おさむのひとりごと7月号です。新潟のあきちゃんの登場です。彼の存在はいまなお素晴らしい。
おさむのひとりごと2011―7
毎度毎度のことにはなりますが、本当に時間が経つのは早いです。3月11日にあの『東日本大震災』がぼくたちを襲ってから、4ヶ月が経とうとしています。町の流れは、まるで何事もなかったような雰囲気だ。コンビニの棚から商品が消えたことも、ガソリンスタンドに2時間も並んだことも、まるで遠い昔のようにさえ感じる。
でも、ぼくにとっての『東日本大震災』は、まだまだそのままです。屋根瓦が落ちてしまったブルーシートの家、家、家・・・。瓦職人さんの姿は一日に一度見るかどうか。紫外線にやられた土嚢袋は破れ、強風にあおられたブルーシートは舞い、その無残な姿を見るたび『いったいいつになったら・・・』と、ため息さえ漏れてしまうことがある。
でもしかし、着実に一歩一歩直ってきているのも事実です。北澤工務店のOB施主様宅も着実に治ってきています。その一連の流れの中に数々のドラマがあります。今回はその中のひとつ、『あきちゃんとの出会い』を書いてみたいと思います。
(あきちゃんとの出会い)
見ず知らずだったあきちゃんを紹介してくれたのは、岡部明美さんのセミナーで一緒だったkikiちゃんとえみちゃん。おふたりともなかなか味わい深い???人生を送られている方で、とっても素敵な女性です。中でもkiki
ちゃんは奈良組と山梨組の屋根瓦修復現場にボランティアでお手伝いに来てくれていています。『おさむちゃんに紹介したい人がいるのよ!男前には男前を紹介しようと思って!!きっとチカラになってくれるわ!!!』
彼女たちが飲んでいる席にお邪魔したのは、門前仲町のとあるお店。そこに、ひげを生やした巨漢のあきちゃんがいました。初めてお会いするのに、なんだか懐かしささえ感じさせる雰囲気の彼。いでたちがまた畑仕事から出てきたような感じで、気取らない性分を感じさせました。
ふたりの素敵な女性に囲まれているあきちゃんに若干のジェラシー??を感じながら、今回の震災のこと、ぼくがいまやっていること、なんとしてもご先祖様を迎えるお盆までに完了させたいこと、このままでは到底そんな目標は達成できないこと、などを伝えました。
実は彼、新潟の総合建設業高橋組の4代目。田中角栄の列島改造論からバブルと、一時期は新潟を代表する会社にまで成長した立派な会社の後とり息子です。がしかし、ぼくとひと回り違う彼がユニークなのは、そのままフツーにやっていればいいものを、『異和感』を感じたんですね。『ぼくはもっと自然で在りたい。』『自然と一体となりたい。』って。そりゃ、生き馬の目を抜く総合建設業ですから、そんなこと言ってられませんわな。で、彼が設立したのが『小舟渡自然農法研究所』。へぇ~!!!って感じです。巨漢の中ににじみ出るやさしさ・思いやり・やわらかさは、そこからきているんだなぁ、としみじみ納得したのでした。ぜひネットで検索してみてください。
ぼくの状況や要望を聞いた彼は 『約束はできませんけど、やるだけのことはやってみますよ。』と言ってくださいました。瓦職人さんを紹介してくださるというのです。『あきちゃんは、やるって言ったらやるひとだから、きっといい方向にいくよ!!!』とご満悦の女性陣。すっごくうれしいんですけど、反面、もてる男ってのは、違うなぁ、、、とまたまたジェラシー××!!
翌日、飲み過ぎたえみちゃんは自宅待機(笑)。kikiちゃんと共に当地龍ヶ崎に来てくれました。彼が見たブルーシートの屋根、屋根、屋根・・・。『来てよかったです。ぼくもなんとかしたい、って強く思いました。約束はできませんけど、できるだけのことはやってみます。』とあきちゃん。穏やかな風貌の中に燃える眼差しを感じました。
(あきちゃんは動いた)
彼は新潟に帰ると、早速段取りを整え、二日後にはぼく自身が新潟に向かうことに。そして話はトントン拍子に進み、中村瓦さん、藤田瓦さん、北越工業さんと、なんと3社も来てくださる事になったではないですか!!すごい!!!!さらにすごいのは、3社とも、総合建設業である高橋組とは関係がない業者さんだったことです。あきちゃんが自らの地縁知縁をたどってつながってくださったのです。藤田瓦さん、北越工業さんにあっては、あきちゃんも初めて会うと!そこまで段取りをするのには、あきちゃん、相当なエネルギーを振り絞ってくださったに違いありません。これってほんと、すごくないですか!!!!!遠い茨城の震災復旧を、彼は自らのことのように走り回ってくれた。『おさむさんがぼくに火をつけたんですよ』と控えめな言葉に、彼の奥深さをまた感じたのです。
交渉がすべて終わったその帰り道。『おさむさん、きょうはすっごくうれしいきもちなんで、ドライブしましょうか。とっておきの場所があるんですよ。』
新潟県は日本海に沈む夕日が綺麗なことで有名です。その代表的な名所『笹川流れ』に連れていってくれました。静かに広がる日本海を言葉少なに味わいながらのドライブ。ぼくは、あの頃を想い出していました。20歳のときの命懸けの旅、『日本縦断徒歩旅行』を。そのエピソードの数々は以前にも紹介させていただきました。それにしてもこのタイミングで、この日本海に来るとは!!!
