女はつらいわ
「好」とは母と子のスキンシップ
こんにちは。ジューンです。
お元気ですか?
子育てって、大変ですよね。
もちろん私はまだ独身ですわ。
この絵はデンマンさんがコラージュした絵です。
私の顔写真を貼り付けたのですわ。
まだ子育ての経験はありませんけれど、
自分が育てられた頃のことを思い出すと、
さぞかし母親は私を育てるのに手を焼いたと思うのですわ。
ところで、私は今、古代中国の孔子について興味があるので
歴史の本を読んで勉強しているのです。
たまたまタイム・ライフのイラストがたくさん書いてある歴史の本を読んでいたら次の面白い説明に出くわしました。
孔子に学問を授けようと決心して、母親は幼な子を村の先生に頼んで個人指導してもらいました。
学問をするとは、まず文字が書けて読めるようにならねばなりません。でも、何千という漢字を覚えるのは大変な事です。
多くの漢字は表意文字です。つまり、抽象的な概念を表すシンボルを詩的な知恵や創意で組み合わせて作った文字です。
例えば、「平和」あるいは「安らぎ」を意味する漢字は屋根の下に女が居る2つのシンボルから成り立っています。
いっぽう、「良いこと」、「好き」、「優しい気持ち」、「親愛の情」を表す漢字は女が子供を抱っこしている2つのシンボルから成り立っています。
このような漢字を習い、筆で竹簡に書くことで、生徒は学問を学んで文化を吸収してゆくのです。
私がこの部分を読んで感じたことは、「安」も「好」も女が重要な位置を占めているのですよね。
「男」の代わりにあえて「女」を使っています。
「安」の屋根の下に男が入ると次のようになります。
なんとなく様になりませんよね。
これだと屋根の下に“パンツにコカイン”君だとか“ウンコマン”君が入っているようで
とても安らかな気持ちにはなれませんよね。
うふふふふ。。。
また、「好」も同様に子供の隣が男だと次のようになります。
これも、パンツにコカイン君が子供と並んでいるようで、好ましいようには見えませんよね。
これなどは、とてもキモいですわぁ~。
うふふふふ。。。
見慣れているからだと思いますが、「安」も「好」も女性が入っていて初めて意味があるように思えます。
でも、なぜ女性でなければならないのでしょうか?
ここでちょっと脇道にそれますが、女性と妊娠とオツムの関係をお話します。
女性は妊娠すると、妊娠前に比べて五感が鋭くなることがわかっています。
たとえば嗅覚です。
妊娠すると嗅覚が鋭くなり、妊娠以前は気にもならなかったような些細な臭いの違いにも敏感になります。
なぜこのような変化が起こるのでしょうか?
なぜなら、胎児に悪影響をおよぼす危険性のある食物を嗅ぎ分けて避けるためです。
ちなみに食べ物に対する鋭い嗅覚は、出産後にはなくなってしまうのだと言われています。
もし、あなたが出産を経験しているならば、うなづけるかもしれません。
また、ほとんどの母親が自分の赤ちゃんの声を聞き分けることができたり、泣き声に即座に反応したりすることができます。
つまり、母親になると聴覚も敏感になると言われています。
同様に、子どもを危険にさらさないよう周囲への注意力が高まるという意味から、
妊娠している女性は妊娠していない女性に比べて格段に視覚能力が高まることも分かっています。
さらに、女性は出産を経るとホルモンの影響によってストレスや恐怖心に対する耐性が高まり、精神的な強さを身につけることができます。
つまり、女性は母親になることで、鋭い感性とストレスや恐怖に対する強さを身につけ、繊細かつ寛容な“子育てママ脳”を手に入れるようになるのです。
一方の男性も、女性ほどの歴然とした変化はないものの、
子育てを経験することによって脳の状態が変わっていくことがわかっています。
妻の妊娠中、多くの時間をそのそばで過ごした男性は、
妻の出産を経ると男性ホルモンの「テストステロン」の分泌量が通常の3分の1程度に減少するのだそうです。
これによって男性ならではの競争心や攻撃性が抑えられ、
脳内は心優しく落ち着いた“子育てパパ脳”に生まれ変わるのです。
この状態は、父親が子どもと長く触れ合えば触れ合うほど続いていくと言われています。
でも、やっぱり母親ほどの劇的な変化ではないのですよね。
つまり、こうして考えてくれば、どうして「安」と「好」の字の中は女でなければならないのか?
あなたにも、なんとなくお分かりいただけると思います。
要するに、この女とは、妊娠し子供を産み、子育てを始めた母親のことですよね。
女性は母親になることで、鋭い感性とストレスや恐怖に対する強さを身につけ、
繊細かつ寛容な“子育てママ”になるのです。
子供はそういう母の元で“安心”してすくすくと成長する。
母は子供に対して“良好”な愛情を注いで育てると言う訳です。
どうでしょうか?
