春だろうが夏だろうが,いつだって自転車

2008年09月29日 | 自転車ぐらし
 嗚呼,もう九月も終わろうとしている。つい先日,やっと八月が終わったな~,なんて思っていたら,あれま,あっという間に神無月の秋へと突入である。今月は日々の雑事に追われ追われて碌々自転車で遠出することも出来なかった。船を漕ぎ出すイトマもなかった。知らぬ間に夜が誘いを伸ばしてる... ではなくって,朝晩のみならずいつのまにか日中でさえも時に日が陰ればヒンヤリするような陽気となってきて,それはそれで大変過ごしやすいのだが,いっぽうでソコハカトナク寂しい風情を感じさせたりする昨今であります。こうして季節はズンズン過ぎてゆく。 Ce n'est rien, tu le sais bien le temps passe, ce n'est rien. Tu sais bien, elles s'en vont comme les bateaux, et soudain ....  と,ちょいとシンミリしたところで,遅ればせながら今夏の自転車生活を総括しておきたい。

 我が相棒たるGarmin GPSに記録された今年8月の合計走行距離は752kmだった(小数点以下四捨五入)。もちろん近所を一寸走るときなどはGPS非装着のことが度々あるわけだけれども,それらを合計しても全体の5%にも満たないだろうから,この距離はほぼ実状に近いと思って間違いないと思う。1日平均にすると何とか20kmは超えている。ただしその内訳は,前半の朔日から15日までが510kmだったのに対し,後半の16日から月末までは242kmと少々情けない結果であった。後半に距離が伸びなかった理由は主として天候と仕事によるが,ま,言い訳は止めておこう。

 1日で最も多く走った距離は125kmであった。これは長野県の軽井沢から追分,小諸を経て,山梨県の野辺山,清里,小淵沢,韮崎方面にかけての山岳高原エリアを走破したものだ。その旅行自体はフォールディング・バイクによる呑気旅であったので(当然,輪行であります),走行内容等についても敢えて詳述するほどのものではない。

 もうひとつ,8月前半にはアキラといっしょにヤビツ峠を越えて宮ヶ瀬ダムまでサイクリングに出掛けた。こちらの方がよっぽどキビシかった。この小旅行はアキラ自身が強く希望したものである。それまで彼が自転車で1日に最も長く走った距離は48kmであり,どうやらその記録を大幅に更新したいという魂胆があったようだ。もちろん《ひと夏の冒険》的な思いも胸に秘めていたのだろう。対する私は保護者というよりもツーリング・ガイドのような立場で,それも,お客さんから少し距離をおいた,表向きそっけないガイドのごとき随伴者としてアキラと一緒に出掛けることにした。 出発前,老ガイドは若い客に向かっておもむろに宣告しましたですよ。 アキラ,三年前に交通事故で死んだ君のオジサンはね,君の年には夏休みにひとりで自転車の旅に出て,1日で140kmも走ったんだよ。それに比べりゃ,ガイド付きの宮ヶ瀬ダム行きなんてドッテコトナイからね。それでもやっぱり,道中はクルマなんかに十分気をつけて,自分のペースを守って,シッカリ走りなさい。さあ,レッツラゴー! ということで我ら2名は朝の9時過ぎに自宅を出発した。けれどもしかし,通常のルートである寺山,蓑毛を通る県道70号秦野清川線の方に向かったのではなくって,あろうことかマイナールートである羽根林道を経由してヤビツ峠に向かうコースを敢えて選択したのであります。ここで大多数の一般人におかれては,ソレガドーシタ?ということになるのだろうが,羽根林道の登り坂(平均勾配10.6%)がどれほどのものであるかは,実際に自転車で走行した人でなければ判りますまい。ましてやアキラは非力なチビッコ中学生ゆえ,彼としては初っぱなから死ぬ思いでの登りとなった。それでも汗かきベソかき必死でペダルを漕ぎ続けておれば10m,また10mと少しづつ高度を稼いでゆくのであって,その苦行道のごとき羽根林道からようやくの思いで県道70号に出て,そこからはやや緩くなった登り坂をさらにヤビツ峠を目指してゆっくりじっくりペダルを漕いでいったのである。このヤビツ峠までの行程が体力的には今回のツーリングの勝負どころだった。峠に辿りついてホッと一息つき,ドリンク&お菓子を食して失われた体力を多少とも回復させ,さらに標高761mを誇らかに示す峠看板の前でお定まりの記念写真なんぞも撮りました。

