平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

読者の純粋性

2009-09-22 20:20:53 | Weblog
 ようやく旅から帰ってきました。一週間の間に随分と歩きましたが、やはり疲れがたまっていたようで、朝ご飯を食べてからメールを何通か出し、また夕方近くまで寝ていました。

 今回の旅行は一応『万葉集』ルートだったのですが、自分では松尾芭蕉キリシタン説に共感する旅となりました。要するに、全国に散った隠れキリシタンを芭蕉が訪ねる旅が『奥の細道』のルートだったのですが、僕も読者に会うことで、ブログや古代史を通してつながった細い道を辿ることになったのです。

 しかし、何人かの読者が会う前に不安だったと告白したように、この細い道は双方にとって未体験の領域にありました。唯一、弟子だけが昨年に会っていただけですから、不安なのは僕としても同じです。変な読者だったら疲れるなあと心配もしていたのです。でも、その不安は良い方に裏切られました。会ってすぐに、旧知の知り合いのように接することができたからです。これは、前世(霊体の頃)の因縁でしょうね。

 僕が読者に会って驚いたのは、その純粋さです。日本にまだこれだけ純粋な人がいるという事実に、麻生自民党が惨敗したショックが吹き飛びました。伊勢で会った読者の若い男性は、僕の古代史の計算式を検証してみたそうです。それで間違いがなかったとか…、ホッ&ホルホル。

 また、ある読者は驚くほど腰が低いし、ある読者は郷土を知って欲しいと資料を用意していたり、ある読者はガイドさんのように案内してくれたり、それぞれに心尽くしを感じることができました。僕の『万葉集=原始キリスト教の歌』説は、教義を歌で残したという意味ではなく、弾圧されて地方に散り散りになる人たちの、心の繋がりを、あるいは拠り所を歌集に託した、そのような微妙な意味合いがあるのです。今回、僕は同じような心境を感じたのです。

 最初の徳島ではまだ自分の役割が理解できていなかった僕ですが、岡山で読者に勇気をもらい、伊勢で弟子の成長した姿に自信を深め、大好きだった横綱玉の海の故郷・蒲郡では竹島の弁天様に歓待され、帰途には自分の役割を再確認できていました。ブログと古代史による世界へのささやかな影響ですが、応援してくださる読者に支えられて又頑張る力を得ました。不平を言わないで他の読者にも親切にしてくれた弟子、日頃の支援で支えてくださる読者の方々、今回の旅程の先々で会った読者の皆様、それから蜂蜜などのヒントをくださった読者の方などに、改めてお礼を申し上げたいと思います。次回からの旅行記にご期待ください。

   エフライム工房 平御幸
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする