おさむのブログ

日常考えていることや、感じた事を書いています!!

だらだらと失礼します。

2010年03月13日 05時27分32秒 | Weblog
今朝はだらだらと文章を書きたい気分です。。。

 結局昨晩、観てしまいました。『ホテル・ルワンダ』一昨日前の朝に観た『ルワンダの涙』と同じ1994年のあのルワンダ大量虐殺を、ポールというあるホテル支配人を主人公として描いた作品です。なんとこの作品も一週間レンタルして100円です。観ないのはもったいないですね。

 以前読んだ『夜と霧』で非常に有名なビクトール・フランクルの言葉を思い出します。『どんな時にも、生きる意味がある。その意味は、常に問われている。』『どんな状況にあっても、人の「選択」の自由だけは、誰にも奪うことはできない』

 この『どんなときにも・どんな状況にあっても・・・』というのが、この場合、およそ人間が体験し得る究極において確認された真実だ、ということなのです。あのホロコーストであっても、自らのパンを分け与えたユダヤ人の姿があったこと、隠れて薬を分け与えたドイツ兵がいたこと、人間としての究極の愛に到達した人が幾人もいた、という事実なのです。

 今回のルワンダの大量虐殺の時もそうでした。その事実が、見事に描写されていました。



 さてさて、んじゃ、人間はそんな究極な体験を通してしか『愛』に気づかないものなのか。到達できないものなのか。

 いやいや、そんなことは決してないとぼくは思う。

 現代の世の中を見回してみたら、どうなのだろう。毎日100人もの人が自殺している日本の世の中に、ただ安穏と生きていることができるものか。その予備軍が計り知れないほど横たわっている事実。荒廃した学校の実態、若者たちの無力感や喪失感、大人たちも同じだ。先日も一人暮らしのおばあちゃん宅にお邪魔していっぱいお話を聞いた。自分の部屋にはぬいぐるみがきれいに、異常なほどたくさん、置いてあった。それを子供たち(立派な大人ですけど)はどう見ているのか。

 これは戦争や内紛とはまた違う、立派な『異常事態』だと思う。

 その中で自分はどのような『選択』をして生きるのか、と、フランクルは私たちに問いかけているんだ。
 
 そしてその選択は、完全に『自由』であると。

 ぼくの視点が『ネガティブだ』という意見をくださる方もいる。確かにそうかもしれない。しかしそこに注意が向く、そこに意識が集中するぼくには、そこにこそ自分の存在の意味を感じるんです。



 だらだらと文章を書きました。ま、そんな気分なんですね。確かに、重たい映画でした。でもそういうのって、時にはとっても重要な感じがします。だらだらと書いたけれど、それだけに終わらせない。家づくりという仕事を通じて家族を見つめているぼくができることを実現していく。



 今日は横浜で友人の結婚式があります。暦を見たら仏滅なんですね。ま、これもご時世ですね。

 ではまた。

 おさむ
コメント
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