萌えた愛と燃えた不正アクセス
デンマンさん。。。、これってGOOGLEで検索した結果ですよね。この赤い枠で囲んだトップの“即興の詩”はめれんげさんのサイトでしょう?
そうですよ。めれんげさんの“即興の詩”サイトが“即興の詩”と入れて検索するとトップに表示されるのですよ。すごいですよ。
11200件のうちのトップですわね。。。
そうですよ。レンゲさんもGOOGLEを良く使いますか?
あたしはYAHOOを使うことが多いですわ。。。
レンゲさんも“即興の詩”を覗いてみることがありますか?
あたしも時々見に行きますわ。
レンゲさんは、めれんげさんの親友だからやっぱり不正アクセスが気になるんでしょう?
そうですわ。あたしと同様、めれんげさんも不正アクセスでは悩みっぱなしですわ。
即興の詩
恋の短歌と即興詩。
そして、ちょっとセクシー?な画像。
どうぞ、お楽しみください♪
I wish you enjoy my love poems
and little bit sexy photographs!
SOS!めれんげですー!
たすけてーーーー!!
スパムコメントの嵐がとまらないーーーーー!!
パソコンも危篤状態ですう
不正アクセスされちゃってますーーーー
んもおーーーー!
某氏さま。いいかげんにしてくださいよう
(あなたの個人情報は明かしません)
どーして攻撃してくるんですかーーーー??
てなわけで、更新できなくって
みなさまごめんなさい!
復帰したいよおーーーー!!
from めれんげ@困ってます
2007.02.05 Monday 17:21
『即興の詩』より
確かに、めれんげさんは不正アクセスされて困っているんですよね。もし、これを読んでいるあなたも同じような犯罪行為を受けていたら、断固とした態度で情報犯罪捜査官に訴えてくださいね。
どうするのが一番良いのですか?
次の記事を読んでください。
■ 『生活の安全と不正アクセス (2007年5月31日)』
とにかくね、不正アクセスされたらできるだけ早くハイテクポリスに相談することですよ。めれんげさんやレンゲさんのように、いつまでもほおって置くと、挙句の果てに自分のサイトを捨てなければならなくなってしまいますよ。
めれんげさんは“即興の詩”のサイトを捨ててしまったのでしょうか?
覗いてみたら6月7日の短歌が最後のエントリーになってますよ。
いいですわねぇ~
レンゲさんも、こういう恋の短歌がいいのですか?
なんとなく夏が近づいてくる季節感が感じられていいですわぁ~。うっとおしい梅雨の低調感を吹き払ってくれるような。。。
なるほど。。。そのように感じ取っている訳ですかぁ~
デンマンさんは、どのように解釈なさっているのですか?
僕はやっぱり、もう少し萌え萌えに解釈しますよ。
萌え萌えですかぁ~?
そうですよ。
どのように。。。?
だから、僕はレンゲさんが坂田さんに抱かれることを想像してしまいますねぇ~。うへへへへ。。。
デンマンさん。。。これって、あたしの短歌ではありませんわ。めれんげさんの短歌ですわ。どうして坂田さんが出てこなければならないのですか?
やだなあああぁ~ レンゲさんは次のように書いていたじゃないですかぁ~!
