Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

色絵 飾台に盛花文 小皿

2021年01月24日 14時07分31秒 | 古伊万里

 ここのところ、コロナのため、先週の日曜日は、毎月行っている骨董市と古美術交換会が休みのために行けず、本日の日曜日も、町内の老人会のカラオケもお休みのために参加出来ません。

 それで、土・日・祝祭日もなしに、連日、せっせと古伊万里の紹介に努めているところです(^_^)

 そんなことで、今日は日曜日にもかかわらず、「色絵 飾台に盛花文 小皿」の紹介です。

 これは、平成元年に東京の古美術店から買ってきました。

 

 

表面

 

 見込み面いっぱいに、花を盛った花瓶を飾台に乗せた文様を描いていますが、その周辺部には、ぐるりと陽刻が施されています。陽刻は、山水文、人物文、家屋文のように思われます。

 

 

山水文(?)が描かれていると思われる陽刻部分

 

 

人物が橋を渡っているところ(?)が描かれていると思われる陽刻部分

 

 

家屋(?)が描かれていると思われる陽刻部分

 

 

裏面

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期

サ  イズ : 口径;15.2cm  高さ;3.3cm  底径;6.9cm

 

 

 なお、この小皿につきましては、既に、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中でも紹介していますので、まず、その紹介文を、次に、再度、引用いたします。

 

 

    ================================

        <古伊万里への誘い>

       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

*古伊万里ギャラリー111 古九谷様式(以前:柿右衛門様式に分類)色絵飾台に盛花文小皿 (平成19年7月1日登載)

 

 この皿は、かなり写実的な構図法である。

 古九谷様式も柿右衛門様式も、当初は、そのお手本とした景徳鎮民窯の南京赤絵にならい、窓絵の構図法と地文埋めつぶしの構図法という二つの構図法からスタートしている。

 窓絵の構図法は、器の表面に枠取りを設け、その枠内に一幅の絵画のような文様を描き込み、枠外は細かな幾何学文様で埋めていく方法で、地文埋めつぶしの構図法は、器の表面に主題の文様を描き、それ以外の余白全部を幾何学文様で埋め尽していく方法である。
 その後、柿右衛門様式の方では、この二大構図法は減退していき、完成期頃からは余白が強調されるようになってくる。

 このような構図法の流れから見ると、この皿は、余白をたっぷりととっているので、柿右衛門様式の盛期以降の作品ということになろう。

 でも、これまでの見解によれば、この手のものは古九谷様式に分類されるのではないかと思われる。
 柿右衛門様式と古九谷様式とを対比した場合、古九谷様式の方が先行し、古九谷様式の後に柿右衛門様式が登場してきたと考えられてきているので、この皿のように古格のあるものは、柿右衛門様式よりも古く分類されてきているからである。

 ところで、最近、私は、柿右衛門様式と古九谷様式とは、並行して作られてきたのではないだろうかと思うようになってきている。
 柿右衛門様式が輸出用、古九谷様式が国内需要用として作られてきたのではないかと、、、。

 その特徴としては、柿右衛門様式の場合は、失透した乳白素地の上に赤が多用されているのに対し、古九谷様式の場合は、多種多様な素地の上に赤が少量使われているにすぎないと言えるのではないかと思う。

 そのような見解に立てば、この皿は、失透した乳白素地の上に赤を多用しているので柿右衛門様式に分類されることになる。また、素地には指跡と思われるようなものも見られるところから、生掛けと思われるので、かなり早い頃に作られたのではないかと思っている。

 なお、この皿の見込み周辺部には、ぐるりと家屋や人物や山水文が細かく陽刻されており、かなり丁寧に作られていることを付記しておきたい。

 「柿右衛門様式は輸出用、古九谷様式は国内用」という見解には、なお問題を含んでいるので、現在は少数意見と思われるが、最近の私の心境としては、この見解を支持したいので、当面、この皿を柿右衛門様式に分類してみたところである。

