愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

晩秋の休日はかくして暮れた

2011-11-23 22:31:14 | シェラとルイの日々

☆シェラの異常な食欲に悲鳴を上げる 
 シェラの食欲がさらに激しさを増している。われわれが食事をしている脇へきて、何か欲しいと催促する。催促の相手は家人であり、ぼくのところへはこない。
 「シェラちゃん、もういい加減にして!」
 なんとかなだめていた家人だが、そのうち声が悲痛な色を帯びはじめる。
 
 この異常な食欲はステロイドの副作用だろうが、シェラが家人にすがっていく背景には、ぼくの制止もきかずに、餌以外の食物を与え続けてきた家人の責任でもある。通常の餌が終わると「おやつ」なる食べ物を当然のごとく与え、われわれの食事中も、家であろうと、一緒に入ったドッグカフェであろうと、自分の食べ物の一部を与えてきた。
 「犬は食べることしか楽しみがないのだから可哀そう」という呆れ果てた論理ゆえの愚行である。いま、シェラに責め立てられているのも、いわば自業自得でしかない。
 
 そうやってシェラもむぎも太らせてしまった。以前飼っていた猫たちも、いっとき、獣医も驚くほど太らせた経緯がある。だが、不思議なことに猫たちはやがて自ら食事制限を行い、正常な身体に戻っていた。

 このままいけば、シェラはまた肥満体に戻るだろう。ただでさえ衰えた四肢が、思い身体を支えきれなくなるのは明白だ。それは家人もわかっている。だからこそ、悲痛な叫びをシェラに浴びせているのだ。いまでさえ20キロ余の体重のシェラである。さらに重くなって歩けなくなったら、非力な家人ひとりではどうにも世話ができなくなる。

☆やっぱりルイを迎えたのは無謀だったけど 
 後先のことも考えずにルイを迎えたことがいかに無謀だったかも家人にはようやくわかりはじめたようだ。夕方の散歩にルイまで彼女では手がまわらず、ルイには可哀そうなことをしている。身体もできてきたことだし、そろそろ夜の散歩に連れていってやらなくてはならない。

 ルイの散歩にシェラの深夜のトイレ散歩――これらはぼくの負担となる。自分の健康のためと割り切ってやるつもりではあるが、ここで消耗する時間が惜しい。しかし、そういっている余裕などない。やっぱり、ぼくがやるしかないのである。


 今日は、午前中、彼女のリクエストでホームセンターへ買いものに出かけ、そのあと、近所のアウトレットモールへまわってランチをすませた。シェラとルイを連れて食事のできる場所は限られている。
 食事のあと、モールにあるペットショップで家人が買いものをするのを待って(上の写真はそのときのもの)から、隣の公園の広場まで歩き、しばしルイを遊ばせた。休日しかルイにはまともな散歩をやってやれないのである。しかし、それはシェラの負担となる。帰りはシェラを家人が押してきたバギーカートに入れてモールへ戻った。それでもシェラとしてはよく歩いた。

☆そうだ、一緒に写真を撮ろう
 モール内のケーキ屋のテラス席でコーヒーを飲みながら散歩の疲れを癒し、そのあと、暮れていく晩秋の空に追われるようにして帰路についた。
 エネルギーが有り余っていたルイもさすがに疲れて、コーヒーを飲む間、ぼくの膝の上で眠そうにしていた。そりゃそうだろう、いつも昼間は寝て過ごしているのだから。
 
 ケーキ屋のテラス席でぼくはふと気づいたことがあった。これまで何千カットものシェラのシャンを撮ってはきたが、いつも自分が撮る側にあって、ふたりで写した写真は一枚もなかった。シェラばかりではない。むぎとの写真だった同じである。
 
 カメラを自分で操作しながら、シェラとの写真を何枚か撮った。シャッターチャンスなど偶然に依存するしかない。シェラに顔を近づけ、伸ばした腕の先で手にするカメラのシャッターを押すだけである。
 写真を撮るのは好きだが、自分が撮られるのが大嫌いだったが、これからはシェラやルイと一緒の写真は撮りためておこうと思う。誰のためでもない、自分のために。
 
 かくしてぼくの「勤労感謝の日」は終わった。呆気ない一日だった。