昨日にひきつづき、おさむのひとりごとを掲載させていただきます。いよいよ震災が発生した3月に書いたものです。
おさむのひとりごと2011-4
ぼくたちは『自然の中で生かされている』『自然の前には無力だ』そんな当然であったことを実感させられる大災害に直面しました。東北関東大震災。あなたさまもきっと様々な形で被害にあわれたのではないかとお察し申し上げます。幸いこの龍ヶ崎近辺は、テレビに映し出された津波被害などの甚大な災害には見舞われませんでしたが、それでも屋根の崩落、壁の崩落、外壁の亀裂、内壁の亀裂、汁器類の破損、家電品の落下破損などで、これまで経験したことのない被害を被りました。市内では壁の崩落により、亡くなられた方もいらっしゃいます。
コンビニエンスストアーの陳列棚からは商品が消え、ガソリンスタンドは3kmにも及ぶ長蛇の列となり、震度5の余震が連日発生し、様々な催しが中止となりました。テレビからは福島第一原子力発電所の格闘と放射能汚染が報道され、死者行方不明者2万人以上、避難生活者25万人以上という、計り知れない状況に追い込まれ、『いったいこの先どうなってしまうのだろう』と誰もが不安のどん底に陥りました。
あらゆる業界がそうであるように、建築業界にも大打撃となる情報が飛び交いました。アルミサッシも、ガラスも、合板も、石膏ボードも、システムキッチンなど住宅設備機器も、屋根瓦も、ルーフィングも、クロスのパテまでも『出荷停止』となってしまったのです。
北澤工務店では4回線ある電話は止むことなく鳴り、屋根瓦の崩落の相談71件、内装や外装の亀裂の相談52件の受付をするに至りました。
地震直後、社員総出で現場の見回り、そしてぼくはOB施主様のお家を無我夢中で走り回りました。特に気になったのは、ご老人世帯やご主人を亡くされたお客様です。初日はとにかく『また来ますから!!!』とだけ言い残し、走り回りました。
2日目から屋根瓦崩落のお家の養生作業に取り掛かりました。もちろん屋根職人は来てくれません。自身の受付で手一杯になっているのです。後から聞いたことですが、500件以上の相談を抱えてしまったとか。そんなわけですから、屋根に上ったことがない設計マンから妻まで駆り出し、10日間連続で、昼食もとらず、とにかく養生の作業に終われました。
ぐしゃぐしゃになった屋根瓦の家の風景。その数に、養生作業を始めてすぐに気づいたことがあるんです。『やばい、このまま瓦屋さんを待っていたら、2ヶ月3ヶ月どころではなく、1年先2年先になっちまうぞ!!』と。
今回の震災はとにかく範囲が広い。南北500km以上に渡って被害が出ているという。ということは、みんなで資材の引っ張り合い、職人の引っ張り合いが必ず起こる。先に手を打たなければ!!!
