iRiverの五目寿司化計画

2006年08月05日 | 歌っているのは?
 (承前駄言) 私が所有する携帯用MP3プレイヤーはアイリバーiRiver製の安物である。今日び流行のアイポッドiPodなどどいう洒落たモノとはほど遠いが,それでも音楽を手軽に聴くことに関しては必要にして十分なる機能を有しており,パソコンを介して楽曲の登録,削除,並べ替え等々のデータ編集操作がいとも簡単におこなえる。思えば今から数十年前,ポータブルラジカセとカセットテープで好みのシャンソン・オムニバス集なんぞをコツコツ編集していた頃と比べると,まこと隔世の感がある。時々は気分によって内容を入れ替えており,現在収録してあるレパートリーをざっと列挙してみれば以下の通りだ(一部省略)。

  シャルル・トレネ: パリに戻りて Revoir Paris
  レオ・フェレ: 狂おしき愛 L'amour fou
  フランシス・ルマルク: 放浪時代の想い出 Je me souviens de la boheme
  ジャン=ロジェ・コシモン: 私のセバスト Mon Sebasto
  ジョルジュ・ブラッサンス: 申し訳ないが Sauf le respect que je vous dois
  コラ・ヴォケール: 愛の残り香 L'amour a fait le reste
  セルジュ・レジアニ: 愛すること On s'aime
  マルセル・ムルージ: 一度のキスだけで Il suffit d'un baiser
  シャルル・アズナブール: 大根役者 Le cabotin
  マルセル・アモン: コオロギの歌 Chanson de grillon
  ジャック・ブレル: 愛は死んだL'amour est mort
  バルバラ: リヨン駅 Gare de Lyon
  ジャン・フェラ: 小さな酒場 Le petit bistro
  アンヌ・シルヴェストル: アベル,カイン,我が息子よ Abel, Cain, Mon fils
  レナード・コーエン: 歌手は死ななければならない A singer must die
  ポール・ルカ: 逢い引き Rendez-vous
  クロード・フランソワ: 電話が泣いている Le telephone pleure
  パコ・イバニェス: お前のように Como tu
  セルジュ・ラマ: ピガールの娘たち Les p'tites femmes de Pigalle
  サルヴァトーレ・アダモ: それが僕の生き方 C'est ma vie
  荒木一郎: 星が呼んでる
  小椋佳: 歓びから振り向けば
  ミシェル・デルペッシュ: 静かなる河の流れ Le fleuve qui coule en silence
  ベッチ・カルヴァーリョ: いつも Sempre so
  ちあきなおみ: 色は匂へど
  ジュリアン・クレール: 忘れてしまう J'oublie
  ダニエル・ギシャール: 走馬燈のようにHistoire d'une vie
  長谷川きよし: ラスト・テーマ 
  中島みゆき: 気にしないで
  山崎ハコ: 上を向いて歩こう
  新居昭乃: Moon Light Anthem
  倉橋ルイ子: タクシーは来ない
  近藤浩治: パックンフラワーの子守歌
  スピッツ: 青い車
  ケツメイシ: ドライブ


 とりあえず歌手の生年順にズラズラと並べてみましたが,まるで五目寿司ですな,こりゃ。一応,ひとり一曲を原則としており,ブレルの歌は最近《見果てぬ夢》から《愛は死んだ》に変えた。ちなみに後の方にニホンの歌手が多いのは,単に私が昨今のフランス歌謡事情に疎くなっていることの反映に過ぎない。もっとも,MP3プレイヤーにおいては通常歌の流れる順番をランダム設定してあるので,実際に次に何がかかるかはその時々のオタノシミ。ロシアン・ルーレットみたいなものだ。そんななかでブレルの《愛は死んだ》などが流れると,ハズカシナガラ,決まって胸がしめつけられるような切なさに心ざわめく自分を抑えることができない。ドーパミンだかノルアドレナリンだかアリナミンだか,あるいはセロトニンだかネオビタミンだかフォルマリンだかがジワリジワリと放出されているのであろうか。そしていつしか眼前の風景が微かに滲んでいるのに気付くことしばしばである。やはりこれも老化の一現象には違いあるまい。

 してその風景とはいかなるものかと申せば,例えば出張先の田舎の乗合バスの車中から眺めるノドカでヒナビた晩春の山里の佇まいであったり,列車の乗り換えを待つ夕暮れの無人駅のホームの片隅のサビシゲな情景であったり,あるいは早朝の地方都市で通学中高生が群れ歩く舗道上のザワメキの様子であったりする。時には制服姿の中学生の少女にすれ違いざま「お早うございます!」と元気よく声を掛けられたりして不意を突かれて驚くこともある。いやワタシとて決して透明人間ではないのであるからして,道を普通に歩いておれば挨拶のひとつも投げられる機会もあるだろうが,それにしても巨大都市圏およびその従属地域においては既に死語であるところの「敬老の精神」なるものが,東北地方の山奥のような本来の田舎にあっては現在でもなお必須の礼儀作法であり基本的な素養であることに改めて感心してしまう。それらもろもろの風景とともに過ぎてゆくアナログ的な時間の流れに身をまかせることは,行き所のない老人にとって大変ルーズでレイジーでブギーな気分になる。BGMには,おっと,セルジュ・レジアニが例の芝居がかった渋い声で何やら唸っているゾ。

  私の娘 私の妻よ 
  私の肌 私の魂よ 
  もし君がいなければ
  私はいったい誰であろう,何であろう... 

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