「美味しいやきとり食べたいねーー!」となり、ヅカ友と呑み会。
地元のやきとりが美味しいお店に行くと、お正月に来た時は満席だったのに2月の平日ともなると、人もまばら。
お互い職業婦人なので、割とお安めなお店を選ぶ事にしているのだけど、ここはコスパも素晴らしいし、スタッフの青少年達も長く居着くみたいで、活気のある中にもホワリ・・・とりた空気があってお気にいり。
さて、彼女のご贔屓のジェンヌさんはなかなか芸達者で。
地味だけど与えられた役をきっちりとこなしていくタイプ。
彼女とのツーショット(お茶会や食事会で撮影)を見せてもらうたびに、役と華やかな素の容姿にギャップがあって素敵と思ってしまうのです。
そんなヅカ呑みの間にもチケットの抽選結果は有り、彼女はご用意して頂けず、私はどうにか・・・というのもS席は無理だと思ったので、そこを外したのが勝因?
でも、彼女はたくさん伝手があるのであまり落ち込んでおらず、お酒が進んでいきます。
そして、寝坊して検定試験をスルーした息子にも期末テストはやってくるわけで。
今回は最終日の夜にペトロールズのライブがあるのでなんとか私に脅され、(チケットオクに出すよ!)、すかされ(終われば長岡さんに会えるよ)、どうにか頑張った。
酒井順子女史のエッセイを読む。
未婚、子ナシ女性(自分を含め)を堂々と「負け犬」と称した女史ももうすぐ五十歳に手が届く。
高校性の頃からマーガレット酒井のペンネームで「olive」(休刊)に寄稿していた時代から幾星霜。
口はばかられることや、揶揄(毒ですね)を気配りのあるワードマジックでなんとなくさらりと納得させていた手法は健在。
同じ匂いを岸本葉子さんにも感じるのですが、あの方はエッセイと言うより、自分の生活振り自慢みたいで、ロハスな林真理子女史風。
そんなときに飛び込んできた坂東三津五郎丈の訃報。
ニュースを目にするたびに涙が止まりませんでした。
三津五郎ではなく、八十助。
勘三郎ではなく、勘九郎。
勘九郎は勘太郎で、猿之助ではなく亀治郎。
自分が一番観ていた頃の名跡がしっくりきます。
なので、ここでは八十助。
菊五郎が巳之助を立派な役者にすると弔辞を読んでくれたこと。
梨園はほとんどどこかで血縁はあるので、少しは安心できます。
あとは巳之助の頑張り次第ですね。
私は近藤サトが後妻に入ったのが八十助の間違いだったと思ってます。
寿ひずるさんも婚家との確執に苦しんだけれど、男子を生んでいることでは八十助側はよしとしたんでしょう。
梨園の外の人は梨園の旧時代からのルールに悩み、苦しむんでしょうね。
よく言われるのが「芸の肥やし」。
あちこちで浮名を流そうと、仕方がないことを理解出来ないのが最たるものだと思います。
近藤サトも肥やしのひとりだったはずなのに、何を勘違いしたのか妻の座に。
自分がその他大勢だと割り切れなかった、頭の悪さ故です。
その犠牲になったのが先妻との三人の子供たちです。
特に巳之助は実母を捨てた父の跡など継ぐものか、と子供心の思っても当然でしょう。
挙句、子供を生んじゃダメって言われたから離婚するって・・・
八十助に尽くし、子供達を大切に育てたいといえば、少しは違ったものの、明らかに自分の生んだ子を後継にしたい気持ち丸出し。
あの離婚会見は呆れましたね。
ただ、この離婚で祖父の後妻と同じことにならなかったのが救いです。
ついでですけど、あの頃「料理の鉄人」でカレーを作るっていうのがあったんですが、彼女は着物に割烹着(だったかな)ではんぺんやお麩の入った珍妙でこれ見よがしな和風カレーを作ってて、実況アナに「さすが梨園の妻」とか言われて喜んでたんですよ。
梨園に嫁ぐっていうのが彼女の中ではステイタスだった?
スキャンダルも多い梨園ですが、獅童や松也、愛之助が挙げられるのは当然ですよね。
彼らをガードするものが何もないから。
大きな名跡を継ぐ人はまわりがしっかり守ります。
なので、上記の三人はお気の毒ですけど、人身御供みたいなものですね。
勘九郎が亡くなった時、ふたりの「棒しばり」がもう観られないのだな・・・と思ったけれど、勘太郎と八十助が踊ってくれて。
勘太郎と巳之助が踊る時代が来るのかわからないけれど、先代の大和屋と中村屋の二人が楽しくって仕方ない!と顔を見合わせて踊ったように彼らが踊ってくれればと思うのです。
八十助から勘九郎が繋がってしまい、「小山三ひとり語り」を読んでます。
小山三さんは現役最高齢の歌舞伎役者。
中村屋三代に使える大番頭で、女形として活躍。
体調を慮って、玉三郎が同じ舞台に立ったとき、小山三に背を向けて倒れるところを反対に倒れて小山三の異変に備えたという件に感動。
勘九郎が亡くなって、勘太郎が襲名するときに小山三が親代わりに各楽屋を回ったとき、八十助が「しっかりやってあげて、よく面倒見てやっておくれ」としっかり手を握ってくれたと。
歌舞伎って芸を競い合うのも大事だけれど、相手とうまく調和して舞台を最高のものに作り上げる職人のような気構えも大事なんだと思います。
そんなこんなで、4月は毎週観劇予定と相成りました。