愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

ぼくたちはもっと仲良くなれるはずだから

2012-05-15 21:52:56 | ルイとの日々

☆はじめて玄関まで迎えてくれたルイ
 昨夜、ほぼいつもどおりの午後8時ごろに家に帰り着き、玄関の扉を開けると、扉のすぐ向こうでルイが待っていた。ポーチの扉を開閉し、玄関の扉を開ける鍵の音で奥から飛んできたのだろう。
 吠えはしないが全身で喜びを見せながら、二度三度とぼくに跳びつくルイの背後で「ずっと待っていたのよ」と家人がいう。いつもぼくの帰りを喜んで迎えてくれるルイだが、玄関の扉の前で待っていてくれたのはこれがはじめてだった。

 家人とふたりでいるときの最近のルイはおとなしいらしい。とりわけ、この二、三日は聞き分けのいいおとなしい優等生ぶりだという。先週までは、ときどきあきらかに家人を見くびり、ときとして、唸って威嚇し、あるいは跳びついて服の袖口を噛んで裂いたり、深刻な傷にはいたらないものの手に噛みつくことも何度かあった。

 甘えているという解釈もあるが、はたして、犬に「甘える」という感覚があるのかどうかきわめて疑問である。むしろ、家人を自分よりも格下に見ようとする犬の本能的な欲求のあらわれと解釈するほうが合理的だ。家族が彼にとっての「群れ」ならば、その中で自分の序列を上げようとする衝動は犬の本能そのものであろう。


☆家人は「ルイが怖い」と思うようになった
 いまはぼくを群れのボスとして一目置いているルイだが、これまで何度かぼくを試すように抵抗することがあった。明らかなボスへの挑戦である。そのつど、ぼくはルイを抑えつけて抵抗が無駄だと教えてきた。痛めつけるようなことはしなかったが、身動きできない程度に抑え込んだ。手を緩めてやると、ごめんなさいのつもりなのかぼくの手の甲をなめた。そうしたぼくのリアクションがよかったのかどうかわからないが、少なくとも、いまはぼくをボスと渋々認めっているらしい。

 先週の金曜日には、家人がまたルイをしつけ教室に入れたほうがいいのではないかといいだした。体力がついてきたルイの威嚇に不安を感じ、手遅れにならないうちに矯正したいという。
 家人の友人がかつて飼っていたオスの超小型犬が激しく噛む癖があり、噛まれて手に穴が開き、激高した子息に危うく殺されかけたことさえあったそうである。

 仄聞ではあるが、ある高名な作曲家のところのコーギー(♂)も手に負えないくらい凶暴で有名だった。わが家にオスのコーギーがきたと聞いた女友達が、「オスのコーギーなんか飼ってだいじょうぶなの?」と心配してくれたほどである。ご主人の作曲家が亡くなったあとも、ご家族と「相変わらず乱暴で始末に負えない」という会話があとあとまで交わされるくらいの問題児だった。

 金曜日、ルイの迫力に不安を感じるようになって人手にゆだねて矯正しようという家人を、ぼくは、「しばらくオレがしつけるから待て。それでも改善がないようなら教室に入れよう」と説得したばかりだった。
 いままでぼくは本気でしつけをやってこなかった。会社から帰り、食事を終えるとルイをとことん遊んでやって、ときどき抱きしめてやるくらいだった。


☆遊んでくれる父ちゃんが好きだけど
 ルイのほうも遊びの過程でぼくにはかなわないと少しはわかっているようで、本気で牙を剥くことはなかった。それよりも、毎晩、遊んでくれるぼくのことが大好きな気持ちがひしひしと伝わってきていた。ぼくもそれで満足してしまっていたわけである。
 これまで、「おすわり」「おて」「ふせ」「まて」くらいは教えていたし、わりとすんなりと憶えてくれた。だから、そこから先のしつけもなんとかなるだろうという自負がぼくにはあった。

 だが、久しぶりに「おすわり」を命じると、ルイはぐずぐずしてなかなか従わない。ようやくおすわりをしても、「おて」の命令に少しばかり時間を要す。ただ、「おかわり」は「おて」とセットになっているらしく反射的にやった。もうひとつ、食べ物を前にしての「まて」はすんなり従ってほっとさせてくれた。

