グルメッチー☆TAKENAKA MUSIC PLANNING

☆アコースティックギターを愛し、Paul Simon、吉田拓郎などのカバー演奏を中心にライブ活動を継続中☆

湘南電車各駅停車の旅4

2006年03月26日 | Travel Journey Trip Tour

次は、昭和の大宰相、吉田茂邸のある街、【大磯駅】です★
元首相が亡くなられた時、東京では政府主催の国葬が盛大に営まれたのですが、ここ大磯でも街を挙げて葬儀をされたと聞きます★
町民の方々は元首相を誇りに思っていたのでしょうね★
車窓の風景はこの辺りからぐっとローカルな雰囲気になります★
右には目の前に迫る山、左は相模灘に続く林、車内に入り込む風はとても新鮮です★山の中腹には、みかん畑が連なり、トーンのある濃い緑色の葉が生えます★
そうそう、湘南電車のツートンカラーもこの色からきてるんだっけ★

しばらく、心地よい風を浴びれば、次の停車駅【二宮駅】です★
駅の北側に退避線が3線ほどあり、その向こうには、広いグランドと二宮小学校の木造2階建て校舎が見えます★
校門には二宮金次郎の石像もありますが、ひょっとしたら、小学校に必ず建立されている石像のルーツはここ、二宮小学校かもしれない★

・・・なんてことはないでしょうね(笑)★


次は、【国府津】です★『こうづ』と読みます★
御殿場線の始発駅です★
1889(明治22)年に東海道本線が開通した時は、御殿場線ルート(沼津まで)が東海道本線でした★
以前は、電化もされていなかったので、この駅で牽引する電気機関車から蒸気機関車に交換をしていたんです★
車窓からは、アーチ型の蒸気機関車専用のヤードが見えます★
御殿場線は、電化路線ではありませんでしたので、【茅ヶ崎駅】で出会ったような、ディーゼル車輌が乗客を乗せて出発を待っています★

御殿場線は富士山の麓を通るため勾配が急で、蒸気機関車が重連(2両連結)で貨車を引っ張る姿をよく見ましたが、マニアの間ではその姿がたまらなく格好いいと聞きます★
現在、その姿はもう見られないので、尚更そう思うのでしょうね★

次は、【鴨宮駅】です★この駅の近くを東海道新幹線が通っていますが、実はこの付近、東海道新幹線発祥の地なんです★
戦前からあった、『弾丸列車計画(東京から大阪、広島、小倉、海を渡って満州まで)』が、そのまま現在の新幹線に引き継がれ、この区間でテストの繰り返しをして、1964(昭和39)年10月1日にデビューしましたが、当時のスピード記録256kmもここで作られました★

酒勾川鉄橋を渡り、【小田原駅】に到着です★



湘南電車各駅停車の旅3

2006年03月25日 | Travel Journey Trip Tour

横須賀線停車駅の【保土ヶ谷駅】、【戸塚駅】を通過、カーブが続く区画を過ぎると間もなく【大船駅】です★
右には大船観音の優しい眼差しが見えます★
『怪獣ガメラ』『大魔神』などが造られた、松竹撮影所もここにありました★『男はつらいよ』も有名ですが、当時は怪獣映画が全盛で、さすがの寅さんも怪獣映画に押されてたんですよ★
同じ線路を走っている、横須賀線ともここでお別れです★

次は【藤沢駅】★
江ノ島方面の玄関口、藤沢駅では小田急江ノ島線と鎌倉方面に出る、江ノ電の始発駅です★
江ノ島と言えば、その昔、ゴルフ場があったのはご存知でしょうか★9ホールのかなりテクニカルなコースだったとか・・・★

江ノ島は夕日がとても綺麗なんですよね★
デートには持ってこいの場所です★
話が少し脱線してしまいました★
電車に脱線は禁物です★


次の【辻堂駅】では目の前に、大工場が連なってました★
小学校の社会科見学で、工場の一つの松下電池工場を訪れた事があります★見学の記念に、三角定規のお土産を貰いましたが、なぜか今でも家にあるんですよ★
現在は都市計画のために更地になっていますが・・・★

続いて【茅ヶ崎駅】では、ディーゼルエンジンを積んだ、相模線の車輌が赤と肌色のツートンカラーで出迎えます★
元々、相模線は並行して流れる相模川上流の砂利を運搬する目的で作られた線なのです★沿線には歴史のある『寒川神社』が有名ですね★

