現在,我が家には玄関脇と仕事場入り口の2箇所に水槽が置かれている。玄関の方は,いわゆる“床の間のお飾り”的に見栄えよくした水槽で,中で泳いでいる魚もタニクティス・アルボヌベス(東南アジア産),オトシンクルス・アーノルディー及びコリドラス・パレアタス(ともに南米産)などの,いずれもごくポピュラーな熱帯魚である。その他,水草や巻貝なども二,三投入し,多少なりともバランスト・アクアリウム風な気遣いも持たせている。
これに対して,仕事場に置いてある水槽は主として日本産淡水魚を飼育している。というか,あちこちのフィールドで採ってきた魚を適当にブチ込んでいるだけです。水槽内で泳いでいる魚は諸般の事情により時々交代するが,現在の住人は以下の11種である。
ドジョウ科: シマドジョウ
ハゼ科: シマヨシノボリ,ヌマチチブ,ウキゴリ,ボウズハゼ,ゴクラクハゼ
バス科: オオクチバス
ボラ科: ボラ,コボラ
スズキ科: オヤニラミ
シマイサキ科: コトヒキ
何だか随分と地味な魚ばかりで,これじゃあまるで「ハゼ水槽」って趣だなぁ。同じくハゼ科のシロウオを入れたこともあったが,投入直後に大きなヌマチチブにパックリと食われちまった(まさに“シロウオの踊り食い”そのものであった)。コトヒキの稚魚も,3尾入れたうち2尾はアッという間にオヤニラミに食われたが,残る1尾だけはかろうじて捕食を免れて成長し,現在に至っている。その他,ウグイ,アブラハヤ,オイカワ,モツゴなども一時は住民登録していた。しかし,何分にも水槽が小さいものだから(60リットル水槽),アレモコレモと欲張って養うことはできず,結局,家のすぐ近くの川(金目川水系葛葉川)に放流してしまった。え? 勝手に放流していいんですか,って? いーんです! でっかいニシキゴイを放流したりする愚行(いったい誰がやったんだ?)に比べたらよっぽど穏健・妥当な行為であろう,と取りあえず弁解しておく。
現在,我が家の近くの葛葉川に生息する魚はコイ,フナ,アブラハヤの3種だと思うが,そのうちコイ,フナの両種はいずれも明らかに放流されたもので,アブラハヤのみが在来種であろうと考えられる。そのアブラハヤの生息量はかなり多い。以前,冬場に落差工の直下で投網を打ったら,いっぺんで50尾以上も採れたことがあったくらいだ。それにしても,アブラハヤだけしかいない川なんて少々寂しい。といって,ニシキゴイなんぞがノッタリノッタリ泳いでいる川はもっと寂しい。だったらウグイ,オイカワ,モツゴなど,恐らく遠い昔には生息していたであろう在来種をそこに付け加えてもいいではないか。さらに,ドジョウ,ヨシノボリなどの底生魚も参入させてみたい気もする。
デモソレハ,ヤッパリ自然ノ秩序ヲ乱ス行為,生態系ノ攪乱デハナイカ,ですって? いやいや,それを言うなら,当市の水無川・葛葉川流域一帯に工業団地を誘致した時点でまさに里山生態系,水辺生態系のドラスティックな攪乱が始まり,同時に旧来の生態系は終焉したといった方が正解であろう。かつて柳田國男が夢想した“武士の舞台”たる秦野ヶ原,その広大な緩傾斜台地を切り開いて“きれいな水と空気を守り,公害のない工場”が次々と誘致されたのは昭和31年「秦野市工場設置等奨励に関する条例」が制定されて以降のことで,特に昭和40年過ぎにはそれらの動きが加速度的に進行したと聞いている。そして今,ふと気付いて盆地の周囲一帯をぐるりと見渡せば,周辺の山麓にはゴルフ場が何と計6箇所も立地している(クソ,いまいましい!)。地域の産業構造の変化,社会経済活動の活性化,人々の暮らし向きの進化。文明観・価値観の変容。それを在来の生態系攪乱と言わずして何と言おう。そのようなパラダイムの転換を通じて,我が愛すべき小魚たちは消えていったわけだ。
しかし,現在の私たちがそのような過去のアヤマチを恨んでも詮無いことだ。今ここにある“環境”をあるがままに受容し,その環境をベースとして一市民として取りあえず出来ることは何かを模索してゆくしかない。それは,少なくとも私にとってはニシキゴイを放流することではなく,オイカワとかドジョウとかあるいはカワニナとかヌマエビとかを放流することなんですよね。それもコッソリとツツマシク,けれどネチネチとシツコク,ね。(なーに言ってんだか)。
