世の中にはいろんな記念日がありますが、10月31日のハロウィンはすっかり日本に定着してしまったようです。
世の中分からないものです。
うちの会社も10月31日は木材を配達する際、「トリック・オア・トリート」と言ってお菓子をもらうようにしています(嘘)。
我が木材業界では10月8日が「木の日」です。
10月の十と8日の八を合わせると「木」になるためです。
そしてもうすぐの11月3日は「合板の日」です。
浅野吉次郎氏が日本で最初に合板を製造した日だそうです。
もちろん、私は合板に関わる仕事をしているので、浅野吉次郎氏のことは存じ上げておりますが、11月3日という日付のことは全く知りませんでした。
果たしてこの日はメジャーな記念日になるのでしょうか?
きっとハロウィンのようにはメジャーにならないでしょうが、せめてうちの会社ではハロウィンより盛り上がる日にしたいです。
来年は半額セールでもして記念日を忘れられない日にしようかな・・・。
ちなみにこの合板を最初に製造した11月3日は明治40年だったそうで、うちの会社の明治38年と近いものがあります。
益々この「合板の日」に親近感が湧いてきました。
よし、来年は半額セールやるぞ!?
最近、道場に体の大きな人の割合が増えています。
外人さんが多くなったし、日本人も大きな人が多い。
いい練習になります。
大きな人が相手だと、力強いのでパワー負けしないようにこっちが力んでしまいますが、そこは柔術。
柔らかくを心がけます。
最近、「力まずに」を気を付けているので、筋肉痛が少ない。
超ご近所のSさんが、「消しゴムはんこshirushi」なるものをやっています。
消しゴムを彫って主に顔の判子をつくられているのです。
その消しゴムの台に当店のMDFを使っていただきました。
すこしサービスさせていただいたところ、お礼にということで私の顔を彫っていただきました。
それがこの写真です。
うれしいですね~、こういうプレゼントは。
しかしこの額縁、どこに飾ろうかな。
きっと家人は嫌がるだろうな・・・。
この日はオープンマット。
つまり、道場生が好き勝手に練習できる日です。
この日はやけに外国人が多く、6人集まりました。
日本人が5人だったので、外人比率のほうが高い!
まるで外国で練習しているようでした。
「言葉はあまり通じなくても、一緒に汗を流せば通じ合えるって、いい」
生涯二度目の点滴でした。
そして三年連続の食あたり。
お腹が痛くて痛くてホントに困りました。
一年目はレバー。
二年目は牡蠣。
そして三年目はゴルゴンゾーラチーズ。
(いずれも推定)
日頃の暴飲暴食を改めなきゃいけませんね。
昔、バックパッカーだった頃、腹巻に全財産を入れ、腹巻の中身がなくなったら帰国しようと日本を旅立ちました。
中身はどんどん減っていきます。
これは恐怖です。
出費は交通費と食費と宿泊費のみ。
交通費と宿泊費はどうしても使わざるを得ないのですが、食費は我慢すれば使わなくて済みます。
たまに人からごちそうしてもらったり、労働の対価で食事をごちそうしてもらったりすることがあり、その時にはこれでもかと食い溜めしていました。
いまでもその感覚が抜けていなくて、お腹いっぱいでも残さず食べてしまったり、ビュッフェだったり飲み放題だったりすると一生懸命になってしまったり・・・。
バカですね。
運動しているから大丈夫、なんていう自信も災いしています。
改めなきゃいけません、年も年ですし。
病気になって健康の有難みに気づかされました。
ポジションスパーリングの時に気づきがありました。
いつも力が入ってしまい、よく注意されていたのですが、この日はなぜかうまく力が抜けて、それがとっても自然にできたのです。
結果的に動きがよかったのです。
力を抜くってこういうことだったのか、と。
この調子、この調子。
大学卒業間近だというのに、就職先が決まっていませんでした。
どうにもやりたいことが見つからず、進路を決めかねていて、就職活動に身が入っていなかったのです。
年が明けた1月17日。
阪神淡路大震災がおきました。
煙があちこちからモクモクと上がり、火が上がり、町が崩壊している映像を見ました。
私はボランティアに行くことにしました。
数週間、長田区の二葉小学校でどっぷりと活動していく中で、私の気持ちに変化がありました。
今、自分に出来ることをとにかくやってみよう。
その結果、人に喜んでもらえたらなんとなく自分の存在意義があるのかな。
だからどこでもいいから働こうって思うようになったのです。
あれからもうすぐ22年が経とうとしています。
その後の長田区を見に行きたいとずっと思っていて、ついに先日、その機会がありました。
二葉小学校は廃校になりましたが、ふたば学舎として地域人材支援センターになっていました。
私が訪れた日は、被災者であふれかえっていた講堂でコスプレショーのリハーサルのようなことをやっていました。
当時の雰囲気を残しつつ、現在息づいている様にホッとしましたが、町はかなり変わっていました。
駅前にはなぜか巨大な鉄人28号が立っていて、駅前からずっと屋根つきの立派な二階建て商店街が続き、なぜか三国志押しのモニュメントが所々に。
当日も三国志祭りをやっていましたが、ほとんど見に来ている人はいなく…。
きっとたくさんの税金が使われているのでしょうが、使い方が違うなと、部外者としては失礼ながら思ってしまいました。
私の人生を大きく変えた阪神淡路大震災。
そして働き方や人生のあり方や、税金の使い方や街づくりまで考えた、22年ぶりの旅でした。