あなたが納得のゆくような説明になっているでしょうか?
あなたも「安」と「好」の漢字をもう一度じっくりと考えてみたらいかがでしょうか?
『子育てと漢字の中の女 2007-08-02』より
レンゲさんはお母さんと最近会っていますか?
デンマンさんは、あたしと母が絶交状態なのをご存知でしょう?分かっているのにそのような嫌味な質問をするのですか?
レンゲさんは心の優しい素直な女性だと僕は思っているのですよ。
今度はあたしを持ち上げるのですか?
やだなあああぁ~。。。僕は嫌味な気持ちでも、皮肉を込めて言っているわけでもありませんよ。素直に思っていることを言っているだけですよ。
でも、ジューンさんの長い記事を引用して、あたしと母の間にはスキンシップが欠如していた事をかなりしつこく追求しようとしていますわ。
僕は一般論としてスキンシップが大切だ、と言うことをジューンさんの記事を読んで考え直しているのですよ。
でも、デンマンさんはその記事をこうしてあたしに見せつけようとしていますわ。
それは誤解ですよ。僕はおとといの記事の補足のつもりでジューンさんの記事を引用したまでですよ。覚えていますか?ニュースレターの中でも母親と子供のスキンシップの大切さを次のように言っていたのですよ。
スキンケアは心のケアになる
皮膚と心の関係は、赤ちゃんの成長においても見て取ることができます。
さまざまな研究から、母親とのスキンシップが不足した新生児は成長が遅くなることがわかっているほか、ストレスに対する抵抗力が弱くなる傾向があるともいわれています。
人間が成長し、たくましく生き抜くためには、肌の触れ合いが必要不可欠になっているわけなのです。
ちなみに、私たち人間に近いサルにおいても、仲間同士で毛づくろいをする「グルーミング」を行うと、毛づくろいをされたほうのサルの体内に、快楽を感じさせるホルモンである「βエンドルフィン」という物質が多く分泌されるのだとか。
皮膚がダメージを受けたり、肌の触れ合いが足りなかったりすると、心にはストレスがたまりがちになります。
スキンケアで肌をいたわり、家族や親しい人とより多くスキンシップを図ることは、自分自身の心のケアとして大切なことなのですね。
SOURCE: SSIニュースレター
『不倫とおばさんパンツ (2007年9月8日)』より
つまり、あたしと母の間にはスキンシップが欠如していたので、あたしが境界性人格障害になったという事をデンマンさんはそれとなく言おうとしているのですわ。
それはレンゲさんの考えすぎですよ。すでに言ったように、僕は一般論としてスキンシップの大切さを取り上げているだけですよ。
それはデンマンさんの言い訳ですわ。一般論ならば、いつあたしが母に会ったのですか?なんて質問をしないはずですわ。
でも、引用した文章の中に“母親”が出てきますからね、どうしてもレンゲさんのお母さんの事を思い出してしまいますよ。
それで、デンマンさんは何がおっしゃりたいのですか?
もちろんスキンシップが大切だという事を改めて言いたいのだけれど、僕はレンゲさんが溜息まじりに言った“女はつらいわ”という言葉が妙に気になったのですよ。
あたし、そのような事をつぶやきましたぁ~?
やだなあああぁ~。。。また忘れてしまったのですか?おととい、そうつぶやいてウェブカムを切ってしまったのですよ。
そうでしたぁ~?
レンゲさんは本当に覚えていないのですか?
デンマンさんはあたしが書いた詩をお読みになったのですか?
あたしの気持ちをちっとも理解なさっていないのですわねぇ~。
寅さんじゃありませんけれど、あたしは言いたいですわぁ。
女はつらいわぁ~
こう言ってウェブカムを切ってしまったんですよ。僕はまだ話すことが残っていたんですよ。
それで。。。?
レンゲさんが書いた詩って、どのことだろうか? 僕はもちろんレンゲさんが書いたものならば何でも読みますよ。だから、当然の事だけれど、レンゲさんが書いた詩も読んでいますよ。でも、詳しい事は何も言わずにレンゲさんはウェブカムを切って行ってしまった。
デンマンさんはあたしの詩を読んでくださったようですわ。でも、あたしの詩はデンマンさんの心に残っていなかったのですわ。
僕はレンゲさんが書いた詩をすべて大切に保存していますよ。もちろん何度も読んでいるのですよ。でもね、上のように言われてウェブカムを切られてしまった。真っ暗な画面をぼんやりと見つめながら、“女はつらいわ”と言うような詩があったかなあぁ~。。。僕は真っ暗な画面を見ながら、しばらく考えていましたよ。
それで、思い当たったのですか?
