中年は荒野を目指す
2月10日に卒業を発表したJuice=Juiceのエース、ハロプロの至宝、宮本佳林(ミヤモトカリン)。発表から3日たってなんとなく落ち着いてきたね。今日の佳林のブログは、2012年年末の舞台シュガーッスポットのころと、2013年3月のコピンク駿府公園ライブの思い出写真。ふりかえる佳林。感傷的になるのは卒業が近づいている証拠だね。
網膜色素変性症の私デスペア。ほぼ全盲な視覚障害者。2012年の段階ではメガほとんど見えなくなっていてその時からもう佳林の表情もパフォーマンスも見れてないのね。でも私の頭の中ではゆうれい佳林もお姫様佳林もくっきりと頭の中に描けるから不思議。
この2つの日に私もガイドヘルパーさんの手引きを受けて参加した。2012年12月1日は佳林の14歳の誕生日。まだデビューできるかどうかわからない研修生の時代。研修生だけど、どうしてもサイリウム生誕祭をやりたくて、ちょうど大阪シアターブラバで舞台シュガースポットの千秋楽。よし、舞台だけどサイリウム企画やらなきゃ。舞台でのサイリウム生誕祭は無謀で、ハロプロ発。しかもファンが勝手にやる企画。
1000本のピンクのサイリウムをキャリーカートに2つ入れて運んだ記憶。なつかしいな。2ちゃんではそんなことするなとかなりたたかれたけど、最終的には演出家の塩田さんも賛同してくれて、うまい具合に田辺奈菜美にカーテンコールで佳林をよびよせていた。その時の私のブログに詳しく書いてあるのでぜひ見てね。
2012年12月1日 宮本佳林14歳生誕祭ピンクサイリウム企画はこちら
2013年3月2日は、佳林がJuice=Juiceに選ばれて1か月後、初めておこなわれるひなフェスでJuice=Juiceとして初ステージ。6人のJuice=Juiceが私が言う前に抱きしめなきゃねを初披露。それが午後で、午前は、静岡駿府公園で佳林だけのソロライブ。コピンクライブ。このときもいてもたってもいられなくて大阪から、今度はサイリウムではなく、昼間だったので横断幕を勝手につくって持っていく。そして現地のヘルパーさんに手伝ってもらって、公園客席の一番うしろでかかげる。私の眼には佳林はもう見えなかったけど、ティアラの紫色のドレス佳林はなぜか頭にうかぶね。その時はじめて顔出しをした天才高校生作詞家児玉雨子。なつかしいね。その当時の私のブログもぜひ読んでみてね。
2013年3月2日コピンクラストライブ宮本佳林ソロライブはこちら
そこの2つは佳林のデビューするタイミングのとっても大切なイベント。それに参加できた自分はほんと幸運だったな。それもこれも視覚障害者dめの外出を支援してくれる同行援護ガイドヘルプサービスのおかげ。ありがたい。
そして、いよいよJuice=Juice佳林のフィナーレ卒業が近づいている。現時点ではまだ卒業コンサートが発表されていなくて、Juice=Juiceの最後の活動はなぜかロシアウラジオストクツアー。いまだに何をやるのかわからない。ただ夕食をメンバーと一緒にたべれる。(正確にはメンバーが食べているところを見れる)だけ。
6月5日から8日までの4日間のロシアツアー。定員は160名とわずか。国内のJuice=Juiceファンクラブバスツアーhは約500人なので。3分の1ぐらいだね。
まぁそりゃそうだだって、ロシアだもん。その申し込みはファンクラブで申し込みが締め切られて、さらに一般申し込みも現在受け付けている。ファンクラブだけではうまらなかったのかな?
