拙宅の二階ベランダから西の方角を眺めると,はるか遠くに《富士山》が望まれる。手前に西丹沢の山々の稜線が控えているため,あいにく裾野の下部まで広く可視することは出来ないが,それでもやはり霊峰・富士の眺めは見事であり,威厳に満ちている。まるで富士山を見ているようだ!といった自家撞着を疑問に感じないくらいに,それは美しい。なお,近景を埋め尽くしているゴチャゴチャと混在した工場・住宅群,送電線鉄塔などなどの景観については。。。 こちらはコメントする気にもなりません(汗)
これまた,ずっとずっと昔のこと,二十歳の記念に富士登山をおこなった。その年の七月,国鉄線御殿場駅に降り立った私はそこからすぐに歩き出し,山麓の広大な原野に展開する自衛隊駐屯地・演習地のなかを通り過ぎ,御殿場口のルートから頂上目指してスタスタ登っていった。当初は田子の浦あたりから,すなわち標高0mから日本最高地点までの登山を目論んでいたのだが,諸般の事情により予定を変更して標高450mからのスタートとなった。それでも一日では頂上までたどり着くことができずに,途中,七合目付近でビバークし,二日がかりの登山であった。あいにく天候があまりよろしくなかったので下界は広く雲におおわれており,山頂は雲海の上,日本最高地点からの眺望を満喫することは叶わなかった。けれど,噴火口の縁に沿って頂上を周遊するお鉢巡りの何と楽しかったことか! それはまさに身をもって巨大火山を実感した貴重なエクスカーション(巡検)であった。下りは須走ルートを一気に下っていった。時間を計っていたわけではないが,恐らく鵯越の逆落とし並みの駆け抜けるような速さだったろう。当時は気力・体力がそこそこ充実しており,自分で言うのも何だが,まるで若魚みたいだった。ああ,そんな時代もありました。
爾来,今に至るまで富士山への再登頂は果たしていない。朝な夕なに自宅から,あるいは盆地内外のさまざまな場所から眺めるのみである。なお,当盆地内には「毎日富士登山」をしているという古稀を過ぎた御老人が住まわれているとのことで,最近さまざまなメディアで話題になっていた。さすがに毎日というのはアブノーマルな行動だと思うが(失礼!),四季折々に富士山の自然や山肌を直に感じることはそれなりに気持ちのよいことなのだろう。けれどもされども,現在の私にとっては富士山は単に日々眺めるだけの山に過ぎないのだ。別に拝んだり崇めたりすることはなく,ボーッと眺めてはどことなく安心している。今日も富士山は無事に御座します。日々好日也。ヨシヨシ。その心情を何ら恥じることのない等身大のジンセイか。って,そんなこんなで年が暮れてゆく。 ワンワン