今から35年前のこと、或る地方都市のデパートの特設会場で開かれていた骨董市に赴きました。
今では、地方都市のデパートでそんな催しは行われませんが、当時は、そんなことが行われていたんです。今よりはもっと骨董に人気があったんですかね。
会場内をぶらついていましたら、「おやっ!」というものを発見しました。
その場で足を止め、「何かな~? 自在鉤に見えるんだけどな~」と思案していましたら、店主が、「これは自在鉤ですよ。珍しいですよ。ほれ、こうして鉄瓶を掛ければ、立派な自在鉤であることがわかるでしょう」と言って、傍らにあった鉄瓶を引っ掛けて実演してくれました。そして、「買ってくれるならこの鉄瓶はオマケしますよ」と言います。
私としては、本当に自在鉤だったのかどうかとの疑問は感じましたが、まっ、いいかと決断し、購入したわけです。
家に連れ帰ってジット眺めていますと、「店主が言うように、やはり、自在鉤なんだろうな~」と実感してきます(^-^;
だんだんと嬉しくなり、「この自在鉤は、当時は、豪農や豪商の囲炉裏で使われていたんだろうな~。さぞや豪華な調度品に囲まれて過ごしてきたんだろうな~」と想像をたくましくします(^^;
そして、「我が家でも、いずれ、囲炉裏を作り、この自在鉤に活躍してもらおうか!」などとの妄想まで膨らみます(^^;
しっかし~、現実は、35年が経過した現在でも、いまだに、この自在鉤に出番はなく、押入れの中で待機中です(><)
でも、オマケに貰ってきた鉄瓶は、それ以来、35年間、ず~っと我が家の部屋のインテリアとして活躍してくれています(^-^;
製作年代:明治時代 長さ:50.5cm 胴径:13.8cm
下半分(正面と仮定)
上半分(正面と仮定)
下半分(正面と仮定した面の反対側)
上半分(正面と仮定した面の反対側)
下半分(正面と仮定した面とその反対面との中間)
上半分( 正面と仮定した面とその反対面との中間)
鉄の鉤の取り付け部分
棕櫚縄の取り付け部分
ところで、この自在鉤については後日談があります。
買ってから暫くしてからのことです。当時、目利きの方を東京から講師として招き、勉強会をしていました。その勉強会の内容というのは、メンバーが持ち寄った骨董品(主として陶磁器)を、その目利きの講師が一点ずつ鑑定していくというものです。
私は、この自在鉤をその勉強会に持ち寄り、鑑定をしてもらっていたわけですが、その時、或る方が、「これは電気スタンドの胴体部分ではないですか!」と発言されたんです。
その際、目利きの講師先生は、「この通り、自在鉤に作られているんだから、自在鉤に違いないだろう!」と言下におっしゃられたんです。それで、その迫力ある一言で発言者は黙ってしまいました。
でもね~、私は、その時の或る方の発言が今でも気になるんです(^^; やはり、本当は、電気スタンドの胴体部分なんだろうかと、、、?
しかし、その後、これと同手のものを私は見たことがないんです。電気スタンドの胴体部分であるならば、もっと多く市場に出回ってもいいのに、それがないんですよね。わずかに、平成8年の9月に、かつて、拙ホームページにこの自在鉤をアップして紹介したことがあるんですが、その時に、或る方から「私もこれと同じ物を持っています」とのメールか来て、「ああ、世の中には、この他にも存在するんだ」と思ったことがあるくらいなんです。
また、棕櫚縄の取り付け部分の写真からも分かるように、口の部分に煙が入ったような跡があるんですよね。これは、実際に囲炉裏で使われていた際に煙が入り込んだことによって出来た跡なんではないかと思うわけです。
そのようなことから、やはり、この物は特注品で、非常に品数が少ないのではないかと思っているわけです。
もしこれが電気スタンドの胴体部分だとすれば、江戸時代にはエレキテルはあっても電気スタンドはなかったわけですから、この物の製作年代は明らかに明治以降となるわけです。ただ、製作年代としては、これが自在鉤であるとしても、明治時代と考えるのが無難なようです。
ということで、これは自在鉤であろうとは思っているわけですが、鉄の鉤をどのようにして取り付けたんだろうか? 棕櫚縄はどのようにして取り付けたんだろうかと、いまだに疑問が残ります。
いろいろと悩ましい焼物ではあります。
追 記(令和元年7月22日)
森川天さんから、この焼物は、もともとは花活けとして作られたものを自在鉤に転用したものではないかというアドバイスをいただきましたました(^-^;
その根拠は、この焼物に高台が付いているということでした。
また、鉄の鉤の金具や棕櫚縄を内部に取り付ける方法は簡単だということでした。
詳しいことは、コメント欄の森川天さんのコメントをご覧ください。
森川天さん、ありがとうございました(^-^; 35年間の疑問が解決いたしました(^-^;