笹川流れは、人工物のない海岸線に奇岩が広がる美しい場所です。粟島がはっきりと見える見晴らしのいい場所に車を止めました。オトコふたり・・・、いろいろな話をしました。こういう時って、こころが完璧に開きますよね。ぼくが毎年行っている富士山にも一緒に登りたい、なんてあきちゃん。
夕日にはちょうどいい時間帯でしたが、残念ながら雲が広がっていました。でもほんのわずか、海面から上が白く透き通って見える。『あきちゃん、見えるかもよ』とぼく。『見えますよ、きっと』とあきちゃん。ふたりでタバコをふかしながら、その瞬間を待ちまました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まん丸な太陽が、周りの雲を深いオレンジ色に焼きながら、ジュワ~ッと音が聞こえるほど見事に、沈んでいく・・・・。
『こんなにきれいな夕日、何年ぶりだろう』とあきちゃん。『おさむさん、ぜったいうまくいきますよ。目標が達成できたら、富士山の頂上で乾杯しましょうよ!!!』お~、なんと素晴らしいことを!!!
オトコふたりで日本海に沈む見事な夕日。忘れ難い、最高の体験をさせていただきました。
(やっぱり『つながり』)
ぼくの東日本大震災は、ひとが生きる中で一番大切なものを教えてくれています。それは、ありきたりの言葉かもしれないけれど、『つながり』です。これに尽きます。この『つながり』に救われ、支えられました。人を信じる力、自分を信じる力。8月のお盆まであとわずか。たくさんの人に支えていただいた恩に報いるのはただ一つ、『自分の娘に振り袖を着せたような家づくり』の傷ついた娘たちを、治すことです。
おさむのひとりごと2011―7
毎度毎度のことにはなりますが、本当に時間が経つのは早いです。3月11日にあの『東日本大震災』がぼくたちを襲ってから、4ヶ月が経とうとしています。町の流れは、まるで何事もなかったような雰囲気だ。コンビニの棚から商品が消えたことも、ガソリンスタンドに2時間も並んだことも、まるで遠い昔のようにさえ感じる。
でも、ぼくにとっての『東日本大震災』は、まだまだそのままです。屋根瓦が落ちてしまったブルーシートの家、家、家・・・。瓦職人さんの姿は一日に一度見るかどうか。紫外線にやられた土嚢袋は破れ、強風にあおられたブルーシートは舞い、その無残な姿を見るたび『いったいいつになったら・・・』と、ため息さえ漏れてしまうことがある。
でもしかし、着実に一歩一歩直ってきているのも事実です。北澤工務店のOB施主様宅も着実に治ってきています。その一連の流れの中に数々のドラマがあります。今回はその中のひとつ、『あきちゃんとの出会い』を書いてみたいと思います。
(あきちゃんとの出会い)
見ず知らずだったあきちゃんを紹介してくれたのは、岡部明美さんのセミナーで一緒だったkikiちゃんとえみちゃん。おふたりともなかなか味わい深い???人生を送られている方で、とっても素敵な女性です。中でもkiki
ちゃんは奈良組と山梨組の屋根瓦修復現場にボランティアでお手伝いに来てくれていています。『おさむちゃんに紹介したい人がいるのよ!男前には男前を紹介しようと思って!!きっとチカラになってくれるわ!!!』
彼女たちが飲んでいる席にお邪魔したのは、門前仲町のとあるお店。そこに、ひげを生やした巨漢のあきちゃんがいました。初めてお会いするのに、なんだか懐かしささえ感じさせる雰囲気の彼。いでたちがまた畑仕事から出てきたような感じで、気取らない性分を感じさせました。
ふたりの素敵な女性に囲まれているあきちゃんに若干のジェラシー??を感じながら、今回の震災のこと、ぼくがいまやっていること、なんとしてもご先祖様を迎えるお盆までに完了させたいこと、このままでは到底そんな目標は達成できないこと、などを伝えました。
実は彼、新潟の総合建設業高橋組の4代目。田中角栄の列島改造論からバブルと、一時期は新潟を代表する会社にまで成長した立派な会社の後とり息子です。がしかし、ぼくとひと回り違う彼がユニークなのは、そのままフツーにやっていればいいものを、『異和感』を感じたんですね。『ぼくはもっと自然で在りたい。』『自然と一体となりたい。』って。そりゃ、生き馬の目を抜く総合建設業ですから、そんなこと言ってられませんわな。で、彼が設立したのが『小舟渡自然農法研究所』。へぇ~!!!って感じです。巨漢の中ににじみ出るやさしさ・思いやり・やわらかさは、そこからきているんだなぁ、としみじみ納得したのでした。ぜひネットで検索してみてください。
ぼくの状況や要望を聞いた彼は 『約束はできませんけど、やるだけのことはやってみますよ。』と言ってくださいました。瓦職人さんを紹介してくださるというのです。『あきちゃんは、やるって言ったらやるひとだから、きっといい方向にいくよ!!!』とご満悦の女性陣。すっごくうれしいんですけど、反面、もてる男ってのは、違うなぁ、、、とまたまたジェラシー××!!
