おさむのブログ

日常考えていることや、感じた事を書いています!!

今日からお休みをいただきます。

2011年10月12日 08時32分17秒 | 自分のこと
きたざわおさむ、本日より来週水曜日まで、長期のお休みをいただきます。お客様をはじめ職人の皆様にはご迷惑をおかけしますが、パワーアップして帰ってまいりますので、どうぞよろしくお願い致します。

留守中のブログ、どうしようかなぁと思ったのですが、旅行の話を書いてもなんだか変ですし、そうだ!!ということで震災以降のカタロ通信に掲載している『おさむのひとりごと』を連載させていただきます。

まずは3月号です。この3月号を書いたのは2月ですから、まだ平和な雰囲気が漂っている文面です。明日は4月号を載せます。

以下長いですが、よろしかったらご覧ください。

おさむのひとりごと2011-3

 3月ですね。例年よりも雪が降ることが多かったこの冬。やはり地球が悲鳴を上げているのでしょうか。昨夏も物凄く暑かったからですからね。ある学説によれば、地球にも寿命があるという。もちろんぼくらの世代や近々の子孫の時代にそうなるわけではないけれど、生命の有限性の中でぼくらが生きていることは間違いなさそうです。その中でのわずかなぼくたちの生の時間。。。そんなことを考えているとなんとなく切なくなってきますけど、それが事実なんですよね。ぼくらには明日があるかもしれないけれどないかもしれない。だから、いまここ、この瞬間瞬間に生きる以外に人生はない、そう思うんです。
もうすぐ春です。いかがお過ごしでしょうか。

 ぼくは来月44歳になるんですよ。あっという間ですね、ほんと。その中で妻と出会い、3人の子供たちと共に家族を成長させてきた。その昔、大人はみんな立派、というか、自覚のある存在だと思っていました。親は始めから『親』として存在していると思っていました。
 でも自分がこうして3児の親になり、中年になってみて振り返ってみると、ちょっと違う感覚があります。
 それは、ぼくらは、大人になるのも初めてだし、親になるのも初めての経験であるということ。何もわかっちゃいないんです。わかっているふりをしながら歳を重ねて、経験を通して、それらしくなっていく。だから、大人として、親として、たいそうな口をきけたもんじゃない。偉そうなことを言えたもんじゃない。みんな初めての役割、体験なんだから。
 そんなことを感じていたら、『あぁ、ぼくはこの家族と共に、親としてよちよち歩きから成長してきたんだなぁ』なんて当たり前、当然なことがじわーっとこころに浸みてきました。
 で、その家族にどんなことをしてきたんだっけかなぁ、と思いを馳せたら、けっこうぼくなりの『家族のルール』がありました。そのいくつかを書き連ねてみたいと思います。

≪家族優先≫
 長男が高校2年生、長女が中学2年、次男が小学6年になりました。これまでもそうだったんですが、いまの子供たちって忙しいんですよね。習い事もひとつじゃなかったりしますし、部活だとかテスト勉強だとか友達と遊ぶだとか何だとか。
 でも小さい頃からずーっと言っているんです。『家族優先!』って。小さい頃から言っているから我が家にとっては特別な言葉ではないんですが、誰かが反れようとすると、『家族優先っ!!』って言葉がどこからともなく飛んでくる。ディズニーランドに行くとか、外食するとか、家族旅行に行くとか。朝ごはんも、ぼくがいれば夕食もみんなちゃんとそろってから食べます。全てに『家族優先』なんです。途中から言ってもたぶん難しいでしょうね、こういうの。

≪食後の儀式≫
ごはんを食べた後にちゃんとごちそう様しますよね。我が家ではそれに加えた言葉があるんです。それは『ごちそう様でした。とってもおいしかったでした。』って、みんなで声と手を合わせてやるんです。毎回々々、どこでも。レストランでもやるもんですから周りの人の目を引きますが、これが我が家の家族のルール。ずーっと昔からやっているから何の違和感もない。家族だけの言葉って、結束力を強めると思います。
小さい頃はできなかったけれど、3年ほど前から自分の使った食器は自分で洗って流して拭いてタンスにしまうことになっています。これ、いやいややっちゃ意味がないんですよね。当然のようにやる。家族みんなで協力しながら洗い物するのはことのほか楽しいものです。食器洗い乾燥機もいいけれど、手洗いしながらあーだのこーだのやるのもいいものですよ。じゃんけんで洗う人を決めたりもするのですが、負けた人がやるとイヤイヤになっちゃいますから、じゃんけんで勝った人が『ハイ喜んでー!!』とか言いながらやるんです。ゲーム感覚ですね。楽しくなくちゃ続かないですから。

≪子供部屋がない≫
だいたいお父さんの部屋がないんですから、子供部屋なんて、なくて当然!!!。。。。ま、それはへその曲がった考え方ですかね。
ぼくは家づくりという仕事を通して、『家族』というテーマに取り組んでいます。自分たち家族がどんな家族になりたいのか、どんな家族で在りたいのか、とても重要です。
その中で、子供部屋をどうするか、です。
欧米式LDK発想が高度成長期に公団を中心に取り入れられ、定着しました。子供部屋は収納+6畳しかも南側、みたいな感覚です。
子供の自立性・主体性を重要視する方に好評なこの子供部屋。それはそれで常識的ですよね。
でもぼくは少し違うんです。
子供部屋そのものが個室として必要なのかなぁ、って思うんです。ぼくの描く家族像は、一体感があるんです。こんなに大変な、これだけ混沌とした世の中なんです。家族だけは一体感の中に強い絆で結ばれていたい。子供たちにとってもぼく自身にとっても。
だから我が家では、仕切りのない立体的な空間を子供部屋として用意しました。入り口はひとつ、3人一緒です。それぞれが自分だけのコーナーをつくっているだけです。で、もう年頃の子供たちですから、当然ながら『あぁー自分の部屋が欲しい!!』とか言うんですよ。だれだれちゃん家は広い個室があってベランダがあって・・・って言うんですよ。そういう時にぼくはこう言うんです。『ここはお父さんがつくったお家だから、嫌だったら早く自立してアパートで1人暮らしをしなさい』って。二の句がないですね、子供たち。
子供部屋に対するぼくのおすすめは、子供部屋はなるべく居心地悪く、家族の集まる居間を最大限快適に!!です。もちろんテレビは1台。みんなでケンカしながら番組の取り合いしたらいいんですよ。小さい頃からそれが普通だったら、なんも問題なんてない。我慢するとか、分かち合うとか、自然に身につけていくもんです。少しの不自由さの中にこそ、ほんとうの豊かさがあったり、絆が育まれる素地があると思うんです。

 この『家族のルール』、実はもっとあるものですから来月も続けて書いてみたいと思います。

 3月は別れの季節ですね。末っ子のしゅうへいも小学校の卒業式です。『それを想うだけでうるうるしちゃうわぁ』とは妻の弁。さてさてどのような卒業式を迎えるのでしょうか。


コメント
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