毎週、鳥越神社のことを書いていますが、鳥越神社の成り立ちをお話したことはなかったかもしれません。
鳥居に向かって左側にある看板の文章をここに紹介させていただきます。
『当神社は、白雉二年(六五一)の創建。
日本武尊、天児屋根命、徳川家康を合祀している。
社伝によると、日本武尊が、東国平定の道すがら、当時白鳥村といったこの地に滞在したが、その威徳を偲び、村民が白鳥明神として奉祀したことを起源とする。
後、永承年間(1046-52)、奥州の安倍貞任らの乱(前九年の役)鎮定のため、この地を通った源頼義、義家父子は、名も知らぬ鳥が超えるのを見て、浅瀬を知り、大川(隅田川)を渡ったということから鳥越大明神と名付けた。
以後、神社名には鳥越の名を用いるようになり、この辺りは鳥越の里と呼ばれるようになった。
天児屋根命は、武蔵の国司になった藤原氏がその祖神として祀ったものとされる。
また、徳川家康を祀っていた松平神社(現、蔵前四丁目十六番付近)は、関東大震災で焼失したため大正十四年に当社に合祀された。
例大祭は、毎年六月九日前後の日曜。
千貫神輿といわれる大神輿の渡御する「鳥越の夜祭」は盛大に賑い、また正月八日に正月の片付け物を燃やす行事「とんど焼き」も有名である。』
651年の創建だと、大化の改新の六年後か…。
今年はちょうど1360年目ですね。
すごい!
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社伝によると、日本武尊が、東国平定の道すがら、当時白鳥村といったこの地に滞在したが、その威徳を偲び、村民が白鳥明神として奉祀したことを起源とする。
後、永承年間(1046-52)、奥州の安倍貞任らの乱(前九年の役)鎮定のため、この地を通った源頼義、義家父子は、名も知らぬ鳥が超えるのを見て、浅瀬を知り、大川(隅田川)を渡ったということから鳥越大明神と名付けた。
以後、神社名には鳥越の名を用いるようになり、この辺りは鳥越の里と呼ばれるようになった。
天児屋根命は、武蔵の国司になった藤原氏がその祖神として祀ったものとされる。
また、徳川家康を祀っていた松平神社(現、蔵前四丁目十六番付近)は、関東大震災で焼失したため大正十四年に当社に合祀された。
例大祭は、毎年六月九日前後の日曜。
千貫神輿といわれる大神輿の渡御する「鳥越の夜祭」は盛大に賑い、また正月八日に正月の片付け物を燃やす行事「とんど焼き」も有名である。』
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