おさむのブログ

日常考えていることや、感じた事を書いています!!

おさむのひとりごと7月号

2011年10月16日 06時45分27秒 | 家づくり
おさむのひとりごと7月号です。新潟のあきちゃんの登場です。彼の存在はいまなお素晴らしい。

おさむのひとりごと2011―7

毎度毎度のことにはなりますが、本当に時間が経つのは早いです。3月11日にあの『東日本大震災』がぼくたちを襲ってから、4ヶ月が経とうとしています。町の流れは、まるで何事もなかったような雰囲気だ。コンビニの棚から商品が消えたことも、ガソリンスタンドに2時間も並んだことも、まるで遠い昔のようにさえ感じる。
でも、ぼくにとっての『東日本大震災』は、まだまだそのままです。屋根瓦が落ちてしまったブルーシートの家、家、家・・・。瓦職人さんの姿は一日に一度見るかどうか。紫外線にやられた土嚢袋は破れ、強風にあおられたブルーシートは舞い、その無残な姿を見るたび『いったいいつになったら・・・』と、ため息さえ漏れてしまうことがある。

でもしかし、着実に一歩一歩直ってきているのも事実です。北澤工務店のOB施主様宅も着実に治ってきています。その一連の流れの中に数々のドラマがあります。今回はその中のひとつ、『あきちゃんとの出会い』を書いてみたいと思います。

(あきちゃんとの出会い)
見ず知らずだったあきちゃんを紹介してくれたのは、岡部明美さんのセミナーで一緒だったkikiちゃんとえみちゃん。おふたりともなかなか味わい深い???人生を送られている方で、とっても素敵な女性です。中でもkiki
ちゃんは奈良組と山梨組の屋根瓦修復現場にボランティアでお手伝いに来てくれていています。『おさむちゃんに紹介したい人がいるのよ!男前には男前を紹介しようと思って!!きっとチカラになってくれるわ!!!』

彼女たちが飲んでいる席にお邪魔したのは、門前仲町のとあるお店。そこに、ひげを生やした巨漢のあきちゃんがいました。初めてお会いするのに、なんだか懐かしささえ感じさせる雰囲気の彼。いでたちがまた畑仕事から出てきたような感じで、気取らない性分を感じさせました。

ふたりの素敵な女性に囲まれているあきちゃんに若干のジェラシー??を感じながら、今回の震災のこと、ぼくがいまやっていること、なんとしてもご先祖様を迎えるお盆までに完了させたいこと、このままでは到底そんな目標は達成できないこと、などを伝えました。

実は彼、新潟の総合建設業高橋組の4代目。田中角栄の列島改造論からバブルと、一時期は新潟を代表する会社にまで成長した立派な会社の後とり息子です。がしかし、ぼくとひと回り違う彼がユニークなのは、そのままフツーにやっていればいいものを、『異和感』を感じたんですね。『ぼくはもっと自然で在りたい。』『自然と一体となりたい。』って。そりゃ、生き馬の目を抜く総合建設業ですから、そんなこと言ってられませんわな。で、彼が設立したのが『小舟渡自然農法研究所』。へぇ~!!!って感じです。巨漢の中ににじみ出るやさしさ・思いやり・やわらかさは、そこからきているんだなぁ、としみじみ納得したのでした。ぜひネットで検索してみてください。

ぼくの状況や要望を聞いた彼は 『約束はできませんけど、やるだけのことはやってみますよ。』と言ってくださいました。瓦職人さんを紹介してくださるというのです。『あきちゃんは、やるって言ったらやるひとだから、きっといい方向にいくよ!!!』とご満悦の女性陣。すっごくうれしいんですけど、反面、もてる男ってのは、違うなぁ、、、とまたまたジェラシー××!!

翌日、飲み過ぎたえみちゃんは自宅待機(笑)。kikiちゃんと共に当地龍ヶ崎に来てくれました。彼が見たブルーシートの屋根、屋根、屋根・・・。『来てよかったです。ぼくもなんとかしたい、って強く思いました。約束はできませんけど、できるだけのことはやってみます。』とあきちゃん。穏やかな風貌の中に燃える眼差しを感じました。

(あきちゃんは動いた)
彼は新潟に帰ると、早速段取りを整え、二日後にはぼく自身が新潟に向かうことに。そして話はトントン拍子に進み、中村瓦さん、藤田瓦さん、北越工業さんと、なんと3社も来てくださる事になったではないですか!!すごい!!!!さらにすごいのは、3社とも、総合建設業である高橋組とは関係がない業者さんだったことです。あきちゃんが自らの地縁知縁をたどってつながってくださったのです。藤田瓦さん、北越工業さんにあっては、あきちゃんも初めて会うと!そこまで段取りをするのには、あきちゃん、相当なエネルギーを振り絞ってくださったに違いありません。これってほんと、すごくないですか!!!!!遠い茨城の震災復旧を、彼は自らのことのように走り回ってくれた。『おさむさんがぼくに火をつけたんですよ』と控えめな言葉に、彼の奥深さをまた感じたのです。

交渉がすべて終わったその帰り道。『おさむさん、きょうはすっごくうれしいきもちなんで、ドライブしましょうか。とっておきの場所があるんですよ。』

新潟県は日本海に沈む夕日が綺麗なことで有名です。その代表的な名所『笹川流れ』に連れていってくれました。静かに広がる日本海を言葉少なに味わいながらのドライブ。ぼくは、あの頃を想い出していました。20歳のときの命懸けの旅、『日本縦断徒歩旅行』を。そのエピソードの数々は以前にも紹介させていただきました。それにしてもこのタイミングで、この日本海に来るとは!!!