 さあて,そこからは楽しい「やまみちツーリング」の始まりだ。ヤビツ峠より先は宮ヶ瀬ダム湖まで藤熊川,布川,中津川の渓流に沿った緩やかで長い長い下り坂。二人ともMTBライダーなもんだから,当地でお馴染みのローディーさん達のように少々荒れ気味の路面に神経をとがらすこともなく,それはそれは愉快で快適な下り道であった。真夏の渓谷に吹き渡る風をカラダ全体に受けて突っ走るのはとてもキモチイイ。過ぎ去りゆく道中の山また山の風景はいささか単調だが,それでも周囲の木々の緑に包み込まれるような一体感は,まるで「自然」という魅力的で,しかし捉えどころのない巨きな「有機体」に自らの五感がからめとられるようで,魂魄半ば身体を離れてしまいそうな気がしてくる。札掛のモミ原生林はいつ見てもホレボレする立派さだ。途中にある何箇所かのキャンプ場はさすがにどこも多くの人で賑わっていて,けれどそこで遊ぶヒトビトはみな山と渓流とに従順に溶け込んでいるように見える。それは例えば湘南海岸などのガサツでカシマシイ風景などとはまったく異なる,しっとりとした趣の水辺レクリエイションであると感じられた。そうこうするうちにダム湖のバック・ウォーターが見えてきた。山深い渓流から開放的な湖沼への劇的な転換である。そのあたりの場所は数年前にはブラックバス生態調査のために年間で合計30回近く,産卵期には10日に1度の頻度で足繁く通ったものだった。今でもバス君たちは,そしてギル君たちも元気でシタタカに生きているのだろうか,なんてことを思いやりながら,やがてダム湖の湖央部にある「水の郷」園地へと到着した。園地内のソバ屋に入って,軽い(but高い!)昼食をとり,湖畔のいつくかのビュースポットに立ち寄っては遊覧し,それから服部牧場,県立あいかわ公園を経てダム直下へと至り,そこでダム本体を貫通するエレベーターに自転車ごと乗って,ダムの真上まで百数十メートルを一気に垂直上昇した。宮ヶ瀬ダムサイトにはこれまで幾度となく来訪していたが,こんな所に一般人avec自転車が無料で利用できる高速EVがあるとはチットモ知らなかったので,なかなかにオモシロイ体験をした。それから湖畔にある「水とエネルギー館」を見学したのち,アキラのたっての願いにより館内のレストラン「白い滝」の売店でアクアソフトという名の青い色したソフトクリームを買い求め,それをダムサイトのベンチに座って広大な湖面を眺めながら美味しくいただきました。いわゆるひとつの観光地気分を満喫した次第である。すぐ下のダムサイト船着場には,過去に仕事で何度も操船したことのある馴染み深い高速巡視艇が停泊していた。どうやら本日は湖内調査お休み,高級官僚接待お休みの日のようだった。さてと,日もそろそろ傾きかけてきたようだし,帰り路はどのルートを通って行こうかねぇ,と隣のアキラに尋ねてみれば,彼は彼で黙々と一心にアクアソフトを舐め続けているのであった(まったく,昔からアイスを食べるのが遅い子なのだ。ホラホラ,端から溶けて垂れてくるよ!)

 その後の行程は地名の羅列のみにとどめるが,愛川町半原,田代,厚木市荻野,鳶尾,飯山,愛名,伊勢原市愛甲石田,高森,伊勢原,秦野市鶴巻,善波峠,名古木と周遊し,夕飯は途中のファミレスで済ませ,夜の8時過ぎに家に戻った。結局その日は77km走ったことであった。 途中,アキラは路上の障害物を避け損なって自転車ごと前方に一回転のスッテンコロリンしてしまうというアクシデントに見舞われたが,幸いなことに手足を擦りむいた程度のケガで済んだ。総じてなかなかに充実した一日であり,彼の自転車ジンセイに良き1ページが記録されたことだろう。

