☆はじめて玄関まで迎えてくれたルイ
昨夜、ほぼいつもどおりの午後8時ごろに家に帰り着き、玄関の扉を開けると、扉のすぐ向こうでルイが待っていた。ポーチの扉を開閉し、玄関の扉を開ける鍵の音で奥から飛んできたのだろう。
吠えはしないが全身で喜びを見せながら、二度三度とぼくに跳びつくルイの背後で「ずっと待っていたのよ」と家人がいう。いつもぼくの帰りを喜んで迎えてくれるルイだが、玄関の扉の前で待っていてくれたのはこれがはじめてだった。
家人とふたりでいるときの最近のルイはおとなしいらしい。とりわけ、この二、三日は聞き分けのいいおとなしい優等生ぶりだという。先週までは、ときどきあきらかに家人を見くびり、ときとして、唸って威嚇し、あるいは跳びついて服の袖口を噛んで裂いたり、深刻な傷にはいたらないものの手に噛みつくことも何度かあった。
甘えているという解釈もあるが、はたして、犬に「甘える」という感覚があるのかどうかきわめて疑問である。むしろ、家人を自分よりも格下に見ようとする犬の本能的な欲求のあらわれと解釈するほうが合理的だ。家族が彼にとっての「群れ」ならば、その中で自分の序列を上げようとする衝動は犬の本能そのものであろう。
☆家人は「ルイが怖い」と思うようになった
いまはぼくを群れのボスとして一目置いているルイだが、これまで何度かぼくを試すように抵抗することがあった。明らかなボスへの挑戦である。そのつど、ぼくはルイを抑えつけて抵抗が無駄だと教えてきた。痛めつけるようなことはしなかったが、身動きできない程度に抑え込んだ。手を緩めてやると、ごめんなさいのつもりなのかぼくの手の甲をなめた。そうしたぼくのリアクションがよかったのかどうかわからないが、少なくとも、いまはぼくをボスと渋々認めっているらしい。
先週の金曜日には、家人がまたルイをしつけ教室に入れたほうがいいのではないかといいだした。体力がついてきたルイの威嚇に不安を感じ、手遅れにならないうちに矯正したいという。
家人の友人がかつて飼っていたオスの超小型犬が激しく噛む癖があり、噛まれて手に穴が開き、激高した子息に危うく殺されかけたことさえあったそうである。
仄聞ではあるが、ある高名な作曲家のところのコーギー(♂)も手に負えないくらい凶暴で有名だった。わが家にオスのコーギーがきたと聞いた女友達が、「オスのコーギーなんか飼ってだいじょうぶなの?」と心配してくれたほどである。ご主人の作曲家が亡くなったあとも、ご家族と「相変わらず乱暴で始末に負えない」という会話があとあとまで交わされるくらいの問題児だった。
金曜日、ルイの迫力に不安を感じるようになって人手にゆだねて矯正しようという家人を、ぼくは、「しばらくオレがしつけるから待て。それでも改善がないようなら教室に入れよう」と説得したばかりだった。
いままでぼくは本気でしつけをやってこなかった。会社から帰り、食事を終えるとルイをとことん遊んでやって、ときどき抱きしめてやるくらいだった。
☆遊んでくれる父ちゃんが好きだけど
ルイのほうも遊びの過程でぼくにはかなわないと少しはわかっているようで、本気で牙を剥くことはなかった。それよりも、毎晩、遊んでくれるぼくのことが大好きな気持ちがひしひしと伝わってきていた。ぼくもそれで満足してしまっていたわけである。
これまで、「おすわり」「おて」「ふせ」「まて」くらいは教えていたし、わりとすんなりと憶えてくれた。だから、そこから先のしつけもなんとかなるだろうという自負がぼくにはあった。
だが、久しぶりに「おすわり」を命じると、ルイはぐずぐずしてなかなか従わない。ようやくおすわりをしても、「おて」の命令に少しばかり時間を要す。ただ、「おかわり」は「おて」とセットになっているらしく反射的にやった。もうひとつ、食べ物を前にしての「まて」はすんなり従ってほっとさせてくれた。
問題は「ふせ」だった。犬にとっていちばんの屈辱が「ふせ」だろう。ふせは全面的な従属に通じると何かで読んだことがある。だからだろう、ルイもなかなか従おうとしないでぼくを無視さえする。こちらも抵抗するルイの意思を無視して徹底的に命じ続け、ようやくルイのほうも不満げながら従うようになった。
こうなったらもうこちらのものである。遊びを通じてぼくはこれらのコマンドを発しつづけた。
これらの一連の命令を受け入れるようになってルイの態度が少し変わった。序列を意識しはじめたようだ。それだけになおさらほめるときはオーバーなくらいほめてやっている。ときには、「ごほうび」といっておやつを与えることもある。
ときおり、ルイの首を抱きしめ、「ルイはかわいい、かわいい。大好きだぞ」と揺すってやるが、いやがらずになすがままである。ちゃんと自分が愛されていると感じているのだろう。ぼくの顔をなめて応えるほどだ。
☆家人にもしつけが必要だ!
課題は、散歩のときにリードを力まかせに引っ張るのをやめさせるのと、左側を歩かせる程度の「つけ」を覚えさせることだが、まだうまくいっていない。
室内での呼び戻しは口笛でほぼ完璧に覚えた。外で試していないので、肝心なときにどれほどの効果があるかはわからない。ただ、たとえば、公園でルイを家人にまかせてぼくがトイレへいき、しばらくしてからまったく方角違いの場所からいつもルイに聞かせている独特の吹き方の口笛を聞かせると、ぼくを的確に探し出す。あとは訓練次第だろう。
シェラの聴力もすごかった。ただ、シェラの場合はぼくが消えた方角を身じろぎもせずに見つめて帰りを待つような子だった。反対の方角からでも口笛でぼくの位置を教えるとすぐにやってきた。むぎは直感力にすぐれ、ぼくがどの方角にいるかをたちまち察知した。上の写真は、家人を待つシェラとむぎである。むぎは360度に気を配る。
シェラ、むぎ、ルイそれぞれに個性が違う。だから、しつけのプロセスも同じではない。ルイにはルイならではの個性がある。その個性も尊重してやりながら折り合っていける接点を見つけたいと思う。
あらためて元気だったころのシェラとむぎを思い出すと、ルイがどんな個性のわんこに成長するのか楽しみでならない。昨日はぼくが帰ってきてからそれまでのおとなしいルイがたちまちワンパク小僧に変わった。ぼくの気を惹いて早く遊びたいためのワンパクなのだろう。これもまたルイの個性である。
問題は、しつけの効果を家人との関係にまでどうやって広げていくかである。ルイのみならず、ルイと同時に家人にもルイとの接し方をしつけなくてはならない。それもルイともっと仲良くなるための通過儀礼と思えば苦にはならないどころか、楽しい苦労のはずだ。