笹川流れは、人工物のない海岸線に奇岩が広がる美しい場所です。粟島がはっきりと見える見晴らしのいい場所に車を止めました。オトコふたり・・・、いろいろな話をしました。こういう時って、こころが完璧に開きますよね。ぼくが毎年行っている富士山にも一緒に登りたい、なんてあきちゃん。
夕日にはちょうどいい時間帯でしたが、残念ながら雲が広がっていました。でもほんのわずか、海面から上が白く透き通って見える。『あきちゃん、見えるかもよ』とぼく。『見えますよ、きっと』とあきちゃん。ふたりでタバコをふかしながら、その瞬間を待ちまました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まん丸な太陽が、周りの雲を深いオレンジ色に焼きながら、ジュワ~ッと音が聞こえるほど見事に、沈んでいく・・・・。
『こんなにきれいな夕日、何年ぶりだろう』とあきちゃん。『おさむさん、ぜったいうまくいきますよ。目標が達成できたら、富士山の頂上で乾杯しましょうよ!!!』お~、なんと素晴らしいことを!!!

オトコふたりで日本海に沈む見事な夕日。忘れ難い、最高の体験をさせていただきました。

(やっぱり『つながり』)
ぼくの東日本大震災は、ひとが生きる中で一番大切なものを教えてくれています。それは、ありきたりの言葉かもしれないけれど、『つながり』です。これに尽きます。この『つながり』に救われ、支えられました。人を信じる力、自分を信じる力。8月のお盆まであとわずか。たくさんの人に支えていただいた恩に報いるのはただ一つ、『自分の娘に振り袖を着せたような家づくり』の傷ついた娘たちを、治すことです。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おさむのひとりごと6月号

2011年10月15日 06時24分40秒 | 家づくり
毎日毎日てんこ盛りのエピソードが続いた5月。その時に書いたおさむのひとりごと6月号です。人間ってすばらしい。人間大好き!!!


おさむのひとりごと 2011-6

6月になりました。いかがお過ごしですか。ぼくは3月11日の震災以来ほぼ毎日、瓦が落ちてしまった屋根の上です。養生したシートが飛んでしまったり、土のう袋やガラ袋が紫外線により劣化し破れてしまったのを詰め替えたり、新たに問い合わせのための調査に上がったり・・・・・いったいいつまで続くのか、時に気持ちが折れそうになってしまいます。

そんな時に自分を奮い立たせるものは、やはりお客様の喜びの声です。ぼくの存在を必要としてくれている人がいる。これは震災なんだ。誰もが経験したことがない震災なんだ。そして何より、『自分の娘に振り袖を着せたような家づくり』として造ったお家が、まるで自分の娘が傷ついているかのようにさえ見える。黙って指をくわえて見ていられない。可哀想で悲しくて見てられない。自分ができることの全てを集中させて、とにかく早く、治したい!!!

阪神淡路大震災では、屋根瓦の崩落工事がほぼ完了するのに3年から4年かかったのだそうです。この東日本大震災の規模からしたら、屋根からブルーシートが消えるのには恐らく5年の時間を要するのではないかと。

んなぁわけにはいかない!!そうさせてたまるか!!!ぼくは目標を立てました。それは、8月のご先祖様を迎えるお盆までに、いま北澤工務店で受け付けているOB施主様のお家の修復を完了させる!!3月11日からはいているジャージをお盆までに脱ぐ!!!

がむしゃらです。『自分のところばっかり』とかなんとか言われるかもしれないけれど、なりふり構わず、です。いろいろな方にご迷惑をおかけしたり、無理難題を押し付けたりするかもしれませんが、とにかくその目標に向かって、ひとつひとつ、治していきます。

≪かわらぶき職人≫
『材料がない』なんてことをよく耳にしますが、北澤工務店には当てはまりません。これまでにもご紹介している奈良の『タケダ』さんがガンガン入れてくれています。すでに北澤工務店の作業場には漆喰から銅線から瓦から、山となって積んであります。
ただ何より、『かわらぶき職人』がいなければ元もこうもありません。でもただの『屋根やさん』『瓦やさん』じゃダメです。いま連続で来てくれている山梨の古屋さんグループは『かわらぶき職人』です。もう二度と落ちんなよ!!という気迫さえ感じる仕事ぶりです。逆に先日ある現場を見たんです。そしたら、今回の震災で落ちてしまったやり方と同じやり方で作業しているじゃないですか!!!お客様はわからないですからね。そんな職人を『自分の娘に振り袖を着せたような家づくり』の屋根に上げるわけにはいかない。

≪京都≫
でぼくは、友人の工務店の紹介で京都の井辻瓦さんに向かいました。奈良組、山梨組に続き、更なる増援を要請するためです。電話で済ませるわけにはいかない。実際にお会いしてぼくの気持ちを伝え、そして実際に来てくれるかわらぶき職人に会って、任せられるかどうか確認したいから。
80年続くこちらの会社。土を醸造させたり、こだわりが随所に見られます。そして共感してくださった社長の井辻さんと話はとんとん拍子に進み、6月5日から二人、来てくれることになりました。それもなんと驚くことに、『半年でも1年でも、終わるまでやらせてもらいます』とのこと!!!!『一ヶ月に一回は家族の元に帰してやってくださいな(笑)』と!!!ずーっと龍ヶ崎に住み込んでくださるというのです。北澤工務店専属のかわらぶき職人です。
その方にもお会いしました。いまやっている現場も拝見しました。まさに『かわらぶき職人』でした。福田さんといいます。カタロに住み込んでいただくのですが、『きたざわさんのすきなように使ってくださってけっこうですから』とか『せっかく行くんですから、カタチになるまでがんばらせてもらいます。』と、胸にびんびん響く言葉をいただきました。とってもとっても楽しみです。

