ソドムの難波で二泊もする気がなかったので、ダンジリ見学の後は伊勢神宮展を見て松坂に向かいました。ところが、松坂は松阪牛で有名な割には田舎で、ネットカフェが無くてブログの更新ができません。少し都会の津まで出かけてみましたが、やはりありませんでした。
歩いて行けると思って予約した松坂のビジネスホテルが駅から遠いのが分かり、仕方なくタクシーで向かいました。若い運転手さんの感じが良かったのですが、食べるところは中国料理の店しか無く、宴会のグループが居てウンザリでした。しかし、朝には発見がありました。ホテルのすぐ横が洋菓子店で、あとで調べてみると、松坂まなび野森パティスリーサンミシェルとありました。夕暮れ前に弟子が送ってきたときに立ち寄り、アップルパイを朝食に求めました。でも、まなび野森は長崎に本家があるようで、長崎の読者からの情報を期待ですね。
と、そこまでは良かったのですが、弟子が車を停めたスーパーがイオン系で、買った飲料水5種類で巨人に5点先制され、買った固形物3種類で追加点3点を喫し、スワローズはボロ負けしました。僕がイオン系と知って神を試したのが悪かったのですが、あの死体水事件のマームとは違うので一安心。でも、巨人に3連敗でも、僕は以前より余裕がありました。それは、荒御霊(あらみたま)の御陰かもしれません。
伊勢神宮の内宮(ないくう)には天照大神を祭る正宮のほかに、荒御霊を祭る荒祭宮(あらまつりのみや)というものがあります。弟子は僕と読者を案内してくれていたのです。荒祭宮は内宮一の別宮とされ、僕も荒御霊のパワーを授かって、より行動的に活動できるように感じます。また、体調も驚くほどの回復振りです。
実は、旅行の初日は沼津までの特急に乗りましたが、沼津駅のトイレで血便が見られるほど体調は悪かったのです。血便はふつう黒いものですが、このときは鮮血で下血と言ってもよい症状でした。これに名古屋でのストレスが加わり、徳島に着いたときはヘロヘロでした。徳島でパワーをもらい、岡山や岸和田で回復しても、荒祭宮で本当に力を得た感じです。力と言っても、揺るぎない自信のような、むしろ落ち着いた感覚ですが。
ご存知「六芒星」
前に鳳凰の船首を持つ船形の雲をアップしましたが、あれは鷁首船(げきすせん)と言うのだそうです。京都の三船祭りで有名なようですね。この瑞兆は見る見る形が崩れて消えたので、デジカメで写したときは既に船首の鳳凰が崩れかけていました。わずか数分の瑞兆は、次の日の鳥羽フェリーの暗示でしょうか。
古代史で、尻尾の短い鳥を意味する「隹」の字は、アヒルで象徴されたエジプト宰相ヨセフに関する文字と書いていますが、ヨセフがフル(エフラタ=後のベツレヘム)の出身であるのを裏付けるように、隹は正式にはフルトリと読まれるのだそうです。旅行初日の熱田神宮へ向かう名鉄の窓の左手では、カラスが二羽先導してくれました。熱田神宮で参拝をし、最後の鳥居をくぐったらカラスの羽根が落ちていました。やはり八咫烏(やたがらす)が先導してくれていたのです。
名鉄で懐かしいドロミちゃん
このような験(しるし)を受けた今回の旅行。今までにブログで書いてきた事の集大成のようでした。家紋の橘や木瓜(もっこう)について書いたのは比較的最近ですが、今回は特に二つの家紋が目に付きました。詳しくは、残りの旅程である蒲郡の竹島で明らかにするつもりです。
エフライム工房 平御幸
歩いて行けると思って予約した松坂のビジネスホテルが駅から遠いのが分かり、仕方なくタクシーで向かいました。若い運転手さんの感じが良かったのですが、食べるところは中国料理の店しか無く、宴会のグループが居てウンザリでした。しかし、朝には発見がありました。ホテルのすぐ横が洋菓子店で、あとで調べてみると、松坂まなび野森パティスリーサンミシェルとありました。夕暮れ前に弟子が送ってきたときに立ち寄り、アップルパイを朝食に求めました。でも、まなび野森は長崎に本家があるようで、長崎の読者からの情報を期待ですね。
と、そこまでは良かったのですが、弟子が車を停めたスーパーがイオン系で、買った飲料水5種類で巨人に5点先制され、買った固形物3種類で追加点3点を喫し、スワローズはボロ負けしました。僕がイオン系と知って神を試したのが悪かったのですが、あの死体水事件のマームとは違うので一安心。でも、巨人に3連敗でも、僕は以前より余裕がありました。それは、荒御霊(あらみたま)の御陰かもしれません。
伊勢神宮の内宮(ないくう)には天照大神を祭る正宮のほかに、荒御霊を祭る荒祭宮(あらまつりのみや)というものがあります。弟子は僕と読者を案内してくれていたのです。荒祭宮は内宮一の別宮とされ、僕も荒御霊のパワーを授かって、より行動的に活動できるように感じます。また、体調も驚くほどの回復振りです。
実は、旅行の初日は沼津までの特急に乗りましたが、沼津駅のトイレで血便が見られるほど体調は悪かったのです。血便はふつう黒いものですが、このときは鮮血で下血と言ってもよい症状でした。これに名古屋でのストレスが加わり、徳島に着いたときはヘロヘロでした。徳島でパワーをもらい、岡山や岸和田で回復しても、荒祭宮で本当に力を得た感じです。力と言っても、揺るぎない自信のような、むしろ落ち着いた感覚ですが。

前に鳳凰の船首を持つ船形の雲をアップしましたが、あれは鷁首船(げきすせん)と言うのだそうです。京都の三船祭りで有名なようですね。この瑞兆は見る見る形が崩れて消えたので、デジカメで写したときは既に船首の鳳凰が崩れかけていました。わずか数分の瑞兆は、次の日の鳥羽フェリーの暗示でしょうか。
古代史で、尻尾の短い鳥を意味する「隹」の字は、アヒルで象徴されたエジプト宰相ヨセフに関する文字と書いていますが、ヨセフがフル(エフラタ=後のベツレヘム)の出身であるのを裏付けるように、隹は正式にはフルトリと読まれるのだそうです。旅行初日の熱田神宮へ向かう名鉄の窓の左手では、カラスが二羽先導してくれました。熱田神宮で参拝をし、最後の鳥居をくぐったらカラスの羽根が落ちていました。やはり八咫烏(やたがらす)が先導してくれていたのです。

このような験(しるし)を受けた今回の旅行。今までにブログで書いてきた事の集大成のようでした。家紋の橘や木瓜(もっこう)について書いたのは比較的最近ですが、今回は特に二つの家紋が目に付きました。詳しくは、残りの旅程である蒲郡の竹島で明らかにするつもりです。
エフライム工房 平御幸