早いもので、もう師走の12月。1年があっという間に過ぎ去って行きます (;´Д`)
時間軸という言葉があります。時間の流れは川の流れのようにたゆまず一方通行ですが、未来を知ることの出来ない人の常として、人生の先は不透明で不安に満ちたものとなります。大津から帰ってきたこともあり、柿本人麻呂が近江からの帰途に詠んだ歌が心に刺さります。『万葉集』巻3より264番
物乃部能 八十氏河乃 阿白木尓 不知代経浪乃 去邊白不母
もののふの やそうぢがはの あじろぎに いさよふなみの ゆくへしらずも
この歌は、冒頭の「もののふ」から、次の「八十宇治川」が謎の言葉です。いや、知っていると思っている学者や研究者はいますが、彼らの解釈でスッキリするものは皆無です。分かったつもりになっているだけだから、所詮は自己満足の解釈に落ち着いてしまうのです。
この歌は、柿本人麻呂がイスラエルの祭司コーヘンであり、しかも原始キリスト教の祭司であったとする前提無くして理解できない構造になっています。柿本人麻呂の正体は、猿に象徴される祭司の藤原不比等。祭司だから柿本猿や猿丸太夫という別名があるのです。
八十宇治川は、単に「もののふ」という掛詞を継いだものではなく、八十がキリスト教の象徴数という理解の上に解釈する必要があります。八十がキリスト教なら、宇治川は氏側となり、原始キリスト教の藤原氏他になるのです。原始キリスト教が唐の圧力で地下に隠れた時代。原始キリスト教を守る人は『万葉集』で繋がっていたのです。
そもそも、「もののふ」とは単なる武士のことではなく、イスラエルの祭司レビ族の武装集団を指すのです。モーセが「牛を拝んではならない」と兄アロンほかを叱責したことから生まれたのが物という文字。物部氏は、レビ族の中でも特にモーセに近い、モーセの子孫かアロンの子孫の系統なのです。
物部の別の読みが「もののふ」で、部=武なのだから、物武と書けば、「もののべ」も「もののふ」も同じだと分かります。原始キリスト教の祭司藤原氏は、中臣鎌足が近江朝の天智天皇の時に藤原姓を賜ったのに始まり。だから、過去となった近江朝の跡から戻る時に、原始キリスト教の行く末を宇治川の波にたとえた。時は、天武以降の仏教を柱とする時代に。
時が移り、もののふは広範な武士を指す言葉に変化した。それを常識として歌の解釈しても、実につまらない感想しか出てきません。
宇治川と極めて似ている大和の宇智郡。現在の五條市ですが、柿本人麻呂の少し後の時代に、藤原氏つながりで悲劇が起こります。
イスラエルのベニヤミン系の血を引く、あるいはマグダラのマリアの子孫の
井上内親王は、伊勢の斎宮から光仁天皇の皇后になります。しかし、光仁天皇を呪詛した罪で皇籍を剥奪され、さらに別の呪詛事件で宇智郡に幽閉され、一説によると暗殺されてしまいます。
この後、天変地異が相次いだことから、祟りを鎮めるために皇籍回復し、また墓も陵と改められました。昔から女神の祟りは怖れられていたのです (-_-;)
さて、井上という名前の謎。これは、井戸の上の青天井が神の高殿を指すだけでなく、マグダラのマリアの亥年から、亥の上=子という構図になっているのです。子は御子イエスであり、漢訳聖書の移鼠(イエス)のネズミでもあるのです。井上でイエスとマグダラのマリアの二人を表すとは。
元々は藤原氏の藤原北家と藤原式家の争いに巻き込まれた井上内親王。全国の井上さんは、この悲劇が繰り返されないように、仲裁や和睦に励みましょう。そうすれば井上内親王の御霊も喜ぶはず (;^ω^)
平御幸(Miyuki.Taira)