≪とあるメール≫
会社に差出人不明のメールが入りました。(ご本人了承済みです)
『被災地周辺の都県でも大変だとは思いますが、頑張ってください!』
これまでの着信履歴をたどったのですが、わからない。
『うれしい応援メール、ありがとうございます。いま龍ヶ崎はとても激しい雨!!瓦が落ちてしまったお家が心配です。ところで、すみません、どちら様でしたでしょうか・・・北澤工務店  北澤修』
すぐに返信がありました。
『6月5日からお世話になります、京都の井辻瓦の職人の息子です。父親から北澤工務店さんの名刺を見せてもらい、blogやHPを観覧させてもらいました。blogは社長さんの考え方や信念や思いが、すごく伝わってくる内容に安心感を覚え、父親にも、茨城県の地震の影響で被災した現場で頑張ってほしく、また、北澤工務店さんの力に少しでもなってほしく、メールしてしまいました。 忙しい中申し訳ありません。父親には内緒でお願いします。色々と迷惑をおかするかもしれないですが、2人の事をヨロシクお願いいたします。乱文ですが、これにて失礼させて致します。』

なんと、福田さんの息子さんからではないですか!!これって、すごくないですか!!!息子さんが心配して調べてくださったんです。余震とか、放射能とか心配だと思いますし、見ず知らずの茨城の地ですから。
茨城に行くことを決めた父親を思い、北澤工務店のHPやブログを読んで、そして、ぼくに、共感してくれたんです。そして、このメールをくれたんです。思わずぼくはまた胸が熱くなって・・・・

≪まだ先は見えぬども≫
震災から3ヶ月が経ち、復旧が終わったところも徐々に増えてきました。そして梅雨です。毎日のように電話が入るようになりました。『うちはいつごろになるかしら・・・』『その後どうなってんの???』お客様の心中を察するには余りあるものがあります。あと少し、もう少し、お待ちください。必ず約束の時までに、治しに行きます。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おさむのひとりごと5月号

2011年10月14日 08時07分10秒 | 家づくり
様々なご縁をいただきながら、4月に書いたこの時点で早くも復旧工事に取り掛かることができました。『助けていただく』ことを実感しました。


おさむのひとりごと2011-5

ひどい余震が続く毎日です。いかがお過ごしでしょうか。

『東日本大震災』のことを書こうと思うんです。

でも、でも、余りにも規模が大きく、余りにも深く、余りにも重たい・・・。ぼくが云々書けるレベルではない。全てを失ってしまった人を思えば、ぼくの体験していることなんて微々たるもの・・・そんな風に感じてしまうと、全然言葉が浮かばなくなってしまう。

この『東日本大震災』には、ひとりひとりの『東日本大震災』があったと思う。ひとりひとりがいろんな体験をしているんだ。だから、その立ち居地で感じたこと、わたし自身が体験したことが真実なんだ。20年後、30年後、それを子孫に伝えていくんだ。そう思い返して、『ぼくの東日本大震災』の途中経過を書いてみたいと思います。

≪竹田さんの言葉≫
縁と縁がつながって、奈良から瓦が届きました。その会社、『タケダ』さんのでっかいトラックが事務所に横付けされた時の喜び!!!伝わるでしょうか。その数日後にはかわらぶき職人の植田さんチーム、森田さんチームが8時間かけて龍ヶ崎に到着しました。いよいよ屋根瓦崩落現場の修復が始まりました。

この瓦や職人の段取りをしてくださったのが、前回も紹介した竹田さんです。竹田さんは奈良県の瓦組合の理事長もされている。職人を派遣する時にいつも問題になるのが『手間賃』です。平時の1.5倍の賃金となるのが常です。でも今回は震災なんです。そのことにぼくも違和感を感じていたし、竹田さんも同じだった。そして今回来てくれた職人さん方にもそのことを伝えてくれた。『君ら、組合で出向となれば1.5倍の手間賃になるけれど、きたざわのところはいつもと同じ。それでも行くか?』と。彼らは快諾してくれたんです。その時に竹田さんが言った言葉。

『このままでは日本の瓦がなくなってしまう。ましてこんな時に1.5倍も2倍も手間賃上げて経費もかけてやっとったらなお更のことや。君らきたざわの現場のために行くんじゃない。日本の瓦のために行くんや』

このお話しを聞いた時、ぼくは身震いしました。

≪工事が完了したO様≫
O様のお家を新築させていただいたのは、今から26年前。その後も年末アフターサービスや日頃のメンテナンスでずーっとお付き合いしてきました。昨年ご主人を亡くされ、ひとり暮らしをされているところに今回の震災です。子供たち家族は釜石に住んでおり、甚大な被害を被ったために龍ヶ崎に来ることはできません。屋根瓦が崩落し、ひとり暮らしの夜に余震の連続。恐くてお風呂に入れない毎日が続いていました。とにかく早く修復してあげたい!!