ただ、よくよく調べてみると、ロシアはロシアでも2時間30分ほどの飛行機でいける極東ロシア。沖縄にいくのとそれほと距離的には違いはないらしい。
よし、佳林最後ののツアーなので、中年の私も行ってみようかな。
ということで、ビックホリデーというハロプロ御用達の旅行会社が主催なので、そこに昨日問い合わせメールをしてみる。
きっとだめだろうな。数年前、JTBのパックツアーに視覚障害者の私ひとり申し込みにい窓口にいったら、やんわり断られた。後日、大阪府の権利擁護グループに相談をして、数週間後、やっとJTBから旅行を手配できますとの返答があた。現地観光のときは専属のガイドをおつけします。1日2蔓延ぐらいだったかな。
それでも、日本からガイドヘルパーさんをつれていくよりは断然やすい。
結局、そのツアーにはいかなかった私。
その経験があって、おそらくビックホリデーもなんやかんやで断ってくるだろうな。
と思っていた私にビッグホリデーからメールが届いた。
なんとかしますので、まずは申し込んでください。JALと全日空とS7の飛行機のうちすでにJALで行くツアーはすでに売り切れで、のこり2つものこりわずかです。
そのメールを夕方うけとって、家に帰って、さっそくウェブ申し込み。
まずはアイフォンのサファリで孟子子ももうとするも、最後の申込者登録のときにすべて必要項目いれたのに、未記入箇所がありますとえらーメッセージがでてそこから先すすめない。
だめだとおもい、今度はパソコンのネットリーダという資格しょぐ愛車専用のネットブラウザ。こちらは、申込者情報入力前のツアー申込確認画面にいかず、そこで行き止まり。
どうしよう、メールでビッグホリデーにお願いしようか。でも今日の夜、売りkれるかもな。
最後の、インターネットエクスプローラーという一般的なブラウザで申し込んでみた私。
なんと、IEでちゃんとクレジット支払いまでいけた。これで予約完了。
6月5日金曜日から8日月曜日までの4日間。2人相部屋Aクラスホテルでもろもろ手数料こみで140020円。これは成田からの出発便なので、私は大阪から成田までいく交通費もかかる。
さて、このあとは現地ガイドの手配ををビッグホリデーがみつけてくれるかだね。できればウラジオストクの日本語学校があればそこの学生参加、ウラジオストクの視覚障害者を支援しているガイドヘルパーさんお願いできたらいいな。
ロシア極東といえば、強制労働のイメージ。抑留者の強制労働。なんかちょっとこわいけど、私みたいな視覚障害者に強制労働は無理なのできっと解放してくれるはず。たとえロシアの荒野にひとりのこされたとしても、ひとりで生きられそうってそれってねえほめているのを永遠に口ずさみなら生きていこう。歌の力を信じて、宮本佳林の歌の力を信じて。
ps
シュガースポットのピンクサイリウム生誕祭企画の原資は、たまたま当選したナンバーズ。たしか50蔓延ぐらい当選した。s今回もなんかトロト7とか当選しそうな予感。そうなればピロシキ山のように食べてやる。
2月10日に卒業を発表したJuice=Juiceのエース、ハロプロの至宝、宮本佳林(ミヤモトカリン)。発表から3日たってなんとなく落ち着いてきたね。今日の佳林のブログは、2012年年末の舞台シュガーッスポットのころと、2013年3月のコピンク駿府公園ライブの思い出写真。ふりかえる佳林。感傷的になるのは卒業が近づいている証拠だね。
網膜色素変性症の私デスペア。ほぼ全盲な視覚障害者。2012年の段階ではメガほとんど見えなくなっていてその時からもう佳林の表情もパフォーマンスも見れてないのね。でも私の頭の中ではゆうれい佳林もお姫様佳林もくっきりと頭の中に描けるから不思議。
この2つの日に私もガイドヘルパーさんの手引きを受けて参加した。2012年12月1日は佳林の14歳の誕生日。まだデビューできるかどうかわからない研修生の時代。研修生だけど、どうしてもサイリウム生誕祭をやりたくて、ちょうど大阪シアターブラバで舞台シュガースポットの千秋楽。よし、舞台だけどサイリウム企画やらなきゃ。舞台でのサイリウム生誕祭は無謀で、ハロプロ発。しかもファンが勝手にやる企画。
1000本のピンクのサイリウムをキャリーカートに2つ入れて運んだ記憶。なつかしいな。2ちゃんではそんなことするなとかなりたたかれたけど、最終的には演出家の塩田さんも賛同してくれて、うまい具合に田辺奈菜美にカーテンコールで佳林をよびよせていた。その時の私のブログに詳しく書いてあるのでぜひ見てね。
2012年12月1日 宮本佳林14歳生誕祭ピンクサイリウム企画はこちら