 ところで、以上の説明の中での「柿右衛門様式は輸出用、古九谷様式は国内用」という場合の「古九谷様式」というのは、「典型的な古九谷様式」のことであることを付言しておきたい。
 最初期の色絵は、まだ失透した白磁素地が完成していないため、赤が映えないこともあり、赤を控えめにして寒色系を主体にした色絵であり、その点では、それは古九谷様式であって、その意味では、古九谷様式が先行するわけである。
 問題は、白磁素地が安定して作られるようになって以後のことである。その時点以後について、私は、「柿右衛門様式は輸出用、古九谷様式は国内用」として、並行して作られたのではないかと思うわけである。

 

江戸時代前期     口径:15.2cm  高台径:6.9cm

 

追記(平成20年12月10日)

 この文章を書いた平成19年6月の時点では、あえて、この小皿の分類を「柿右衛門様式」に分類したが、これまでの分類法からすると、やはり、「古九谷様式」に分類したほうが座りがいいので、「古九谷様式」に分類し直すことにする。

 

 

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

*古伊万里バカ日誌49 古伊万里との対話(飾台に盛花文の小皿)(平成19年6月筆)

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  花 子 (古九谷様式「以前:柿右衛門様式に分類」)色絵飾台に盛花文小皿)

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今回もどの器と対話をしようかと迷っているようである。
 しかし、ほどなく、いつものように、主人の所に入ってきた古い順の物と対話をすることを決意し、押入れ帳をひもとき、押入れから一枚の小皿を引っ張り出してきては対話をはじめた。

 

主人: いや~、花子とも暫くぶりだな!

花子: そうですね。暫くぶりですね。と言いましても、「暫くぶりだな!」はご主人様の口癖のようになってしまいましたね。

主人: そうなんだ。ここのところ、我が家に早く来た順に出てもらっているので、「暫くぶりだな!」になってしまうんだよ。
 もっとも、最近では、お前のような名品が我が家に入って来なくなったので(ミエミエのお世辞タップリ!)、最近我が家に来た物達とは対話をする気になれないんだ。それで、ついつい、我が家に早くにやってきた物達と対話をしがちなこともその原因ではあるけれどね・・・・・。
 ところで、お前は、押入れ帳によると、平成元年に我が家に来ているな。当時は、お前のような物の産地ははっきりしていなかったことを思い出すよ。
 私は、お前を東京のお店から買ってきたんだけど、東京でも、お前のような物の産地の表示はいろいろだった。「伊万里」としてみたり、「九谷」としてみたり、「姫谷」としてみたり、或いは「平戸」としてみたり、中には、良心的なお店(?)では「不明」とされていた。そうそう、「中国」と表示している所もあったな。
 お前を売っていたお店はなかなか古伊万里に明るいお店だったので「古伊万里」と表示していた。私も、消去法から、お前のような物の産地は「伊万里」にちがいないと思い、「伊万里」として買ってきたところだ。

花子: 当時は、古九谷の産地が伊万里だということは確定していなかったんですか。

主人: 学術的には、古九谷の産地は伊万里だということは強く支持されてきていたようだけど、現実の、末端の骨董の世界までは十分に浸透していなかったように思えるね。いったん、「常識」に近いところまでに固まってしまった概念は、そう簡単には覆らないわけだ。どうもね、半信半疑というか、モヤモヤとした感じだったな。伊万里の窯跡の発掘調査と九谷の窯跡の発掘調査が進展し、その調査結果から、古九谷の産地は伊万里だということは明らかになってきてはいたんだが、一般にはなかなか受け入れてはもらえなかったようだね。
 そうした中、平成3年に「古九谷の実証的見方」(河島達郎・小木一良共著 創樹社美術出版)という本が発刊された。これは、主にこれまでに古九谷書に掲載されていた器物を放射化分析し、それによって微量元素類を測定して産地を確定するという方法を基にした結果を取りまとめた本なんだ。この本によって、古九谷の産地問題は結論を得たというところかな。ダメ押しされたというところだろう。

花子: でも、私の出身地が九谷ではないとしても、伊万里以外の地である可能性もあるわけでしょう?