電車は相模川を渡ります★すぐ傍には、国道1号線の橋梁★
この区間は箱根駅伝のコースにもなっていたので、毎年1月2日~3日になると沿道に大勢の人垣が溢れ、タイミングがよければ電車に乗ったまま選手の勇姿を見ることができました★

鉄橋を渡りきると、【平塚駅】に到着です★
この街は七夕祭りで有名ですね★

湘南電車はここで後ろの4両が切り離されます★
その頃の基本的な車輌編成(下り)は、先頭に郵便と小荷物を運ぶためのクモユニ(電車の種別を表した記号です)が連結されていて、その後から1号車、2号車という順番です★1等車(今のグリーン車)は4~5号車でした★
平塚までは15号車+1両ですから、合計16両の大編成でした★東海道新幹線も当時は12両編成でしたので、それを上回る壮大なものです★

ここから先の駅は、その大編成をカバーできるホームの長さが無かったため、4両切り離しされてました★ここでは切り離し作業のため、停車時間が5分ほどかかります★

のんびりしたいい時代でした★


湘南電車各駅停車の旅2

2006年03月24日 | Travel Journey Trip Tour

【東京駅】を出て、右の車窓には、東京中央郵便局、続いて東京都庁が見えてきます(現在は東京フォーラム)★並行して走る山手線、京浜東北線の【有楽町駅】を通過、そごう有楽町店、帝国ホテルを右に見ると次の停車駅新橋はもうすぐです★
2分間の停車の後、電車は再び動き出します★
左には【汐留貨物駅】、右には東京タワーが見えます★
高さ333メートル、昭和33年12月に完成、この年の3月には背番号3の長嶋が巨人に入団しました★なにか『3』という数字に縁のある年だったのではないでしょうか★
この区間から見える東京タワーは、視点の関係から電車と一緒に走っているように見えるんです★まるで、追い掛けっこをしてるようです★
周りに高い建物が無いので、愛宕の山向こうに建つタワーは、足の辺りまで見えて、とても雄大です(当時、東京中の4階建て以上のの建物から東京タワーは見えたものです)★

【浜松町駅】を通過し、国鉄田町電車区及び機関区の基地を過ぎると【品川駅】に到着です★

当時の【品川駅】の敷地は大変大きかったのですが、港南口(海側の改札口)は、とても寂しいローカル駅のようでした★乗降客もあまり多くなく、京浜急行線からの乗換客が目立つ程度でした★今の発展が嘘のようですね★

その後、山手線とも別れ直線の続く区間になります★京浜東北線の【大井町駅】から【大森駅】の手前まで一直線です★
実はその昔、東海道線も大森にホームがあって、普通電車は停車してたんですよ★明治9年6月に完成、昭和の大戦で空襲に遭うまで使われていました★
そのホームの名残りを通過すると、緩い左カーブになり、車窓からは平和島方面が一望です★そこからは、多摩川鉄橋まで長い直線★スピードが増します★窓から入る心地よい風が私の気分を爽快にしてくれます★《気持ちいいな~》
鉄橋の下では電車に向かって手を降る親子、笑顔でこちらを見ています★

各駅停車に乗って、最初に駅弁売りが来るのは、次の停車駅【川崎駅】です★
今では信じられないでしょうが、結構種類が豊富だったんですよ★
幕ノ内弁当の美味しかった事や、地元、川崎大師ゆかりの、くず餅が入った弁当はとても珍しかったのを覚えています★今はありませんが、、、、★

次は【横浜駅】です★
この駅では昔も今も、崎陽軒のシュウマイ弁当が一番人気で、すぐ売切れ★
横浜中華街にある「順海閣」という店が発祥と言われる、冷えても美味しい、帆立て貝エキスがたっぷり入った、小さめのシュウマイです★
つけだれを入れた容器がとても洒落ていて、中には容器を集める事を趣味にしている人もいるようですね(年代毎に形が違うらしいんです)★
【東京駅】を出て、最初の特急停車駅だけあって駅の賑やかさは大変なものです★
駅舎はその東京駅丸の内口のようにレンガ造りになっていて、時代の重々しさを語っています★
もしかすると、レンガが似合うのは横浜の方かもしれません★

