大の大人、しかも大学を出ていたり、大学で教える立場にある人ですら、小学生にも分かる簡単な問題が分からない。これがカッバーラの恐ろしさで、もがけばもがくほど底なしのドツボにはまってしまう。
目の前にぶら下がっているヒントが見えず、無駄に難しく考えようとして頭がオーバーヒートしてしまう。単純なものほど難しい。カッバーラは人間の基本ができていないと盲目になるようにできているのです。僕の出したヒントは、仏教にはない儀式で、これがないと神社として成立しない。日本人ならだれでも持っている。この二点。
仏壇と神棚の比較で分かるように、仏教と神道の違いで一番大きいのは鏡の有無。
鏡に気が付かなかった人は、大馬鹿者を通り越してドアヘ(゜∀゜ヘ)ヘ(゜∀゜ヘ)ヘ(゜∀゜ヘ)ポー!!――――――状態です。
鏡は御霊(みたま)の象徴なので、神社を勧請するには御霊の分霊が絶対に必要。その分霊の大本がイエス・キリストの御霊で、神道で天照大御神と呼ばれるもの。実際には、御父の御霊と御子イエスの御霊と、聖霊ルーハの御霊を並べて三神として祀ります。天理教では聖霊ルーハだけを御霊様と呼んでいますが同じ構造です。
対して、仏教寺院の建立には分舎利が必要で、舎利(シャリ)とは釈迦の骨を指します。御飯のことをシャリというのは、分骨された釈迦の骨粒が御飯に似ているから生まれた言葉。寺院建立では礎石の下に釈迦の分骨を埋めるのが習わしで、世界中の舎利を集めると釈迦が何人いても足りないとか。大半はインチキで間違いないです。
このようなインチキが罷(まか)り通らないように、イエスは骨ではなく御霊を遺したのです。パンを割くとは御霊を分割すること。分けられたパンを食べると、それは腹にとどまってイエスの分け御霊となる。イエスを裏切ったユダは腹が裂けて死んだので、ユダに分け与えたイエスの御霊も天に帰ったのです。
イエスのパンと魚の奇跡は、イエスが5000人の男に御霊を分けたということ。この男たちが妻を娶るので、男たちから妻に分けられる御霊も5000。こうして、万(よろづ)と呼ばれるイエスの数字10000になったのです。
2匹の魚は、占星術的に20世紀までは魚座の時代で、21世紀からはみずがめ座の時代と言われています→こちら。黄道12宮を逆回りなのです。従って、魚座の時代の前が牡羊座の時代で、さらにその前が牡牛座の時代で、少し飛んで獅子座の時代。これが、獅子→イスラエル12部族ユダ、牡牛→宰相ヨセフ、牡羊→父ヤコブと、見事に彼らのシンボルに当てはまります。しかし、父ヤコブ-ユダ-ヨセフの順番とは逆。要するに、イエス出現を境にして鏡のようになっているのです。
次のみずがめ座の時代は知恵の時代と言われていますが、魚座の時代はイエスの教えが世界に広がる時代。魚座は双魚なので、これがイエスが食べさせた二匹の魚として、キリスト教が東西に分かれて伝わる事を象徴的に教えているのです。魚はイクトゥスと言って、キリスト教の隠されたシンボルなのです。
5つのパンは五大陸で世界の象徴。陰陽道でも、五は東西南北と中央で世界を表しています。要するに、東西に分かれたキリストの教えが五大陸に伝わる預言が2匹の魚と5つのパンで示された。従って、食べた5000人はイエスの御霊を授かった選ばれた者。別の言葉で言えば、神の名で儀式を行うことのできる神権を御霊とともに授かったのです。
そして、12籠は世界に散ったイスラエル12部族を象徴し、集められたパンクズは、神権を授かった者達の祝福で、神の名でパンを頂いてイエスの御霊を授かった異邦人の象徴。これが籠に一杯となったということは、12部族の教会に異邦人が集まったことを意味します。
イエスの救済はイスラエルだけでなく異邦人にも向けられた。この視点がなくて、12部族だけがイメージされた人は狭い視野のエゴを捨て去るべきです。
イエス=アマテラスの分け御霊を祀るのが神社で、それが分祀されて枝葉のように広がる。祖先霊を祀る神社でも、祖先が分霊された御霊を授かっているのだから同じです。こうして、日本人なら誰でもイエスの分け御霊を授かっている状態になり、その御霊が腹に宿るので腹黒いのはご法度となるのです。
なお、パンと魚の記述で7が出てくるのは七つの海で、やはり世界を表しています。頓珍漢な答えを書いて無知をさらけ出したものは反省の弁を書くこと。トンズラを決め込んだものは二重に反省汁。
追記