主人: それはそうだね。でも、その可能性はほとんどないだろうね。
 江戸前期の我が国の磁器窯としては、伊万里諸窯の他に九谷窯と姫谷窯とがあったわけだが、幸い、前記の「古九谷の実証的見方」という本には、「九谷窯、姫谷窯、伊万里諸窯の規模対比」という項目があるんだ。その項目での記述によると、九谷窯、姫谷窯の規模は極めて小さく、伊万里諸窯の1パーセントにも満たず、現存数はほとんどないというんだ。それにもかかわらず、お前のような物は結構見かけるんだよね。現存数が多いわけだ。そういうところから考えて、私は、お前の出身地は伊万里であって、それ以外の地ではないと思っているわけだよ。

花子: わかりました。出身地に自信が持てて嬉しいです。

 

追記(平成20年12月10日)

 この文章を書いた平成19年6月の時点では、あえて、この小皿の分類を「柿右衛門様式」に分類したが、これまでの分類法からすると、やはり、「古九谷様式」に分類したほうが座りがいいので、「古九谷様式」に分類し直すことにする。

 

 

   ==================================

 

 ところで、上の「古伊万里への誘い」の中の文章を読んでも分かりますように、或る器物を、「柿右衛門様式」と分類するのか、「古九谷様式」と分類するのかには、なかなか難しいものがあります(><)

 私自身も、或る時は「柿右衛門様式」に分類したり、また、或る時は「古九谷様式」に分類したりしています(~_~;) 定見がありません(><)

 思うに、かつては、「古伊万里」は「古伊万里」であり、「柿右衛門」は「柿右衛門」であり、はたまた、「古九谷」は「古九谷」であって、三者は、それぞれ別物として扱われてきたことに原因があります。

 「古伊万里」の研究が進むにつれ、「柿右衛門」は「柿右衛門様式」として、古伊万里の一様式となって「古伊万里」の中に取り込まれ、はたまた、「古九谷」も「古九谷様式」として、これまた古伊万里の一様式となって「古伊万里」の中に取り込まれるに至りました。

 その過程の中で、混乱を避けるためもあり、「古伊万里」を、「古伊万里様式」、「柿右衛門様式」、「古九谷様式」というように、様式区分をしてきたのではないかと思います。

 しかし、「柿右衛門」も「古九谷」も、すっかり「古伊万里」の中に取り込まれて定着してきますと、今度は、「古伊万里様式」、「柿右衛門様式」、「古九谷様式」というような様式区分が逆に混乱を招くようになってきたように思うんです。

 それで、私は、年の改まった今年から、原則として、様式区分を止めることにいたしました。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Dr.Kさんへ (遅生)
2021-01-27 17:10:55
あまりに矢継ぎ早の更新で、つい見過ごしてしまいました・・・では済まない逸品ですね(^.^)
これだけ凝った陽刻が施された伊万里も珍しいと思います(写真でははっきりと見えないのが残念です)。そこへ、生花紋・・・堂々の古九谷?瀟洒な柿右衛門?・・・ますますわからなくなりました(^^;
ただ、Drの蒐集の方向は、ますますわかるようになりました(^.^)
返信する
遅生さんへ (Dr.K)
2021-01-27 19:27:19
見るのを強制させてしまって申し訳ありません(><)
カラオケも無く、閑なものですから、ついつい矢継ぎ早に更新をしてしまいました(><)

この小皿には、陽刻が多く施されているんですが、実物でも、ちょっと、何を陽刻したのか、よく分からないところがあります(><)

この小皿の様式区分には散々悩まされました(~_~;)
それで、達した結論は、「どちらにするのか分からないのなら、もともと、どちらにか区分しようとするところに無理があるのではないのか。様式区分を止めてしまえばいいのではないか」というものでした。
九州陶磁文化館が様式区分を止めるようになりましたし、他の美術館もそのような流れでもありますので。

私の蒐集の方向が分かるようになりましたか。
自分では分からないですね、、、(~_~;)
だんだんと、自分でも分かるようになってくるのが楽しみです(^-^*)
返信する

コメントを投稿