大阪杯はスワーヴリチャードのデムーロが神騎乗。対して、サトノダイヤモンドの戸崎騎手は好位からズルズル下がってタイムロスし、大外回して大敗。サトノダイヤモンドのキャリアに傷をつけたクソ騎乗でした (;´Д`)
昨晩のドバイワールドカップデイ。今日と同じように、スローペースなのに日本馬が後方待機して先行馬に逃げ切られるパターンばかり orz
僕は常々、日本の競馬関係者(騎手、調教師、生産者を含めた馬主)はアタマが悪いと思っていましたが、ドバイと大阪杯はそれを証明する舞台でしかなかった。彼らには、学習能力も皆無だし、最悪のパターンをシミュレーションする最低限の知能さえない。シミュレーションしないから、常に行き当たりばったりで、ゲート出てからあたふたし、カーリングのようなプランBやプランCに切り替える事が出来ない。
もっとも、日本の騎手は中卒で、しかも進学校に入れる頭脳がないから競馬村から出られないのばかり。競馬学校で教わるのは騎乗技術ばかりで、頭を使う事を教えられる教官もいない。だから、負けるとペースが合わなかったですましてしまう。ペースが合わなかったで片付けられるスポーツは競馬だけです。
余りに日本の競馬のレベルが低いので、デムーロのように臨機応変にプランBやCに移行できる外国人騎手の天国となる。
ただ、ドバイで日本馬に乗った外国人騎手も、スローペースを後方待機して、絶対に届かない位置から仕掛けるというクソ騎乗。これは、馬主と調教師サイドが日本式を押し付けている弊害だと僕は思っています。最初のコーナは何番手で回れとか、つまらない指示で騎手の自由度を奪い負担を増す。
なぜ、日本の競馬がダメなのかというと、それは調教師も馬主も騎手も弱気過ぎるからだと思います。基本的に弱いから、マスメディアによる批判を認めない。批判したジャーナリストや評論家は競馬村出入り禁止となる。
今日は、元騎手の佐藤哲三氏が解説で、珍しく日本人騎手の不甲斐なさに言及しました。負けても悔しさも見せず、競馬村の中でナアナアとやっている騎手に対し、デムーロのように神騎乗してみろと挑発。
競走馬という生き物は、基本的に鞍上の精神面を敏感に感じ取ってレースをする。騎手が弱気だと馬も弱気になるし、騎手がレースの流れを読めないと喧嘩する。好スタートを切ったのに無理に控えさせられて、サトノダイヤモンドは行き場を失った。この時点で馬と騎手とのコミュニケーションが喪失していたのです。それが傍目にはかかっているように見える。僕が馬だったら、ダメ騎手は振り落としています。
外国人騎手は、馬がかかろうが、無理やり抑えて殺さないで、最後に力を残させている。シーマクラシックで3着のクロスオブスータズは、スローペースに最初から首を振っていましたが、それでも日本馬に負けなかった。騎手が殺さなかったからお釣りが残っていた。
僕は、馬が強いとか弱いとかで片付ける思考の持ち主を軽蔑しています。馬の成績は、騎手や調教師や調教助手や厩務員を含めた総合力の結果であって、環境に恵まれないと力を発揮できない。ドキュンの家庭に育てば、そこそこ頭が良くても学力が伸びないのと一緒。子供の学習能力は家庭環境で決まるし、親や兄弟が優秀すぎてもコンプレックスで駄目になる子供もいる。人間でさえ育てるのは難しいのだから、言葉の通じない馬ではさらに困難。
人間と動物は言葉の通じない間でも、共通するものはあるのです。それは感情で、嬉しいとか悲しいとか、悔しいとか、誇らしいとか。騎手を含めた競馬関係者に最も必要な物は、競走馬の感情を含めた精神を理解すること。
昔、ムツゴロウが馬を叩いていたのを見て、この人はインチキだと思いました。競馬でも、馬が自分の力を信じて、その力を100%出すためには、騎手や調教師などの、強い精神力が不可欠。でも、それはインテリジェンスからしか生まれないものなので、インテリジェンス皆無の日本の競馬関係者には無理ゲーなのだと思います。
日本の、騎手、調教師、馬主から、インテリジェンスに満ちた言葉が聞かれるのはいつの日か?ドバイの王族に格負けしている競馬関係者は、僕の古代史を読んで、格負けしないだけのインテリジェンスを身に付けるしかないのです。英語ができなくても良いし、ただ、高貴な日本人として目覚めるだけで良いのですから。そのスピリットが、欧米アラブに負けない強気の原動力となる。スポ根的な下品な強がりを強気と思っているうちは、日本競馬は凱旋門賞を勝てないと思います。
