ポール・ルカの映画館ライブ

2004年04月11日 | 歌っているのは?
 毎年恒例の事ではあるが,この三月は特に忙しかった。3月1日から27日までの正味27日間,とにかく連日連夜働き詰めだった。左様,父が永遠に悲劇的なのは人の世の常であって,とりわけ今の時代,零細自営業者にとって導かれるべき約束の地など断じてない,ブツブツ。とかなんとか呟きながら,ただただひたすら仕事に励んでいた次第であります。そして結局のところ何が残ったというのだろうか? 一息ついた今になって思い返してみても頗る心許ない。

 その間,仕事以外でしたことといえば,そうさな,日々二つばかりのルーチンを半ば強制的に付加していた程度だったと思う。

 そのひとつ。少し前に巷間話題になっていた桐野夏生『OUT』を読んだ。不用不急の読書会という付加,というか負荷。本来の仕事に支障をきたす懲罰的ルーチンともいえる。ただし,一気に読むにはあまりにも時間的余裕がなかったので,1日1セクションだけと決めた。要は新聞小説的な読み方だ。結果,二週間くらいかけて大変興味深く読了した。人物像の細部に多少のホコロビが見受けられるものの,全体として骨太でリアルなストーリー展開がなかなかに読ませる物語であった。つかのま,不良少年が上質の耽美映画を見たかのような高揚した気分を味わった。ただし主題は少々ズルイ感じがしましたけどネ。

 もうひとつのルーチン。それは,ポール・ルカPaul Loukaのライブ・アルバムを毎晩必ず聴くという不用不急の音楽会だった。ただし,こちらの方は初めから懲罰的意味合いは全くなく,まるで精神安定剤を飲むような悦楽的儀式と言った方が当たっている。《Paul Louka/Enregistrement public》(RCA PL37342)というそのアルバムを知っている人は恐らくそう多くなかろうと思われるので少々説明しておくと,これは1978年,ベルギー共和国の首都ブリュッセルにある「リオ」という映画館で催されたコンサートである。2枚組のLPレコードに全24曲が収録されている。70年代初めから半ばにかけて作られた比較的よく知られた曲が多いが,《親愛なるレオン》《旅人》といった新曲も含まれている。

 さほど遠くない昔,このライブ・アルバムを最初に聞いたときに即座に受けた感じ,何とも言い難い懐かしさに包まれた解脱感というか救済感は,その後もずっと我が心の奥底に深く影を落としたままで,それらの歌々は現在でも私の内面,というか内耳の裏ッ側にシミのように染み付いて離れない。ちっぽけで取るに足らぬ悲劇的人生にも,時には幸せの邂逅があるものです。そう,人生は生きるに値する(by熊本さん?)

 コンサートはギラン・スペックの洒落たピアノソロで幕を開ける。メッセージ的な詩の一節がブッキラボウに朗読された後,一気呵成にまくしたてるように突き放すように《あばよ,ルイーズ》が歌われ,そして一転,次にはスイング風の心地よいギター・メロディーをバックに意外なほど軽やかに,まるでスキップでもするように《失くしたもの,そして今あるもの》が歌い出されるのだ。もうまったく! いきなり裏をかかれちまったじゃないか。晦渋と受容,シカメッ面とリラックス顔。このあたりで気分は完全に70年代に突入である。混沌の時代へとタイムスリップである。《僕はコドモなんだから》の茶目っ気,《キリスト,レーニン》のシリアスがさらに追い打ちをかける。まだまだ,お芝居はこれからだ,とでも言いたげに。そんな精神的高揚が共有される時間の連続に浸れることを僥倖といわずして何といおう。

 《サクランボ》の美しさにはいつだって言葉を失ってしまう。さらに,《泣くんじゃないよ》《逢い引き》《私のギターはもうスペインを歌わない》と絶え間なく寄せては返す波のように積み重ねられてゆく真摯な歌の数々に我が脆弱な心は翻弄され続ける。そして,《イヴォンヌといっしょに》の快活なメロディーが駆け抜けたあと,《ジャンの女房》でシミジミと舞台は終幕へと向かう。

 途中,関根弘(階級意識をもったアバンギャルディスト)との類似性を感じたりもするのだが,むろんそんなことは皮相的な戯言に過ぎない。あるいは,事情通は彼に対して「人間観察に長けた北方的パルナッシアン」とでもレッテルを貼るのか知らんが,それもまたドーデモイイことである。大事なことは,実にそのLPレコードが今から四半世紀も前のブリュッセルの街の片隅において,強靱な精神史の意匠をまといつつ一時代の凝縮された断面を鮮やかに記録し再現していることだ。

 余計な思い出を晒すと,ブリュッセルBruxellesの街は遥かな昔,ほんの二日ばかり滞在したことがある。それは1973年初夏のことで,右も左も何~んにもわからんコドモであった私はドーバー海峡をフェリーで渡ってオステンドOostendeに上陸した(当時はオステンドのことなんて何も知っちゃいなかった!) それから幹線鉄道に揺られてブリュッセル市内に入ったのは黄昏に近い時刻であったと記憶している。ひとり身の心細さと未知への憧れとを子猫のように抱きながら北ヨーロッパの古い石の街を初めて実感した次第だ(あー,ハズカシイ)。いや別に荒野を目指していたわけじゃないんだけどネ。

 その頃,ポール・ルカは何処にいて,どのような歌を歌っていたのだろうか? などと,この年になってまるで病み上がりのような古びた気分で想像してみれば,これまた古い記憶が混濁しはじめて,泣きたくなるような美しい風景と美しい音楽とが幻想のなかでシンクロする。馴染み深い歌はいつだって何かを思い出させる。まるで時を駆る旅人に憑依したかのように。ふと,こんなイメージが浮かんだ。それは私が小学校に入って間もない頃か,あるいは小学校の高学年になった時分か,もうすっかり記憶が曖昧になってしまったけれども,学校作文集だかの巻頭に校長先生が記していた印象的な文章の断片である。夢とか希望とか未来とかについての,どちらかといえばアリキタリの訓話であったが,なかで先生は北原白秋の歌を引用していた。それは大変に当を得た引用であったので,オトナはなかなか上手いことを言うもんだなぁ,などと子供心に感心したのを覚えている。


  珊瑚樹の花が咲いたら
  咲いたらといつか思つた
  珊瑚樹の花が咲いたよ

  あの島へ漕いで行けたら
  行けたらといつか思つた
  その島に今日は来てるよ



 思いはいつか叶うものだ。ボーイズ・ビー・アンダーシャツ! 約半世紀近くもの遠い昔,そんな風に説教して下さった先生も,はや遠に死に,はや遠に死んだことさえ,誰知ろうコトワリもない。超多忙期に悦楽的ルーチンとして課したポール・ルカのライブ・ステージは,混沌としたアタマの中でそんなことまでを感じさせた。過去から現在,未来へと続くひとすじの道。そして今また新たな仕事が,父としての新たな悲劇が始まろうとしているのであります。今年度も何やら忙しくなりそうで,既にして思わず溜息がでちゃったりして(ガックリ)。
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