そのO様のお家、奈良のかわらぶき職人の手によって、地域では一番に復旧されました。その時にO様、目に涙を浮かべてこんなことをおっしゃってくださいました。

『きたざわさん、あたしはもうこんなおばあちゃんになっちゃいましたけどね、しんせつにしてくださって、、、、、ありがとう。きたざわさんのおとうさんのじだいから、、、26年間おつきあいしてきて、ほんとうによかった・・・・』

ぼくの存在を必要としてくれている人が、いる。

≪父の姿≫
今回の震災で屋根瓦が崩落してしまったのは、ほとんどが父の時代の建物で20年以上前の建物です。今回の震災で無残な姿となってしまった自分が作ってきた家の数々を、父はどれほどのやるせない気持ちで見つめていたことか。特に地元での信頼が厚かった父は、軒並み崩れてしまったことに自責の念を抱いているかのようでした。

その中の一軒K様邸(築30年)は、父の父、ぼくにとってはお爺ちゃんの時代から縁があるお家です。今は二人暮らしのお家、やはり棟瓦が全部崩落してしまいました。
連日瓦の養生に飛びまわっていたぼくたちですが、まだK様邸まではまわる事ができなかったときのこと。75歳になる父が地下足袋を履き、屋根に上って作業をしてくれていたのです・・・。

危なっかしいったらありゃしない!と思う反面、ぼくはその姿に、感動しました。『自分の娘に振り袖を着せたような家づくり』をカラダで教えてくれたんです。屋根やさんが来れないから仕方ないじゃないか、風が吹いたんだからシートが飛んじゃってもしょうがないじゃないか、余震がすごいんだから屋根なんて危なくて上れないよ、瓦が崩れたって仕方ないよ。そんな言い訳はいくらでもある。
でもこの家、自分が作った人生の足跡なんだ。人生そのものなんだ。そのくらいの気持ちでつくった家なんだ。そしてその屋根の下には不安で不安で眠れないお客様がいる。自分にできることを、なんとかして、なんとかしてやるんだ。。。屋根上地下足袋姿の75歳のおやじ。すごいね。

≪稲川さんとあんちゃん≫
3月11日の震災の翌日朝早く携帯電話が鳴りました。いつもセルロースファイバーの断熱工事や竣工時の完成クリーニングをお願いしている稲川さんです。
『しゃちょう、わたしねー考えたんですけど・・・こんな大変な時にね、、、、仕事やってる場合じゃないよねーーー。わたしにできることがあると思うんですけど・・・とりあえずこれからそっちに行きますから、、、、シート掛けでも何でも手伝わせてください。。。』
それから2日間、稲川さんはまるきりボランティアで馴れない屋根に上り、一所懸命シート掛けをしてくれました。ほんとうに頭が下がります。

ぼくには学校の教員を務める兄貴がいます。いまでも『あんちゃん』って言って慕っています。そのあんちゃん震災後自宅待機となり、土日も重なった。『おさむ、手伝うから』って言ってくれたんです。延べ4日間も!!!、骨身惜しまずまるで瓦職人のごとく働いてくれた。すごいなぁ、ほんと。

こんな時にその人の真価が現れるんですね。順風の時、立派なことを言うことは誰でもできる。美しい立ち居振る舞いをすることは誰でもできるんだ。困難に直面しときにその人の真価が問われる。研修で学んだことをそのまま娑婆で体験しています。

この震災で、むちゃくちゃ嫌な体験、悔しい体験をしました。むちゃくちゃうれしい体験、感動の体験をしました。毎日のように涙を流しました。その様子を毎日ブログに書き込んでいますので、よろしかったらご覧ください。『おさむのブログ』で検索してください。

まだまだ震災復旧は始まったばかり。こんな時こそ力を合わせ、一緒に乗り越えて行きましょう!!!更に素晴らしい世界が必ずある。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おさむのひとりごと4月号

2011年10月13日 12時42分01秒 | 家づくり
昨日にひきつづき、おさむのひとりごとを掲載させていただきます。いよいよ震災が発生した3月に書いたものです。

おさむのひとりごと2011-4

ぼくたちは『自然の中で生かされている』『自然の前には無力だ』そんな当然であったことを実感させられる大災害に直面しました。東北関東大震災。あなたさまもきっと様々な形で被害にあわれたのではないかとお察し申し上げます。幸いこの龍ヶ崎近辺は、テレビに映し出された津波被害などの甚大な災害には見舞われませんでしたが、それでも屋根の崩落、壁の崩落、外壁の亀裂、内壁の亀裂、汁器類の破損、家電品の落下破損などで、これまで経験したことのない被害を被りました。市内では壁の崩落により、亡くなられた方もいらっしゃいます。

コンビニエンスストアーの陳列棚からは商品が消え、ガソリンスタンドは3kmにも及ぶ長蛇の列となり、震度5の余震が連日発生し、様々な催しが中止となりました。テレビからは福島第一原子力発電所の格闘と放射能汚染が報道され、死者行方不明者2万人以上、避難生活者25万人以上という、計り知れない状況に追い込まれ、『いったいこの先どうなってしまうのだろう』と誰もが不安のどん底に陥りました。

あらゆる業界がそうであるように、建築業界にも大打撃となる情報が飛び交いました。アルミサッシも、ガラスも、合板も、石膏ボードも、システムキッチンなど住宅設備機器も、屋根瓦も、ルーフィングも、クロスのパテまでも『出荷停止』となってしまったのです。

北澤工務店では4回線ある電話は止むことなく鳴り、屋根瓦の崩落の相談71件、内装や外装の亀裂の相談52件の受付をするに至りました。

地震直後、社員総出で現場の見回り、そしてぼくはOB施主様のお家を無我夢中で走り回りました。特に気になったのは、ご老人世帯やご主人を亡くされたお客様です。初日はとにかく『また来ますから!!!』とだけ言い残し、走り回りました。

2日目から屋根瓦崩落のお家の養生作業に取り掛かりました。もちろん屋根職人は来てくれません。自身の受付で手一杯になっているのです。後から聞いたことですが、500件以上の相談を抱えてしまったとか。そんなわけですから、屋根に上ったことがない設計マンから妻まで駆り出し、10日間連続で、昼食もとらず、とにかく養生の作業に終われました。

ぐしゃぐしゃになった屋根瓦の家の風景。その数に、養生作業を始めてすぐに気づいたことがあるんです。『やばい、このまま瓦屋さんを待っていたら、2ヶ月3ヶ月どころではなく、1年先2年先になっちまうぞ!!』と。

今回の震災はとにかく範囲が広い。南北500km以上に渡って被害が出ているという。ということは、みんなで資材の引っ張り合い、職人の引っ張り合いが必ず起こる。先に手を打たなければ!!!

