先日記した 新宿の夢(出演:室井佑月&綾瀬はるか) には,後日談がある。
あの一種忌まわしい出来事のあと,私と息子は,新宿から上野動物園へと向かったのだった。というか,新宿の雑踏からヒョイとワープするようにして場面が変わり,私たち二人はいつのまにやら上野動物園の園内にいた。そこでのアキラは,あれ?もう小学生になっていた。小学2年生くらいだったかな。新宿の街にいたときに比べると立ち振る舞いが随分としっかりしていて,もう父に縋って手を握りしめることもしない。自ら進んでキビキビ,ドシドシと園内を好き勝手に歩き回っている。まるで賢治童話にでてくるイナカの元気な小学生みたいだ。ただし,基本的にアキラは動物そのものにはほとんど興味が無いらしい。動物園という「風景」そのものに興味があるようだ。そのうち歩くのにも疲れたみたいで,食堂で何か食べたい言い出した。むろん,園内にある「お好み食堂」で,である。
日曜日の食堂は大変混み合っていて,すぐに座れるかどうか気になったが,幸い,相席のテーブルでよければ待たずに座れるとのこと。それでいいかい?とアキラに聞くと,それでいいと答える。とにかく早く何でもいいから食べたいようだ。
案内されたテーブルには年配の男が一人だけで座り,カツカレーを食べていた。それが何と,近田春夫である。いや,近田春夫に瓜二つの,セカセカした落ち着かない感じの中年ないし初老の男だった。ごま塩の無精ヒゲを生やした貧相な顔立ちで,おまけにホッペタに御飯粒を付けている(わざとか?)。やはり初老というべきだろう。軽く会釈をして挨拶し,四人掛けテーブルの椅子にアキラと二人で並んで座った。先方もカレーをモグモグやりながら,頷き返した。
アキラはカレーが食べたいといった。 ん? これはやはり近田春夫の影響か。私も,同じものを注文した方が早く来るだろうと思って,同じくカレーにした。父子ともどもカツの載っていないスッピンカレーである。何せウチらはビンボーじゃけん。
待っているあいだ,どういうきっかけだったのか,アキラと近田春夫もとい御飯粒セカセカ老人が,テーブル越しに話をはじめた。それがなんと歌謡曲についての話題なのである。セカセカ老人は,「キョンキョン」とか「キンキキッズ」とかのアイドル・ポップの魅力について,アキラに向かって熱心に語りかけた。それに対してアキラときたら,「たま」だとか「中島みゆき」を持ち出して持論を展開し,かなりムキになってアイドルポップのツマラナサを指摘していた。それが老人と小学生との歌謡曲論争か,って? 夢とは言いながら,ナンノコッチャラ,の世界である。
そのうちに,二人の話はヒップ・ホップ関係に移行していった。そちらについては,けっこう話が合うようで,お互いの言葉に頷きあいながら二人の会話は白熱した。父親の私なんぞまるで放ったらかしだった。そんな歌謡談議に傍らで耳を傾けながら,ああ,こうやってコドモはオトナの仲間入りをしてゆくのかな,と感じていたのであった。社会への窓を自ら開けて,世界への扉を一歩踏み出してゆく。未知の物質どうしの化学反応を試行錯誤的にアレコレ模索する。そのサジ加減と按配の繰り返し。子を持つ親として,それは嬉しくもあり,同時にちょっぴり淋しくもあり,といったところでありました。
夢はそこでオシマイである。
ところで,アンヌ・シルヴェストルAnne Sylvestreに《アベル,カイン,我が息子よAbel, Cain, Mon fils》という,今から40年以上前に作られた古い歌がある。私自身,はるかな昔にせっせと買い集めたレコードやCDは既にあらかた処分してしまっているのだが,それでもまだ少しだけは手元に残っていて,そのなかにアンヌ・シルヴェストルの『告白AVEU』というLPレコード(テイチクレコードSUX-2-MS)があった。件の歌はそのレコードに収録されている。日本での発売は1976年。ライナーノーツは永田文夫氏が例のおっとり調子で丁寧かつ無難にまとめている。対訳歌詞カードも付いていて,前田有子という女性が訳している。そのレコードを入手した当時,まだ20代の独り身の若造であった私は,なかなかよい感じの訳だなぁ,と結構気に入っていたような記憶がある。ちょうど長兄に二番目の子が生まれた頃だった。その前田さんがどういう方なのかは当時も今も全く存じ上げないけれども,もし現在でも御健在であれば,もう十分にオバアチャンの年齢だろう。月日の経つのはまことに早いものです。あるいは,若い頃に関わっていたそんな仕事のことなどを,時々は懐かしく思い出しているのかな? 《有子とアンヌ》 なんちゃって。
