キム・オンス(金彦洙.김언수)「設計者」(クオン.新しい韓国の文学06)を読了。
これは読んでよかった、得をしたという本でしたね。
クオンの<新しい韓国の文学>シリーズの既刊作品中では上右の写真のように一番分厚く約550ページ。
それでも一気読みできたのは、シリーズ中異色の(一応)ハードボイルドで、展開もスピーディだから。1ページが14行の上、会話の部分が多いということもあります。
また、<K-文学.com>の記事(→コチラ)によると、この作品は最初ウェブ小説として連載されたそうですが、そのことも文体や筋の運びの軽やかさに関係しているかもしれません。
何の予備知識もなくこの本を手にすると、この分厚さとともに、「設計者」というタイトルに抵抗感を感じるのが自然な反応でしょう。(※原題は「설계자들(設計者たち)」と複数になっています。)
内容に即して、もう少し具体的な書名をつけるなら「暗殺の設計者たち」くらいなんでしょうが、そうすると「設計者」という言葉と、この物語に込められた寓意が見過ごされてしまうという判断があったからでしょうか?
主人公はレセンという名の32歳の暗殺者です。女子修道院前のゴミ箱から発見され、修道院の付属孤児院で4歳まで育てられ、その後狸おやじの養子として成長しました。狸おやじは1920年開館の図書館の館長。
学校に行かなかったレセンにとって、図書館は学校でもあり遊び場でもありました。
ところが、「犬の図書館」という名のこの図書館は、実は数十年もの間権力に寄生しながらその陰で韓国現代史上の主要な暗殺の本拠としての役割を果たしてきた所でした。
狸おやじはそのボスで、レセンは彼から暗殺者としての技術や知識を教え込まれて育ったのです。
レセンは、暗殺を政治的信念等とは関係なく、仕事としてやっています。送られてくる文書の指示通りに・・・。その文書を作成するのが「設計者」なのですが、それが誰なのかはよく分かりません。
そして「設計者」の上には暗殺の依頼主がいるのです。
つまり、順序立てて書くと次の通り。
①権力と富を持った依頼主が暗殺を設計者に依頼する。
②設計者はトラッカー(追跡者)の調査を基に暗殺を「デザイン」する。
③設計者から送られてくる文書にはターゲットの写真、住所、体重等、行動パターン、趣味、関係者等の情報が記されている。殺人方法や死体の処理方法まで書かれている。暗殺者はこの支持に忠実にコトを実行する。
私ヌルボ、このような設定を、このような物語を成り立たせるための仮構と受けとめて読み進んでいったら、100ページ辺りで次のようなことが書かれているのにはちょっと驚きました。
皮肉にも、独裁と軍事政権の時代が終わって、暗殺業は爆発的に成長した。軍事政権時代、暗殺業は・・・・秘密工作みたいなものだった。・・・・軍人のほとんどは、設計者に関心がなかった。彼らの目の上のこぶみたいな人々は、家族の目の前でジープで連れ去られ、南山の地下室に閉じ込められて、半身不随になるまでぶん殴られて帰されても何の抵抗もできない、そんな無知な時代だった。彼らに高級設計者は要らなかったのだ。暗殺業の膨張が加速したのは、政府を道徳的に飾りたてたいという、新しい権力の登場だった。おそらく彼らは「みなさん、ご安心ください。我々は軍人ではありません」というフレーズを額につければ、国民を騙せると考えたようだ。しかし、どんなに取り繕ったところで、権力の属性は本質的には同じだ。・・・・この新たな権力が直面した問題は、・・・・南山の地下室を利用できないことだった。そこで彼らは・・・・殺し屋事務所と取引を始めた。いわば、暗殺のアウトソーシング時代が到来したのだ。
はたして、韓国の読者たちはこういう設定になんらかのリアリティを感じながら読んでいるのだろうか? たとえば、殺し屋事務所は「大統領選挙の時期は忙しい」とかのくだり等。
そして今の状況はというと・・・。
・・・・国家が企業をアウトソーシングする方法を企業が真似しはじめ、暗殺事業は爆発的に成長した。企業は国家よりも依頼の量が多かった。
(今ふと思い出した韓国映画「ある会社員」も、表向きは金属製造会社だが、実は殺人請負会社という会社の話だったな。)
