今回は、「染付 白抜草花文 大皿」の紹介です。
この大皿は、正月2日の日に、ネットショップを覗いていましたら、「あれっ!」と思ったものですから、ついつい注文のクリックをしてしまったわけです(~_~;)
この大皿は、私が敬遠する、江戸後期の伊万里の大皿なんですが、、、!
私は、そもそも江戸後期の伊万里にはそれほど興味が無いうえに、大皿は、展示するにも、それを保管するにも、大きなスペースを必要とするので、敬遠しているんです。
ところが、先月21日に紹介しましたように、先月の20日には「金襴手 花束文 大皿(大鉢?)」を買ってしまい、またまた、今回も、日頃敬遠している江戸後期の伊万里の大皿を買ってしまったわけです(~_~;)
意に沿わないものが続いてやってきたことになりますね(~_~;)
まっ、コレクションというのは、そんなものなんでしょうね。それも「縁」ということでしょうか。
それで、はるばる遠方より「ゆうパック」でやってきて昨日到着した「染付 白抜草花文 大皿」というものは、次のようなものです。
表面
表面中心部の拡大
12時や3時の方角にはピンホールが、7~8時の方角には降り物がみられます。
側面
これだけの大きさとなりますと、やはり、若干の歪みがみられます。
これ、なんの変哲も無い、ありきたりの江戸後期の伊万里の大皿ですよね(><)
しかも、この大皿には、大きな箱まで付随していました。しかも、漆塗りの、普通の大皿に付随しているようなありきたりの箱よりはずっと格上の古い立派な箱でした。これでは、箱は邪魔だからといって捨てるわけにもいきません(><) 箱などなければ、大皿を重ねて保管出来ますから、保管スペースの問題は若干は解決するわけですが、、、。こんな立派な箱が付随していては、保管スペースの問題で、さらに問題を重ねるわけです(><)
付随していた漆塗りの古い立派な箱
大きさ:40.0cm×40.8cm×13.0cm
では、なぜ、日頃敬遠している、こんな何の変哲も無い江戸後期の伊万里の大皿に興味を抱いたかといいますと、それは、この大皿の裏面にあったのです(^_^)
裏面
やや斜め上から見た裏面
高台部分
以上の裏面の写真を見て、何故、私がこの大皿に興味を抱いたかが分ったでしょうか、、、?
それは、この高台内に描かれた(書かれた?)「銘」にありました。
その部分を、次に、拡大してみます!
ジャジャーン!!!
「黄金鎚 白玉鑿」とあったからです!
普通、高台内の「銘」には、「大明年製」とか「大明成化年製」といった中国の年号、或いは「富貴長春」といったようなお目出度い文言が使われることが多いわけですね。しかも、文字等知らなかった陶工は、しばしば、「大明」を「太明」と間違い、「「太明年製」とか「太明成化年製」としています。これらは、文字を書き入れたというよりは、単なる文様として描いているわけですね。
ところが、これはどうでしょう! ちゃんと、「黄金鎚 白玉鑿」となっているではありませんか。しかも、この陶工は、文字を知っていたようで、「鎚(ツチ)」、「鑿(ノミ)」を漢字で正確に表現しています。これは、もう、「銘」を文様として使用していたのではなく、「文字」として書き入れていると言えるわけですね。
更に、これは、普通見られる年号やお目出度い文言ではなく、卑近な大工道具の「鎚」と「鑿」を、黄金で作られた「鎚」、白玉で作られた「鑿」と表現し、それを「銘」として使用ているのです。
私は、このような「銘」を初めて見ましたので、「これは珍しい!」と思い、ついつい、日頃敬遠している江戸後期の伊万里の大皿を、先月に引き続きまた買ってしまったということです(~_~;)
この「珍しい!」という文言に、コレクターは弱いんですよね(^-^*)
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代後期(天明・寛政頃)
サ イ ズ : 口径36.5cm 高さ6.5cm 底径18.3cm
が、この大皿は、実用的なものでもありますね。
一昔前なら、こういう大皿はお客様をもてなす時重宝したと思いますから。
私の郷里の土佐などであれば、茹でたそうめんにだし汁をかけたものを大皿にもって各自が取り分けていただいたりするときの器として重宝したと思います。そういうときの大皿は別にお値打ち品である必要はありませんが、しかし大切な客人をもてなすためには器も凝っていたほうがよいかもしれません。
以上、門外漢の失礼なコメントになっていたら、御海容くださいませ。m(__)m
大皿に料理を盛った皿鉢料理は、土佐の皿鉢料理が有名ですよね。
ただ、江戸時代には、そのような料理は贅沢だとして、土佐藩では、時々禁令を出したようですね。
そんなことで、江戸時代には、このような大皿は、武家をはじめ、豪農や豪商などの一部の階級の者の宴席料理に使われたのかもしれません。