電車はまた走り出します★

湘南電車各駅停車の旅1

2006年03月23日 | Travel Journey Trip Tour

先日、このような新聞記事を見掛けました★

《【東京駅から姿消す湘南色 東海道線、半世紀の歴史】
 オレンジと緑のツートンカラーが特徴の「113系」電車が今春、発祥の地である東京駅から姿を消す。国鉄時代の1950年に車体塗装の先駆けとして東海道線に登場して以来、半世紀以上にわたり沿線風景に溶け込んだ「湘南カラー」は3月半ば以降、すべてステンレス製車両に代わる。
 この塗り分けは、中長距離では初の電車として東京-沼津間で運行を始めた「80系」電車で採用されたのが始まり。地味な茶色が当たり前だった当時、目にも鮮やかな配色は国民の戦後復興に向けた期待にもつながり、話題を呼んだ。
 色の由来についてJR関係者は「警戒色のオレンジとその補色の緑と聞いている」と話すが、ファンの間では車窓の風景から「ミカンと葉の色」と言われてきた。》

あの、懐かしい湘南電車が消えてしまった~★
山手線、中央線、総武線、京浜東北線など首都圏の電車がまだチョコレート色だった時に、いち早く湘南カラー塗装されていたのに・・・★
車内は禁煙ではなく、対面4人掛けのボックス席には窓の下に小さいテーブルが付いており、その下にはカチャンと閉まる灰皿があったっけ★

そんな、懐かしい思い出を浮かべながら、東海道線各駅停車の旅をしてみます★

《時代は1960年代》

【東京駅】言わずと知れた、日本の鉄道の起点★
ホームの番線も、丸の内口から1、2番線、ここは中央線専用のホームです(ちなみに、駅の番線の決め方は、駅長室に近い方から1番線、2番線と数えていくんですよ)★
オレンジ色の車体は東京駅のレンガ色と相俟って、華やかさを感じます★
行き先表示は「東京競馬場前」、土曜日曜日の中央競馬開催に会わせて直通運転されてました★
この駅は現在は既にありません★廃駅になってます★
またその当時、駅名の長さ日本一でも有名でしたね★

3~6番線はご存知の京浜東北線、山手線の上下線です★

そして、7番線からは東海道緩行線のホームです★
111系の緑とオレンジのツートンカラーの電車に乗り、さあ出発!(もちろんエアコンはナシ)★窓は全開です★

エスカレーターの追い抜き

2006年03月22日 | Small talk(世間話)

エスカレーターは、駅などの公共施設、デパートで見掛けますので、誰もが知ってる便利な物ですよね★

ところで、そのエスカレーターは上りも下りも、皆さん一列に乗ってます★これは、急いでいる人のために隣を空けてというところなんでしょう★

横を一列空けるという風習(あえて風習と言います)は、いつ頃、何処から始まったのでしょうか★
昔、エスカレーターに乗っていた頃は、横を空けるなんて事はまず無かったのですが、、、★

私も自分なりに調べてみたんですが、諸説、色々とある中で、一番信憑性があるのは、大阪の阪急梅田駅のエスカレーターらしいですね★
それも「お急ぎの方のために【左側】をあけてください」と注意書があるようですよ★

始まりは、大坂なんですね、、、★
流石に、文化の発信基地大阪ですよ★
確か、電車の自動改札やカプセルホテル、ノーパン喫茶に至るまで大阪発でしたよね★
ところで、あるエスカレーターメーカーの技術者が実験データを元にこんな事を言っています★
『ここに100人の人間が2グループいるとします。一つのグループは全員駆け上がらず、そのまま乗るという設定。もう一つのグループは、片側はそのまま乗り、空いた横を歩いて上がるという設定とします。100人を全員上まで上げる時間はどちらが早いと思いますか』★

私は今、皆さんが普段されてるような、横を空ける方が早いと思いました★

ところが、実際はそのまま乗る方が時間的に早いそうです★

毎日、どこかの駅などで見掛ける光景も、実は不経済な事をしてるんですね~★
今、地下鉄永田町の下りエスカレーターに乗ってますが、横を通っていく人の腕や肘、バッグなどが勢いよく当たっていきます★バランスが悪いと、転落事故に繋がる恐れがありますよね★

エスカレーターでそのまま乗っている人も、歩く人も、事故には注意して下さいね★