スバルの動画やスピーカー関係の動画はニコ動に移行して削除します。保存する人は早めに。
エフライム工房 平御幸
目の前にぶら下がっているヒントが見えず、無駄に難しく考えようとして頭がオーバーヒートしてしまう。単純なものほど難しい。カッバーラは人間の基本ができていないと盲目になるようにできているのです。僕の出したヒントは、仏教にはない儀式で、これがないと神社として成立しない。日本人ならだれでも持っている。この二点。
仏壇と神棚の比較で分かるように、仏教と神道の違いで一番大きいのは鏡の有無。
鏡に気が付かなかった人は、大馬鹿者を通り越してドアヘ(゜∀゜ヘ)ヘ(゜∀゜ヘ)ヘ(゜∀゜ヘ)ポー!!――――――状態です。
鏡は御霊(みたま)の象徴なので、神社を勧請するには御霊の分霊が絶対に必要。その分霊の大本がイエス・キリストの御霊で、神道で天照大御神と呼ばれるもの。実際には、御父の御霊と御子イエスの御霊と、聖霊ルーハの御霊を並べて三神として祀ります。天理教では聖霊ルーハだけを御霊様と呼んでいますが同じ構造です。
対して、仏教寺院の建立には分舎利が必要で、舎利(シャリ)とは釈迦の骨を指します。御飯のことをシャリというのは、分骨された釈迦の骨粒が御飯に似ているから生まれた言葉。寺院建立では礎石の下に釈迦の分骨を埋めるのが習わしで、世界中の舎利を集めると釈迦が何人いても足りないとか。大半はインチキで間違いないです。
このようなインチキが罷(まか)り通らないように、イエスは骨ではなく御霊を遺したのです。パンを割くとは御霊を分割すること。分けられたパンを食べると、それは腹にとどまってイエスの分け御霊となる。イエスを裏切ったユダは腹が裂けて死んだので、ユダに分け与えたイエスの御霊も天に帰ったのです。
イエスのパンと魚の奇跡は、イエスが5000人の男に御霊を分けたということ。この男たちが妻を娶るので、男たちから妻に分けられる御霊も5000。こうして、万(よろづ)と呼ばれるイエスの数字10000になったのです。
2匹の魚は、占星術的に20世紀までは魚座の時代で、21世紀からはみずがめ座の時代と言われています→こちら。黄道12宮を逆回りなのです。従って、魚座の時代の前が牡羊座の時代で、さらにその前が牡牛座の時代で、少し飛んで獅子座の時代。これが、獅子→イスラエル12部族ユダ、牡牛→宰相ヨセフ、牡羊→父ヤコブと、見事に彼らのシンボルに当てはまります。しかし、父ヤコブ-ユダ-ヨセフの順番とは逆。要するに、イエス出現を境にして鏡のようになっているのです。
次のみずがめ座の時代は知恵の時代と言われていますが、魚座の時代はイエスの教えが世界に広がる時代。魚座は双魚なので、これがイエスが食べさせた二匹の魚として、キリスト教が東西に分かれて伝わる事を象徴的に教えているのです。魚はイクトゥスと言って、キリスト教の隠されたシンボルなのです。
5つのパンは五大陸で世界の象徴。陰陽道でも、五は東西南北と中央で世界を表しています。要するに、東西に分かれたキリストの教えが五大陸に伝わる預言が2匹の魚と5つのパンで示された。従って、食べた5000人はイエスの御霊を授かった選ばれた者。別の言葉で言えば、神の名で儀式を行うことのできる神権を御霊とともに授かったのです。
そして、12籠は世界に散ったイスラエル12部族を象徴し、集められたパンクズは、神権を授かった者達の祝福で、神の名でパンを頂いてイエスの御霊を授かった異邦人の象徴。これが籠に一杯となったということは、12部族の教会に異邦人が集まったことを意味します。
イエスの救済はイスラエルだけでなく異邦人にも向けられた。この視点がなくて、12部族だけがイメージされた人は狭い視野のエゴを捨て去るべきです。
イエス=アマテラスの分け御霊を祀るのが神社で、それが分祀されて枝葉のように広がる。祖先霊を祀る神社でも、祖先が分霊された御霊を授かっているのだから同じです。こうして、日本人なら誰でもイエスの分け御霊を授かっている状態になり、その御霊が腹に宿るので腹黒いのはご法度となるのです。
なお、パンと魚の記述で7が出てくるのは七つの海で、やはり世界を表しています。頓珍漢な答えを書いて無知をさらけ出したものは反省の弁を書くこと。トンズラを決め込んだものは二重に反省汁。
追記
スバルの動画やスピーカー関係の動画はニコ動に移行して削除します。保存する人は早めに。
エフライム工房 平御幸