 問題は「ふせ」だった。犬にとっていちばんの屈辱が「ふせ」だろう。ふせは全面的な従属に通じると何かで読んだことがある。だからだろう、ルイもなかなか従おうとしないでぼくを無視さえする。こちらも抵抗するルイの意思を無視して徹底的に命じ続け、ようやくルイのほうも不満げながら従うようになった。
 こうなったらもうこちらのものである。遊びを通じてぼくはこれらのコマンドを発しつづけた。
 
 これらの一連の命令を受け入れるようになってルイの態度が少し変わった。序列を意識しはじめたようだ。それだけになおさらほめるときはオーバーなくらいほめてやっている。ときには、「ごほうび」といっておやつを与えることもある。
 ときおり、ルイの首を抱きしめ、「ルイはかわいい、かわいい。大好きだぞ」と揺すってやるが、いやがらずになすがままである。ちゃんと自分が愛されていると感じているのだろう。ぼくの顔をなめて応えるほどだ。


☆家人にもしつけが必要だ!
 課題は、散歩のときにリードを力まかせに引っ張るのをやめさせるのと、左側を歩かせる程度の「つけ」を覚えさせることだが、まだうまくいっていない。
 室内での呼び戻しは口笛でほぼ完璧に覚えた。外で試していないので、肝心なときにどれほどの効果があるかはわからない。ただ、たとえば、公園でルイを家人にまかせてぼくがトイレへいき、しばらくしてからまったく方角違いの場所からいつもルイに聞かせている独特の吹き方の口笛を聞かせると、ぼくを的確に探し出す。あとは訓練次第だろう。

 シェラの聴力もすごかった。ただ、シェラの場合はぼくが消えた方角を身じろぎもせずに見つめて帰りを待つような子だった。反対の方角からでも口笛でぼくの位置を教えるとすぐにやってきた。むぎは直感力にすぐれ、ぼくがどの方角にいるかをたちまち察知した。上の写真は、家人を待つシェラとむぎである。むぎは360度に気を配る。
 
 シェラ、むぎ、ルイそれぞれに個性が違う。だから、しつけのプロセスも同じではない。ルイにはルイならではの個性がある。その個性も尊重してやりながら折り合っていける接点を見つけたいと思う。
 あらためて元気だったころのシェラとむぎを思い出すと、ルイがどんな個性のわんこに成長するのか楽しみでならない。昨日はぼくが帰ってきてからそれまでのおとなしいルイがたちまちワンパク小僧に変わった。ぼくの気を惹いて早く遊びたいためのワンパクなのだろう。これもまたルイの個性である。

 問題は、しつけの効果を家人との関係にまでどうやって広げていくかである。ルイのみならず、ルイと同時に家人にもルイとの接し方をしつけなくてはならない。それもルイともっと仲良くなるための通過儀礼と思えば苦にはならないどころか、楽しい苦労のはずだ。



急転直下の「しつけ教室」入学延期

2012-05-09 22:32:19 | ルイとの日々

☆わんぱくだって愛しいじゃないか
 ルイのしつけ教室を1週間後に控えた今週はじめ、家人から教室に入れるのを「延期したい」という意思表示があった。たしかにルイのやんちゃぶりに辟易する毎日ではあるが、あくまでも一過性の現象であり、すぐに「あのころのやんちゃの日々がなつかしい」といいあう日がくるぞとぼくはいいつづけてきた。
 彼女の揺れ動く心の内を揶揄するかのように、ルイは一定の成長を見せながらも、わんぱくがやむ気配はなかった。

 ルイに手こずってはいるが、ぼくの目には、いま、しつけ教室に入れるほど深刻な問題児には思えなかった。いたずら小僧ルイは、たとえば、目の前で手当たり次第何かを加えて逃げていくが、それもこちら(主にぼくなのだが)の気を引いて遊んでもらおうという魂胆そのものでしかない。
 たとえば、スリッパであり、脱いでソファーに置いたシャツであり、玄関の靴であったりする。あるいは不用意にソファーの上に放置したぼくのカバンから何かを引きずりだしてくわえていく。


 それらを口にくわえたまま、「さあ、父ちゃんどうする?」とぼくの顔を見上げるルイが、ぼくにはかわいくてならない。とりわけ、玄関からわざわざ重い靴をくわえ、運んできたときの姿は、「おい、ちょっと待て」と焦りながらも愛しさがつのる。「そんな重たいものをくわえてきて、ご苦労さんだな」と……。