これに対して,仕事場に置いてある水槽は主として日本産淡水魚を飼育している。というか,あちこちのフィールドで採ってきた魚を適当にブチ込んでいるだけです。水槽内で泳いでいる魚は諸般の事情により時々交代するが,現在の住人は以下の11種である。
ドジョウ科: シマドジョウ
ハゼ科: シマヨシノボリ,ヌマチチブ,ウキゴリ,ボウズハゼ,ゴクラクハゼ
バス科: オオクチバス
ボラ科: ボラ,コボラ
スズキ科: オヤニラミ
シマイサキ科: コトヒキ
何だか随分と地味な魚ばかりで,これじゃあまるで「ハゼ水槽」って趣だなぁ。同じくハゼ科のシロウオを入れたこともあったが,投入直後に大きなヌマチチブにパックリと食われちまった(まさに“シロウオの踊り食い”そのものであった)。コトヒキの稚魚も,3尾入れたうち2尾はアッという間にオヤニラミに食われたが,残る1尾だけはかろうじて捕食を免れて成長し,現在に至っている。その他,ウグイ,アブラハヤ,オイカワ,モツゴなども一時は住民登録していた。しかし,何分にも水槽が小さいものだから(60リットル水槽),アレモコレモと欲張って養うことはできず,結局,家のすぐ近くの川(金目川水系葛葉川)に放流してしまった。え? 勝手に放流していいんですか,って? いーんです! でっかいニシキゴイを放流したりする愚行(いったい誰がやったんだ?)に比べたらよっぽど穏健・妥当な行為であろう,と取りあえず弁解しておく。
現在,我が家の近くの葛葉川に生息する魚はコイ,フナ,アブラハヤの3種だと思うが,そのうちコイ,フナの両種はいずれも明らかに放流されたもので,アブラハヤのみが在来種であろうと考えられる。そのアブラハヤの生息量はかなり多い。以前,冬場に落差工の直下で投網を打ったら,いっぺんで50尾以上も採れたことがあったくらいだ。それにしても,アブラハヤだけしかいない川なんて少々寂しい。といって,ニシキゴイなんぞがノッタリノッタリ泳いでいる川はもっと寂しい。だったらウグイ,オイカワ,モツゴなど,恐らく遠い昔には生息していたであろう在来種をそこに付け加えてもいいではないか。さらに,ドジョウ,ヨシノボリなどの底生魚も参入させてみたい気もする。
デモソレハ,ヤッパリ自然ノ秩序ヲ乱ス行為,生態系ノ攪乱デハナイカ,ですって? いやいや,それを言うなら,当市の水無川・葛葉川流域一帯に工業団地を誘致した時点でまさに里山生態系,水辺生態系のドラスティックな攪乱が始まり,同時に旧来の生態系は終焉したといった方が正解であろう。かつて柳田國男が夢想した“武士の舞台”たる秦野ヶ原,その広大な緩傾斜台地を切り開いて“きれいな水と空気を守り,公害のない工場”が次々と誘致されたのは昭和31年「秦野市工場設置等奨励に関する条例」が制定されて以降のことで,特に昭和40年過ぎにはそれらの動きが加速度的に進行したと聞いている。そして今,ふと気付いて盆地の周囲一帯をぐるりと見渡せば,周辺の山麓にはゴルフ場が何と計6箇所も立地している(クソ,いまいましい!)。地域の産業構造の変化,社会経済活動の活性化,人々の暮らし向きの進化。文明観・価値観の変容。それを在来の生態系攪乱と言わずして何と言おう。そのようなパラダイムの転換を通じて,我が愛すべき小魚たちは消えていったわけだ。
しかし,現在の私たちがそのような過去のアヤマチを恨んでも詮無いことだ。今ここにある“環境”をあるがままに受容し,その環境をベースとして一市民として取りあえず出来ることは何かを模索してゆくしかない。それは,少なくとも私にとってはニシキゴイを放流することではなく,オイカワとかドジョウとかあるいはカワニナとかヌマエビとかを放流することなんですよね。それもコッソリとツツマシク,けれどネチネチとシツコク,ね。(なーに言ってんだか)。