・・・ということで、新しいタイプの殺し屋事務所の台頭が目立つというわけです。旧タイプの狸おやじの「図書館」に対し、新タイプの代表のハンザという男が構える事務所は江南のL生命ビルの7~9階にあり、表向きは警備会社、保安会社、情報提供会社等として登録されています。
ここでも次のような「説明」が書き添えられています。
窮地に立たされたワクチンの製造会社が、結局作らなくてはならないのは、最高のワクチンではなく最悪のウイルスであるように、保安会社や警備会社の繁栄のために必要なのは、卓越した保安のスペシャリストではなく、最悪のテロリストだ。
少なくとも、世間の不安感の高まりが警備会社の発展を促したというのは事実ではある・・・。
このような設定のハードボイルドなので、当然銃やナイフによる殺し合いの場面がいくつもあります。
しかし、「死ねっ!」とか「やりやがったな!」などと罵りあったりはしません。それどころか、双方がなかなか含蓄に富んだ話を交わしたりするのです。
たとえば、
「紅茶には帝国主義の息づかいが染みついている。だからこれほど甘美な味がするのさ。何かが甘美であるためには、すさまじい殺戮がその中に隠されていないとだめなんだ」
とか、
レセンの友人のトラッカーが気づかれずに標的を尾行する秘訣を語る場面。
「平凡であることだよ。人々は平凡なことは記憶に留めないんだ。・・・・考えてみれば、平凡になるのは、特別になることと同じぐらい難しいんだよ。・・・・そもそも平均的な人生というものが存在しないからだよ。・・・・そんな平凡な生き方には、愛も、憎悪も、裏切りも、傷も、そして思い出も存在しない。無味乾燥で無色無臭だ。けれども、俺はそういう人生に惹かれる。重すぎるのは耐えられない。・・・・」
←おいおい、これがエンタメか?とツッコミを入れたくなります。最初の方で「(一応)ハードボイルド」と(一応)を入れたのは、随所に純文学風味が感じられるからです。
あるいは、レセンに指を2本切り落とされちゃった相手が後日チュッパンイワシのギフトセットを持ってやってきたりもします。(なんという人間関係だ!?)
※チュッパンイワシ・・・韓国語では죽방멸치。죽방(チュッパン.竹防)という竹製の道具で捕られた南海の特産品の高級な멸치(ミョルチ.イワシ)。この大がかりな道具については、過去記事(→コチラ)の画像参照。
主人公レセンが修道院の前のゴミ箱で拾われたというくだりを読んでなんとなく村上龍の「コインロッカー・ベイビーズ」を連想しましたが、文体はむしろ村上春樹に通じるところがあると思います。
たとえば次のような、軽い、ちょっと洒落たユーモア。
トイレの便器に仕掛けられた小さな爆弾を発見したレセンに、爆弾を調べたプジュの雑貨屋との会話です。
「とにかく今回は運よく生き残ったな」
信管を分離した爆弾をレセンに渡しながら雑貨屋が言った。
「便秘だったんですよ」
信管を分離した爆弾をレセンに渡しながら雑貨屋が言った。
「便秘だったんですよ」
あるいは、白い風呂敷に包まれた遺骨箱を見て、司書の女性が訊ねる場面。
「あれは何ですか? 日本の和菓子ですか?」
さて、物語は、半分以上過ぎてからミトという若い女性の造反設計者(?)が登場して新たな展開になっていくのですが、ラストはちょっといかがなものかと・・・。映画化するとしたらきっとラストは変えるでしょう。
ということで映画化関係。この小説の映画化を希望しますという韓国ブログがいくつか見ました。詳しく感想が書かれている→コチラの日本のブログでも「映画化間違いなし、当たるだろうな」とあります。
ところが、実際に映画化が決まっていたようなんですね。(2010年の時点では。)
→コチラの2010年の記事(韓国語)はイ・オンスとの作家ミーティングの報告なのですが、その中で、映画化されることが決まったが、レセン役を誰が引き受けたらいいのかという質問に作家は「パク•ヘイル」と答えた。
・・・と書かれてました。
パク・ヘイルとはいかにも、ですね。あの「殺人の追憶」の何を考えているのかわからない容疑者役が思い出されます。
→コチラのブログ記事の仮想キャスティングではウォンビンにしてましたが。
しかし、もう何年も経っているのに、その後映画の話はどうなっているのかよくわかりません。