東京の工務店の社長に相談したところ、『こっちもぜんぜんダメだ! それより北澤君、合板がなくなるぞ。石膏ボードも市場から消えた。確保しておいたほうがいいぞ!』そんな感じです。山梨の友人にも『瓦屋さん紹介してくれ!!』と電話をすると、すでに組合単位で行政から依頼が来ているらしく難しい模様。こうなったら関西だ、と思い、友人を伝って探し回りました。こういう時の友人の存在って、ほんとうに大きいですね。たくさんの方が力を貸してくれました。各方面に働きかけてくださいました。涙がでるほどぼくはうれしかった。静岡、長野、滋賀、京都、奈良、徳島。激励の電話は沖縄からも届きました。
そんな中で、奈良県の瓦屋さんが『行ってあげてもいいよ』ということになり、話しはとんとん拍子に進み、この「おさむのひとりごと」が読まれている頃には復旧工事が始まっていると思います。
その方、奈良県の竹田さんといいます。人柄がにじみ出ているような方です。120年も続く瓦工事の会社で、阪神淡路大震災の時にも出向いているのだそうです。その時には嫌な経験もされているのだそうで、その経験を踏まえて今回に臨んでくださっています。さっそく奈良から現地調査に来てくださったり、一日に2回も3回も電話をくださったり、ほんとうに頭が下がる思いです。
この方と出会うまでにぼくも嫌な経験をしました。それはやはり『お金』にまつわることです。ぼく的には、こんな被害状況ですからある意味『ボランティア精神』まではいかなくとも、『よっしゃ、ひと肌ぬいだろか!!』みたいな感じで来てくださるのかな、と甘い考え?を抱いていたんです。で、通常のこちらの職人の相場の手間賃と往復の交通費、宿泊費と三食見ますから、って言ったんです。そしたら、最初は『○○さんの紹介やから行ってあげますわ!』って言ってくれていたんですが、その後『普段と変わらない手間賃なら、こっちで仕事していたほうがいい、って職人が言うんですわぁ。今回の話はなかったことに。えらぁ、すませんな』と!!。その方に期待していたぼくですが、ひと言も反論せず、『わかりました・・・』と電話を切りました。
これも後から聞いた話なのですが、阪神淡路大震災の時も同じようなことが起こっていたのだそうです。職人の手間の暴騰です。いわゆる『ぼったくり』です。中には一日職人ひとりの手間が6万円、宿泊三食付、交通費付で、夜は宴会!!そんなことが起こっていたとは!!!!被災側はやっていただけないことにはどうしようもないですからね。足元を見る、というやつですね。最悪です。そういう輩(やから)にとっては、災害は『ぼろ儲けのチャンス』でしかない。すでにこの龍ヶ崎近辺でも埼玉など被害が少なかった県外ナンバーの瓦業者が訪問営業で法外な値段で契約をして消費者センターが仲裁をした事例が出ているんです。ふぅ~、、、。
竹田さんが奈良県より2組派遣してくれることになり、闇の中に光が差してきたような思いです。
・・・・・・・・・・・・・
3月22日には次男坊の卒業式があったのですが、アタマの中はうわの空でした。前代未聞の大災害の最中、これも一つの貴重な体験として、乗り越えていきます。あなたさまも不安の渦中にあるかと思いますが、一緒に乗り越えて行きましょう!!!
おさむのひとりごと2011-4
ぼくたちは『自然の中で生かされている』『自然の前には無力だ』そんな当然であったことを実感させられる大災害に直面しました。東北関東大震災。あなたさまもきっと様々な形で被害にあわれたのではないかとお察し申し上げます。幸いこの龍ヶ崎近辺は、テレビに映し出された津波被害などの甚大な災害には見舞われませんでしたが、それでも屋根の崩落、壁の崩落、外壁の亀裂、内壁の亀裂、汁器類の破損、家電品の落下破損などで、これまで経験したことのない被害を被りました。市内では壁の崩落により、亡くなられた方もいらっしゃいます。
コンビニエンスストアーの陳列棚からは商品が消え、ガソリンスタンドは3kmにも及ぶ長蛇の列となり、震度5の余震が連日発生し、様々な催しが中止となりました。テレビからは福島第一原子力発電所の格闘と放射能汚染が報道され、死者行方不明者2万人以上、避難生活者25万人以上という、計り知れない状況に追い込まれ、『いったいこの先どうなってしまうのだろう』と誰もが不安のどん底に陥りました。
あらゆる業界がそうであるように、建築業界にも大打撃となる情報が飛び交いました。アルミサッシも、ガラスも、合板も、石膏ボードも、システムキッチンなど住宅設備機器も、屋根瓦も、ルーフィングも、クロスのパテまでも『出荷停止』となってしまったのです。
北澤工務店では4回線ある電話は止むことなく鳴り、屋根瓦の崩落の相談71件、内装や外装の亀裂の相談52件の受付をするに至りました。
地震直後、社員総出で現場の見回り、そしてぼくはOB施主様のお家を無我夢中で走り回りました。特に気になったのは、ご老人世帯やご主人を亡くされたお客様です。初日はとにかく『また来ますから!!!』とだけ言い残し、走り回りました。
2日目から屋根瓦崩落のお家の養生作業に取り掛かりました。もちろん屋根職人は来てくれません。自身の受付で手一杯になっているのです。後から聞いたことですが、500件以上の相談を抱えてしまったとか。そんなわけですから、屋根に上ったことがない設計マンから妻まで駆り出し、10日間連続で、昼食もとらず、とにかく養生の作業に終われました。
ぐしゃぐしゃになった屋根瓦の家の風景。その数に、養生作業を始めてすぐに気づいたことがあるんです。『やばい、このまま瓦屋さんを待っていたら、2ヶ月3ヶ月どころではなく、1年先2年先になっちまうぞ!!』と。
今回の震災はとにかく範囲が広い。南北500km以上に渡って被害が出ているという。ということは、みんなで資材の引っ張り合い、職人の引っ張り合いが必ず起こる。先に手を打たなければ!!!