東京の工務店の社長に相談したところ、『こっちもぜんぜんダメだ! それより北澤君、合板がなくなるぞ。石膏ボードも市場から消えた。確保しておいたほうがいいぞ!』そんな感じです。山梨の友人にも『瓦屋さん紹介してくれ!!』と電話をすると、すでに組合単位で行政から依頼が来ているらしく難しい模様。こうなったら関西だ、と思い、友人を伝って探し回りました。こういう時の友人の存在って、ほんとうに大きいですね。たくさんの方が力を貸してくれました。各方面に働きかけてくださいました。涙がでるほどぼくはうれしかった。静岡、長野、滋賀、京都、奈良、徳島。激励の電話は沖縄からも届きました。

そんな中で、奈良県の瓦屋さんが『行ってあげてもいいよ』ということになり、話しはとんとん拍子に進み、この「おさむのひとりごと」が読まれている頃には復旧工事が始まっていると思います。
その方、奈良県の竹田さんといいます。人柄がにじみ出ているような方です。120年も続く瓦工事の会社で、阪神淡路大震災の時にも出向いているのだそうです。その時には嫌な経験もされているのだそうで、その経験を踏まえて今回に臨んでくださっています。さっそく奈良から現地調査に来てくださったり、一日に2回も3回も電話をくださったり、ほんとうに頭が下がる思いです。

この方と出会うまでにぼくも嫌な経験をしました。それはやはり『お金』にまつわることです。ぼく的には、こんな被害状況ですからある意味『ボランティア精神』まではいかなくとも、『よっしゃ、ひと肌ぬいだろか!!』みたいな感じで来てくださるのかな、と甘い考え?を抱いていたんです。で、通常のこちらの職人の相場の手間賃と往復の交通費、宿泊費と三食見ますから、って言ったんです。そしたら、最初は『○○さんの紹介やから行ってあげますわ!』って言ってくれていたんですが、その後『普段と変わらない手間賃なら、こっちで仕事していたほうがいい、って職人が言うんですわぁ。今回の話はなかったことに。えらぁ、すませんな』と!!。その方に期待していたぼくですが、ひと言も反論せず、『わかりました・・・』と電話を切りました。

これも後から聞いた話なのですが、阪神淡路大震災の時も同じようなことが起こっていたのだそうです。職人の手間の暴騰です。いわゆる『ぼったくり』です。中には一日職人ひとりの手間が6万円、宿泊三食付、交通費付で、夜は宴会!!そんなことが起こっていたとは!!!!被災側はやっていただけないことにはどうしようもないですからね。足元を見る、というやつですね。最悪です。そういう輩(やから)にとっては、災害は『ぼろ儲けのチャンス』でしかない。すでにこの龍ヶ崎近辺でも埼玉など被害が少なかった県外ナンバーの瓦業者が訪問営業で法外な値段で契約をして消費者センターが仲裁をした事例が出ているんです。ふぅ~、、、。

竹田さんが奈良県より2組派遣してくれることになり、闇の中に光が差してきたような思いです。

・・・・・・・・・・・・・

3月22日には次男坊の卒業式があったのですが、アタマの中はうわの空でした。前代未聞の大災害の最中、これも一つの貴重な体験として、乗り越えていきます。あなたさまも不安の渦中にあるかと思いますが、一緒に乗り越えて行きましょう!!!





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日からお休みをいただきます。

2011年10月12日 08時32分17秒 | 自分のこと
きたざわおさむ、本日より来週水曜日まで、長期のお休みをいただきます。お客様をはじめ職人の皆様にはご迷惑をおかけしますが、パワーアップして帰ってまいりますので、どうぞよろしくお願い致します。

留守中のブログ、どうしようかなぁと思ったのですが、旅行の話を書いてもなんだか変ですし、そうだ!!ということで震災以降のカタロ通信に掲載している『おさむのひとりごと』を連載させていただきます。

まずは3月号です。この3月号を書いたのは2月ですから、まだ平和な雰囲気が漂っている文面です。明日は4月号を載せます。

以下長いですが、よろしかったらご覧ください。

おさむのひとりごと2011-3

 3月ですね。例年よりも雪が降ることが多かったこの冬。やはり地球が悲鳴を上げているのでしょうか。昨夏も物凄く暑かったからですからね。ある学説によれば、地球にも寿命があるという。もちろんぼくらの世代や近々の子孫の時代にそうなるわけではないけれど、生命の有限性の中でぼくらが生きていることは間違いなさそうです。その中でのわずかなぼくたちの生の時間。。。そんなことを考えているとなんとなく切なくなってきますけど、それが事実なんですよね。ぼくらには明日があるかもしれないけれどないかもしれない。だから、いまここ、この瞬間瞬間に生きる以外に人生はない、そう思うんです。
もうすぐ春です。いかがお過ごしでしょうか。