もちろんですよ。いくつかの詩が思い浮かびましたよ。でもね、レンゲさんが言おうとした詩は間違いなく次の詩ですよ。
心から愛を込めて
2007-08-24
異邦の空に咲く
大輪の火の花
こんなにあなたを想ってるのに
待ちきれないこの気持ちを
あなたは分かってくれるだろうか
焦がれる心が痛い・・・
でも、わたしには何もできない
わたしの言葉も
わたしのしぐさも
ありのままでいいと
あなたは教えてくれた
夜は日毎に長く
眠れない時間の
思いは過去をまさぐるだけ
幸せであるはずなのに
かわかない涙
しあわせと呼べる時間は
今どこをさまよっているの
終わることなく愛されている
そう思いたい。
でも、思えない。
すべての記憶
あなたの笑顔
あのよろこび
あの感動の涙
楽しくてしあわせだった
晩香坡の日々
ずっとあなたに愛されている
それはけっして終わりなど来ない
そう思いたい
でも、思えない。
ああ、この熱い思い
このやるせない気持ち
あなたに分かってほしい
by レンゲ
『心から愛を込めて』より
どうですか、レンゲさん。。。この詩の事を言おうとしたんでしょう?
ええ。。。分かりましたかぁ?
もちろんですよ。。。レンゲさんの溜息交じりの言葉が妙に気になって。。。考えないようにしようとしても、どうしても気になって。。。それで、僕はいくつかの詩を読み返したのですよ。
あたしの気持ちが少しは分かっていただけたのでしょうか?
そうですよ。僕は何度もレンゲさんの詩を読んで考えさせられましたよ。なぜ、それほどつらいのか?
それで。。。?
いろいろ考えた挙句、結局たどり着いたのは。。。
何でしたの。。。?
だから、このページの冒頭に書いたでしょう?
スキンシップですか?
そうですよ。
つまり。。。つまり。。。やっぱり、スキンシップは一般論ではなくて、あたしに当てつけた引用だったのですわね?
違いますよゥ。確かにレンゲさんに直接かかわった問題なんですよ。でもね、ジューンさんの記事をもう一度読んでみてくださいよ。“好”と言う字ができたのはおそらく5000年以上も昔でしょう?すでにその当時から、母親と子供のスキンシップは大切だ、と言う事が“肌身で”分かっていたんですよ。そう思いませんか?。。。そう言う訳で母親が子供を愛(いつく)しみながら抱きしめている形が「好」と言う字になったのですよ。
僕もこうして母親に抱かれてオッパイを吸った記憶がおぼろながら記憶に残っていますよ。乳首の感触まで覚えている程ですよ。
そんな小さな頃の記憶なんて残っていないはずですわ。
そうかもしれません。でもねぇ、実際に記憶に残っているか、いないかが問題じゃない。僕にとって母親は、このようにして愛情を注いでくれた優しい母親なんですよ。だから、その記憶が未だに残っている。その記憶は後になって作られたのかもしれませんよ。重要な事は、そのようなイメージを作り出す母親の愛情を僕は感じていた、と言うことですよ。
あたしには、それが無いとおっしゃるのですわね?
そうですよ。レンゲさんはおばあちゃんには愛されたと思っているけれど、お母さんには愛された事が無いと思い込んでいますよ。
わたしの胸には、愛情はない。
だって教わってないから。
2005-08-13
わたしは生まれた時から、
必要な愛情をあたえられなかった。
両親ともに、
こんなめんどくさい生き物の
ニーズなんて考えもしない。
わたしはいつも見捨てられてきた。
わたしの胸には、愛情はない。
だって教わってないから。
わたしは、親を憎んでいました。
今は“血のつながった
やっかいな他人”だと思っています。
これからどうなるか分かりませんが、
今の私には親との和解は無理です。
ウチの親を客観的に見れば、
社会性が欠如していたんです。
ふたりともボンボンとお嬢だから世間知らずだし。
で、わたし親から最後の一撃食らわされて、
自分は将来利用するために育てられてきたことがわかっちゃって。
親はわたしに向かって確かにそう言ったのです。
それで、わたしは親から離れたのです。
by レンゲ
『デンマンさんが私のことをグロリア・スタイナムに似ていると』より
だから、このような手記になってしまう。でも愛情を全く知らなかった、と言う訳じゃないのですよ。おばあちゃんには十分に愛されていた。レンゲさんもおばあちゃんを愛していた。
つまり、あたしは愛情を教わらなかったと思い込んでいるとデンマンさんはおっしゃるのですか?
そうですよ。そればかりじゃないですよ。お母さんに愛されていなかった、と思い込んでもいる。
でも、実際にあたしは母に愛されていなかったのです。
でもね、レンゲさんが書いた上の詩をもう一度読んでくださいよ。“思い込み”と言う点ですぐ上の手記と共通するものがありますよ。