 とはいえ、ルイがときどき破壊獣と化すのは否定できない。それでもあらかたはくわえていった新聞紙やらゴミ箱から引きずり出したティッシュをバリバリに引き裂く程度が大半である。
 たしかに、過去、ソファーを破いてオシャカにしたし、カバンから持ち出したぼくの手帳の一部を破いてしまい8月30日と9月3日の部分が欠落してしまった(この日は予定を入れずにおこうと半分本気で考えている)。
 そんな程度である。


☆苦労しなかったシェラとむぎ
 ルイに手こずりながら、ぼくとしてはルイをほとんどしつけをやっていないといううしろめたさがある。シェラのときはしつけの教本を買ってきてせっせとやったものだった。シェラのほうもよくこたえてくれて、苦労せずに意志の疎通が可能になった。単純にぼくの左側を歩かせるだけの「つけ」など一回で覚えてくれたほどだ。

 とはいえ、忘れているだけで、当時はそれなりの苦労をしたかもしれない。だが、シェラに関しては、むしろ途中でしつけをやめたほどだ。
 犬の訓練に関するいろいろな本を読んでいるうちに、ご自分の経験を誇る1冊に出会った。その方の文章からも、また、犬たちの様子からもまるで愛情が感じられなかったからである。たしかに完璧にしつけていたのだろうが、ただ飼い主の意思にしたがうだけの、まるでロボットのような犬たちに思えた。

 「これじゃサイボーグじゃないか」本を読んでぼくは不愉快になった。そこには犬たちの情緒がまるで感じられない。感情の交流が欠落している飼い主と犬たちの関係しか見えてこなかった。
 シェラには、イヤなときは「イヤ」、体調が悪ければ、「カンベンして」と意思表示できる余裕を与えてやりたかった。使役犬ではなく、パートナーとして一緒に生活できる犬になってほしかったからである。

☆根はいい子なのだから心配ないさ
 シェラは本来弱虫のわんこだった。それもシェラの個性として尊重したかった。だれかに噛みついたりの攻撃をしないのなら、たとえば、雷や花火を怖がるのは容認してやりたい。獣医さんもあきれるほど飼い主への依頼心が強いのは、一般的には飼い犬にとって短所なのかもしれないが、ぼくたちには幸せを感じさせてくれる長所そのものだった。


 むぎにいたっては、さんざんここで書いてきたとおり、まったくしつけはやっていない。しつけをやろうとしてもシェラの姿を探して振り向き、シェラのほうもむぎの隣にやってきて座り、ぼくの発するコマンドにむぎの代わりにしたがう。それを見て喜んだむぎがシェラに跳びついていく始末。二度ばかりトライしてぼくはすぐむぎのしつけをあきらめた。
 それでもむぎはシェラから大半を学び取り、「つけ」以外はシェラと同等のしつけのきいたわんこになってくれた。

 そんなシェラとむぎからの経験で、はじめてのオスのわんこということもあって、家人はルイに手こずってしつけ教室に入れようとしたのである。だが、ルイも遅々としてではあるが日々成長を遂げている。決して聞き分けのない問題児になるとは思えない。根はいい子なのだから、急がずにしつけながら成長を見守ってやりたいとぼくは思っている。


☆つまりは父ちゃんと遊びたいということだよな
 家人とふたりでいるときのルイは、きわめておとなしいわんこだそうである。これだけでも大変な成長といえる。
 昨夜もぼくがいつもより遅く、9時過ぎに帰宅するとルイが静かに迎えてくれた。「どうした? 元気ないじゃないか」と、妙にしおらしくしているルイに声をかけて撫でてやった。ぼくの帰りを待ちながらずっとひとりでおとなしく遊んでいたそうである。

 ぼくが着替えを終えて食事をはじめるとたちまちルイがはじけた。空のペットボトルをくわえて足元を走りはじめたのである。ペットボトルをかじりながらだからその音がやかましくてテレビの音なんか何も聞こえない。
 ペットボトルに飽きると、今度はおもちゃの人形をくわえ、お腹にある鳴き笛を鳴らしながらの全力疾走である。これもまた迷惑なほどにぎやかだ。


 「やっぱりしつけ教室に入れようか」
 家人と顔を見合わせて苦笑してそんな冗談をいっているぼくたちの足元をいつまでも走り回っていた。いつもなら、ぼくの食事が終わり、お遊びの時間だからであろうか。ぼくが食事を終えるころには息が上がって疲れ果て、すでにダウンしてしまっていた。

 ただ、昨夜は破壊獣ルイによる深刻な被害があった。食後、ぼくが居眠りをしている間に盗んでいったスリッパをかじって穴を開けてしまったのである。しかも唾液でべちょべちょで、朝になっても履けなかった。

 う~ん、やっぱりしつけ教室は必要かもしれない。




アニキ、ちょっと待ってくれ!

