平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

鹿島神宮参詣 その2 タケミカヅチの本質

2014-09-23 00:51:39 | Weblog
 9月21日の鹿島神宮と香取神宮の参詣は、好天気に恵まれ、暑男の鶴と亀さんの影響で日照下では汗だく。大洗同行メンバーに予告していた通りにいろいろあって、予言した通りに香取神宮参詣後の昼御飯は蕎麦。

 鹿島神宮の祭神は武甕槌(たけみかづち)大神ですが、タケミカヅチと片仮名で書いたほうが一般向きです。武甕槌は武御雷とも書くように、雷神として知られ、楼門の裏側には雷の閃光をかたどったものが祀られています。雷の後ろの幣帛(へいはく)も紙を折って畳んだ雷です。この幣帛のジグザグが、生命の樹のパスを表しているのは飛鳥昭雄氏が書いている通り。



 しかし、武御雷は雷の神様として理解できるのですが、武甕槌の方は甕(かめ)と槌(つち)という、よく分からない名前です。ちなみに、グーグルIMEで甕は「かめ」の変換候補には出ません。甕棺なら変換できるのですが、バグでしょうか。

 甕の読みはカですが、接頭語を付けてミカと読まれます。武(たけ)は軍神を意味し、それでタケミカヅチ=ミカエル説が出るのですが、ミカエルは天使であって神ではありません。もっとも、八百万の神は天使も預言者もごった混ぜなので、神といえば神ですけどね。

 それで、甕槌はなぜ別名が雷神なのか?これは、甕は亀の暗示であると見れば、槌の方も謎が解ける仕組みになっているのです。松戸神社に掲げられる神の文字は、旁の申が、日の四隅が斜めに伸びて亀の姿になっています。要するに、神は亀なのですが、ここに言う亀は生命の樹の中に見える、パスを接続したものなのです。


松戸神社の文字
古いデジカメの画像なので細部がわからない orz



申の部分だけトリミングして強調

 生命の樹はパスの繋げ方一つで、漢字の、日、白、木、申、工、甲、口、由、田、十、一、王、子、人、隹(とり)、などと読むことが出来るのです。そして、その多くが聖書やイエスにまつわる文字であり、必然的に神道で使われる文字ともなっているのです。例えば、鴨氏の鴨や、神社建築に欠かせない白木や、太陽神の日など。


生命の樹のパス(小径)をつなげると文字になる
上記の他に、円、月、良、山、土、主、三、出、中、など


 イエスに関しては、始めと終わりを意味する一と十や、イエスが架けられた木や、十字架の中に見える子の字など。白もイエスを表すもので、イエスを指す白と王の組み合わせが皇で、イエスは大工だから工人の工と人など。

 このように、生命の樹には様々な文字が隠されているのですが、その全体を表すのが首と手足を伸ばした亀の姿であり、それが亀となって甕という文字で隠されたわけです。イスラエル12部族は鳥で象徴されますが、ヤコブのウヅラやヨセフのアヒルなど、尻尾の短い鳥を意味する隹の字も隠されていたのです。

 一方、槌の方は形状から十字と分かります。金槌は片方が細いものが多いですが、木槌の大半は十字の形をしています。ここから、大黒天の打ち出の小槌のような信仰が生まれたわけで、生命の樹の奥義を知っている八咫烏が、打ち出の小槌の出現する一寸法師や御伽草子の説話に関わっていたと考えられます。

 香取神宮は香の取=香の鳥で、「コウノトリ→甲の鳥→鴨」という連想ゲームから陰陽道の鴨氏=賀茂氏に至ったのですが、甲はコーカサスも表すので、失われた十支族の日本へのルートにコーカサスがあったと分かります。甲賀はコーカサス系のコーヘンという意味なのです。


香取神宮の本殿、蟇股下には鴨が刻まれている

 コウノトリは幸の鳥とも書きますが、幸の字は頭が丸いので聖霊を表したものです。聖霊に逆らわない素直な者は幸福になり、聖霊に逆らった者はイエスの救済も及ばない不幸に落とされます。僕の平御幸は「御父、平等のイエス、聖霊の幸」の組み合わせなのです。だから、僕に逆らった者は不動産王でも政治家でも滅びてしまうのです。

 鹿島神宮は鹿で然り(しかり=正しい)を表し、香取神宮は幸の一文字で否(いな)を表す。否が稲で表されるから、鹿島神宮の奥の茶店で古代赤米がサービスされていた。一人だけ抜け駆けして甘酒を飲まなかったら、古代赤米の一口も頂戴できなかった。つまらない遠慮はすべきではありません。口にできなかった人はまだまだなのです。


甘酒を大半飲んでから撮影に気がついた orz
古代赤米はメンバーの一人がぱくついている


    エフライム工房 平御幸
コメント (15)
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