 ぼくは来月44歳になるんですよ。あっという間ですね、ほんと。その中で妻と出会い、3人の子供たちと共に家族を成長させてきた。その昔、大人はみんな立派、というか、自覚のある存在だと思っていました。親は始めから『親』として存在していると思っていました。
 でも自分がこうして3児の親になり、中年になってみて振り返ってみると、ちょっと違う感覚があります。
 それは、ぼくらは、大人になるのも初めてだし、親になるのも初めての経験であるということ。何もわかっちゃいないんです。わかっているふりをしながら歳を重ねて、経験を通して、それらしくなっていく。だから、大人として、親として、たいそうな口をきけたもんじゃない。偉そうなことを言えたもんじゃない。みんな初めての役割、体験なんだから。
 そんなことを感じていたら、『あぁ、ぼくはこの家族と共に、親としてよちよち歩きから成長してきたんだなぁ』なんて当たり前、当然なことがじわーっとこころに浸みてきました。
 で、その家族にどんなことをしてきたんだっけかなぁ、と思いを馳せたら、けっこうぼくなりの『家族のルール』がありました。そのいくつかを書き連ねてみたいと思います。

≪家族優先≫
 長男が高校2年生、長女が中学2年、次男が小学6年になりました。これまでもそうだったんですが、いまの子供たちって忙しいんですよね。習い事もひとつじゃなかったりしますし、部活だとかテスト勉強だとか友達と遊ぶだとか何だとか。
 でも小さい頃からずーっと言っているんです。『家族優先!』って。小さい頃から言っているから我が家にとっては特別な言葉ではないんですが、誰かが反れようとすると、『家族優先っ!!』って言葉がどこからともなく飛んでくる。ディズニーランドに行くとか、外食するとか、家族旅行に行くとか。朝ごはんも、ぼくがいれば夕食もみんなちゃんとそろってから食べます。全てに『家族優先』なんです。途中から言ってもたぶん難しいでしょうね、こういうの。

≪食後の儀式≫
ごはんを食べた後にちゃんとごちそう様しますよね。我が家ではそれに加えた言葉があるんです。それは『ごちそう様でした。とってもおいしかったでした。』って、みんなで声と手を合わせてやるんです。毎回々々、どこでも。レストランでもやるもんですから周りの人の目を引きますが、これが我が家の家族のルール。ずーっと昔からやっているから何の違和感もない。家族だけの言葉って、結束力を強めると思います。
小さい頃はできなかったけれど、3年ほど前から自分の使った食器は自分で洗って流して拭いてタンスにしまうことになっています。これ、いやいややっちゃ意味がないんですよね。当然のようにやる。家族みんなで協力しながら洗い物するのはことのほか楽しいものです。食器洗い乾燥機もいいけれど、手洗いしながらあーだのこーだのやるのもいいものですよ。じゃんけんで洗う人を決めたりもするのですが、負けた人がやるとイヤイヤになっちゃいますから、じゃんけんで勝った人が『ハイ喜んでー!!』とか言いながらやるんです。ゲーム感覚ですね。楽しくなくちゃ続かないですから。

≪子供部屋がない≫
だいたいお父さんの部屋がないんですから、子供部屋なんて、なくて当然!!!。。。。ま、それはへその曲がった考え方ですかね。
ぼくは家づくりという仕事を通して、『家族』というテーマに取り組んでいます。自分たち家族がどんな家族になりたいのか、どんな家族で在りたいのか、とても重要です。
その中で、子供部屋をどうするか、です。
欧米式LDK発想が高度成長期に公団を中心に取り入れられ、定着しました。子供部屋は収納+6畳しかも南側、みたいな感覚です。
子供の自立性・主体性を重要視する方に好評なこの子供部屋。それはそれで常識的ですよね。
でもぼくは少し違うんです。
子供部屋そのものが個室として必要なのかなぁ、って思うんです。ぼくの描く家族像は、一体感があるんです。こんなに大変な、これだけ混沌とした世の中なんです。家族だけは一体感の中に強い絆で結ばれていたい。子供たちにとってもぼく自身にとっても。
だから我が家では、仕切りのない立体的な空間を子供部屋として用意しました。入り口はひとつ、3人一緒です。それぞれが自分だけのコーナーをつくっているだけです。で、もう年頃の子供たちですから、当然ながら『あぁー自分の部屋が欲しい!!』とか言うんですよ。だれだれちゃん家は広い個室があってベランダがあって・・・って言うんですよ。そういう時にぼくはこう言うんです。『ここはお父さんがつくったお家だから、嫌だったら早く自立してアパートで1人暮らしをしなさい』って。二の句がないですね、子供たち。
子供部屋に対するぼくのおすすめは、子供部屋はなるべく居心地悪く、家族の集まる居間を最大限快適に!!です。もちろんテレビは1台。みんなでケンカしながら番組の取り合いしたらいいんですよ。小さい頃からそれが普通だったら、なんも問題なんてない。我慢するとか、分かち合うとか、自然に身につけていくもんです。少しの不自由さの中にこそ、ほんとうの豊かさがあったり、絆が育まれる素地があると思うんです。

 この『家族のルール』、実はもっとあるものですから来月も続けて書いてみたいと思います。

 3月は別れの季節ですね。末っ子のしゅうへいも小学校の卒業式です。『それを想うだけでうるうるしちゃうわぁ』とは妻の弁。さてさてどのような卒業式を迎えるのでしょうか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事風景

2011年10月11日 10時57分41秒 | 家づくり
北澤工務店ではよく 『耐震改修工事』 のご依頼をいただきます。今回もOB施主様のご実家のご相談を受けました。築35年のそのお家。家族が立派に成長し、それぞれ巣立ち、これからの二人暮らしを安心・快適に過ごされたい、とのご相談です。

耐震改修工事は、高度な専門知識と経験が必要です。北澤工務店ではあえて外部の専門家に依頼して、客観的に耐震性能が向上するようにしています。その方と私と設計松葉君の打ち合わせ風景。



本来は1.0の等級まで上げたいところですが、現況が0.34。費用対効果を考えると、0.9UPくらいが目標値となりそうです。その具体的な改修方法を打合せするのですが、これがまた楽しい。これって、正解がひとつじゃないんです。いろいろな正解がある。それぞれの知識と経験をテーブルの上に並べて議論するんです。



実にいい仕事をした、って感じです。

ではまた。

おさむ





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が家が!?

