今日はまる一日、中北先生からの仕事依頼
移動時間が多いので大変でした。
これからは、内容をちゃんと伺って、ちょっと検討しなくてはと思いました。
朝から谷先生・スタッフのYさんと一緒に枚方市の香里園まで〈大阪の南の端から北の端です)
列席者9名の着付に伺いました。
新婦のご自宅にヘアメイクさん3名と着付けスタッフ3名、準備の人1人で
振袖3名、留袖6名の着付です。
10時45から1時まで約2時間で仕上げました。
谷先生はお直しの為にそのまま皆さんと一緒にバスで行かれました。
お忙しいのに、ほんとにお気を使って頂いて、ありがとうございました。
寿の形の昆布を使ったお茶が。美味しかったです。
バスを見送って、私とスタッフのYさんは、ランチをしてから
京阪ユニバーサルホテルでの3時半の列席者の着付と
5時からの披露宴の新郎新婦の着付に入る予定でした。
ところがです。アクシデント発生!
某ホテルに中北先生と嶋岡先生がブライダルの着付に入っていたのですが
式の進行状態が遅れ、
そのホテルから京阪ユニバーサルホテルに行く予定だった
中北先生と嶋岡先生に影響が出たそうです。
そして、次のお客様の到着時間が遅れる言う事態も重なり
2時15分から4時15分まで2時間で振袖1名・留袖6名の着付が入っていたので
スタッフのYさんを連れて急行しました。谷先生も急行
無事に時間内に終わり。ほっと一息・・・
5時40分からはブライダルの着付です。
ウエディングから赤の打掛姿に変身です。
新婦は谷先生と私、新郎は嶋岡先生にお願いして13分で出来上がったそうです。
戻って来られた新婦は、今度はピンク地に黒のドレスに着替えられダウンヘアーに
これまた大変身でしたわ。
人生で一番幸せなひと時ですね。本当におめでとうございます。
お幸せに~
ユニバーサルスタジオの夜景がとても綺麗でしたわ。
お昼を食べる間もなく、頑張ったので帰りに3人でピザを食べて帰りました。
明日は、朝一でお宮参りの着付が3名入っていて
その後、京都の園遊会に行く予定でした。
主人が留守で、いけると思って楽しみにしていたのですが
ちょっと疲れたので、とっても残念ですが園遊会は来年行くことにしますね。
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悦実親子がお風呂に入りにやってきました。
今週初めから熱があって、調子が悪かった太志も
プレゼントした、ハローウィンのクッキーを喜んで食べたそうです。
そして、パパが丹精込めて作ったサツマイモも美味しそうに食べています。
我が家にも新米と金時芋をもらいました。
そして豊中の母の所にも・・・
きっと喜びますわ。
今週初めの火曜日に、親しくしていた剣道部の後輩が虚血性心筋梗塞で亡くなりました。
友引でお通夜が伸びたのも、きっと家族のそばにいたかったからでしょうか。
私も自宅でゆっくりお別れができ、
昨日はお通夜のお手伝い、今日は告別式のお手伝いができました。
高校時代は、「鬼のマネージャー」と呼ばれ恐れられていたのに・・・
どういう訳か、卒業してからは飲みに行ったり、結婚式や自宅に来てくれたりと
彼女たちの同期たちと親しく交際していました。
特に彼女とは、同じ堺市問う事もあり、又、お嬢さんと娘が同級生という事もあり
お嬢さんの成人式や卒業式、ご子息の結婚式のお手伝い
そして年に一度はおせち料理を我が家にとりに来ていました。
堺市立小学校の教員で1年生の担任でした。
どちらかというと昔風の先生で、ちょっと怖い感じですが、
心はとっても温かでした。
先週まで元気に子供たちを教えていたのに子供たちもびっくりしたと思います。
お通夜の時に来ていた子供たちのメッセージは、「早く元気になって戻ってきてください」など
涙を誘うものでした。
昨年の夏ご主人がくも膜下出血で倒れ、その後現在も入院しながらリハビリ―
来年、定年退職後は、ご主人との療養生活を考えていた矢先なのに・・・
あまりにも突然の訃報の知らせに本当にびっくりしました。
ご家族は、本人の意思で家族葬と言われていたのですが
お別れを言いたい人があまりにも沢山いたので、
あつかましく、御香典を頂いて、普通葬にして欲しいってお願いしてしまいました。
でも、お通夜の席で、本葬にして良かったとご遺族の皆さんから喜んで頂きました。
通夜には教え子たちをはじめ300人以上の方が来られました。
告別式では、クラス代表の2人のお子さんがお別れの言葉を伝えていました。
遠足に一緒に行きたかったと声をつまらせ、クラスのみんなで収穫したサツマイモを御棺に入れていました。
見送りの時も、女の子はずっと泣いていました。きっといい先生だったのでしょうね。
お別れでは何時も4人一緒だった同期のTさんが泣き崩れ、先輩たちも心配していました。
何でも自分で決めてしまうお母さんだったと息子さんが言っておられました。
自宅を売って、息子さんお側にマンションを購入する予定だったとも・・・
可愛いお孫さんができ、私と同期のご主人の還暦祝いを2週間位前にすませ
これからって時だったのにと思うと切なくなりました。
最後のお別れに息子さんが口移しで大好きだったお酒を飲ませていましたが
こんなに早くなくなるのだったら、もっと飲ませて上げたかったと思ったのでしょうね。
ご主人が倒れてからは、子供さんたちがお母さんのことを心配して
本人もお酒をやめていましたからね。
本人の家族葬で良いというのは、まだずっと先のことだったと思います。
まだ、59歳では早すぎる死でした。
私もエンディングノートを買っておいていますが
あまり早くから、「家族葬が良い」と言ってしまうのは、
どうなのかしらって、思い始めました。
天国でぶつぶつ文句を言っているかもしれませんが、本心はみんなが来てくれて喜んでいると思います。
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