《幹》という名の,何とも脳天気なプロパガンダ

2000年01月19日 | 日々のアブク
 この忙しい時期にイヤなものを見てしまった。昨日だかのアサヒの夕刊コラムに,例の《幹》が性懲りもなくまたぞろ登場した。あれだけの「チョンボ」をやらかしたのだから,とうに「ショムニ」とかに配転されちまったか,あるいは薄暗い資料室の片隅でホコリにまみれてミイラ化してしまったのかと思っていたのに,忘れた頃になって再びノコノコと現れてきたりする。ヲイヲイ,ダイジョーブか,アサヒは?

 いわく。『住民投票がおこなわれる吉野川可動堰問題は,一種の天王山ではないだろうか』,『国のあり方を決める重大な分かれ目になる。そう私には思える』,『電話やはがきやFAXで「投票に言ってね。日本中が注目しているよ!」と伝えてほしい。そうEメールなどで広める運動である』云々。

 一応今回はコトバ尻には多少とも気を付けてはいるようだが(多分,室長あたりからキツイお小言をくらったのだろう),言っていることは相変わらずスズメ百までの類,匿名性を旨とするコラムゆえの強気か,脳天気なまでのプロパガンダ,どっかの誰かさんのメッセンジャー,義は我にありとばかりにブースカ文句をたれている。

 であれば当方も匿名性ゆえのヒボーチューショーで応対させていただく。《幹》なる御仁,やはりオバサンだろう。ヒステリック・ブルーならぬ,ヒステリック・ババー,って感じかな。もし男だったら,恐らく立花隆(敬称略)のような顔をしているな,きっと。「日本中が注目しているよ」なぞという逆説的言辞を,ともすれば本気になって喚き出すから,これがまた始末に負えない。この国に数多存在する公共事業のムダを「無知な庶民」に対してそんなにどうしても諭したいのであれば,例えば村野まさよし(敬称略)みたいに,もっと陽気に,もっと生き生きと,そしてもっとユーモアをもって,自分自身のコトバで語りかけたらどうだ(ま,こんなことを申しても,どうせ暖簾に腕押し,トイレにクイックル,みたいなもんだろうけど)。

 なお,「吉野川第十堰」という存在については,私自身,約20年以上前からそれなりの関心を持って見聞してきた河川構造物のひとつであり,一応いくつかの見解がないわけではない。そのうち時間に余裕ができたときにでもまとめてみようか,などと漠然と思ってはいた。このような腐れコラムを目にしたのをきっかけとして,癪なことだが,それが少々早まるかも知れない。
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