その名残で、高知の武家や豪農、豪商だった旧家には、大皿が多く残っているのかもしれませんね。
この大皿も、或いは、高知に伝わったものなのかもしれません、、、。
四国の美術商から来ましたから、、、。
この図柄は、いったいどこから来ているのでしょうか。中央のデザインなんか、中国を通り越してイスラムあたりの雰囲気があります。
高台内の銘は実に興味深いですね。どうもこれは、禅語のようです(意味はわかりません)。
同じ銘の大皿が、今、ネットオークションにでています。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p1075434552
なるほどこれが後期大皿なのですね。天保期あたりのものより高台がやや小さめで丸みを感じます。歪みもあるのが自然ですよね。正面だけでなく銘や形全体をみなければと勉強になりました(^^)
ホント、「中央のデザインなんか、中国を通り越してイスラムあたりの雰囲気があります」よね。
江戸も後期になりますと、もう、デザインも世界的ですね(^_^) とても、鎖国をしていたようには思えませんね(笑)。
ネットオークション情報をありがとうございます。
さっそく見てきました。
私の大皿の銘が唯一無二のものとは思ってはいませんでしたが、こうも早く、類似のものを見るとは思いませんでした。
この「黄金鎚 白玉鑿」の銘は結構あるのですね。
また、これは、禅語からきているのですか。
私は、陶工の独創からきているのかと思い、一人、舞い上がりました(~_~;)
まっ、珍しいことは珍しいのでしょうけれど、舞い上がるほどではないようですね。
やっぱり、また、不必要な江戸後期の伊万里の大皿を手に入れてしまいました(~_~;)
伊万里では、何故か、江戸中期には、輸出用の色絵の大皿は別にして、染付の大皿は作られていないようなんですね。
それで、この大皿は、早くとも江戸後期の天明・寛政の頃に作られたものだろうと思ったわけです。
伊万里が、染付大皿の製作を止め、再度作り始めた頃のものだろうと思ったわけです。
天保の頃のものよりは少しは古格があるでしょうか、、、。
口径40 高さ6.5 底径23 ありました。このお皿より少し大きいくらいです。
昔はこちら農家では 慶びごともお葬式も全部家でやりましたので 行事の後は宴会になり
皿鉢に料理を盛って出しましたので どの農家も皿鉢10枚は持っていました。
今は家での宴会もなく 若い人には皿鉢は不用品となり 古いものを売る店先には皿鉢が並んでいます。
売る時は二束三文ですが 買う時はけっこう高いです。皿鉢の絵は↑のような色目を抑えたもの
皿全体に色をたくさん使ったものなど様々です。この大皿も四国から来たものでしたか。
皿の裏に書かれた文字も 勉強してないと分からないですね さすがです。
Kさまは古美術品交換会で買われるし ネットでも購入されるのですね。
特に、土佐の皿鉢料理は有名ですよね。土佐では、相当に人気があったのでしょうね。
ネットのウィキペディアで調べてみましたら、
「江戸時代は「剛健質素」を藩是とした土佐藩の藩政下にあり、延宝2年(1674年)、延享5年(1748年)、明和5年(1768年)、安政4年(1857年)には、売買と使用を禁止する藩令も出されており、皿鉢は贅沢品と見なされ庶民には無用の物とされていた。当時の記録にある皿鉢料理は、武家をはじめ豪商や豪農など一部の階級の者の宴席料理であったと言う指摘もある。」
とありあした。土佐藩の藩政下では、皿鉢料理は贅沢であるとされ、皿鉢の売買と使用を禁止する藩令も度々出されているのですね。それだけに土佐では皿鉢料理が盛んであったということなんですね。
ただ、江戸時代にあっては、↑ のウィキペディアにもありますように、当時の皿鉢料理は「武家をはじめ豪商や豪農など一部の階級の者の宴席料理」だったのかもしれませんね。
そうであれば、この大皿は、当時の武家や豪商や豪農の家に伝わったものなのかもしれませんね。
この大皿は、土佐の隣の徳島からやってきたものですから、或いは、長年、土佐に伝わっていたものなのかもしれません、、、(^_^)
ポチする気持ちがわかるきがいたします。
(笑)
いつも好きか嫌いかの素人判断ですが。。。
今年もよろしくお願いいたします。
楽しい銘ですね。
padaも、この銘には惹かれます。
陶工と言えども、この字を書いたのは専門職、呉須で細い字は慣れないとかける物ではありません!砥部の明治印判に大皿が良くあります。全国区ではなく地方区でも幕末明治には大皿は必需品だったように思います。印判と言っても、化粧掛けをして手書きも加えているんです。結構見ましたが、料治熊太さんの本にも数点出てきます。田舎でも宴会が多かったことでしょうね。当時は薪窯ですから降り物も多い~大きなさやに入れたはずで、随分と費用は掛かっていますね。
多分大皿は今からは焼けないでしょうね。