遠い過去の悔やまれる出来事たちよ (ダニエル・ギシャール)

1998年04月01日 | 歌っているのは?
 この年になっても折りにふれて未練がましく悔やまれる遠い過去の出来事が少なからずある(恐らく私だけの特殊事情ではあるまいと思われるのだが)。それらの大部分は,結局のところ自らの心の内に閉じ込めたまま封印し,そのようにして時とともに記憶の底に埋もれてゆくべき事柄ではある。けれど,少しくらいは表沙汰にしてみたいことだってある。何のために? いわば温故知新,それは現時点における存在証明切符に対する検札のようなものだ(かつてレオ・フェレが Poetes, vos papiers! と叫んだように)。

 例えば若年の頃,ダニエル・ギシャール Daniel GuichardのLPレコードを買わなかったこと,そんなことが時々悔やまれたりするのです(何のこっちゃら)。70年代の中頃だったか,今は亡き蘆原英了がやっていたNHKラジオのシャンソン番組で,彼の歌を何度か聞いた。その声色は,20年以上過ぎた今でも耳の奥底にしっかりと刻まれ残っている。当時,蘆原センセはジャック・ランティエなんていう美声のクラシカルな歌い手を盛んに持ち上げていたと記憶しているが,ギシャールはそれとは全く対照的な,ほとんどダミ声に近い,かつブッキラボーな感じの歌唄いであった。それが気に入ったのだ。「性格の相性」「見た目の相性」などとともに「声の相性」というのも人と人とを結びつける重要な要素なのでありましょう。

 けれど結局,LPは買わなかった(多分,邦盤も1枚くらいは発売されたはずだったが)。その辺りの当時の事情は今となってはほとんど忘れてしまったが,敢えて想像するに,その頃は日々の暮らし向きがひどくビンボーだったんだろうか,或いはもっと別のアレコレに毎日すこぶる忙しかったんだろうか。恐らくその両方であったに違いない。そして時は過ぎゆき,少々の悔恨だけが残された。これをシャルル・トレネ Charles Trenet風に申しますると,Que reste-t-il de nos amours...

 
  今夜 私のドアを叩く風は
  消えようとする暖炉の前で
  私に,過ぎ去った昔の恋を語りかけた
  今夜 それは秋の歌
  冷え冷えとする家のなかで
  私は遠い日々を想う...


 
 実は最近,必要があって自分の声を留守電メッセージで聞いて,何だかダニエル・ギシャールみたいな声だなぁ,とちょっと驚いてしまったわけで。いや,それだけです。
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