歌詞の一番だけを以下に引用しておく(勝手ながら少しだけ手を加えさせていただきました)。 なお,詞の二番,三番については,私にとっては書き出すのが少々辛いものがありますゆえ,ここでは省略させていただきます。興味ある方はどっか他所で探して下さいまし。
私がおまえをとても穏やかな愛で宿したので
おまえは蜜のようにやさしい子なのね
おまえを待ちこがれながら私はたくさんの夢を見ました
そして「アベル」と名付けようと決めました
やがておまえは成長してゆくでしょう
そのことを思うと私はぞっとします
なぜなら世の悪党や資本家どもが
おまえの無垢な笑い声を凡庸な言葉へと変えてしまうでしょうから
アベル,私の息子よ 彼らはおまえを
身なりだけは立派でも馬鹿な大人にしてしまう
私がおまえに教えることが出来るすべて
おまえはそれを何に変えてゆくのでしょう
スローガンや ハヤリ歌や 盛り場の猥雑さでしょうか
それらは運命に抗おうとするおまえを愚かにする
ああ,私の詩人よ!
我が子を思う親の気持ち,子の行く末を案じる親の心情,それはいつの時代にも,また洋の東西を問わず,変わるものではないだろう。少なくとも私たちがヒトとして生まれてきた限りは。それに対して子の方は,あるときは親に縋り,またあるときは親を疎んじながら,少しずつ少しずつ成長してゆくのだ。やがでは自らが親となることなどゼンゼン考えることもなく。なんて,ショーモナイ夢を見るたびに例によってハァーッと溜息をついたりするメソメソ老人なのでありました。 そうだ。その昔,ミシェル・デルペッシュ Michel Delpech は上手いこと歌っていたゾ。。。
Tu es pour moi le fleuve qui coule en silence
Tu t'en vas de plus en plus vers l'océan lointain...
あの一種忌まわしい出来事のあと,私と息子は,新宿から上野動物園へと向かったのだった。というか,新宿の雑踏からヒョイとワープするようにして場面が変わり,私たち二人はいつのまにやら上野動物園の園内にいた。そこでのアキラは,あれ?もう小学生になっていた。小学2年生くらいだったかな。新宿の街にいたときに比べると立ち振る舞いが随分としっかりしていて,もう父に縋って手を握りしめることもしない。自ら進んでキビキビ,ドシドシと園内を好き勝手に歩き回っている。まるで賢治童話にでてくるイナカの元気な小学生みたいだ。ただし,基本的にアキラは動物そのものにはほとんど興味が無いらしい。動物園という「風景」そのものに興味があるようだ。そのうち歩くのにも疲れたみたいで,食堂で何か食べたい言い出した。むろん,園内にある「お好み食堂」で,である。
日曜日の食堂は大変混み合っていて,すぐに座れるかどうか気になったが,幸い,相席のテーブルでよければ待たずに座れるとのこと。それでいいかい?とアキラに聞くと,それでいいと答える。とにかく早く何でもいいから食べたいようだ。
案内されたテーブルには年配の男が一人だけで座り,カツカレーを食べていた。それが何と,近田春夫である。いや,近田春夫に瓜二つの,セカセカした落ち着かない感じの中年ないし初老の男だった。ごま塩の無精ヒゲを生やした貧相な顔立ちで,おまけにホッペタに御飯粒を付けている(わざとか?)。やはり初老というべきだろう。軽く会釈をして挨拶し,四人掛けテーブルの椅子にアキラと二人で並んで座った。先方もカレーをモグモグやりながら,頷き返した。
アキラはカレーが食べたいといった。 ん? これはやはり近田春夫の影響か。私も,同じものを注文した方が早く来るだろうと思って,同じくカレーにした。父子ともどもカツの載っていないスッピンカレーである。何せウチらはビンボーじゃけん。