2013年3月2日は、佳林がJuice=Juiceに選ばれて1か月後、初めておこなわれるひなフェスでJuice=Juiceとして初ステージ。6人のJuice=Juiceが私が言う前に抱きしめなきゃねを初披露。それが午後で、午前は、静岡駿府公園で佳林だけのソロライブ。コピンクライブ。このときもいてもたってもいられなくて大阪から、今度はサイリウムではなく、昼間だったので横断幕を勝手につくって持っていく。そして現地のヘルパーさんに手伝ってもらって、公園客席の一番うしろでかかげる。私の眼には佳林はもう見えなかったけど、ティアラの紫色のドレス佳林はなぜか頭にうかぶね。その時はじめて顔出しをした天才高校生作詞家児玉雨子。なつかしいね。その当時の私のブログもぜひ読んでみてね。
2013年3月2日コピンクラストライブ宮本佳林ソロライブはこちら
そこの2つは佳林のデビューするタイミングのとっても大切なイベント。それに参加できた自分はほんと幸運だったな。それもこれも視覚障害者dめの外出を支援してくれる同行援護ガイドヘルプサービスのおかげ。ありがたい。
そして、いよいよJuice=Juice佳林のフィナーレ卒業が近づいている。現時点ではまだ卒業コンサートが発表されていなくて、Juice=Juiceの最後の活動はなぜかロシアウラジオストクツアー。いまだに何をやるのかわからない。ただ夕食をメンバーと一緒にたべれる。(正確にはメンバーが食べているところを見れる)だけ。
6月5日から8日までの4日間のロシアツアー。定員は160名とわずか。国内のJuice=Juiceファンクラブバスツアーhは約500人なので。3分の1ぐらいだね。
まぁそりゃそうだだって、ロシアだもん。その申し込みはファンクラブで申し込みが締め切られて、さらに一般申し込みも現在受け付けている。ファンクラブだけではうまらなかったのかな?
ただ、よくよく調べてみると、ロシアはロシアでも2時間30分ほどの飛行機でいける極東ロシア。沖縄にいくのとそれほと距離的には違いはないらしい。
よし、佳林最後ののツアーなので、中年の私も行ってみようかな。
ということで、ビックホリデーというハロプロ御用達の旅行会社が主催なので、そこに昨日問い合わせメールをしてみる。
きっとだめだろうな。数年前、JTBのパックツアーに視覚障害者の私ひとり申し込みにい窓口にいったら、やんわり断られた。後日、大阪府の権利擁護グループに相談をして、数週間後、やっとJTBから旅行を手配できますとの返答があた。現地観光のときは専属のガイドをおつけします。1日2蔓延ぐらいだったかな。
それでも、日本からガイドヘルパーさんをつれていくよりは断然やすい。
結局、そのツアーにはいかなかった私。
その経験があって、おそらくビックホリデーもなんやかんやで断ってくるだろうな。
と思っていた私にビッグホリデーからメールが届いた。
なんとかしますので、まずは申し込んでください。JALと全日空とS7の飛行機のうちすでにJALで行くツアーはすでに売り切れで、のこり2つものこりわずかです。
そのメールを夕方うけとって、家に帰って、さっそくウェブ申し込み。
まずはアイフォンのサファリで孟子子ももうとするも、最後の申込者登録のときにすべて必要項目いれたのに、未記入箇所がありますとえらーメッセージがでてそこから先すすめない。
だめだとおもい、今度はパソコンのネットリーダという資格しょぐ愛車専用のネットブラウザ。こちらは、申込者情報入力前のツアー申込確認画面にいかず、そこで行き止まり。
どうしよう、メールでビッグホリデーにお願いしようか。でも今日の夜、売りkれるかもな。
最後の、インターネットエクスプローラーという一般的なブラウザで申し込んでみた私。
なんと、IEでちゃんとクレジット支払いまでいけた。これで予約完了。
6月5日金曜日から8日月曜日までの4日間。2人相部屋Aクラスホテルでもろもろ手数料こみで140020円。これは成田からの出発便なので、私は大阪から成田までいく交通費もかかる。
さて、このあとは現地ガイドの手配ををビッグホリデーがみつけてくれるかだね。できればウラジオストクの日本語学校があればそこの学生参加、ウラジオストクの視覚障害者を支援しているガイドヘルパーさんお願いできたらいいな。
ロシア極東といえば、強制労働のイメージ。抑留者の強制労働。なんかちょっとこわいけど、私みたいな視覚障害者に強制労働は無理なのできっと解放してくれるはず。たとえロシアの荒野にひとりのこされたとしても、ひとりで生きられそうってそれってねえほめているのを永遠に口ずさみなら生きていこう。歌の力を信じて、宮本佳林の歌の力を信じて。
ps
シュガースポットのピンクサイリウム生誕祭企画の原資は、たまたま当選したナンバーズ。たしか50蔓延ぐらい当選した。s今回もなんかトロト7とか当選しそうな予感。そうなればピロシキ山のように食べてやる。