2011年10月10日 08時55分06秒 | 家づくり
建ててから16年経つ我が家。今でもそのコンセプトがすばらしいと、大変気に入っております。新建材を用いない無垢の家。在来工法ならではの真壁造り。個室が少ない大空間のワンルームスタイル。回遊性のある間取りなどなど、今でも古さを感じさせないと自負しています。



あれ!?!?!?なんかへん!!!屋根の左側の下の方・・・・・。



あちゃーー!!ひと様のお家ばかり見てきましたけれども、あたくしのお家も被災しておりました。山梨のかわらぶき職人のふるやさんが朝のお散歩???の時に発見してくれたのでした。あの地震の時はなんでもなかったのに・・・・。あ、そっか。台風15号だ。。。裏側から見るとはっきりわかります。



当時はケラバ瓦の下に、谷を入れなかったんですね。だから横なぐりの雨の時などには、下地の材木がもろに雨に打たれてしまう。腐れかけてきていたところにこの台風で煽られ、こんな状況になってしまった。

なんとか応急処置しようと思いますが、自分の家って、なんでこう、、、、おっくうなんでしょ。それとまた感じたんです。この瓦、当時平板瓦ですっごくかっこいいと思って採用したんですが、すぐに廃盤になってしまって、もうないんです。つまり、このケラバ瓦も落ちてしまって割れてしまったら同じものはない!!!

だから、流行や最先端もいいけれど、長期にわたる主要部分の材料、例えば瓦や外壁材、雨樋や窓回り、便器や水栓金具等々は、スタンダードなものがいいですね。普遍的なデザインや部材がいい。お家は何十年と住まうものだから。

ではまた。

おさむ






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若者はすばらしい。

2011年10月09日 14時19分00秒 | 自分のこと
いやーー、若者ってすばらしい、ほんとにすばらしい。

一昨日前、17歳の若者二人と一緒に焼肉屋さんに行ったんです。17歳というと若者というよりも少年に近いかもしれませんね。法律上もそうなっている。でも彼らは今回立派な社会人として就職した。ぼくとの約束でもあり目標を達成してくれた。そのお祝いに焼肉!!!ということになったのです。

びっくりしたのは、ぼくの話を聞くときの態度です。焼肉をガツガツ食っているときでさえ、真面目な話をし始めると箸を止めて、しっかりとこっちを見て、うなずきながら話を聞いてくれる。もちろん礼儀も正しい。レジを済ませて外に出ると、ちゃんと『ごちそうさまでした』とアタマを下げる。ぼくの夢を語った時なんて、目がキラキラしているかのようにさえ見えた。

彼らにはこんなことを言った。『フツーに高校に行って社会人になって現代の流れに順応している人には、このへんてこな社会を変えられないと思っている。お前らのように「なんだかしんねぇけど、おかしいよ!!」って思っている奴らこそ、次の新しい時代をつくるんだ。いまの社会に順応できないってのは悪いことばっかりじゃない。いまのへんてこな世の中に対して素直に異和感を感じている証なんだから。学校でいうアタマがいいっていうのは記憶力がいいだけなんだ。だからお前ら、大丈夫なんだ。その爆発的なエネルギーを向ける方向を定めたら、すんごいことできるぞ!!』

ぼくは若者の魂の叫びを信じている。その叫びが新しい時代をつくるんだ。ぼくはその若者と関わることができることに、ことのほか喜びを感じる。

そして、彼らと一緒に次の目標を定めた。

① 来年の夏、富士山に一緒に登る。

② 貯金を10万円貯めたら銀座のはまちゃんのお店に連れていく。URL→ http://vietnam-alice.com/ はまちゃんに報告済み~!!!

この二つ。んんんん!!楽しみです。

ではまた。

おさむ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい感じです。

2011年10月08日 19時46分20秒 | 家づくり
先日上棟したK様邸、いい感じです。どこから見てもかっこいい!!!



こちらから見てもかっこいい!!!!!



間取りをご紹介できないのが残念ですが、動線も現代的な間取りの手法ですっごくいい感じなんです。ぼくはもう完成した状態の家の中を歩いていますので????(笑)すごくわかるんです。棟梁の秋葉さん、ひとりでコツコツやっていて歩みはゆっくりなようでも、着実に造られています。

お客様のブログをぜひご覧ください!!

http://mukunoie4040.blog.fc2.com/

・・・・・・・・・・・・・・・・

こちらは土葺の瓦が崩落してしまい、全面葺替えとなったN様邸。瓦が搬入されました。






来週から本格的に瓦葺き工事が始まります。

ではまた。

おさむ




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昨日のあの現場

2011年10月07日 17時00分44秒 | 家づくり
OB施主様のお姉様にあたる昨日の現場。昨晩も雨が降りましたよね。。。やっぱりたっくさん漏れてきたそうです。でもっ!!!今日からは大丈夫!





正面をおんじさん、裏側をきむらさん、みずしまさんが養生してくれています!