2012-05-08 22:08:44 | ルイとの日々

☆わんこ嫌いのわんこ
 今は亡きシェラは、子犬のころから家族以外は受け容れず、ほかの犬もごくまれな例外を除いて排除してきた。反面、猫にはきわめてフレンドリーだった。3匹の猫と育ったので、もしかしたら、自分は猫だと思っていたのかもしれない。
 人間に対しては、家族以外は決して心を許さない分、家族への忠誠心は並大抵のものではなかった。犬嫌いの犬という孤高ぶりと、家族への依存が高いがゆえにぼくたちは溺愛した。
  
 むぎもまた3匹の猫にかこまれて育ったので猫にはシェラ同様に友好的だった。むぎの生来の性格は、シェラがいなかったら犬にも人間にもフレンドリーだったのだろうが、弱虫だったので知らないわんこと仲良くすることにあまり関心がなく、ひたすらシェラに張り付いていれば満足していた。
 
 そんなわけで、よそのわんこたちが仲良く遊んでいる様子をふたりそろって遠くからじっと見ているばかりで、決して自分たちが入っていこうとはしなかった。飼主にしてみると、育て方を間違えたという自省もあり、ふたりが不憫に思えてならなかった。
 ルイを迎えるにあたり、今度の子は、ほかの犬たちと仲良くできるようになってほしかった。ぼくが「類は友を呼ぶ」にあやかりたくて「ルイ」という名前を承諾したことはすでに書いたとおりである。


☆オーストラリアンシェパードに遊んでもらう
 幸いにして、ルイは犬にも人間にもきわめてフレンドリーなわんことして育っている。シェラが存命中は、近所の人たちがシェラを怖がって近寄ってこなかったが、シェラが亡きあとはだいぶ近所のわんことも交流できるようになった。
 それでもわが家を嫌う人たちはルイをも排斥する。その人たちの飼っているわんこがルイに吠えついたりして飼主は慌てているのがなんともおかしい。シェラにしても、晩年は吠える側から吠えられる側に変わっていた。
 
 近所から離れ、外のエリアへ出ると、多くのわんこがルイと遊ぼうと近寄ってくる。ルイが身体だけは一丁前だが、まだガキ気分が抜けていなので掟破りなほど激しく反応して相手のわんこに怒られる場面も珍しくない。それでもめげずに突進できるのは、体力的に優位にたてることが多いからで、相手のわんこがルイより体格で勝っている大型だとさすがに防戦一方になっている。つい最近も、ゴールデンレトリバーに蹴散らされたばかりである。
 
 今回のキャンプでルイが大喜びしたのが、元気で明るいオーストラリアンシェパードに遊んでもらえたことだった。
 キャンプ2日目の朝、ぼくとルイは美鈴湖周回を含めてたっぷり2時間散歩してキャンプ場へ戻った。けっこう疲れてしまい、ぼくは坂道を登るのがきつくなっていた。そんなとき、とあるサイトのキャンピングカーのオーナーさんの笑顔がのぞいた。前日もルイと散歩中にわざわざルイを撫でにきてくれた方である。


☆もし、秋にまた会えたらいいな
 その方がご自分のキャンピングカーからわんこを連れてきてくれた。ぼくはてっきりボーダーコリーだとばかり思っていたら、オーストラリアンシェパードだという。この子が実に陽気で、ルイとのくんずほぐれつの遊びがはじまった。
 
 体力でハンディがあるルイは終始圧倒されっぱなしだが、そんなことでめげるようなルイではない。写真のように「アニキ、ちょっと待ってくれ!」みたいな場面はしばしばあったが、2時間の散歩の疲れもなんのその、大喜びで遊んだ。
 あちらの飼主さんも、チビのルイを気遣いながら、おおらかに遊ばせてくれたのが何よりだった。2時間の散歩の疲れもなんのその、ルイの興奮は沸騰するばかりである。
 
