先月22日に韓国の代表的女性作家・朴婉緒(パク・ワンソ)さんが亡くなってからもう2週間経ちました。
昨年も散文集「行ったことない道が美しい(못 가본 길이 더 아름답다)」がベストセラーの上位に入ったりしていて、80歳近いのに現役作家として活躍していると思っていたのに、結局この本が最後の著作となってしまいました。その直前に出版された童話のタイトルも「この世に生まれて本当によかった(이 세상에 태어나길 참 잘했다)」で、ちょっと暗示的です。
<教保文庫>や<YES24>のサイトでも朴婉緒さんの哀悼ページを設けています。
【教保文庫の朴婉緒さん追悼ページ】
新聞各紙も訃報に続きさまざまな関連記事を載せました。たとえば「朝鮮日報」連載の<萬物相>、翌23日に「朴婉緒の残したもの」という心のこもった追悼文を載せています。(→日本語) ※エンタメコリアに契約していない人、すみません。
朴婉緒さんが「裸木」を書いて「女性東亜」の女性長編小説公募展に当選し、文壇に登場 (韓国語では登壇(등단))したのは1970年。その縁もあって、「東亜日報」では当時のことを記事にしています。(→日本語機械翻訳)
その文壇デビューの時彼女は39歳。5人の子育てにやっと手がかからなくなったから、とのことです。
また「東亜日報」の動画サイトには、彼女が昨年8月教保文庫でサイン会の際に話をしている動画がありました。とてもいい表情で、いい話をしています。これは韓国文学を愛する多くの方に、ぜひぜひ見てみてほしいと思います。
私ヌルボが、彼女の小説を初めて読んだのは3年前。「新女性を生きよ-日本の植民地と朝鮮戦争を生きた二代の女の物語-」(梨の木舎.1999年)という書名になっている翻訳書です。原題は「그 많던 싱아는 누가 다 먹었을까(あのたくさんあったスイバは誰がみんな食べたのか)」。
【装丁も書名も、大いに疑問あり。ですが、お奨め本です!】
全然小説本らしくない装丁で、それも「教科書に書かれなかった戦争・らいぶ」というシリーズ中の1冊なので、書店の棚を見てもに歴史・社会関係の本と思ってしまいます。
朴婉緒という名前だけは知っていたので、なんとなく買って読んだら一気に引き込まれました。1931年現在は北朝鮮内になっている開城の近郊で生まれ、戦前・戦中から朝鮮戦争まで、困難な時代状況の中で過ごした自らの少女時代を(おそらくそのまま)描いた自伝的小説です。詳しい内容は、以前から韓国の童話をいくつも翻訳・紹介しているオリニネット・仲村修さんの記事を参照してください。
この頃、「韓国の作家がなぜノーベル賞を取れないのか?」との問題に対して、外国への翻訳の少なさとともに、「作家が自身のことを書いたような作品が中心で、文学的想像力&創造力に欠ける」という見方があります。もしかしたら、韓国文壇の「巨木」とされる彼女もそうかもしれません。
しかし、彼女がこれだけ多くの人々に愛読されてきたのは、おそらく同じように時代の波を生き抜いてきた韓国の多くの人にとって<語り部>のような役割を果たし、共感を得てきたからではないでしょうか? (一昨年申京淑の「離れ部屋」を読んだ時にもそんな印象をもったのですが・・・。)
ただ、日本でも70年代以降社会が大きく変貌していく中で、両村上のような作品が主流になりました。たぶん韓国でもそんな変化が進行中であると思われます。戦前から現在までの歴史を体現していたベテラン作家朴婉緒さんの死去は、そんな文学史的な観点からも、ひとつの区切りになるかもしれません。
昨年も散文集「行ったことない道が美しい(못 가본 길이 더 아름답다)」がベストセラーの上位に入ったりしていて、80歳近いのに現役作家として活躍していると思っていたのに、結局この本が最後の著作となってしまいました。その直前に出版された童話のタイトルも「この世に生まれて本当によかった(이 세상에 태어나길 참 잘했다)」で、ちょっと暗示的です。
<教保文庫>や<YES24>のサイトでも朴婉緒さんの哀悼ページを設けています。
【教保文庫の朴婉緒さん追悼ページ】
新聞各紙も訃報に続きさまざまな関連記事を載せました。たとえば「朝鮮日報」連載の<萬物相>、翌23日に「朴婉緒の残したもの」という心のこもった追悼文を載せています。(→日本語) ※エンタメコリアに契約していない人、すみません。
朴婉緒さんが「裸木」を書いて「女性東亜」の女性長編小説公募展に当選し、文壇に登場 (韓国語では登壇(등단))したのは1970年。その縁もあって、「東亜日報」では当時のことを記事にしています。(→日本語機械翻訳)
その文壇デビューの時彼女は39歳。5人の子育てにやっと手がかからなくなったから、とのことです。
また「東亜日報」の動画サイトには、彼女が昨年8月教保文庫でサイン会の際に話をしている動画がありました。とてもいい表情で、いい話をしています。これは韓国文学を愛する多くの方に、ぜひぜひ見てみてほしいと思います。
私ヌルボが、彼女の小説を初めて読んだのは3年前。「新女性を生きよ-日本の植民地と朝鮮戦争を生きた二代の女の物語-」(梨の木舎.1999年)という書名になっている翻訳書です。原題は「그 많던 싱아는 누가 다 먹었을까(あのたくさんあったスイバは誰がみんな食べたのか)」。
【装丁も書名も、大いに疑問あり。ですが、お奨め本です!】
全然小説本らしくない装丁で、それも「教科書に書かれなかった戦争・らいぶ」というシリーズ中の1冊なので、書店の棚を見てもに歴史・社会関係の本と思ってしまいます。
朴婉緒という名前だけは知っていたので、なんとなく買って読んだら一気に引き込まれました。1931年現在は北朝鮮内になっている開城の近郊で生まれ、戦前・戦中から朝鮮戦争まで、困難な時代状況の中で過ごした自らの少女時代を(おそらくそのまま)描いた自伝的小説です。詳しい内容は、以前から韓国の童話をいくつも翻訳・紹介しているオリニネット・仲村修さんの記事を参照してください。
この頃、「韓国の作家がなぜノーベル賞を取れないのか?」との問題に対して、外国への翻訳の少なさとともに、「作家が自身のことを書いたような作品が中心で、文学的想像力&創造力に欠ける」という見方があります。もしかしたら、韓国文壇の「巨木」とされる彼女もそうかもしれません。
しかし、彼女がこれだけ多くの人々に愛読されてきたのは、おそらく同じように時代の波を生き抜いてきた韓国の多くの人にとって<語り部>のような役割を果たし、共感を得てきたからではないでしょうか? (一昨年申京淑の「離れ部屋」を読んだ時にもそんな印象をもったのですが・・・。)
ただ、日本でも70年代以降社会が大きく変貌していく中で、両村上のような作品が主流になりました。たぶん韓国でもそんな変化が進行中であると思われます。戦前から現在までの歴史を体現していたベテラン作家朴婉緒さんの死去は、そんな文学史的な観点からも、ひとつの区切りになるかもしれません。