☆あのころのいたたまれないほどの辛さ
土曜日、クルマで山中湖へ遊びにいった。翌日の日曜日はクルマを湘南へ走らせ、葉山の海岸で遊んだ。どちらも、高速道路を使えばわが家からは遠からず、近からずの適度な距離にある。そしてどちらも、まだシェラとむぎが健在で元気だったころは、四季をとおして足繁く通った思い出の場所である。
久しぶりの山中湖だった。むぎを亡くして一度だけシェラときた記憶がかすかにある。まだルイがいなかったはずだから去年の初秋だろう。ぼくたちは寂しさのどん底にあったし、シェラもまた元気なく歩いている姿がほろ苦く思い出される。そこにいるはずのむぎがいないのが不思議に思える……まだそんな気持ちから脱けきれないでいるさなかだった。
やがて、ルイがきて少しにぎやかになり、むぎのいない空白をルイが埋めはじめたとたんシェラのガンが発覚してぼくたちはまた新たな覚悟を強いられた。山中湖や湘南の辻堂海岸、江ノ島などへ遊びにいこうなどという気はまったくおきなかった。ただひたすらその日その日を息をひそめるようにして送っていた。シェラとの残り少ない日々がいたたまれないほど辛く思えるときがあった。
☆ルイとははじめての山中湖へ
シェラがいなくなってしまっても、山中湖や湘南の海岸へ足を伸ばそうという気はなかなか戻ってこない。近場でさえシェラやむぎのビジョンが濃密でそこへいくのに勇気を必要としたほどだった。そこに立っただけで夥しい情景が湧き上がってきて哀しみに流されてしまいそうになる。だが、それでもぼくたちは、少しずつひとつひとつの場所にまつわる哀しみを克服してきた。むろん、まだたくさんの思い出の場所が残ってはいるけれど……。
土曜日は山中湖を克服した。たかだか1年足らずのご無沙汰である。何も変わっていないだろうとタカをくくっていたが、やっぱりそこかしこに変化があった。山中湖の南岸に沿って延びる森林公園を歩きながら、隣接するボートハウスで飼われていた二匹の犬がいなくなっているのに気づいた。
檻の中からシェラの姿を見て吠えていた白い大きな犬がいない。檻そのものが跡形もなく消えていた。ほかのボートハウスの店先にいた日本犬の姿もない。彼らもシェラやむぎと前後して天国へと旅立ってしまったのだろう。
ルイとともに静かな浜辺を歩いていると目の前に大型バスがやってきた。水際にしばらく停まっていたと思うまもなく、湖水へと入っていくではないか。背面に「水陸両用」の文字が見える。いつのまにかこんなバスが営業をはじめていたらしい。バスはやがて水に浮き、お尻のあたりに白波を立てて湖水の中央へと去っていった。
ルイにとってのはじめての山中湖である。先月末のキャンプのときの木崎湖では湖水へ入って泳いだが、この日は午前中に家の風呂場で洗ってやったばかり(写真=上)なので水の中へは入れないように湖水へ近づけなかった。
☆シェラといったはじめての海
日曜日は湘南へクルマを走らせた。いつもいっていた辻堂海岸は無意識のうちに避けていた。シェラやむぎと辻堂海岸の次に親しんだ江ノ島を目指したが、海岸通まであふれたクルマの列を見て躊躇なくあきらめた。
シェラやむぎとはあまりいったことのない葉山へ向かった。葉山はぼくが子供のころに親しんだ海だけに愛着もひとしおである。だが、アクセスの易さと駐車場の関係でシェラやむぎとは辻堂海岸ばかりにいった。
この日、目指した海岸にはハマヒルガオが群生していた。江ノ島から鎌倉材木座あたりにかけての混雑が嘘のように静かな海岸だった。ルイにとってははじめての海である。
シェラがわが家にやってきてまもないころ、大磯に近い海岸へクルマではじめて連れていったことがある。まだ赤ん坊わんこに過ぎなかったこのときのシェラは、往きに車酔いに苦しみ、海岸では元気いっぱいに走って何度も波をかぶり、好奇心から海水を飲み、砂を食べた。
帰りは再びの車酔いに喉の渇きも加わってなおさら辛そうにして家人の膝でへばっていた。翌日から呆れるほど何日もウンコに黒い砂が混じった。
☆次は海水浴の準備をしていこう
4年後、むぎが家族の一員になったころの辻堂海岸は、わが家の庭のように慣れ親しんでいた。当時、若いころのシェラはいまのルイ同様、いつもぼくを追いかけていた。そこへむぎが加わると、ぼくを追いかけるシェラをむぎが必死になって追いかけることになり、それは楽しい遊びを満喫することができた。
ちょっと目を離した隙にカラスがトートバッグの中から弁当を持ち去ってしまったことがある。ぼくが逃げるカラスを追いかけ、石を投げて威嚇したりして以来、ふだんでもシェラはカラスを敵視し、散歩の途中でカラスと逢うと吠えかけ、あるいは走っていって追い払うのをやめなかった。
そんなことを思い出しながら、はじめての海に戸惑うルイをぼくは目を細めて眺めていた。
ルイはシェラのような大胆さも見せず、寄せくる波には用心深く対していた。
次に海へいくときには、ぼくもいっしょに水遊びができる準備をし、海水に濡れたルイの身体を洗い落としてやれるだけの真水も用意しようと思った。やっぱりわんこ用のライフジャケットと細引きを準備しなくてはならないだろう。ついでに調子が悪くなった防水機能付きのカメラも新たに買い替えるとしよう。
ちょっとわくわくする。
時が経つということは、本当に以前見た風景が、また現在置かれている状況によって違って見えて、あとからあらためて過去の自分の気持ちがくっきりと見えてきたりしますよね。
ルイ君とのこれからの新しい体験、冒険。。
楽しみにしていらっしゃるお姿がとても読んでいて、嬉しく思います。
ルイ君と海のお写真、絵のように素晴らしいです!
これからも楽しみにしています。
これからどんどんルイくんとの活動範囲が広がって
出かけるのが楽しみですね。
うちは、コーキーやモモと旅行した先を、今度はアンディと全部回りたいです。アンディの行儀がよくなるのが何時の事かと思いながら。
子犬を迎えた槇原さんの気持ちを綴った歌で、私は初めて聴いたとき涙が出ました。
とってもいいですよ。
お節介ですみません。ついお勧めしたくなりました。
おっしゃるように「時が経つ」ということの救いと不思議さを実感しております。
シェラやむぎと遊んだ場所にはふたりがいない寂しさがあるからと避けて、新しい場所へ出かけるとそこにはなぜかもっと寂しい風景がある。
そんな奇妙な経験を味わっています。
それではもう一度そこへいってみたらどんな思いに駆られるのか?
いずれわかるはずです。
でも、どこへいこうとも、いつも楽し目で写真を撮るつもりです。
ルイはこれからしばらくますます活動的になっていくのでしょうが、ぼくのほうは衰える一方なのでそのギャップをなんとかしなくてはなりません。
「父ちゃんが年寄りだから不幸だなぁ」なんて思われないように頑張りませんと!
アンディくんとの旅、楽しみですよね。
わが家も老け込んでないでがんばります。
まだオリジナルの曲には触れていませんが、素晴らしい詞ですね。
どちらも槇原さんなのですね。
この曲の心はわんこと生活する万人に共通の想い。
心に沁みました。
ぼくもルイが一つでもたくさん幸せだと感じてくれるようになりたいものです。