『ご先祖様を迎えるお盆までに修復を完了する』という目標を立て、それにまい進した日々。残すところ9棟でお盆を迎えることにはなったけれど、納得の結果に。そのクロージングというかなんと言うか、ながちゃんとのエピソードを書きました。
おさむのひとりごと 2011-9
無茶苦茶に暑かった夏も峠を越え、9月です。『暑さ寒さも彼岸まで』とは昔の人がよく言ったもので、これから味覚の秋、食欲の秋、読書の秋がやってきますね。いかがお過ごしですか。
≪ながちゃん先生との出会い≫
以前より顔見知りであったながちゃん先生と、初めてがっぷりよつで関わりを持っていただいたのが昨年9月、三浦半島で開催された岡部明美さん(あけみちゃん)の3日間のセミナーでした。『ながちゃん』と呼ばせていただいているものの、娑婆では総合病院の副医院長先生で、外科医です。セミナー中も急患が入り緊急手術ということになり一時退席したものの、一晩明けてまた参加(!)されたという、超多忙な方です。
そのながちゃんとペアを組む機会があり、あけみちゃんが全員にアイコンタクトの実習を促した時のこと。この実習、これまでにも何度も経験がありますから、軽い気持ちでその場に座りました。
静かな空間。ながちゃんと向かい合い、両手に触れて、お互いの目の奥にそーっと寄り添い、ただただ感じる。大きな瞳・・・あたたかな手・・・まっすぐな眼差し。。。
・・・ぼくの瞳から、ながちゃんの瞳から、ボダボダと音がするほど大粒の涙がこぼれ落ちた。遠い昔、何処かで一緒だったような。懐かしさと優しさと労りと『ひさしぶり』と・・・・。
≪震災≫
3月11日のあの東日本大震災が発生してからというもの、ぼくはとにかく走り続けた。片時も休まず屋根のことを考え、屋根に上り、お客様を回った。かわらぶき職人に来ていただくために走った走行距離は、いったい何千キロになるだろう。業界ルールに従わないぼくを排除する人もいたけれど、支えてくれる人、助けてくれる人もたくさん現れた。その模様はぜひ 『おさむのブログ』 をご覧ください。
結果として『ご先祖様を迎えるお盆までに修復を完了する』という目標を達成することは出来なかったけれど、ぼくは自分の持つ力を出し切った。103件の相談件数はお盆休みに入る段階で9件に。キセキの連続でした。有り得ないことが起こりました。何度もなんども涙を流しました。ピンピンに張り詰めた毎日に、やっとひとつの区切りをつけることができました。
≪再会≫
そんな折、あけみちゃんの活動をサポートしているまゆ亭さんからメール 『おさむちゃん、忙しいのは承知しているんだけど、今度の日曜日ほおづきの会に参加してみない?』 とのお誘い。お盆が明けて、新潟の北越瓦さん、京都から井辻瓦さんが来てくれていましたから、当然ムリ!!と思っていました。そしたら、打ち合わせを予定していたお客様と東京でお会いすることになり、なんとその場所が会場の近くであることを知り、そして更に雨が降ってきた!!ということは屋根工事は動かない。ということは『参加しなさいよ』という神のお告か・・・。『急遽参加してもいい?』とまゆ亭さんに電話すると、『ぜーひ待ってま~す!!』と。
震災以来、このような機会に参加するのは全く初めて。久しぶりの会場の空気に多少の戸惑いを感じていると、『おさむちゃーん!』『おぉ~おさむちゃんだ』『おさむちゃん!!』・・・・手を振って迎えてくれる仲間がいました。この居心地の良さ、ただいまっ!て感じです。今回は震災ボランティアとして東北方面で支援をされてきた主婦バンド 『コクーン』とあけみちゃんのコラボコンサートがメイン。気持ちよくそのコンサートを聞いていると背中に人影が。。。ながちゃんじゃないですかーーー!!!