 奥さんのほうが、「もうキリがないから……」と途中で気をきかせてルイから引き離し、散歩に向かったが、ルイはそれを必死に追おうと暴れまくった。きっと、乱暴なくらいの遊びが快感だったのだろう。さすが男の子である。
 あらためて、「類は友を呼ぶ」わんこに成長してくれているのがわかってうれしかった。
 
 このキャンプ場の常連さんのようなので、これからもまたお会いできる機会があるだろう。そのとき、ルイは、「アニキ、またよろしく!」と遊ばせてもらえるはず。次にぼくたちが予定しているのは秋のキャンプだが、なんとか会いたいオーストラリアンシェパードである。
 

水辺のルイの頼もしき姿

2012-05-06 22:49:44 | ルイとの日々

☆連休最後の日は……
 大型連休後半の4連休は、このブログもこまめに更新したいと思いつつ、やっぱり何かと思いどおりはならず、最終日になってしまった。何よりも風邪の疲れがどっと出たきらいがある。ほぼひと月、激しく咳込んでいたのだからむべなるかなと自分でも思う。夕飯後はたちまち睡魔に襲われ、寝てしまう毎日である。
 
 ルイにしても、いつもなら昼間は寝て過ごしているのに、ぼくが休みで昼間あまり寝ておらず、その分、疲れているのがよくわかる。ときどき、食欲不振になるし、夕飯後の「遊んで! 遊んで!」攻撃もなりをひそめている。
 
 連休最後の今日、ルイの狂犬病予防注射に出かけた。いつもお世話になっている病院でお願いした。一緒にフィラリアの検査と月末に飲ませる薬も一緒にもらった。ついでにフロントラインも……。
 狂犬病の予防注射をしたわりには、今日のルイはずっと元気なままだった。公園で出逢ったわんことさんざんくんずほぐれつ遊んでいた。 


☆久しぶりに安曇野に遊ぶ
 先日のキャンプで、ぼくたちは安曇野へ出かけた。数年ぶりの安曇野だった。
 いまを去ること30数年前、穂高出身のフォークグループ「わさびーず」のリーダー・堀六平氏との縁で安曇野を知り、ぼくはすっかり魅せられてしまった。

 40過ぎのころは本気で安曇野に終の棲家を探したこともあったが、おりからのバブルのあおりで、物件の凄まじい高騰がはじまってたちまち挫折した。すでに堀六平氏との交流が途絶えて久しいが、氏も穂高を含む安曇野はぼくにとって特別な存在であることに変わりはない。

 安曇野をクルマで走りながら、大町の木崎湖をめざした。
 97年の9月にこのあたりでのキャンプを予定し、青木湖は見たが木崎湖はパスした経緯がある。このとき、結局、白馬までいって気に入ったキャンプ場がなく、鬼無里を越えてたっぷりと暮れたころに戸隠まで走ってテントを張ったことがある。むろん、シェラが一緒だった。


☆木崎湖で得たふたつの収穫
 木崎湖ではキャンプ場の駐車場に(無料で)クルマを停めさせてもらい、湖畔を歩いた。
 ここまできてよかったと思えることがふたつあった。ひとつは、このキャンプ場で出逢ったキャンパーたちのキャンプスタイルである。木崎湖キャンプ場は、いわゆるオートキャンプ場ではない。つまり、テントのすぐわきにクルマを停めることができない。クルマはキャンプサイトに隣接する駐車場に停めなくてはならない。だからだろう、この日に見た数張りのテントはどれも小型のものばかり、きわめてシンプルなスタイルであり、いつのまにかゴテゴテした装備に堕ちている自分のスタイルを恥じるばかりである。

 もうひとつが、ルイがはじめて泳いでみせてくれたことだ。ぼくが湖に放り込んだわけではない。自分の意思で水にはいり、深みのほうに身体を踊らせて飛び込み、泳いでみせてくれたのである。
 かつて、シェラといった福島の裏磐梯にある秋元湖で、シェラがはじめて泳いだときは、ぼくといっしょに湖水へ入り、そのうち足が届かなくなって、そのまま歩くようにして四肢を動かし、気がついたら泳いでいたという経緯がある。

 以来、シェラは泳ぐのが大好きになり、日光の中禅寺湖ではこちらが油断した隙に飛び込んでいたし、静岡の田貫湖では水面に枯れ草やらゴミが吹寄せられたまっただ中へ飛び込もうとしてぼくたちを慌てさせた。いつも夏に訪れるキャンプ場の渓流で泳ぐのを楽しみにしていたものの、水の冷たさにひと泳ぎするとすぐに上がっていた。
 むぎのほうは、泳げるというのに水を恐がり、川であれ、湖であれ、およそ水のあるところには近づこうとしなかった。


