗
 時代は下って19世紀半ば過ぎ。日本では幕末~明治維新期、この島はまた外国との衝突事件の主舞台になりました。
   
 島の南部の東側の海に面した広城堡(カンソンボ)と、草芝鎮(チョジジン)です。
1866年にフランス軍を撃退した丙寅(へいいん)洋擾、1871年アメリカ艦隊が襲撃し砲撃戦となった辛未(シンミ)洋擾の主戦場です。また1875年「ある国」の軍艦が接近した時も、この草芝鎮から砲撃が加えられました。[問3]「ある国」とはどこの国?
 [答]→日本
 なお、これらの戦跡は1976年に復元・修復されたものとか。昔のままというのは草芝鎮の樹齢約400年という松の大木です。

 ヌルボたち3人組は、北朝鮮を臨む島の最北端の江華平和展望台から上記のような島の南部まで効率よく回るため江華バスターミナルで貸切タクシーを頼みました。1時間2万ウォンですが、いい選択でした。しかし島の西方、渡し船に乗らなければ行けない普門寺は断念。昼食時間を切りつめるためコンビニでおにぎりを買って車内で食べる等したのですが、くまなく回ってグルメも楽しむとするとここで1泊しないとムリですね。
 さて、少なくとも日本人観光客はまず行かないのでは、という所が下画像。貸切タクシーだから行けたというわけです。
       
 高麗時代の文人政治家李奎報(イ・ギュボ)の墓。右の肖像画は、私ヌルホが以前訪問した彼の子孫の方のお宅で見せていただいた驪州(ヨジュ)李氏の族譜に載っていたものです。
 その族譜の表紙と、最初のページ。
       
 第4代目に李奎報の名があります。ちなみに、その子孫の方(1961年生まれ)は29代目です。<族譜>で画像検索するとわかるように、近年ではこのような<現代風>の形式のものが一般化しているようですが、このような横書きはまだ少数派かもしれません。

 江華バスターミナルに午後5時頃帰着。タクシーの代金は1人あたり4万5千ウォンだったかな?

 暗くなって仁寺洞にある格安ホテルに帰着。1人で近辺を散策したりアラディン中古書店に入ったりした後、午後8時半頃3人で近くにあるちょっと有名なマッコリ酒場に行ってきました。“名前のない店”で看板もありませんが、ふつう瓦斯燈(와사등.ワサドゥン)と呼んでいます。
     
 上左画像のように、洗面器にいっぱいのマッコリと焼いたホッケが出てきます。ハルモニが1人で立ち働いていて、右画像のようなでかい容器からジャボッとマッコリを汲んでいます。 ※愛読している犬鍋さんのブログ記事(→コチラ)にこの酒場のことがいろいろ記されています。ただ「ホッケのようですが,イミョンスという魚」とあるので、ホッケとばかり思っていた私ヌルボ、「임연수어」という言葉を辞典で引いてみると、「ホッケ」と出ていました。むしろそれがふつうみたいです。ただ、この店のメニューでは이갈비(イカルビ)となっています。
 2年前に初めて行った時は大勢の客がいましたが、今回は他に1グループだけ。ハルモニと少し話すと、店ができたのが1962年とのこと。→コチラや→コチラは2009年の記事(韓国語)ですが、この店や、ピマッコルの再開発で移転したヨルチャチプ(열차집)のこと等いろいろ書かれています。
    
 壁には数十年前からのラクガキが一杯! 日本語のものもあります。
     
 私ヌルボ、前回は2次会の上夜だったので店の場所がうろ覚えでどの路地を入るのかよくわからず。そんな時便利なのが<DAUM地図>。「와사등 인사동(瓦斯燈 仁寺洞)」で検索し、ロードビューを操作すると、上左のような画像が現れました。まさにココ! この金網の所の入口から入るのです。夜は右のようになるのですが、上述のように看板もないので知ってる人と一緒じゃないとまずわからないですね。仁寺洞通りの南側入り口からすぐの동양한지(東洋韓国紙)と올리브영(OLIVE YOUNG)の間の路地を道なりに少し歩けばたどりつけます。
 ※わりと詳しい日本語記事は→コチラ
 ※DAUM地図のロードビューについては→コチラの過去記事参照。なお、パソコンの画面は[Fn]+[F11]で丸ごとコピーできます。それを一旦Word(またはペイント)に貼り付けてから(JPEGで)「画像として保存」し、officeで開いてトリミングすると、
さも自分が現地で撮ったかのような画像になります。

 旅行中行った所が多いので、とりあえず略述するつもりで江華平和展望台や伝燈寺のことは省きましたが、それでもまだ長いようですね。(笑)

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