 その他にも,八月中には伊勢原の叔母様橋(知る人ぞ知る)から伊勢原CCを越えて仁ヶ久保林道,浄発願寺,日向薬師から薬師林道,七沢温泉郷,厚木,愛川方面へと山麓,丘陵および台地を走り抜けたり,小田急線の鶴川駅まで輪行してそこから鶴見川CR沿いにずっと下り,そのあと鶴見の下町から生麦,子安を経てJR横浜駅まで辿ったり,あるいはまた,小田原市内の城下町の面影が残る古い街並みの裏道をわざと迷子になったようにグルグル気ままに走り回ったりと,あれやこれやの自転車三昧。まぁ,そんな八月の夏でありました。その結果が752kmである。

 もっとも,走行距離の多寡なんぞで浮かれたりしてはイカンイカン。それじゃあ今日びネット上に夥しく蔓延している自転車ブログオヤジと同類になってしまうデハナイカ! (あ,同類でしたっけか?)

 じつは,今年5月のGPS記録を見ると,1ヶ月間の走行距離が1,021kmだったのだ。それは母が死ぬ前の約1ヶ月の期間のことで,その月はほぼ毎日のように自転車に乗って母が入院している病院へと見舞いに通った。病院は箱根山麓の南足柄市にあり,私の家からは最短距離で約18kmだった。往復だと約36km。1ヶ月皆勤すれば 36×31=1,116kmということになるが,さすがに仕事もそれなりに抱えている身ゆえ,毎日欠かさず出掛けるというわけにはゆかず,だいたい週4~5日くらいであった。ただし,寄り道,回り道で行ったり戻ったりすることも多かったので,平均すると1日で約50kmは走ったのではないかと思う。サクラもとうに散って街道沿いや野辺や山麓のあちこちには葉桜が生い繁り,そして山々の樹木にも色鮮やかな若葉の芽吹く美しい季節であった。 イン・ブーンダシェーイ・モナト・マイ! 自転車走行そのものを愉しむ限りにおいては,本来であればとても気持ちのよい季節,楽しかるべきライディングのはずであったが,実際のところはいささか屈折した思いを胸に抱きながら病院を往復していた。道中,通り過ぎる路傍の花や木,そして春の山里風景などをこまめにデジカメで撮影した。そして病院に着くと,ベッドで寝ている母の顔まじかにカメラのモニタをかざし,撮ってきた木々や花々の写真を再生して逐一示しながら,ホラ,いま外の風景はこんなになってるよ,もうあっちこっち春なんだよ,もう少し頑張って元気になったらまた一緒に外出しようよ,などなど,私としてはせいいっぱいの陽気さで語りかけた。けれどもそうやって病院を見舞うたびに,徐々に会話が途切れ,だんだんと意識が朦朧とし,そうして日々目に見えて衰えゆく母を見守り続けることは,これまでに長いこと親孝行などとは無縁であった不肖の息子として何とも辛いことであった。


  Im wunderschonen Monat Mai
  Als alle Knospen sprangen
  Da ist in meinem Herzen
  Die Liebe aufgegangen

   美しい五月に
   蕾がみな花開いたとき
   私の心に
   愛が芽生えた



 ロマチック・シューマン(by ゴーシュ猫)の甘い恋唄をディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウの美声が朗唱している。そんな歌がふと遥か記憶の彼方から甦ってくる。 ずっと昔まだハイティーンだった頃,いわゆるクラシックレコードばかりを集中的に聴いているといったスノッブな一時期がこの私にもあって,例えば夕食後のひととき,みんながテレビを見ている時間などに,ひとり別室で灯りを消して古い蓄音機の前でクラシック歌曲にじっと聴き入ったりしたものだ。だいたいが家族の中では浮いた存在,半ば放置され無視された存在であった。けれども時には 「そんな外国の歌って,どこがイイの?」 などと,さりげなく母から声を掛けられることもあった。それはしかし決して咎め立てているような口調ではなく,いささかエキセントリックでムズカシイ子供を慮るあまりの,母親として当然の気遣いの言葉であったのだろうと今になってみれば思う。確かに不肖の息子ではありました。 時が過ぎてゆく。ドッテコトナイんだけれども,嗚呼,時が過ぎてゆく...

 なにやら尻窄みの総括になってしまった。そんなわけで,誓って申しまするが,我が自転車ジンセイにおいては走行距離なんぞに断じて拘ったりしてはおりませんのです! (あえて申せば,ひとつの古風な信仰です,って?)
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