☆自ら深みへと身体を躍らせた
 ルイが水を恐がるのか、シェラのように好きになるのか大いに気になっていたが、あまり早い時期から鍛えようとしてむぎのように恐がるようにしたくなかったので、木崎湖でもあえて泳がせるつもりはなかった。
 夏になったら本栖湖あたりへいって根気よく水に慣らしてやり、ルイ用のライフジャケットも買ってやって完璧に泳がせようと思っていた。
 
 ただ、ぼくの思惑とは別に、ルイは水辺に寄ると興味津々で、やがて自分から水の中に入っていった。一回目はほんの数センチ、足の先が濡れた程度だった。そして、場所が変わり、二度目になると短い脚ながら半分ほど入り、ぼくが湖に突き出た桟橋を歩いていくと、ルイは意を決したように沖の深みに向かってジャンプし、泳ぎはじめた。

 最初は拙い泳ぎだった。半分は溺れているような泳ぎだった。すぐに岸に引き返したが、ぼくがリードを引いて沖のほうへ動かすと、すぐに巧みな犬かきがはじまった。岸へ上がったルイを、湖畔に三々五々坐って一部始終を見ていた人たちの笑顔が迎えてくれた。
 首から上以外、ずぶ濡れになった身体を、ルイは何度も振るって水気を落とした。今回のキャンプでいちばんの収穫はルイが泳いだことだった。夏になったら、たっぷり泳げるところへ遊びにいこうといまから楽しみにしている。


ルイのキャンプデビューで迎えた想定外の夜

2012-05-03 13:21:30 | ルイとの日々

☆最悪だった4月の日々
 4月早々にひいてしまった風邪が、一進一退のままいまだに本復していない。咳が抜けないのである。このひと月、三度、診察を受けてそのつど薬を変えてもらった。
 三度目は会社を休んで家の近くの病院のお世話になった。それが23日の月曜日。念のためにと血液検査とレントゲン検査を受けたが異常なく、調剤してもらった1週間分の薬も飲みきったがいまだに咳が残ったまま声も枯れた。

 そんな状態で、4月はずっと気力が萎えてしまい、このブログを更新するほんの少しのパワーさえ湧いてこなかった。ルイは確実に成長している。少しずつだがコミュニケーションが増している。変わらないのはそのやんちゃぶり。なんとかぼくの気を引き、遊びに誘いこもうという魂胆だ。
 ルイのおかげで、にぎやかで幸せな毎日である。ちょっとでもルイがおとなしくしていると、もしかして、ぼくの風邪をうつしてしまったではないかと不安にかられる。 
 
 そして迎えた大型連休である。体調がいまひとつだけにギリギリまで逡巡したものの、例年どおりキャンプへ出かけた。たしか昨年の9月以来だから7か月ぶりのキャンプである。
 今回は、2日前に納車されたばかりの新車で出かけるというのでせがれが同行した。彼はキャンプよりもクルマに興味津々でしかないのだが、設営や撤収、それと道路渋滞のときなどに重宝する。


☆キャンプ犬ルイのデビュー
 7か月ぶりのキャンプは、ルイのキャンプデビューであると同時に、ルイのはじめてのロングドライブでもある。ぼくの体調もイマイチなのでワイルドなフィールドは避けて、ひととおり整備されたキャンプ場に向かった。だが、後述するようにこれがとんでもない誤算(?)でもあった。

 キャンプ場は松本市街を一望する山の上にある「美鈴湖もりの国オートキャンプ場」。シェラやむぎとも何度となくお世話になっている設備の整ったきれいなキャンプ場である。ここは何よりもスタッフの方々が素晴らしく、いつも気持ちよく過ごすことができる。
 数年前から、ゴールデンウィークは、早めに予約を取っていないと満杯になってしまうほどだったのと、シェラの高齢化でロングドライブは避けたいという家人の意向を汲んですっかりごぶさたしてきた。
 
 今年はちょうどキャンセルが出たのか幸運にも直前で予約が取れて入りこむことがことができた。最後にお世話になった2008年のゴールデンウイークは、場内のサクラの満開と重なって、それはすばらしいロケーションのなかでのキャンプだったが、今年はサクラの開花が遅れていた。松本城など、松本の市街地がちょうど満開で、山の上のサクラの蕾はかたく、開花ははまだ少し先だった。