≪つながり≫
休憩時間、久しぶりの再会にぼくらは思わず抱き合ってお互いの存在を慈しみあった。ながちゃんも今日は来れない状況だったのに来れることになった。そのながちゃん、ぼくの目をじっと見て、目にいっぱい涙を浮かべて、ただただぼくをまるごと受容してくれた。
ながちゃんはぼくのこの期間の活動なんて知らないはず。つながっていたんだ。ぼくが被災地茨城だから、ぼくの性格だからさぞ・・・と遠い空の下で思ってくださっていたんだ。
≪メールのやりとり≫
地元に帰ってきて、さっそくながちゃんにお礼のメールを書きました。
『ながちゃん、こんばんは。昨日はほんとにほんとに、お会いできてうれしかったです。まさかお会い出来るとは思わなかったです。(中略)ずーーっと言えなくていたけど、ながちゃんの目を見たとき思わず出てしまった。『つらかった!!!』って。やっと言えた。吐き出したかったけど、出せないでいた。そしたらカラダの全細胞からふーーーっと力が抜けて、涙が滝のように溢れた。ながちゃん、ほんとうにありがとうございました。3月11日以来、あれだけわくわくして大声で笑ったのは初めてです。それともう一つお伝えしたくて。和みヨガでペアを組んだ時のこと。ながちゃんの手。ふかふかでつるつるで、まるであかちゃんの手のようでした。感動の手でした。この手こそ、人々の命をつないでいる先端なんだと感じたら、もう愛おしくて愛おしくて。。。「ありがとうございます。これからもよろしく頼みます!!」そんな気持ちで和みヨガさせていただいたんです。ありがとうございました。また必ずお会いします。おさむ』
すぐにながちゃんから返信をいただきました。
『おさむちゃん、昨日は会えて僕も本当にうれしかったです。おさむちゃんのことはずうっと気になっていたんだけど、どうしてよいかわからなかった。そのうしろめたさもあったんだと思うけど、会った途端に、自分でも驚くほどの感情が心の奥底から湧きあがってきました。震災以降、大した苦労もしてない自分に、おさむちゃんのお気持ちがわかるはずもなく、ただただ聞くことしかできませんでしたが、おさむちゃんの気持ちが楽になったのならこんなにうれしいこことはないです。よかった。 それにしても、まさか、あそこまでの苦労をされているとは、知りませんでした。あらためて本当にお疲れ様でした。天は、そんなおさむちゃんをしっかりとみていたのですね。この先も皆のため良い家を造り続けてください。 手をお褒めいただきありがとうございます。これまでの僕の仕事を支えてくれたこの手をほめてもらうのは素直にとてもうれしいです。もちろん、内臓だって足だって自分の体はどれも大切なはずですが、患者さんとの関わりにおいて、やはり手は大きな意味を持っています。これからも大切にしていきたいと思います。(中略) これからが社会大変革の本番、もっともっとたいへんになるとおもいますが、破壊の後に素晴らしい未来が到来することを僕は確信しています。自分の力をめいっぱい発揮して楽しみながら地球のために貢献しましょう。次回会う日を楽しみにしてます。ながちゃん』
全ての事象に意味と価値があり、学びがあるとするならば、この震災はぼくにとって、あなた様にとって、どんな意味と価値がありどんな学びがあったのでしょう。ぜひぜひ、深く感じたいものですね。
ではまた。
おさむのひとりごと 2011-9
無茶苦茶に暑かった夏も峠を越え、9月です。『暑さ寒さも彼岸まで』とは昔の人がよく言ったもので、これから味覚の秋、食欲の秋、読書の秋がやってきますね。いかがお過ごしですか。
≪ながちゃん先生との出会い≫
以前より顔見知りであったながちゃん先生と、初めてがっぷりよつで関わりを持っていただいたのが昨年9月、三浦半島で開催された岡部明美さん(あけみちゃん)の3日間のセミナーでした。『ながちゃん』と呼ばせていただいているものの、娑婆では総合病院の副医院長先生で、外科医です。セミナー中も急患が入り緊急手術ということになり一時退席したものの、一晩明けてまた参加(!)されたという、超多忙な方です。
そのながちゃんとペアを組む機会があり、あけみちゃんが全員にアイコンタクトの実習を促した時のこと。この実習、これまでにも何度も経験がありますから、軽い気持ちでその場に座りました。
静かな空間。ながちゃんと向かい合い、両手に触れて、お互いの目の奥にそーっと寄り添い、ただただ感じる。大きな瞳・・・あたたかな手・・・まっすぐな眼差し。。。
・・・ぼくの瞳から、ながちゃんの瞳から、ボダボダと音がするほど大粒の涙がこぼれ落ちた。遠い昔、何処かで一緒だったような。懐かしさと優しさと労りと『ひさしぶり』と・・・・。
≪震災≫
3月11日のあの東日本大震災が発生してからというもの、ぼくはとにかく走り続けた。片時も休まず屋根のことを考え、屋根に上り、お客様を回った。かわらぶき職人に来ていただくために走った走行距離は、いったい何千キロになるだろう。業界ルールに従わないぼくを排除する人もいたけれど、支えてくれる人、助けてくれる人もたくさん現れた。その模様はぜひ 『おさむのブログ』 をご覧ください。
結果として『ご先祖様を迎えるお盆までに修復を完了する』という目標を達成することは出来なかったけれど、ぼくは自分の持つ力を出し切った。103件の相談件数はお盆休みに入る段階で9件に。キセキの連続でした。有り得ないことが起こりました。何度もなんども涙を流しました。ピンピンに張り詰めた毎日に、やっとひとつの区切りをつけることができました。
≪再会≫
そんな折、あけみちゃんの活動をサポートしているまゆ亭さんからメール 『おさむちゃん、忙しいのは承知しているんだけど、今度の日曜日ほおづきの会に参加してみない?』 とのお誘い。お盆が明けて、新潟の北越瓦さん、京都から井辻瓦さんが来てくれていましたから、当然ムリ!!と思っていました。そしたら、打ち合わせを予定していたお客様と東京でお会いすることになり、なんとその場所が会場の近くであることを知り、そして更に雨が降ってきた!!ということは屋根工事は動かない。ということは『参加しなさいよ』という神のお告か・・・。『急遽参加してもいい?』とまゆ亭さんに電話すると、『ぜーひ待ってま~す!!』と。
震災以来、このような機会に参加するのは全く初めて。久しぶりの会場の空気に多少の戸惑いを感じていると、『おさむちゃーん!』『おぉ~おさむちゃんだ』『おさむちゃん!!』・・・・手を振って迎えてくれる仲間がいました。この居心地の良さ、ただいまっ!て感じです。今回は震災ボランティアとして東北方面で支援をされてきた主婦バンド 『コクーン』とあけみちゃんのコラボコンサートがメイン。気持ちよくそのコンサートを聞いていると背中に人影が。。。ながちゃんじゃないですかーーー!!!