平御幸(Miyuki.Taira)
昨晩のドバイワールドカップデイ。今日と同じように、スローペースなのに日本馬が後方待機して先行馬に逃げ切られるパターンばかり orz
僕は常々、日本の競馬関係者(騎手、調教師、生産者を含めた馬主)はアタマが悪いと思っていましたが、ドバイと大阪杯はそれを証明する舞台でしかなかった。彼らには、学習能力も皆無だし、最悪のパターンをシミュレーションする最低限の知能さえない。シミュレーションしないから、常に行き当たりばったりで、ゲート出てからあたふたし、カーリングのようなプランBやプランCに切り替える事が出来ない。
もっとも、日本の騎手は中卒で、しかも進学校に入れる頭脳がないから競馬村から出られないのばかり。競馬学校で教わるのは騎乗技術ばかりで、頭を使う事を教えられる教官もいない。だから、負けるとペースが合わなかったですましてしまう。ペースが合わなかったで片付けられるスポーツは競馬だけです。
余りに日本の競馬のレベルが低いので、デムーロのように臨機応変にプランBやCに移行できる外国人騎手の天国となる。
ただ、ドバイで日本馬に乗った外国人騎手も、スローペースを後方待機して、絶対に届かない位置から仕掛けるというクソ騎乗。これは、馬主と調教師サイドが日本式を押し付けている弊害だと僕は思っています。最初のコーナは何番手で回れとか、つまらない指示で騎手の自由度を奪い負担を増す。
なぜ、日本の競馬がダメなのかというと、それは調教師も馬主も騎手も弱気過ぎるからだと思います。基本的に弱いから、マスメディアによる批判を認めない。批判したジャーナリストや評論家は競馬村出入り禁止となる。
今日は、元騎手の佐藤哲三氏が解説で、珍しく日本人騎手の不甲斐なさに言及しました。負けても悔しさも見せず、競馬村の中でナアナアとやっている騎手に対し、デムーロのように神騎乗してみろと挑発。
競走馬という生き物は、基本的に鞍上の精神面を敏感に感じ取ってレースをする。騎手が弱気だと馬も弱気になるし、騎手がレースの流れを読めないと喧嘩する。好スタートを切ったのに無理に控えさせられて、サトノダイヤモンドは行き場を失った。この時点で馬と騎手とのコミュニケーションが喪失していたのです。それが傍目にはかかっているように見える。僕が馬だったら、ダメ騎手は振り落としています。
外国人騎手は、馬がかかろうが、無理やり抑えて殺さないで、最後に力を残させている。シーマクラシックで3着のクロスオブスータズは、スローペースに最初から首を振っていましたが、それでも日本馬に負けなかった。騎手が殺さなかったからお釣りが残っていた。
僕は、馬が強いとか弱いとかで片付ける思考の持ち主を軽蔑しています。馬の成績は、騎手や調教師や調教助手や厩務員を含めた総合力の結果であって、環境に恵まれないと力を発揮できない。ドキュンの家庭に育てば、そこそこ頭が良くても学力が伸びないのと一緒。子供の学習能力は家庭環境で決まるし、親や兄弟が優秀すぎてもコンプレックスで駄目になる子供もいる。人間でさえ育てるのは難しいのだから、言葉の通じない馬ではさらに困難。
人間と動物は言葉の通じない間でも、共通するものはあるのです。それは感情で、嬉しいとか悲しいとか、悔しいとか、誇らしいとか。騎手を含めた競馬関係者に最も必要な物は、競走馬の感情を含めた精神を理解すること。
昔、ムツゴロウが馬を叩いていたのを見て、この人はインチキだと思いました。競馬でも、馬が自分の力を信じて、その力を100%出すためには、騎手や調教師などの、強い精神力が不可欠。でも、それはインテリジェンスからしか生まれないものなので、インテリジェンス皆無の日本の競馬関係者には無理ゲーなのだと思います。
日本の、騎手、調教師、馬主から、インテリジェンスに満ちた言葉が聞かれるのはいつの日か?ドバイの王族に格負けしている競馬関係者は、僕の古代史を読んで、格負けしないだけのインテリジェンスを身に付けるしかないのです。英語ができなくても良いし、ただ、高貴な日本人として目覚めるだけで良いのですから。そのスピリットが、欧米アラブに負けない強気の原動力となる。スポ根的な下品な強がりを強気と思っているうちは、日本競馬は凱旋門賞を勝てないと思います。
平御幸(Miyuki.Taira)