☆夜、イビキにおびえたルイ
 往路の高速道路の渋滞も新しいナビのおかげで巧みに避け、途中でゆっくりめのランチタイムを含んでもおよそ5時間のドライブだった。ルイはリアシートで家人に張りついたまま、車酔いもなく、おとなしく長丁場をつきあってくれた。
 チェックインタイムの午後1時過ぎのキャンプ場で待っていたのは夏の陽気だった。ルイを木陰に避難させ、炎暑の中、急いでひととおりの設営を終えるとぼくたちは大好きな松本の街へ避難した。

 だが、問題は、この初日の夜のほうだった。
 キャンプ場のそこかしこから聞こえてくるイビキにルイが反応して唸りはじめた。区画サイトなので隣のサイトからのイビキが耳元で聞こえる。なるほど、イビキもりっぱな異音である。人間が眠りに発する異音だとわからなければ、得体の知れない獣の唸り声と錯覚しても不思議はない。ルイの反応はまさしく正しい。

 このキャンプ場は区画サイトなので、数メートル先には隣のテントがあり、そこで寝ている人がイビキをかくとすぐ耳元で聞こえる。“誤算”というのはこのことである。区画のないサイトならほかのテントから離れて設営ができるからだ。
 フリーサイトの場合、ぼくたちはいつもポツンと離れた場所を選んで設営する。わが家のわんこを怖がらせないためというより、ほかのキャンパーの迷惑(中にはわんこ嫌いの人もいるだろうから)にならないようにとの配慮からである。

 とはいえ、かつて、シェラはキャンプの夜、おびえて夜鳴きがとまらず、ぼくとクルマへ避難してひと晩をふたりで過ごしたことが何度かある。あれはよそのキャンパーのイビキだったのかもしれないし、ぼくには聞こえない異音がシェラの耳には聞こえていた可能性もある。
 むぎのほうは何か怖いときは、シェラかぼくたちのどちらかに張り付いていれば安心していたので手のかからない子というイメージが濃厚である。


☆シェラやむぎも大好きだったフィールド
 テントの薄い布を通して聞こえてくるイビキだけに、ルイの唸り声もまた外へ洩れているはずである。ぼくはルイを連れてテントの外へ出た。イビキがどこから聞こえてくるのかを教え、怖くはないのだと伝えるためである。
 なるほど、ルイがおびえるのは無理もない。寝静まった深夜のキャンプ場とはいえ、そこかしこのテントからそれはにぎやかにイビキが聞こえてくる。
 
 それらのイビキが洩れてくるテントの前でルイは立ち止まり、「ウウウ……」と低く唸る。闇の中でテントそのものが得体の知れない巨大な怪物にも見える。だが、初日はルイも疲れが出たのだろう、自分たちのテントへ戻るとまもなくおとなしく寝てくれた。この日のために買って持参した折りたたみのケージの中で……。

 安眠は長く続かなかった。朝まで絶えないイビキ、そして、テントで寝るキャンプという慣れない環境のせいもあって、ルイは午前5時過ぎに不安げに騒ぎはじめた。想定はしていなかったが、何があってもしかたないと覚悟はしてきた。ぼくはすぐにシュラフから脱けだし、身支度を終えるともうすっかり夜が明けた朝のキャンプ場へルイを連れ出した。

 キャンプ場の外れから続く人の気配のない林道はルイにとって発見の連続だった。見るもの、聞くもの、そして、犬だけに道ばたのにおいさえ、すべてがはじめての経験の連続だった。
 森の中の鳥の鳴き声に立ち止まってあたりをうかがい、頭上の梢をかすめていく野鳥の影と羽音に首をすくめ、道端のそこかしこのにおいを嗅ぐルイにつきあいながら1時間半、林道をゆっくりとたどった。
 
 振り向き、ぼくを見上げるうれしそうなルイに、ぼくは何度も語りかけた。
 「ルイ、キャンプへきてよかったな。どうだ、いいキャンプ場だろう? ここはシェラもむぎも大好きだったんだぜ」
 どうやら、キャンプ犬としての素質は問題なさそうである。少々無理をしてもキャンプにきてよかった。ときおり咳き込みはするが、晴ればれとした朝を堪能した。