この小説の難点は、(村上春樹同様)生活感とか、街の臭いや喧噪といったものがあまり感じられないこと。市場の真ん中のスンデクッパの店でコプチャンポックムと焼酎を飲み食いする場面もあるんだけどなー。
まあ、それもまた「現代の韓国らしさ」を表しているともいえるのでしょうが・・・。
「現代の韓国らしさ」は、登場人物の名前についてもいえるかもしれません。
「レセン」はふつうは見ない名前です。発音も、ラ行で始まる名前はふつうありません。漢字語「来生」です。「ミト」と「ミサ」の姉妹の名も見慣れない名前です。漢字だと「美土」と「美砂」、かどうかはわかりませんが、あるブログでは「土砂に美を付けるとは・・・」という点に注目していました。
名前といえば、レセンが飼っている2匹の猫の名が書見台とコンパス。(うーむ、現代的やねー。) この猫たちはその後猫カフェに預けられるのです。韓国でも近ごろ猫カフェができているのですね。この小説の猫カフェの女主人は、以前結婚していたとき、アパートで増えつづける猫に耐えかねた夫が「猫か自分かどちらかを選べ」と彼女に突きつけたため離婚した、という女性。(これまた現代的やねー。)
・・・というわけで、ストーリーのおもしろさもさることながら、韓国社会のモロモロについてもいろいろ知ることができた小説でした。
ついでに個人的な備忘録といった感じで本書で知ったいろんな言葉について列挙しておきます。
●プジュ(푸주.庖厨)・・・本来は豚や牛などを屠殺する場所。この小説では裏社会。
●大韓ニュース・・・1994年まで政治目的のため映画館で流されていた国家政策の3分間のニュース。以後はテレビ放送のKTV韓国政策放送に切り替えられた。
●銀鈴姉妹(은방울자매)・・・1950年代にデビューした、現在のK-POPガールズグループの元祖的存在。ハングルで画像検索・動画検索するといろいろヒットします。
●「興宣とカエルが跳ぶ方向は誰も知らない」・・・興宣(大院君)の内心は誰も読めない、という意味。(どれくらい一般的な言葉か疑問。)
●強力系刑事(강력계 형사)・・・殺人・強盗・レイプ・拉致・放火・麻薬などの凶悪犯罪を扱う刑事。
●マットンサン・・・かりんとうに似た味のロングセラーのお菓子。
●コンビニ店員ミトによるお菓子の話「・・・・スニッカーズがアメリカ的な味なら、ホットブレイクが国の味なんですよ。歯にくっついたりもしないし。それにコストパフォーマンスからしても、優れたチョコバーです。スニッカーズの半分の値段なんでよ。もちろん十年前の価格を維持するために、だんだん小さくなっきてはいるんですけど。悲しい現実ですね。・・・・」 (これは実際に食べ比べてみなければ・・・。)
[余談]最初著者の名前を見て、「もしかしてキム・ヨンス(金衍洙.김연수)?」と思いました。
2009年「散歩する者たちの5つの楽しみ(산책하는 이들의 다섯 가지 즐거움)」で李箱文学賞を受賞した純文学作家です。
カタカナ書きでも十分紛らわしいですが、ハングルだと언と연というわずかな違い。ある韓国ブログに「キム・ヨンスの新刊かと思って買ってしまいました」という記事があったのはやっぱりね、です。
以前キム・ヨンハの「光の帝国」を読んだ時にも、文章に関しては「これじゃ出来の悪い村上春樹じゃないか」と思って読む気が失せましたが(ちなみに私は村上春樹は結構好きです)、現代韓国文学の村上病はやはり深刻なようですね。そこを突破しないと、なかなか日本では受け入れられないような気がしますけれども(正直私も読む気が全く起きません)。
純文学では、記事の最後に書いたキム・ヨンスの小説を読んだ時にも「村上臭」を感じました。
これが今の韓国文学の「常態」とすると、それが必然的なものなのか、あるいはそれ以外のスタイルがあり得るのかもわからくなってしまいます。
韓国ならではのオリジナリティをぜひとも追求してほしいものですね。
クオンの「新しい韓国の文学」は旧来ながらの韓国文学紹介とは一線を画すという意味であえて軽め&若手の作品を選んでいるのだとは思いますけれども、いまひとつインパクトに欠ける(大して斬新ではない)作品が多いような気がしますね。