待っているあいだ,どういうきっかけだったのか,アキラと近田春夫もとい御飯粒セカセカ老人が,テーブル越しに話をはじめた。それがなんと歌謡曲についての話題なのである。セカセカ老人は,「キョンキョン」とか「キンキキッズ」とかのアイドル・ポップの魅力について,アキラに向かって熱心に語りかけた。それに対してアキラときたら,「たま」だとか「中島みゆき」を持ち出して持論を展開し,かなりムキになってアイドルポップのツマラナサを指摘していた。それが老人と小学生との歌謡曲論争か,って? 夢とは言いながら,ナンノコッチャラ,の世界である。
そのうちに,二人の話はヒップ・ホップ関係に移行していった。そちらについては,けっこう話が合うようで,お互いの言葉に頷きあいながら二人の会話は白熱した。父親の私なんぞまるで放ったらかしだった。そんな歌謡談議に傍らで耳を傾けながら,ああ,こうやってコドモはオトナの仲間入りをしてゆくのかな,と感じていたのであった。社会への窓を自ら開けて,世界への扉を一歩踏み出してゆく。未知の物質どうしの化学反応を試行錯誤的にアレコレ模索する。そのサジ加減と按配の繰り返し。子を持つ親として,それは嬉しくもあり,同時にちょっぴり淋しくもあり,といったところでありました。
夢はそこでオシマイである。
ところで,アンヌ・シルヴェストルAnne Sylvestreに《アベル,カイン,我が息子よAbel, Cain, Mon fils》という,今から40年以上前に作られた古い歌がある。私自身,はるかな昔にせっせと買い集めたレコードやCDは既にあらかた処分してしまっているのだが,それでもまだ少しだけは手元に残っていて,そのなかにアンヌ・シルヴェストルの『告白AVEU』というLPレコード(テイチクレコードSUX-2-MS)があった。件の歌はそのレコードに収録されている。日本での発売は1976年。ライナーノーツは永田文夫氏が例のおっとり調子で丁寧かつ無難にまとめている。対訳歌詞カードも付いていて,前田有子という女性が訳している。そのレコードを入手した当時,まだ20代の独り身の若造であった私は,なかなかよい感じの訳だなぁ,と結構気に入っていたような記憶がある。ちょうど長兄に二番目の子が生まれた頃だった。その前田さんがどういう方なのかは当時も今も全く存じ上げないけれども,もし現在でも御健在であれば,もう十分にオバアチャンの年齢だろう。月日の経つのはまことに早いものです。あるいは,若い頃に関わっていたそんな仕事のことなどを,時々は懐かしく思い出しているのかな? 《有子とアンヌ》 なんちゃって。
歌詞の一番だけを以下に引用しておく(勝手ながら少しだけ手を加えさせていただきました)。 なお,詞の二番,三番については,私にとっては書き出すのが少々辛いものがありますゆえ,ここでは省略させていただきます。興味ある方はどっか他所で探して下さいまし。
私がおまえをとても穏やかな愛で宿したので
おまえは蜜のようにやさしい子なのね
おまえを待ちこがれながら私はたくさんの夢を見ました
そして「アベル」と名付けようと決めました
やがておまえは成長してゆくでしょう
そのことを思うと私はぞっとします
なぜなら世の悪党や資本家どもが
おまえの無垢な笑い声を凡庸な言葉へと変えてしまうでしょうから
アベル,私の息子よ 彼らはおまえを
身なりだけは立派でも馬鹿な大人にしてしまう
私がおまえに教えることが出来るすべて
おまえはそれを何に変えてゆくのでしょう
スローガンや ハヤリ歌や 盛り場の猥雑さでしょうか
それらは運命に抗おうとするおまえを愚かにする
ああ,私の詩人よ!
我が子を思う親の気持ち,子の行く末を案じる親の心情,それはいつの時代にも,また洋の東西を問わず,変わるものではないだろう。少なくとも私たちがヒトとして生まれてきた限りは。それに対して子の方は,あるときは親に縋り,またあるときは親を疎んじながら,少しずつ少しずつ成長してゆくのだ。やがでは自らが親となることなどゼンゼン考えることもなく。なんて,ショーモナイ夢を見るたびに例によってハァーッと溜息をついたりするメソメソ老人なのでありました。 そうだ。その昔,ミシェル・デルペッシュ Michel Delpech は上手いこと歌っていたゾ。。。
Tu es pour moi le fleuve qui coule en silence
Tu t'en vas de plus en plus vers l'océan lointain...