性愛への渇望 2007-04-28 08:17 わたしの創作についても、そのことは言えるのです。 自分の書いたものは、どのようにも解釈していただくことも、まったく読者のみなさまの自由です。 しかしながら、完全なる戯作が多い恋愛詩から、わたしの精神が、性愛への渇望に悩まされているかのように、解釈されてしまい、それを事実として認識なさっておられるのだとすれば、少々残念なことです。 わたしのテーマは、あくまでも人生観,世界観であり、寓意的な言葉の中に、恋愛の陰喩はほとんどありません。 それは少女時代から今にいたるまで、性愛はわたしのテーマではないからなのです。 実生活での最大の関心事が、恋愛ではないからです。 例えば、どれほど好きな相手がいても、その気持ちを,詩にあらわすことはほとんどないのです。 人間とは、脳の発達しすぎた生物にすぎず、そのために生じる感情を、美しいものだとは思わないのです。 わたしが特に、追求したいものは、血なまぐさい生命の持つ、発達しすぎた頭脳が引き起こす醜い事件、戦争、葛藤などなのです。 わたしはロマンチストではないのだと思います。 恋愛を描くのは、あくまでも小説のための習作の延長なのです。 話がそれてしまって申し訳ありません。 デンマンさんを信じて、これからもおつきあいさせていただきたいことを、わかっていただきたくて、忌憚なく書かせていただきました。 どうか、この気持ちを察してください。 by レンゲ 『性愛と真心』より |
でも、上の手記はあたしが書いたものですわ。めれんげさんの短歌とは関係ありませんわぁ~。
確かにそうですよ。しかし、詩とか短歌は結局読む人の感性と読む人の人生経験によって解釈するものですよ。たとえ、作者の立場になって理解しようとしても、作者になり切る事なんて土台無理ですよ。だから同じ作品を読んでも、小学生の時に読むのと中学生の時に読むのとは全く理解の仕方が違ってくるものですよね。
でも、できるだけ作者の気持ちを汲み取るようにして理解すべきだと思いますわ。
例え、そのように理解しようとしても、やはり限界があるのモノですよ。レンゲさんだって、次のように書いていましたよ。
セックスとは、
愛を基盤とした自由なもの
2007-04-13 13:53
江戸川乱歩全集に関してですが、
とにかく横尾氏のイラストが、
エロチックだったのです。
幼いころから、女性の肉体の美しさに
強烈に魅了されていたわたしは、
偉大な画家たちの描く裸婦や、
女性のヌード写真を見て
「わたしも早くこんな風にキレイになりたいなあ!」
と、成熟へのあこがれを強く感じていました。
乱歩の作品自体については、
「エログロナンセンス」の時代特有の、
妖しげな表現に魅せられました。
「人間椅子」での、愛する女性のソファに、
自ら入り込み、悦楽にひたる男の異常な愛などは、
「家畜人ヤプー」に通じるものがあり、
それはむしろ、純粋なものすら感じました。
そういえば…
乱歩の時代のことが知りたくて、
おばあちゃんに
(今は亡き愛するおばあちゃんです!)
「見世物小屋行ったことある?」
「衛生博覧会って、どんなんやった?」
などと、聞きまくっていたものです
「チャタレイ夫人の恋人」ですが…
ぶっちゃけエロい箇所の拾い読み、
というのが事実です!
だってねえ…あの小説の大半は、
ロレンスの思想の
展開だと思いませんか?
小学生のわたしに、そんなものを理解できるような
知性も理解力もなかったっす…
で、大人になってから読み返したのですが、
森の番人の野卑でありながらも、
深い洞察力に満ちた性格に、
恋愛感情にも似た気持ちを感じました。
おまけに、セックスは上手ですしね(キャー!)
女性が自らの性欲を恥じる必要など
ないということを、
わたしは少女時代に、
あの小説によって知ったのかもしれませんね。
フロイトも、ヒステリーの原因は、
性的欲求不満であると、言ってましたよね?
セックスとは、
愛を基盤とした自由なものであるべきだと、
わたしはずーっと信じてます!
by レンゲ
『不変の愛』より
このようにレンゲさんは書いていたのですよ。つまり、小学生の時には「チャタレイ夫人の恋人」を読んでも、内容など良く分からずに、ぶっちゃけエロい箇所の拾い読みだけだったのですよねぇ。でも、大人になってからレンゲさんは読み返したのですよ。すると、それまで良く分からなかった事までが分かってくる。セックスが上手なので感動してキャー!となるわけですよ。。。うへへへへ。。。
デンマンさん。。。んもお~~。。。あたしはマジですねん。
僕だって決してふざけている訳ではないのですよ。つまり、何が言いたいかと言うと、結局、詩も短歌も、あるいは小説でさえも、読む人の感性や人生経験を超越して理解することなど出来ないと言うことですよ。
だから。。。?
だから、僕はレンゲさんが上の手記で書いた事が尤(もっと)もだと思えたわけですよ。要するに、読者の理解力に任せる以外に無いのですよ。