東京の工務店の社長に相談したところ、『こっちもぜんぜんダメだ! それより北澤君、合板がなくなるぞ。石膏ボードも市場から消えた。確保しておいたほうがいいぞ!』そんな感じです。山梨の友人にも『瓦屋さん紹介してくれ!!』と電話をすると、すでに組合単位で行政から依頼が来ているらしく難しい模様。こうなったら関西だ、と思い、友人を伝って探し回りました。こういう時の友人の存在って、ほんとうに大きいですね。たくさんの方が力を貸してくれました。各方面に働きかけてくださいました。涙がでるほどぼくはうれしかった。静岡、長野、滋賀、京都、奈良、徳島。激励の電話は沖縄からも届きました。
そんな中で、奈良県の瓦屋さんが『行ってあげてもいいよ』ということになり、話しはとんとん拍子に進み、この「おさむのひとりごと」が読まれている頃には復旧工事が始まっていると思います。
その方、奈良県の竹田さんといいます。人柄がにじみ出ているような方です。120年も続く瓦工事の会社で、阪神淡路大震災の時にも出向いているのだそうです。その時には嫌な経験もされているのだそうで、その経験を踏まえて今回に臨んでくださっています。さっそく奈良から現地調査に来てくださったり、一日に2回も3回も電話をくださったり、ほんとうに頭が下がる思いです。
この方と出会うまでにぼくも嫌な経験をしました。それはやはり『お金』にまつわることです。ぼく的には、こんな被害状況ですからある意味『ボランティア精神』まではいかなくとも、『よっしゃ、ひと肌ぬいだろか!!』みたいな感じで来てくださるのかな、と甘い考え?を抱いていたんです。で、通常のこちらの職人の相場の手間賃と往復の交通費、宿泊費と三食見ますから、って言ったんです。そしたら、最初は『○○さんの紹介やから行ってあげますわ!』って言ってくれていたんですが、その後『普段と変わらない手間賃なら、こっちで仕事していたほうがいい、って職人が言うんですわぁ。今回の話はなかったことに。えらぁ、すませんな』と!!。その方に期待していたぼくですが、ひと言も反論せず、『わかりました・・・』と電話を切りました。
これも後から聞いた話なのですが、阪神淡路大震災の時も同じようなことが起こっていたのだそうです。職人の手間の暴騰です。いわゆる『ぼったくり』です。中には一日職人ひとりの手間が6万円、宿泊三食付、交通費付で、夜は宴会!!そんなことが起こっていたとは!!!!被災側はやっていただけないことにはどうしようもないですからね。足元を見る、というやつですね。最悪です。そういう輩(やから)にとっては、災害は『ぼろ儲けのチャンス』でしかない。すでにこの龍ヶ崎近辺でも埼玉など被害が少なかった県外ナンバーの瓦業者が訪問営業で法外な値段で契約をして消費者センターが仲裁をした事例が出ているんです。ふぅ~、、、。
竹田さんが奈良県より2組派遣してくれることになり、闇の中に光が差してきたような思いです。
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3月22日には次男坊の卒業式があったのですが、アタマの中はうわの空でした。前代未聞の大災害の最中、これも一つの貴重な体験として、乗り越えていきます。あなたさまも不安の渦中にあるかと思いますが、一緒に乗り越えて行きましょう!!!