今回は、「色絵 山水文 扇面形小皿」の紹介です。
表面
裏面
生 産 地: 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期
サ イ ズ: 表面……上部の長さ;16.7cm 下部の長さ;8.7cm 幅;8.7cm
底面……上部の長さ;9.7cm 下部の長さ;6.5cm 幅;4.9cm
これは、平成元年に、東京の古美術店から買ってきたものです。
ご覧のとおり、薄汚い感じのもので、一般の方からは、どうしてこんな汚らしいものを買ってきたのかと、軽蔑のまなざしで見られそうです(~_~;)
でも、確かに、これは、一般うけはしませんが、見る人が見れば、その良さが分かるんですよ。いわば、これは、通好みとか、玄人好みといわれるものになるかと思います。
例えば、こんなことがあったことから、そのことは証明されるかと思うんです。
それは、この小皿を買ってからの帰り道のことでした。これまで入ったことのない或る私立の美術館の前を通りかかった際、少し時間の余裕もありましたので、「ちょっと立ち寄ってみるか」と思いたち、立ち寄って展示品を観ていましたら、ほんの少し前に買ってきたばかりのこの小皿と同じ物が展示されていることを発見したんです!
この小皿にまつわる以上のようなエピソードは、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介していますので、次に、そのエピソードなどを書いた部分を転載し、この小皿の紹介とさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー112 古九谷様式色絵山水文扇面形小皿(平成19年8月1日登載)
これはまた見栄えのしない小皿ではある。
源氏雲の左下側に描かれた文様は、使用擦れがひどく、松の文様が描かれていることはわかるが、全体としては何が描かれているのかよくわからない。とりあえず、山水文が描かれているのかな~と思い、「色絵山水文」としてみた。
素地は初期伊万里用のものを使用し、それに色を付加している。いかにも初期の頃の色絵を思わせる。素地が純白ではないため、鮮やかな赤は似合わないので、使用されている赤も、赤なのか茶色なのかよくわからない。このような素地には寒色系の色絵が似合うようだ。
その後、失透した純白の素地が開発され、それに明るい赤を主体とした色絵が施され、さかんに海外に輸出されるようになったようである。
この小皿は、そうした海外輸出がさかんに行われるようになった時よりも前に作られたものと思われる。
もっとも、この小皿の高台は、円形ではなく、器形に合わせた付け高台になっているので、最初期のものとは思えない。或いは、失透した純白の素地が開発された後に、国内需要用に作られたものなのかもしれない。
いずれにしても、かなり古いものであることは確かである。
江戸時代前期 上部の長さ:16.7cm 下部の長さ:8.7cm 幅:8.7cm
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*古伊万里バカ日誌50 古伊万里との対話(扇面形の小皿)(平成19年7月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
扇 子 (古九谷様式色絵山水文扇面形小皿)
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・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、遂に、先日、新しいパソコンを買ってきた。
本当は、パソコンを新しくした場合、果して、新しいパソコンからホームページを更新することが出来るようになれるのかについて全く自信がなく、そのことを考えると頭が痛くなり、これまで、新しいパソコンの導入を延期していたのである。
しかし、セキュリティソフト会社から、「現在使用中のパソコンのOSのサポートが7月11日に切れます。ついては、それ以降についてはセキュリティについての保障が出来かねます。早急に新しいOSのパソコンにしてください。」という旨のメールが届き、やっと重い腰をあげ、セキュリティの切れる直前の7月9日に買ってきたわけである。
その後、小さく貧弱な容量の脳ミソを目いっぱいに酷使し、回線がオーバーヒートして「プッツン」になる寸前でなんとかパソコンの引越しを終了させ、今月のアップを新しいパソコンで行うことが出来るようになった。
今回も、前回に引続き、当時(平成元年に)買ってきた小皿を押入れから引っ張り出してきて対話をはじめた。
主人: お前は何時見ても薄汚いな~!