≪つながり≫
休憩時間、久しぶりの再会にぼくらは思わず抱き合ってお互いの存在を慈しみあった。ながちゃんも今日は来れない状況だったのに来れることになった。そのながちゃん、ぼくの目をじっと見て、目にいっぱい涙を浮かべて、ただただぼくをまるごと受容してくれた。
ながちゃんはぼくのこの期間の活動なんて知らないはず。つながっていたんだ。ぼくが被災地茨城だから、ぼくの性格だからさぞ・・・と遠い空の下で思ってくださっていたんだ。
≪メールのやりとり≫
地元に帰ってきて、さっそくながちゃんにお礼のメールを書きました。
『ながちゃん、こんばんは。昨日はほんとにほんとに、お会いできてうれしかったです。まさかお会い出来るとは思わなかったです。(中略)ずーーっと言えなくていたけど、ながちゃんの目を見たとき思わず出てしまった。『つらかった!!!』って。やっと言えた。吐き出したかったけど、出せないでいた。そしたらカラダの全細胞からふーーーっと力が抜けて、涙が滝のように溢れた。ながちゃん、ほんとうにありがとうございました。3月11日以来、あれだけわくわくして大声で笑ったのは初めてです。それともう一つお伝えしたくて。和みヨガでペアを組んだ時のこと。ながちゃんの手。ふかふかでつるつるで、まるであかちゃんの手のようでした。感動の手でした。この手こそ、人々の命をつないでいる先端なんだと感じたら、もう愛おしくて愛おしくて。。。「ありがとうございます。これからもよろしく頼みます!!」そんな気持ちで和みヨガさせていただいたんです。ありがとうございました。また必ずお会いします。おさむ』
すぐにながちゃんから返信をいただきました。
『おさむちゃん、昨日は会えて僕も本当にうれしかったです。おさむちゃんのことはずうっと気になっていたんだけど、どうしてよいかわからなかった。そのうしろめたさもあったんだと思うけど、会った途端に、自分でも驚くほどの感情が心の奥底から湧きあがってきました。震災以降、大した苦労もしてない自分に、おさむちゃんのお気持ちがわかるはずもなく、ただただ聞くことしかできませんでしたが、おさむちゃんの気持ちが楽になったのならこんなにうれしいこことはないです。よかった。 それにしても、まさか、あそこまでの苦労をされているとは、知りませんでした。あらためて本当にお疲れ様でした。天は、そんなおさむちゃんをしっかりとみていたのですね。この先も皆のため良い家を造り続けてください。 手をお褒めいただきありがとうございます。これまでの僕の仕事を支えてくれたこの手をほめてもらうのは素直にとてもうれしいです。もちろん、内臓だって足だって自分の体はどれも大切なはずですが、患者さんとの関わりにおいて、やはり手は大きな意味を持っています。これからも大切にしていきたいと思います。(中略) これからが社会大変革の本番、もっともっとたいへんになるとおもいますが、破壊の後に素晴らしい未来が到来することを僕は確信しています。自分の力をめいっぱい発揮して楽しみながら地球のために貢献しましょう。次回会う日を楽しみにしてます。ながちゃん』
全ての事象に意味と価値があり、学びがあるとするならば、この震災はぼくにとって、あなた様にとって、どんな意味と価値がありどんな学びがあったのでしょう。ぜひぜひ、深く感じたいものですね。
ではまた。