翌日、飲み過ぎたえみちゃんは自宅待機(笑)。kikiちゃんと共に当地龍ヶ崎に来てくれました。彼が見たブルーシートの屋根、屋根、屋根・・・。『来てよかったです。ぼくもなんとかしたい、って強く思いました。約束はできませんけど、できるだけのことはやってみます。』とあきちゃん。穏やかな風貌の中に燃える眼差しを感じました。
(あきちゃんは動いた)
彼は新潟に帰ると、早速段取りを整え、二日後にはぼく自身が新潟に向かうことに。そして話はトントン拍子に進み、中村瓦さん、藤田瓦さん、北越工業さんと、なんと3社も来てくださる事になったではないですか!!すごい!!!!さらにすごいのは、3社とも、総合建設業である高橋組とは関係がない業者さんだったことです。あきちゃんが自らの地縁知縁をたどってつながってくださったのです。藤田瓦さん、北越工業さんにあっては、あきちゃんも初めて会うと!そこまで段取りをするのには、あきちゃん、相当なエネルギーを振り絞ってくださったに違いありません。これってほんと、すごくないですか!!!!!遠い茨城の震災復旧を、彼は自らのことのように走り回ってくれた。『おさむさんがぼくに火をつけたんですよ』と控えめな言葉に、彼の奥深さをまた感じたのです。
交渉がすべて終わったその帰り道。『おさむさん、きょうはすっごくうれしいきもちなんで、ドライブしましょうか。とっておきの場所があるんですよ。』
新潟県は日本海に沈む夕日が綺麗なことで有名です。その代表的な名所『笹川流れ』に連れていってくれました。静かに広がる日本海を言葉少なに味わいながらのドライブ。ぼくは、あの頃を想い出していました。20歳のときの命懸けの旅、『日本縦断徒歩旅行』を。そのエピソードの数々は以前にも紹介させていただきました。それにしてもこのタイミングで、この日本海に来るとは!!!
笹川流れは、人工物のない海岸線に奇岩が広がる美しい場所です。粟島がはっきりと見える見晴らしのいい場所に車を止めました。オトコふたり・・・、いろいろな話をしました。こういう時って、こころが完璧に開きますよね。ぼくが毎年行っている富士山にも一緒に登りたい、なんてあきちゃん。
夕日にはちょうどいい時間帯でしたが、残念ながら雲が広がっていました。でもほんのわずか、海面から上が白く透き通って見える。『あきちゃん、見えるかもよ』とぼく。『見えますよ、きっと』とあきちゃん。ふたりでタバコをふかしながら、その瞬間を待ちまました。
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まん丸な太陽が、周りの雲を深いオレンジ色に焼きながら、ジュワ~ッと音が聞こえるほど見事に、沈んでいく・・・・。
『こんなにきれいな夕日、何年ぶりだろう』とあきちゃん。『おさむさん、ぜったいうまくいきますよ。目標が達成できたら、富士山の頂上で乾杯しましょうよ!!!』お~、なんと素晴らしいことを!!!
オトコふたりで日本海に沈む見事な夕日。忘れ難い、最高の体験をさせていただきました。
(やっぱり『つながり』)
ぼくの東日本大震災は、ひとが生きる中で一番大切なものを教えてくれています。それは、ありきたりの言葉かもしれないけれど、『つながり』です。これに尽きます。この『つながり』に救われ、支えられました。人を信じる力、自分を信じる力。8月のお盆まであとわずか。たくさんの人に支えていただいた恩に報いるのはただ一つ、『自分の娘に振り袖を着せたような家づくり』の傷ついた娘たちを、治すことです。