扇子: 最初からその挨拶はないでしょう! 私だって、自分で好き好んで薄汚くなったわけではないんです(プンプン)。
主人: いや~悪い、悪い。ついつい本音が出てしまったかな。「親しい仲にも礼儀あり」とか。言葉には注意しなければいけないかな。
でもね、客観的に見ると、どうしてもそう見えちゃうんだよね。普通の人にはそう見えると思うよ。それに、古伊万里に興味のない人なんて、「なんて汚らしいんだろう。これのどこが良いんだろう」と言うと思うよ。
お前は、いわば、通好みの美しさとか、玄人好みの美しさというものを備えているんだろうね。分かる人には分かるんだよ。
扇子: そう言っていただけますと、少しは気持ちも静まります。でも、特定のひとからだけでなく、多くの人々から「美しい」と言われたいです。
主人: それは理想だろうけどね、、、、、。
でもね、そんな一見薄汚く見えるお前の美を理解出来る者は、私だけではないよ。実は、こんなことがあったんだ。
お前を買った日のことなんだが、お前をバッグに入れて東京の街をうろついていた時、或る私立の美術館が目に留まった。その美術館には未だ入ったことがなかったので、ちょと時間的に余裕があったこともあり、入ってみることにした。その美術館では常設展だったのか特別展だったのかは忘れてしまったが、けっこうな数の古伊万里も展示してあったのを覚えているな。
順番に見ていった時のことだ。「アレッ!」と思ったよ。ちょっと前に買ったばかりのお前と同じ物が展示してあったんだ!勿論、美術館に展示するくらいだから、お前よりはずーっと保存状態も良かったし無傷だった。それに3枚を連続させて展示していたので半円形の形になっていた。なるほど、お前を1枚だけで見てるとわからないが、お前のようなものは、本来は連続させて使うものなんだなとその時初めて知ったよ。3枚繋げれば半円形だし、6枚繋げれば円形になるわけだ。
扇子: そうですか。私と同じものが美術館に展示されていたんですか!
主人: そうだ。だから自信を持ってもいいぞ! 薄汚いナリはしていても、その奥の美しさを、分かる者には分かるんだ。
美なんてものはそんなものだろう。ちょっと見に華やかで美しいものばかいが美ではないだろう。ちょと見には薄汚くても、じわ~っと訴えてくるものもあるわけだ。そういうものに気付くことは美の発見ではないだろうか。また、それは美の創造と言えないこともないな。 (今回は、また、ずいぶんと大きなことを言ってるな~との声あり。汚らしい物を買った直後にたまたまそれが美術館に展示されていることを知ったわけだけれど、それだってマグレだったのではないの~との声あり。)
染付けと色釉のバランスも絶妙で、玄人好みですね。
私立美術館に展示してあるだけのことはあります。
故玩館も一応私立ですが、変人好みばかりが並んでいます(^^;
キンキラキンのド派手なものは好きではないですが、かといって、地味過ぎも好きではないようです(^_^)
これ、染付けと色釉のバランスが絶妙で、玄人好みですよね。
でも、ちょっと地味過ぎでしょうか(~_~;)
3点くらいまとめ、数で賑やかにし、その地味さをカバーする必要がありそうです(笑)。
故玩館は、目指せ石黒敬七で、知性の「館」ですから、並んでいるものは、一般のところとはコンセプトが違います(^-^*)
それだけ使用されたことになりますから、それもまた価値の一部とも考えられるように思います。
こういった渋い魅力を持った色絵に美を見出すというのは
ある意味では骨董の醍醐味かも知れません。
美術館で同じ品が・・・というエピソードも凄いですね!。
それも、買ったばかりで、持ち歩いている時でしたから、、、。
長い間コレクションをしていますと、たまには、そんなこともあるんですね。
そうはいっても、美術館にあったものは、状態が良いいもので、しかも3点揃えて、半円状に飾ってありましたけれど、、、(~_~;)