ご親戚の方も集まってきてくださって、『ほんとによかったねぇ!ほんとによかった。。』 と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

山梨のふるやさんチームも、ほんとにほんとにおつかれさまでした。超ヘビー級のI様邸、やっと明日完成の見込みです。むっちゃくちゃかっこいいです。職人の魂が注ぎ込まれているかのような雰囲気に満ち溢れています。



明日で新潟のみなさんも山梨のみなさんも、ひとまず郷里へ帰還です。ほんとうにいつもありがとうございます。多くの方々が皆さまの 『腕に』 助けられています。

ではまた。

おさむ




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひどすぎるよ。

2011年10月06日 17時39分31秒 | 家づくり
昨日は 『意外とお申し込みがない・・・』 なんて書きましたが、今日は2件の屋根修理工事のお申し込みがありました。そのうちの一軒はOB施主様のお姉さまにあたるお家で、早速行ってまいりました。

・・・・・・・ひどいです。ひどすぎます。まるで放置されている。

おばあちゃんの一人暮らし。おばあちゃん一人でできることは限られている。これまでお付き合いしてきた工務店や大工さんもいるはず。まして、すぐご近所にいつも屋根工事をやってもらっている瓦屋さんがいるというではないですか!!!!!もちろん再三再四お願いをしていると!!





これほどの状況ですから雨漏れもひどいんです。昨日の強雨ですから漏れているというより 『降っている』 感じだと。先日のお客様と同じことを言ってました。『雨が降ると眠れないんです。バケツがすぐ一杯になっちゃうから・・・』 たぶん多くの方は、尋常な気持ちで次の写真を見ることはできないと思う。



天井も抜け落ちてしまいました。畳も大変なことになっている。できる限りのことをして差し上げたい。

北越瓦工業さんの皆さんに予定を変更してもらい、明日一日で、まずは雨漏れしない状況をつくります。

ふぅ~。。。。

ではまた。

おさむ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

意外と・・・

2011年10月05日 21時55分30秒 | 世間ばなし
毎度毎度書かせていただいているように、周囲のブルーシートの屋根はあまり変化がありません。

で、これまではOB施主様を中心に修復工事をしてきた北澤工務店ですが、これからは一般のお客様のお役に立とう!!ということでカタロ通信や甘味cafe空~くう~でPRをし始めたんです。

でも、予想に反してほとんど反応がない。

これって、どういう意味なのだろう。

北澤工務店の信用がないのか。

最初に頼んだ瓦屋さんをじっと待っているのか。

それにしても今日も強い雨。きっと雨漏れしているお家もあるだろうに。。。

心中複雑な思いです。

ではまた。

おさむ




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学ぶ姿

2011年10月04日 18時16分05秒 | 家づくり
大工棟梁のあいばさんの学ぶ姿に感銘したのでご報告。

現在F様邸の新築工事を担当してもらっている棟梁のあいばさんは、とても研究熱心なことで職人仲間に知られています。今回も屋根工事で来ていただいている北越瓦工業の職人のみなさんと打ち解け、現場が非常にいい雰囲気です。そしてそのあいばさん、こんなこと言ってました。

『新潟の職人さんと一緒に仕事できるなんて滅多にないことですからねー。いろいろ教えてもらいたいんですよ。』

ややもすると、ほかの職人の仕事なんて知らん振りすることすらあるのに、あいばさんは違いました。その写真。



『へぇ~、そうなんですかぁ!』『なるほど!!!』と下まで声が聞こえてきます。

『いやー社長、すっごくいい職人さんたちですよ!!!』と絶賛のあいばさん。

せっかくですから記念写真。



『あ、やべぇ、またしゃちょうにブログにのせられちまうわぁ!!』 とは、ぼくの大好きなおんじさん。(右から2番目)

予定よりも早く、F様邸の屋根工事が完了しました。

ほんものの職人の世界は、素晴らしい。

ではまた。

おさむ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ごっそり・・・・横綱級

2011年10月03日 18時22分28秒 | 家づくり
本日より、新潟県村上市の北越瓦工業の皆さんが『第二期その1』として来郷です。職人のみなさんが現場に励む間、板垣社長とは見積を含めた現場回り。

で思うんです。だいぶ瓦の落ちた現場は減ってきたように見える。がしかし、ごっそり落ちてしまった横綱級の現場はほとんど手つかず・・・。実際問題、ひとり親方のかわらぶき職人では手が出せない、というのが実情なんでしょう。こちらの現場もそのような状態です。



屋根に登ってみると



2階の屋根瓦が崩れ落ち、1階の屋根を壊す。



裏側は更に深刻な状態でした。



ふぅ。。。。。

北越瓦工業のかわらぶき職人のみなさま、こころより、、、よろしくお願いいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・

明日は山梨からふるやさんチームが4人でin龍ヶ崎です。

ではまた。

おさむ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

O様邸地鎮祭

2011年10月02日 19時15分33秒 | 家づくり
先日ご契約をいただいたO様邸で地鎮祭が執り行われました。今回私は出張のため参列できなかったのですが、監督長澤・設計松葉が仕切ってくれました。

O様により地の神様へ 『工事始めさせていただきます。よろしくお願いします。』 の気持ちを込めて行う 『鍬入れの義』。ぜんぜん違う話かもしれませんが、結婚式の 『ケーキ入刀』 を思い出しました。(失礼!汗)



施主様ご家族・工事関係者の記念写真。大工棟梁は千尋建築さんほか基礎工事の頭・野村さんと監督長澤。



これから基礎工事が始まり、やがて北澤工務店ファミリーが誕生します。むっちゃくちゃ嬉しい気持ちになります。

・・・・・・・・・・・・・

O様邸から車で15分くらいのところで一人励んでいるのは、先日上棟したK様邸の棟梁秋葉さん。コツコツ・こつこつ、家らしくなっていきます。



家づくりの仕事って、ほんとうに、すばらしいなぁ。

ではまた。

おさむ



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする